6
「今、ムニョスといつもの場所にいる。
とっくに、9時を回ってるけど」
「何?」
とっさに出た言葉が、これだった。
彼とのデートをすっかり忘れていた。
「悪い。
まだベッドにいるの」
「そう。
これから、ムニョスの友達の所まで行く予定で。
埼玉だけど、さやかどうする?」
また、ムニョスか。
「先に潤平君とムニョスで行ってくれない。
わたしは、後から一人で行く。
そうして?」
「わかった」
「それで、
埼玉のどこなの?」
「大宮なんだ。
新宿から埼京線に乗ってすぐ」
「うん、わかった。
でも、わたし大宮なんて行ったことないし、
駅まで迎えに来てくれない」
「わかったよ。
それで、何時に来れるの?」
「昨日、妹の手伝いで足がパンパンに張ってるから、
2時にしてくれない」
「わかった。
じゃ、大宮駅東口改札、2時に待っている。
今度こそ、遅れないように」
「わかった。
必ず2時に、指切りげんまい。
嘘ついたら・・・・・」
携帯を放し、わたしは、ふーっと、溜息をついた。
東京生まれで、その後諸国のどさ周りをしていたわたしは、埼玉と聞くと、どうしても地方の延長としか、考えられないのである。
日本には、東京と地方の2つしかない、わたしにとって。
埼玉とはなんと中途半端な響きだろう。
誤解されては困るが、埼玉を馬鹿にしているのではない。
ただ、はるばる遣って来たアフリカ人がそんな所で何をしているのか、さっぱり想像できないのである。
1階に降り、日曜日の朝、ご飯をすませのんびり寛ぐ両親に、
おはようの声を掛けると、テレビの江川と徳光がジャイアンツ談義に花を咲かせていた。
ごはん味噌汁に白身魚の朝食と洗い物を済ませ、2階に上がろうとした。
「夕べは、遅かったようだな?」
ペラペラと新聞をめくっていたパパが、よく通る低いを響かせた。
わたしは目をやった。
「うん、紀未の手伝いでとんだ目にあっちゃった。
まだ寝てるの?」
「それが、1時間前に出て行った」
「そうなの。
ママ、今日はパート休みなんでしょう?」
ふりむいたママが、
「やっと休めて、6日間通して働くと、この歳では体にこたえるわ」
「まだ、五十前でしょう?」
「もうすぐよ。
紀未がさやかにと、これ置いていったよ」
テーブルまで後戻り、わたしはキティちゃんの子袋を受け取った。 部屋で確認する、1万円札。
このお金は重い。
あれだけの働きの末、手に入れた福沢さんだ。
そう、やすやすとは使えないのだ。
シャワーを浴び、1時間後に時計をセットしてベッドで横になり、
仮眠の効用で、足の浮腫みと擦り切れた心が少し癒されたようだ。
休日というのに新宿まで座れず、埼京線に乗り換え、
ようやく腰を降ろせ、わたしは心底ほっとした。
これで足を休ませることができる。
まだ疲れている。
目を外に移す。
社用で乗ることはあっても、日常でJRに乗ることが少ない身にとって、パパの転勤に付き合って、漫遊の旅をしている気分。
車窓の風景も新鮮だった。
池袋を過ぎるともうそこは埼玉、わたしにとって。
子供の頃、そんな唄が流行っていた気がするけど、間違いかしら。
住んでいる人、ゴメンなさい。
もしかして、まだ東京都だったりして。
広い川を渡った。
荒川かな?
ないようで川が多いんだよね東京には、神田川しかり、隅田川しかり。
でも、身近なのは、家の近くを流れる多摩川くらいのもの。
わたしに縁ある東京は、公務員官舎と会社周辺の都心、
今住んでいる多摩郊外、逢引する新宿と彼の住む夢の島から羽田界隈。
東京も広いもんだ。
今日は遠足気分。
ひょっとして、本当にもう埼玉?
大宮で下車し、かつて新幹線でこの街の景色を眺めたと気づく。
上越・長野新幹線と東北新幹線の交差する駅である。
それにしても印象に残ってないのは、なぜ?
東口を抜けると潤平君の姿が見えて、「ふっ!」一安心したよ。
わたしの顔を見るなり、「遅いな」と、その顔に書いてある。
まだ2時5分前だというのに。
不満を口にしない穏やかな性格の彼は、その分すぐ顔にでる。
今日はTシャツと麦藁ハットを被っていた。
気温は上がっているが、まだ桜が散ったばかり。
花粉から開放されたわたしは白いブラウスと淡い紫のカーディガン、ハイビスカス柄のスーカートでコーディネイト。
「遅れて、ゴメン」と、彼の機嫌をとった。
頷きあって、二人で大宮駅構内を後にする。
びっくり、ここは大きな街であった。
わたしたちが向かった方面にはデパート。
これはちょっとした大都市だ。
八王子よりでかいんじゃない?
