ペーパークラフト・・・10 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 10

 

 ゴールデンウィークも残り2日となった、5月4日。
 ようやく、うずうずしていた東京ディズニーランドに行ける。
 わたしの周囲でディズニー未経験者を見出すのは携帯電話を持たない人を見つけるより難しいが、その人こそ何を隠そう、 
 わたくし、井上さやかと潤平君。

 肌寒い。
 雨がポチポチ降ってくる。
 待ちわびていたのに、朝から天気が今一つ。
 この日のため、わたしは四国へ嫁ぐ島田さん同様、ピンク色のスーツに袖を通したかった。
 でも、泣く泣くTシャツの上にベージュのパーカー、そしてジーンズを穿く。
 邪魔にはなるが、コンビニのビニール傘を持ち、リュックを担ぎぐずって家を出た。

 みんな、長い休みを楽しんでいるのかバスを待つ人の姿はない。
 帰省ラッシュが始まっているとも、ニュースで伝え聞いた。
 わたしは遠出をしなかった。
 横浜での会食後2日間、何もすることがなく、
 近所でVIDEOとDVDを借りまくり、
 一人寂しく、日本映画鑑賞を決め込んだ。
 レンタルショップにそんなコーナーが設けてあり、
 名前も知らない巨匠たちの、古い日本の風情を嗜んだ。
 
 そういえば、「ゴールデンウィークの名付け親が、かつて栄華を誇った活動写真大映のワンマン永田社長である」
 出会った頃、彼から知った。
 ああ! あれが、初うんちく。

 潤平君の顔を見るのは約10日ぶりだ。
 大宮で美佐子に再会した日以来、会っていない。
 わたしが彼と知り合って、これほど会わなかった期間はなかった。
 少なくても、週に1度は顔を会わせていた。
 会えない日々、電話で言葉を交わし、メールで近況を伝えあっていた。
 

 新木場に着き、待ち合わせの改札まで、わたしは進んでいった。
 そこで妹さんを紹介された。
 都立高校を卒業したばかりの理恵さんは、彼とは7つ歳の離れた妹である。
 半年前、影に隠れるようにして彼女の姿を見た同じ場所で今、
 面と向かって紹介されると、嬉しさと恥ずかしさが交差して、
 自分からどう話してよいか、まごついてしまった。

 手短に彼は「妹の理恵」と紹介し、
「彼女の井上さやか」この目を見てはっきりと言った。
 これで、わたしの存在も少しは認めてもらえた。
 うれしい。
 ただ、その一言。
 初めて出会った日のあの輝いた眼差しで、わたしを見つめてくれ、 安堵感で一杯だった。
 わたしは俯きかげんに彼を見た。
 続いて理恵さんを。

 遠目で眺めた以上に目の前の彼女は、少しも兄さんに似てなかった。
 やや小柄な理恵さんは、ジーンズを基調としたカジュアルな装いながら良家子女風の雰囲気を持つ。
 
 彼によると、4月から横浜の看護学校に入学した彼女はしっかり自分を持った人で、手に職を持ち、できるだけ早く自立すべく、
 この道に進む意志を固めたそうだ。
 ここにも、目的意識を持った年下の女性が一人いた。
 わたしは、軽くブルーになってしまった。
 高校時代の友人に会う約束があると、理恵さんは後ろ姿でバイバイする。
 地下鉄に乗る彼女と別れ、わたしたちはディズニーを目指す。
 
 ようやく、ストーンウォッシュしたジーンズに白の綿シャツと黒いベストを着た、潤平君の姿が目に入った。
 電車を待つ間、ぼんやり考えてみた。
 なぜ今日この時、わたしに妹を引き合わせたのだろう。
 

 

 彼が語りかける。
 それによると、彼の一家は連休後の早い時期に今の夢の島の団地を離れ、横浜に移転する予定である。
 お母さんの身内がマンションを手放し地方に移り住むので、
 譲ってもらうことになり、もちろんただではなく、
 不動産鑑定士に依頼し、相場の8掛けでローンを組んでの購入。
 少し古いけど利便性が良いので、買うことに。
 できれば今月中には、横浜での生活に入りたく、
 手続きその他が何かと大変で、今日まで会えなかったのだと。
 そして彼は、これまで通りに金型配送のバイトを続けるという。
 
 潤平君が横浜に住むとなると、今までのように頻繁には会えなくなるかもしれない。
 これまでは、新宿のチョビ髭さんのお店前で待ち合わせ、
 羽田から夢の島から、彼が来てくれた。
 わたしには、それが都合よかった。
 仕事帰りに、多摩の家から、ベストの場所だった。
 これから、どうなるのかな? 
 多少なりとも、不安が残った。
 そういえば、チョビ髭さんはどうしているのだろう?

