17
パーティの翌日、王が寮を去った。
それから十日後、ジミーとロバートが続いた。
王が寮を去ったことで、二人で10ヶ月過ごした部屋は富四郎だけになった。
解っていたこととはいえ、一人になれて気が楽になるどころか、狭い空間に虚しさが漂っていた。
王が使っていた机とベッドはそのままで次の主がやって来るのを黙って待っている。
大学院での講義、図書館で本に集中している時はともかく、
寮に戻り、食事を終え、シャワーを浴び、
ベッドに入るまでの時間が富四郎にはなんとも苦痛だった。
言葉を交わさなくても、すぐ側に王がいてくれるだけで、
どれだけ自分を支えていてくれたかを富四郎は思い知らされた。
今、やるべき事といえば勉強に励むことだが、
一人になった寮の部屋で己を鼓舞しようにも、大学院や図書館ほどの集中力を維持できない。
本を開き、10分も20分もすると、ため息とともに本を閉じ、
目を閉じて本の上に顔を埋めてしまう。
そのままベッドで眠ろうにも気が冴えてしまう。
王は何をしているのだろう。
家族に囲まれて、美味しい中華料理を食べ、家業のホテルを手伝いながら、大学復帰への準備をしているのだろう。
帰国して1週間後に、絵ハガキを寄越してくれたが、
寮でのお礼と挨拶程度の短い文章から彼の生活を推し測ることは困難だ。
富四郎は富四郎の道を進み、王は王の道を進む。
ジミーにしても、ロバートにしても同じことだ。
富四郎はオーストラリアのパースの地を踏んで1年が過ぎた。
今、日本が桜の季節なら、赤道を越え真南に位置するオーストラリアは秋の只中。
4月、富四郎の新たなルームメイトはニュージーランド人のマイクという二十歳の若者だった。
富四郎より三つ年下で、肌色は白く、茶色の瞳と髪の毛を持ち、 痩せぎすながら身長が190センチ近く、薄らと無精髭を生やしていることもあって年上のように見えなくもない。
2月までルームメイトだった中国系シンガポール人の王も背が高かったが、一つ下でせいぜい同級生にしか見えなかった。
母国ニュージーランドを離れるのが初めてで、
同じ英語圏で兄弟国のようなオーストラリアとはいえ、
やはり、生まれて20年間過ごした環境とは違って、
ちょっとした違和感を感じると、マイクは言った。
寮の食堂で夕食を終えた月曜日の夕方、二人は部屋に戻る前にリビングに寄った。
富四郎がキッチンのコンロに薬缶を掛け、お湯を沸かし、ティーバッグの紅茶を飲み寛ぎながら、マイクが語り出した。
「トミー 僕は高校時代までニュージーランドのナショナルスポーツのラグビーに打ち込んでいたけど、日本での人気はどう?」
「どうかな?
僕の地元でラグビーをやっている人はほとんどいなかった。
スポーツ音痴の僕はラグビーのルールもよく知らないけど、
県内の高校でラグビー部は数えるほどしかなかったはずだ。
一番人気は野球でその次はなんだろう」
「そうなんだ。
日本はラグビーをする人は少ないんだ」
ここでマイクは紅茶一口飲んだ。
「ラグビーの本場のイギリスではサッカーと同じようにイングランド、スコットランド、ウェールズというように協会があって、
それぞれ別の国のようにラグビーを競う。
お隣のアイルランドはちょっと難しい立ち位置だね。
それに加えて、大陸のフランス、僕の母国のニュージーランド、 今いるオーストラリア、南アフリカの8ヶ国がラグビー強豪国なんだ。
僕は子供の頃から地元のクラブでラグビーをしていたけど、
それほどの選手でもなかった。
サッカーボールと違って楕円形のラグビーボールを蹴るのは難ししい。
足が速い訳でも、試合の流れを読んで、的確に判断を下す、
選手の中の監督といわれるスタンドオフをやれるような選手でもなかった。
身長はあっても体重が軽くて、15人中8人いるフォワードは務まらず、怪我したり、空きが出たポジションをこなす便利屋でしかなかった。
ナショナルチームのオールブラックスに入れるような器じゃなかったということだ。
それを自覚していたから、ラグビーは高校で一区切りして卒業した。