あそこに新幹線は停まらないか。
彼のうんちくによると、今、大宮は浦和や周辺の自治体と合併して、ひらがなで、さいたま市となり、百万・政令指定都市。
ちーっとも、知らなかった。
だって、はじめて来たんだもん。
それから、新都心と言うそうな。
新幹線が停まり、綺麗なビル群、でも都心はないよ。
いくら上辺が立派でも、ここは埼玉だと思うんだ。
あくまで、わたしの偏見であるにせよ。
二人が乗ったバスは、ムニョスの待つ友人宅に向かっていたのである。
駅から外れると、ぼつぼつ住宅が見えてきた。
バスを降りた潤平君とわたしは、ピンク色に塗装された木造アパートの外階段を上がる。
通路奥部屋のピンポンには触れず、彼がドアを開けた。
無用心だ。
日本の安全神話がきれいさっぱりに崩壊して随分時間が経っているが、彼らアフリカ人の目からみれば、違うのかもしれない。
しかし、ムニョスは顔を顰めていたはずだ「僕のアパートには、 中国人が多く、鍵を二つも三つも掛ける必要がある」
狭い玄関には男物のスニーカー女物のサンダルやらで、
足の踏み場がなく、潤平君がそれらを2段3段に重ね合わせ、
どうにか、二人が脱ぐ靴のスペースをつくった。
「上がるよ」
彼に続いて、狭い室内に足を進めると、わたしは意外な人物と再会を果たしたのである。
それは、一年前に、潤平君と知り合った日に、チョビ髭さんの店で逸れた、赤ちゃんを抱く美佐子だったのである。
わたしは、あんぐり口を開いて、しばらく言葉がでなかった。
座ったままの彼女は、じっとこっちを見ていた。
チリチリ黒毛の赤ちゃんがわたしの顔を見るなり、
「ギャー ギャー」泣き出し、美佐子は赤ちゃんの機嫌をなだめるのに精一杯だった。
いままでも、わたしは赤ちゃんに評判の悪い女である。
どんな人見知りをしない可愛いベイビーでさえ、
この井上さやかを一目見ると、途端にご機嫌斜めとなり、
それまでの気分を一変させるのである。
純真無垢な魂で人に察することができる聖人を前に、
立ったまま、俗世に住むわたしは冷静に辺りを見回し観察した。
2DKアパートのキッチン側に配置されたコタツには、赤ちゃんを抱く美佐子の隣にアフリカ民族衣装を着た黒人の大男。
その横に、ムニョスとゴリラ型のこれまた知らない黒人男。
赤ちゃんが泣くやむまで、わたしはそのまま立ち尽くす。
この間、手を握り、気づかってくれた彼がなお一層好きになった。
赤ちゃんをあやし、しばらく、ぽかんとしていた美佐子であるが、
何を思ったか、土下座して、大粒の涙をこぼしたのである。
「嘘をついて御免なさい。
九州に住む母親には、黙っていて、一生のお願い」
わたしは静かに頷いた。
そうするより、しょうがないだろう。
わたしたちの再会は完全に場を白けさせてしまった。
それは、テレビのバラエティ番組で仕組まれた感動のドラマ、
『再会』というよりは、あっけにとられた、と言ったほうが的を得ていたからである。
美佐子の話しによると、今彼女の隣にいる大男のモリと知り合ったのが2年前の東京で、それまでにも、高校時代から夜行高速バスに乗り度々東京に遊びに来ていた。
美佐子と出会ったのは九州のある地方都市に住んでいた中学時代で、わたしが高校入学と同時に関西に移り住んでからは、年賀状のやりとりだけの付き合いになっていた。
彼女から久しぶりの電話連絡を受けて、
東京駅に向かった時、彼女はすでに妊娠5ヶ月の体で、わたしを出汁に使い、わざと逸れて、翌日成田から彼の住むパリに向かった。
そして、今抱いている、ルイ(涙)という男の子をパリで産んだ。
日本に舞い戻った2月下旬から、美佐子はアパートのある、
さいたまの地で生活するようになった。
今日の午後、日本人女性が遅れて来ると知らされてはいたが、
まさかそれが、わたしとは・・・・・
世間は広いようで狭いものだ。
ムニュスによると、モリは彼と同じ部族の先輩である。
わたしが彼とはじめて会った時、語っていたように、
彼らの母国マリはアフリカ北西部の内陸国で、日本の3倍ほどの面積に人口は1千万人。
かつてフランスの植民地だった土地である。
はっきりとした数は忘れてしまったが、多くの部族からなる国で、 王様も居るような居ないようなことをムニョスが付け加えた。
数多くの言語を持ち、部族間でも違いがあり、共通語、あるいは実務語、教養語としての役割をフランス語が担っているそうだ。
大男のニヤケタ雰囲気から、美佐子は男に騙されていると、
わたしは一瞬に察したのである。
ムニョスはシャイな音楽マニヤで、礼儀正しくインテリの雰囲気を漂わせている。
が、美佐子の男は、いかにも胡散臭そうな、日本の女を食い物にしうな奴。