 新木場から乗った電車はすぐに大きな川を渡った。
 手摺りに掴まって、わたしの耳元で彼が語る。
 この川は大宮から埼京線で渡った荒川の河口であり、
 今わたしたちが見ているのは、その川が注ぎこむ、東京湾である。
 ということは、ここで荒川が終って、太平洋に流れ込み、
 はるばるアメリカまで続くのだ。
 海のさざなみと車輪音に混ざって、車の高速音に気づいた。
 彼も目をやった。
湾岸道路を降りると、すぐそこにトラックターミナルがあるんだよ。
 ここはまた一方で、陸上交通の要でもある。




 

 葛西臨海公園駅に着いた。
 高層マンション・団地群が建ち並び、わたしが見とれるうちに、
 JR京葉線の車両はすでに発車していた。 
 また、川だ。
 小ぶりな橋を渡り、舞浜の駅から、
 わたしと潤平君はディズニーの正面まで歩いていた。

 東京ディズニーランドが開業して、たぶん20年は経っているのでは。
 今年22歳のわたしは、小学校入学と同時にパパの仕事の都合で長い間、地方住みを強いられた。
 物心つき思春期を迎えるまで、ずっと地方から、華やかなスポットライトを浴びる東京に焦燥ともいえる気分で憧れ続けていた。
 でもここは、東京ではない。
 成田空港を新東京国際空港と呼ぶように、フリをしているだけの似非東京である。

 しかしながら、それでも、わたしはこの地に来たかった。
 花のお江戸に舞い戻って来た高校2年が終わった時、
 すでに、地方在住者にとってディズニーは原宿や渋谷と並んで、 聖地と化していた。
 東京ディズニーランドと名付けてあるものの、実は千葉県浦安市にあり、夢の島住みの潤平君などは、明らかにこの地を見下しているのである。
 
 これまで何度、わたしがディズニーに行きたいと懇願しても、
 いつも彼はこう応えた。
「僕が住む夢の島の横を流れる荒川を越えて江戸川区に入ると、
 もうそこは千葉なんだ。
 名前こそ東京都であっても、実質は千葉だからね。
 それを荒川が証明しているのさ」

 今しがたも、
「ついこの間、大宮から帰りの電車で荒川を渡っただろう。
 あの川がここまで流れている。
 ディズニーはね、この先を流れる旧江戸川を渡った、
 夢の島の向こうにある、幻の島なんだ」
 

 
 わたしたちは、新木場から電車に乗り、たった2区間、2つの駅の間に、2つの川を渡り、彼の言う幻の島の入場口にいる。

「ここには、現実ばなれした虚像があるんだろうね。
 それを求めて人は吸い寄せられる。
 人々がこんな所に興じて金を使うなんてまったく信じられないね。
 でも、一方でわかる気もする。
 きっと、ここを東京だと思っている。
 いや、アメリカだと勘違いしている奴らが大半だと思う。
 東京の人間だってそうだから、地方からの団体さんや、
 アジアから来る観光客なんてわかるはずもない。
 
 僕が分析するに、大衆の多くは擬似アメリカを体験したいんだろう。
 敗戦後一貫として、僕とさやかの知らない、ギブ・ミー・チョコレートの時代から流れる強くて豊かなアメリカを。
 それは、今度のイラク戦争でも証明されたように、
 強く豊かな虚像は、軍事力と経済力・ドルに裏付けされたアメリカであり、それに一役買っているのが悲しいかな我日本。
 電車内でもよく見るんだよ。
 ディズニー帰りの出稼ぎ女、フィリピーナたちがミッキー人形を抱いて、シートに体を横たえ眠りこけているのを。
 日本で稼いだ少しばかりの金を国元の子供に送っているんだろう。
 だけど、ああいう連中を見てると、つくづく悲しくなる、吐き気と寒気で震える。
 弱い奴、金のない奴は、力と富の幻想に引き寄せられるんだよ。
 昔の人はよく言ったもんで、それこそ、飛んで火に入る夏の虫」

 そんな彼がディズニーを訪れる気になった心変わりは、喜ばしい反面、理解し難いものがあった。
 先ほど、彼が語ったように、住み慣れた土地を離れることで、  何かしら心境の変化が生じても不思議ではない。



 


 長年の念願だった東京ディズニーランドに、わたしは潤平君と入園したのである。
 入場券(これは1デーパスポート・・・・
 潤平君は指紋押捺が必要だと皮肉を言っていたが)を買って、
 ディズニーに入ったはいいが、
 正直にいって、憧れの地はそれほど楽しいものではなかった。
 あいにくの天気というのに、人気のアトラクションには、
 信じられないほどの人の波ができ、それだけでわたしは凹んでしまった。
 ディズニーは、新たに東京湾に臨んだディズニーシーなるものを建設した、でもわたしはあくまで、昔からのこの場所に拘っていた。

