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次の日、久しぶりに自分の実家に寄った。
死んだあいつの情報を仕入れるために。
母に尋いてみた。母はたいした情報を持たなかった。
近くに残っている数人の幼なじみにも当たってみた。
彼らもたいした情報を持たないばかりか、誰一人として通夜、
告別式がどこで行われたかさえ知らなかった。
しかし、奴が死んだことだけは確かだ。
奴はいったいどこに住んでいた。
奴が以前暮らした家に行ってみた。
そこは更地になり不動産屋の看板が立ててある。
近所で聞き込みをしてみた。
近所の人は手がかりを持たない。
奴の存在すら知らない。
ここはコミュニティーは崩壊し死んだ街になっていた。
店の大半はシャーッターを閉じ空き地とコインパーキングばかりが目に付く。
幼い頃の思いではこの街には残されていなかった。
奴とも遊んだ。
奴にはよく苛められた。
「ケン、釘飲んだだろう?
お前、もうすぐ死ぬぞ」
僕はその言葉を信じ、
肺や胃に釘が刺さっていると小学校高学年までずっと思い込んでいた。
「ケン、目がおかしいんだ。
右と左で別々に見えるなんて」
この言葉も信じ込んでいた。
右目と左目では鼻を挟んでいるから、
多少見える感覚が違って当たり前だが、
僕が奴にそれを言うと。
「お前は、目が・・・・・」
あいつはそんな奴だった。
病院から電話を掛けた知り合いのことを思い出した。
そこなら何か手ががりが掴めるかもしれない。
豆腐屋の前に着く。
戸を引いて声を掛けた。
「御免ください、ケンです。
御免ください、御免ください」
数回、叫んで店の主のおじさんが出てきた。
耳が遠いのだろう、補聴器を付けている。
「やあ、ケン、久しぶりだな。
まあ、上がれ」
「お久しぶりです」
僕は土間を抜け仕事場の横から古い家に上がった。
「死んだあいつのことですが、何か手掛かり情報を知りませんか?」
「情報といったら奴さん、遺体の引き取り手がなく荼毘され、
警察で無縁仏になるそうだ」
「どこの警察です?」
「S署だ」
「事故もその近くだったでしょう」
「ああ、S署の近くの交差点だ」
「あいつの家族はどこに行ったんですか?
家の後は更地になってました」
「地上げ屋にやられた。
あの家、借地だっただろう。
地主が不動産屋にいいように丸め込まれ、
あいつの家族は放り出された。
それ以来、あの家族の情報はない。
10年ぶりの知らせがあの事故だ。
ケン、お前、今、どこで何をしている?」
「僕は結婚して山の手に小さなマンションを借りて住んでいます。
会社を辞めてバイトで食い繋いでいたところなんです。
バイト先の原付に乗って得意先に向かう途中事故に遭って、
今、療養をしていると言えば聞こえがいいですが、
保険で食べています」
「そう、だったのか。結婚したのか?」
「まだ、新婚です」
「ケンが結婚するとは、わしが年をとるはずだ。
どんな嫁さんか?」
「二十歳の学生なんです」
「ほう、そりょ、若いの!」
「はい、若いだけが取り柄です」
「ケン、事故に遭ったというが、体は大丈夫なのか?」
「ええ、先週退院したばかりですが、検査ではなんともないんです。
週一度の通院で一ヶ月は保険で金が出ます。
それにしても、この街は死んでいますね。
むかしの面影はまったくないし」
「そうだろう、お前はこの街を出て正解だった。
わしも、もう少し若ければ、この街を出ていた。
女房と何度も話し合ったが、新しい街に行って、
この商売が軌道に乗るか、それがどうも自信がなかった。
朝早くから豆腐を作り細々と食い繋いでいるのが現実なんだ」
「ところで、おばさんはどうしたんですか?」
「去年の暮れに胃癌で死んだ。
手術したが手遅れだった。
一ヶ月後に死んだ、Z病院で」
「Z病院?」
「ああ!」
「僕も救急車で運ばれて、そのZ病院に10日間入院していたんです」
「偶然だな!」
「そう、偶然です」
「ケン、お昼、どうする?」
「ごちそうになります」
懐かしい豆腐尽くしのお昼をごちそうになり、
仏壇のおばんさんに挨拶をしてこの家を出た。
バスと地下鉄を乗り継いでS署に着いた。
「先日の事故、この付近の交差点での事故についてお尋きしたいのですが?」
「係りは2階の奥にあるから、そこで聞いてみて」