大学に入っても、ラグビーボールに触れることはなかった。
それが、オーストラリアのパースの大学に留学して、公園でラグビーボールに戯れる子供たちを見るにうちに僕の心境に変化が生じた。
本格的にラグビーをやることはないにしろ、もう一度、ラグビーボールに触れたいとね」
「僕がスポーツ音痴でも、ラグビーが手でボールを持ってタックルできるくらいは知っている」
「それはありがたい。
トミーは生物学を学んでいるんだろう。
僕は自分の目標が定まらないんだ。
実はオーストラリアではなく、アメリカがイギリスに留学したかったけど、アメリカもイギリスも南太平洋に浮かぶ小さな島国のニュージーランドからは遠く、お金の都合もあって、
結局、オーストラリアのパースに落ちついた。
人生で何をしたいか定まっているトミーが羨ましくもあるけど、留学期間の1年間で僕はこれから何をやりたいのか、
その手掛かりが掴めればいいと思っている。
君も知っているようにニュージーランドはオーストラリアと同じように自然の宝庫であり、ヨーロッパから連れて来られた羊をはじめとする家畜や野生動物で溢れている。
羊なんて人の数より何倍も多い」
「僕の母国の日本もニュージーランドと同じように太平洋に浮かぶ島国だけど、羊の数はそれほど多くはない。
日本で羊といえば北海道かな。
今から3年前の夏、大学3回生の頃、先生に連れられ、学生仲間と日本列島の北の島である北海道を訪れたことがある」
「地図で見て知っていたけど、北海道と言うんだ」
「それはどうもありがとう。
その時が初めて北海道でそれ以来、訪れてはいないけど、
たった一度だけの10日ほどの旅だったけれど、感じることが多い旅だった。
その昔、北海道にはアイヌ人と言われる人達が住んでいた。
表現するのは難しけど、本土の日本人とは少し違った人達なんだ。
今から百年以上昔、日本で言えば将軍や大名、侍が日本を支配していた江戸時代に領土の野心を胸に秘めたロシアの艦船が当時、蝦夷地を呼ばれた北海道周辺の海域まで足を伸ばしていた。
当時の日本の行政府であった江戸幕府は蝦夷地に度々役人を送り、ロシア側との交渉に当たらせた。
それはアメリカのペリーの黒船が現れる少し前の事で、
イギリス、フランスの勢力も加わり、将軍を有する幕府は混乱した。
その機会に乗じて、西南大藩の薩摩、長州が倒幕に立ち上がり、 イギリスやフランスの横槍もあり、ついに幕府が倒れ、新しい明治政府が樹立した。
薩摩、長州を中心とした明治政府は欧米列強に追い付き越せを旗印に、日本を近代国家とするべく、富国強兵を目指した。
つまり、欧米列強を真似て、軍備に力を入れ、産業に発展させ、経済の自立を目指した。
明治政府は富国強兵作の一環として、ロシアの南下を防ぐ一方、 北海道を食糧基地化することを目論んだ。
日清戦争、日露戦争、2度の世界大戦を経て、日本政府は羊毛と食糧の供給不足を補うために北海道で大量の羊を飼育する計画を立てた」
「北海道って、どこかニュージーランドに似ているね、
ニュージーランはイギリスの自治領となって、60年余りの歴史しかない。
正式に独立したのは戦後かな。
僕の祖父母もそうだけど、イギリスからの移民がやってくる前にはすでにマオリ族という先住民族がいた。
そういう点でも、トミーが言った北海道とニュージーランドの類似点があるのかもしれない。
海洋民族のポリネシア人のマリオ族が太平洋の島々からニュージーランドに移ってきたのが約千年前のことだと言われるいるけど、それ以前のことは、はっきりと定まっていない。
五十年、百年後には違う説が生まれているのかもしれない。
それから羊だ、
ニュージーランドでは羊がそこら中に牧場にいて、人間より羊が多いと言われる国だからね」
そう言ったマイクはニュージーランドの南島で最大都市クライストチャーチから少し下った、小さな町の出身で高校時代までラグビーに打ち込んだ地元からクライストチャーチの大学に進学して大学寮に入り、この4月にパースの大学に留学して、
富四郎のルームメイトとなるべく入寮したのである。