 やはり彼の言うように、貧乏な人、平凡な日常生活を送っている人は、アメリカ人工の幻想に引き寄せられるのだろうか。

「お弁当をもって来れなくて、御免ね」
「それが資本主義権化のアメリカ・ディズニーの戦略だから、
 まあ、仕方ないさ。
 ねえ、さやか、この地はこれから先どうなると思う・・・・
 僕はね、大地震でもくれば、こんな施設は粉々に壊れて、 
 夢の跡になってしまう気がする。
 だって、ここは地盤が弱い埋め立て地に建てられた、砂上の城だろう。
 なにもディズニーに限ったことではなく、
 夢の島から有明やお台場、開発が進む汐留にまたがる一体、
 すべてがそうなんだ。
 僕はその時期が近づいている気がしてならない。
 今は、ミニ・バルブだからね。
 日本人特有の悲観論とある種のノー天気さが同居しているように思える。

 僕は長いこと、夢の島に住んでいるだろう。
 前にも言ったように、そこは都民が吐き出すゴミからできた島であり、欺瞞にも夢の島なんて名付けている。
 さやかは知らないかもしれない、夢の島にはヘリポートがあり、
 その先には、ゴルフ場まである。
 高校時代僕は小遣い稼ぎにシーサイドのゴルフ場でバイトしたもんだ。


 その時、どんな連中がこんなところでゴルフをするんだろう?
 こんな殺風景なところで、やって楽しいのかな?
 って疑問に思った。
 でも、やっている人は、千葉や静岡まで行く暇のない人や、
 会員権を持たなかったりするごく普通の人たち。
 近場で楽しめる、打ちっぱなしに毛の生えたつもりでやってるようなんだ。

 まあ、僕はこの土地に飽き飽きしてたし、さやかと知り合って、 夢の島近辺をわざわざ散策したことはない。
 ここは、新しい木材の街でもあるわけで、それにちなんで今日待ち合わせた新木場と命名された駅まである。
 昔、木材で栄えた木場から移ってきた。
 木といば、その昔、日本では森林をより多く持っている事が大金持ちの条件だった。
 日本が経済的に豊かになって、人々がより広くて快適な居住空間を欲し、つまり住宅需要が増し多量の木材が輸入されるようになるにつけ、国内材の価格が暴落し、相反するように需要増や投機で土地が高騰して、金持ちの物差しが山林から土地へとシフトした。

 面白いもんだんだね。
 社会の物差し、金持ちの物差しなんて、その時々、時代の風潮で面白いように変化するのが見てとれて。
 付け加えて言うと、この街には夢の島マリーナがあり、
 少し離れた木場公園内に近代アートを標榜する東京都現代美術館もある。
 都の偉いさんたち、開発業者、それに群がる連中に恐怖すら感じるよ」

「ねえ、ムニュスが近く帰国すると、美佐子で電話で知らせてくれたけど?」
「ムニョスならもう国に帰った」
「いつ?」
「月曜日に決まって、土曜日に成田まで見送りに行った。
 出入国の日本人でごったがえしていた。
 イラク戦争やサーズの影響で旅行客が大幅に減った昨年の反動なのか、たいへんな人垣に埋もれて、彼は一人のアフリカ人、マリ人、
 イスラム教徒として、愛する日本を離れていった」


 その日わたしは、中華街で慣れない高級料理をいただいき、
 彼と走ったことのないベイブリッジを渡って高速道から羽田界隈を眺めていた。

「どうして、そんなに急いで?」
「ビザが切れていてね、仕方なかった。
 人伝手にキャンセル・チケットを安く手に入れることができ、  予定より早めの帰国になった」
「アフリカは遠いでしょうね?」
「そうだろうね。
 パリ経由だよ。
 彼はフランスにあまりいい感情を持っていないし、
 トランジットだけで、そのまま国も戻るそうだ」
「ムニョスはまた日本に来るのかしら?」
「わからないね。
 その希望を持ってはいても」

「チョビ髭さんのお店が閉まったままだけど?」
「彼は死んだ」
「えっ!」

「自殺した。
 チョビ髭さんは大井埠頭に浮いていたんだ」
「本当なの?
 それはいつ?」
「もちろん。
 さやかがムニュスと出会った頃、店を閉めてまもなく」
「なぜ、死んだの?
 どうして、教えてくれなかったの?」
「チョビ髭さんが、なぜ死んだかは、誰にもわからない。
 知らせなかったのは、それが彼の弔いになると思ったからだよ」

 憧れのディズニーの地で、悲しい知らせを受けた。
 夢の島を離れ、潤平君は新しい土地に移ってゆく。
 彼と並んで座った電車の窓、小雨まじりの中、
 わたしは遠く太平洋を見ていた。


  四百字換算 210枚



人気blogランキングへ blog Ranking