「解かりました」
新築ビルの階段を僕は重い気分で上った。
2Fの奥の女性に僕は同じ質問を繰り返した。
「あなた、彼のお知り合いですか?」
「知り合いというほどではないですが」
「どういう、関係?」
「幼なじみです」
「それでは、遺骨を引き取っては貰えませんね」
「ええ。
遺骨の引き取り手はいないのですか?」
「いません。
かろうじて運転免許証で身元が確認ができました。
調べてみたところ、まったく、身寄りがないようです」
「彼はどこに住んで何をしていたのですか?」
「それが解からないのです、どこに住んで何をしていたかが」
「まったく解からないのですか?」
「まったく解かりません」
「警察が調べても?」
「解かりません。
免許証の本籍は今更地になっていますし、
住所は以前勤めていた会社の寮ということは確認できています」
「原付バイクで手掛かりは?」
「盗難車です」
「そうですか、できれば、遺骨に会わせてもらえませんか?」
「構いませんよ」
彼女はキーを取り、僕を案内するようにエレベータに乗った。
B1の廊下を2回曲がり奥の隅の狭い部屋のノブに彼女はキーを差し込み捻った。
遺骨は他の柱と共に安置されている。
僕は、奴の遺骨に祈りを捧げた。
「ここに、置かれるのも、一ヶ月の間です。
それで、引き取り手がないと郊外にある警察のお墓で無縁仏になります。
それまでに、誰か身内が見つかるといいのですが」
「ここには、他の仏さんがいますね?」
「ええ、月に数件はあります。
まず、引き取り手がないと言っていいでしょう。
年に一度引き取り手があればいいほうです。
これでもわたしは3年この仕事をしていますから」
安置室を出てターミナルに向うすがら広い道の両脇のダンボールの住民に目がいった。
初老の男が酒を飲んでいた。
隣の若い男は自分で陰部をしごいている。
中年の女は拾ったと思われる弁当を手で口に放り込んでいた。
高層ビルの役所が見える。
彼らの目に見上げる役所はどう映るだろう。
地下街を歩いた。
ターミナルはラッシュを前に混み始めていた。
あいつのような身寄りのない素性のはっきりしない奴らで溢れかえっている。
奴らは無縁仏の予備軍だ。
雑多な人種と閉塞間が僕を圧し息苦しく階段を上がって地上に出た。
戦後バラックのような木造の商店街を覗きガード下を潜って歓楽街に入る。
まだ、夕方前だというのに客引きに掴まった。
「先輩、チンチンねぶりしゃぶりですよ、5千円にサービスします」
僕は無視した。
「先輩、先輩、Gカップの二十歳の娘がいるんです。
これは、めっけものですぜ」
僕はそいつの手を振り払ってなじみのジャズバーに急いだ。
ジャズバーは更地になっていた。
一ヶ月前に来た時はしっかり、営業していたが。
あいつの家と違って不動産屋の看板はなく、移転の知らせもない。
これから、どこへ行こう。
誰かが肩を叩く。
「ケンじゃないか!」
「ああ、ヤス」
「何してんだ、こんなとこで」
「一ヶ月ぶりにそこのジャズバーに来てみたのさ、更地になって驚いたけど」
「そこ、ケンとも何度か来たな。
俺は一週間前にそこでライブを観た。
今日はもう更地だ。
この街のテンポには付いていけない。
おまえ、今、何してんだ?」
「事故に遭って保険で食っている、ヤスこそ?」
「俺は、親父の後を継いでこの街の飲食店に酒を入れている。
飲食店といっても大半はいかがわしいピンクさ。
店の入れ替わりが激しく又貸しも多い、
金さえまともに払ってくれれば文句はないが、
付き合うのが難儀な連中ばかりなんだよ」
「会社は、どうした?」
「2ヶ月前、上司とぶつかって辞めた。
繋ぎのバイトで事故に遭い、最近退院したばかりさ」
「そうか。結婚したと聞いたけど、呼んでもらえなかったな」
「神社で式を挙げ身内で済ませた」
「金かからねえな」
「ああ、新婚旅行と合わせても五十万円以内さ」
「これから、俺に付き合わないか?」
「なんだい?」
「路地裏に『S』という飲み屋がある。
今日、そこで久しぶりに飲まないか?」
「いいけど」
「じゃ、行こう」
僕とヤスは開店前の『S』に入った。
驚いた、そこのマスターは高校時代の同級生、Sだった。
「ケン、久しぶり」
「本当に久しぶり、高校卒業以来だね。
そこでヤスに会って。
外国に行ったと聞いたけど」