それを、鋭いアンテナがとらえた。
太い首にイミテーション・ゴールドの鎖を巻き、
右の耳にだけ、自分の女とお揃いのピアスをしている。
黒人特有の腋臭のような体臭も匂う。
ムニョス一人ではともかく、黒人男3人が揃えば、ある程度しかたあるまい。
きっと一夫多妻制のムニョスの国。
モリが国に帰れば妻や女の二人や三人はきっといるはずである。
子供だって何人もいるだろう。
大男よ、お前はいったい何者なのだ。
美佐子に子供を産ませて、どうしたい。
そして、この日本で何がしたい。
大男よ、お前はいったい何歳なのか?
三十にも見えるし、四十にも見える。
わたしはムニョスの歳も知らない。
今日会うのが、2回目だからだ。
それはそうと、子供を産んだとはいえ、美佐子は正式の妻なのだろうか。
わたしは怖くて尋けなかった。
そうするうちに、美佐子がルイにミルクを与えはじめた。
おっぱいは出ないの・・・・
そういえば、デブで乳のでかかった彼女は、子供を産んで半年ばかりで、すっかり痩せ褪せて、服の上からの観察だが、乳も萎んだようで、今ではわたしよりずっとスマートになっている。
子を産んだ雌は乳が張っている、生物学的にはそうであるが、
生娘のわたしには、そのメカニズムがよくわからない。
これでは、空想上、生物学者が泣いてしまう。
まだ21歳だというのに、目尻と首には皺がより、
わが子にミルクを与える姿は傍から見ても、母親としての喜びがまったく感じられないのである。
犬に餌をやる飼い主だって、もっと愛情を込めるだろう。
だぶだぶで萎れたTシャツとグレーのジャージを穿いた彼女は、 何だか哀れで、見るに忍びなかった。
腹が太ったとみえ、ルイはすっかり眠ってしまった。
ムニョスがアフリカ音楽のCDを鳴らした。
それに合わせ、ゴリラ男アベラが側にあった筒太鼓をリズミカルに両掌で叩く。
霊魂の音が、わたしの眠っていた原始の血をゆすり、
急にお腹が空いていると、気づいたのである。
美佐子が大男に仕込まれたマリの郷土料理を振る舞ってくれたが、
わたしの口にはまったく合わなかった。
隣の潤平君はにこにこし、この場が空気が楽しそうで、
山芋が入ったナンのようなものを、美味そうにパクついていた。
その後、美佐子は1年弱のパリ暮らしを話し始めた。
彼女が過ごしたパリは、何度聞いても覚えられないアフリカ街。
そこでアパルトマンといわれる、日本でいうアパートに住み、
バスタブなし、シャワーとトイレが共同の古い建物の廊下には、 丸ボタンのスイッチがあり、電気代節約のため、押してしばらくすると嘘のように消える。
思いのほか物価が安く、モリの日雇い稼ぎでもなんとか暮らすことが出来ても、贅沢はご法度。
食品であれ、衣料品であれ、何であれ、日本の物は高くて手に入れることができなかった。
かの地で彼女は、寿司やすき焼きにありつくことはなかったのである。
パリは地下鉄が異常なほど発達し、日の出ずる国、
九州の田舎者の彼女でさえすんなりと覚えることができた。
そのかわり、フランス語は挨拶程度しかできず、二人の会話は、 おもに日本語で交わされる。
彼女はルイに日本語で話しかける、男はフランス語で、時折、
彼の部族語で語りかける。
ルイは、きっとりっぱな通訳へと成長する。
美佐子によると、彼女たち夫婦は入れ違いでパリに戻ったマリ人と日本人妻の代役で、大宮のアパート名義は前の前の人のまま、 つまり又借りの又借りである。
大男は、パリに戻った男の後釜として、川口の工場で働き、
ここでの家族の生活をどうにか支えているのだ。
彼女はどこにいるか知らない大家に恐れおののき、
眠れない夜があると、しんみり語った。
わたしはまだ見ぬ、花のパリ、美佐子の暮らしを思い浮かべた。
唄に謳われるシャンゼリゼ通りと凱旋門、エッフェル塔があり、
世界中から観光客がお上りさんたちが集まってくる。
東京ディズニーランドや六本木ヒルズの比ではないだろう。
一方でモンマルトルの丘には、世界中から芸術家やその卵たちが無数に集まり、明日のゴーギャンやゴッホを夢見る。
また、社交の場ではセレブな女たちが美を競い、懐の乏しい者たちは工夫を凝らし、さりげなく自己をアピールする。
それは女性雑誌の中でわたしが知っているパリであり、
テレビタレントや観光客がグルメやブランドを漁るパリ。
かの地は日本から逃げた屁理屈だけの知識人や文化人崩れ、
フランスに嫁いだ女たちが見栄を張る場でもある。
しかしながら、現実の彼女は、移民が屯する街で、
風呂もない古いアパートで大男と暮らし、
おまけといっては何だが、ミックスの男の子を産んだ。
こんな男を追ってパリまで行き、美佐子は幸せだったのであろうか?
わたしは潤平君との、パリでの暮らしを想像してみた。
彼が働きにでる。
わたしは、愛の結晶の男子と一日をノンビリと、
古い屋根裏部屋で過ごす。
休みの日がおとずれた。
家族3人パリ市街にでて、夫はわが子の乗ったベビーカーをゆっくりゆっくりと動かし歴史的な石畳で佇む。
わたしは、籠の中の赤ちゃんに話しかける。
「ママのさやかです。
あなたのお名前はなんですか?
あら、まだ名前がなかったのね。
何にしましょう。
あなたは、フランス生まれだから、ちなんだ名前がいいのかしら。
ピエール。
フィリップ
迷ってしまうわね。
ねえ、赤ちゃん。
言葉が話せるようになったら、
まず、最初に覚えるのは、ママではなく、
さやかちゃんよ。
ねえ、お願い。
わたしに約束して」
「さやか!」
赤ちゃんではなく、彼の言葉で現実にかえった。
昨日、家族三人でサッカーを観に行って楽しかった」
ベビーベッドから戻った美佐子がポツリと言った。
そういえば、ベランダの向こうにスタジアムが見える。
贔屓のチームが負けて夫はご機嫌斜めでも、生まれて初めてのサッカー観戦の彼女には、そんなことはどうでもよかった。
ルールも知らない、ゴールという言葉しか知らないのだから。
緑が映える綺麗な芝の上で、オレンジとグレーのユニフォームに身を包んだ若人が一つのボールを蹴り、攻め守り合う。
ルイを抱いているのも忘れて、彼女は大声を張り上げた。
ゴールを守る人だけが派手なのを着ていて、
それを不審に思ったという。
「だって、キーパーは手を使っていいわけで、
派手なのを着てないと、区別つかないじゃない?」
わたしがそう言ってやると、
「なるほど。
奥が深いのね!」
頻りに感心していた美佐子の表情がこの日はじめて緩んだ。
旦那の大男はサッカー通らしく、日本でもパリでも度々観戦に出かけるようで、いつもは仲間と一緒のアフリカンも罪滅ぼしのつもりか、家族サービスのつもりか、彼女とルイを隣のスタジアムに連れて行ったのである。
地元クラブ大宮アルディージャのフラッグとマリ国旗のミニフラッグが棚に並んで飾られていたのを、わたしは見逃さなかった。
わたしと潤平君、美佐子とモリ、ムニョスとアベラ、
6人が囲った狭い正方形の枠に、なにげなく足を伸ばす。
急いで、わたしは足を引っ込めた。
コタツには電気が入っていたのだ。
汗がじわじわ、ブラの中を伝わる。
彼は半袖を着ているというのに、
これほどに南国の男たちの感性はわからないものだ。
わたしはこの日、何をしたわけではない。
1年ぶりに、美佐子との再会を果たし、
一人の幼子を見ただけである。
美佐子と眠るルイに「またね」と声を掛け、
一足先に外階段を降り、スタジアムを回って公園内を歩いた。
氷川神社に参り二人で一つの御籤を引く、大吉。
バスの座先から彼女のアパートが目に入った。
埼京線で荒川を渡る。
池袋を過ぎ、新宿で愛する彼にお別れの手をふった。