「卒業して、バイトで貯めた金で3年間海外を放浪していた。
3年前に日本に戻り、この街で水商売に入った。
そして3ヶ月前に、この店を持った」
「どこを放浪した?」
「まず、ロスに飛んで、シスコ、シアトル、ニューヨーク、ボストン。
大西洋を越えロンドン、大陸に渡ってヨーロッパを1年かけてぶらついた。
北アフリカからイスラエル、アジアに戻ってインド、タイ、
マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピイン、香港、台湾。
そして日本に帰ってきた」
「まるで、沢木耕太郎だ」
「ヤスも1年一緒だった」
「そうだっけ?」
「ああ、俺も大学を1年休学してSとヨーロッパをぶらついていた」
「そういえば、1年間いなかったな」
「ケンが結婚したって」
「ケン、結婚おめでとう。俺は子供までいるけど」
「いくつ?」
「もうすぐ2歳だ。
日本に帰ってすぐこの街で女房と知り合った。
女房外人なんだ、コスタリカ人」
「そう言えば、この街、外人多いもんな」
「女房も出稼ぎさ、最初立ちんぼかと思ったよ。
英語で話しかけたが、なまりのきつい英語が応ってきた。
よく見りゃ、白人のようで白人でない。
混ざっているんだ」
「それで、どうした?」
「ホテルに誘ったよ、でも付いてこなかった。それがよかった」
「この辺、立ちんぼ多いね?」
「多いね、この裏の通りなんて立ちんぼ天国さ、
昼間から客引きしてるよ」
「ケン、どこに住んでいる?」
「山の手に小さなマンションを借りている」
「俺は籤で当たってこの近くの公営住宅さ。
歩いて通えるのが唯一の売りで、築40年、いや、それ以上かもしれない。
エレベータもない、ぼろぼろの団地だ。
鼠とゴキブリと雨蛙が出る、女房がよく我慢してくれているよ」
「雨蛙?」
「動物園だ。
ヤスは何度か来たがことがある」
「確かに古い動物園だ。
でも家賃安いんだろう?」
「安いことは安いんだ、ここで言えないくらい」
「この店で稼いで億ションでも買えばいいさ」
「飲み屋やってて億ションが買えるか?」
「わからないさ」
「買える、買える、俺たちはまだ若い」
「テキーラ飲むか?」
「ああ」
「つまみは適当に抓んでくれ、俺はちょっと、買出しに行ってくる」
Sは店を出た。
僕とヤスは取り留めのない昔話をし、Sも戻った。
「今日、ここに来る前、実家に寄って死んだ幼なじみの情報を当たっていた」
「俺たちが知っている奴か?」
「知らない奴だ、僕も10年は会ってなかった。
先々週、S署の近くの交差点で原付に乗ってトラックにはねられ即死した」
「その事故知ってるよ」
「俺も知ってる」
「そいつ、この店に何度か来ていた」
「それ、本当?」
「本当だとも。
テレビのニュースで顔を見て店の客だと確信したのさ。
いつも一人で来てビールを飲んですぐ帰っていった。
こちらから、話しかけても何も話さない。
こいつ、口が聞けねえんじゃないか、外人じゃないかと想ったね。
身なりは悪いし、病人のように頬がこけていた。
まあ、金はしっかり払ってくれていたし、店で問題も起さない。
こっちも文句は言えねえんだけど」
「最後に来たのはいつ?」
「3週間くらい前かな。
やはり、ビールを2杯飲んですぐに帰った。
それが、そいつの最後さ」
「今日の午後、そいつの遺骨に会ってきた。
S署の地下に保管してある。
あと、二十日もすれば無縁仏になる」
「無縁仏か?」
「無縁仏ね」
「そいつが夢で僕にサインを送ってきた。
こんな所までよく来てくれたねと。
ポルシェに乗り、車椅子に乗り最後は山奥の施設にいた。
翌朝、病院の売店で買った新聞でそいつの事故死を知った。
それ以来、そいつのことが気になって仕方ないんだ」
「まあ、気にしてもしょうがないさ」
ヤスは僕を慰めるように呟いた。
「そいつ、ケンを呼んだね」
「うちの奥さんも同じようなことを言ってたよ」
「俺は、外国やこの街でいろんな奴を見てきた。
吹き溜まりのような連中ばかりを見てきた。
人には言えない事情ってもんが人にはあるんだ。
そいつがこの店に来たのも何かの縁だ。
そいつ、俺に何か言いたかったのかもしれない。
いや、きっと、ケンに会いたかったんだろうな」
「何か、情報があったら知らせてくれないか」
僕はテキーラを2杯飲んで電話番号のメモを渡しヤスとこの店を出た。