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富四郎一行9名はまずは羊肉を食べることにした。
俗に言う、ジンギスカン料理である。
ジンギスカンはモンゴル帝国の英雄でモンゴル人といえば遊牧民、遊牧民といえば羊を連想させることから、ジンギスカン料理と名付けられたとも、
兄の頼朝に追われた源義経が大陸に渡り、ジンギスカンになったという伝説が由来になっているとも、諸説あるジンギスカン料理だが、日本の創作料理だというのは意外に知られていない。
羊肉とジンギスカンの関連がどうにもピンと来ないと言われる方に、ここで簡単に説明しよう。
明治政府による北海道の拓殖事業の一環として、この地に羊がやって来たのが明治初頭ですが、これらの羊は主に欧米からもたらされたようです。
そうはいっても、北の寒冷地で羊が繁殖するのは難しく、
第一次世界大戦後、昭和になって、日本が満州国を建国する際に、軍服として利用する羊毛を自給するために北海道での羊の繁殖が根付くことになった。
戦後の日本で、すべてが一転したように北海道の羊の運命も逆らえず、海外から特にオーストラリアから羊毛の輸入が急増するにつけ、北海道の羊は羊毛から羊肉へと転換せざるを得なかった。
こうして、この地に羊の肉が供給される下地が整った。
富四郎一行が店の暖簾を潜った。
座敷に通された9名はテーブルの上に置かれた中華鍋を一回り小さくした専用の鍋を二人で囲み、富四郎だけは一人で鍋の前に腰を降ろすと、年配の女性が注文を取った。
二人の院生のうち、年長者の院生が鍋奉行ならぬこの場を仕切るように富四郎以下の全員の顔色を探り、引率者の許諾を得て、
ジンギスカン料理9名分、それからビールを付け足した。
「ここは札幌のすすきの。
ビールといえば、その名の通り、サッポロビールです。
瓶ビールを5本。
とりあえず、注文は以上です」
待つこと10分。
「それにしても客を待たせますね。
大学近くの居酒屋なら死活問題。
一言、言ってきてやります」
お水のお姉さんと言った学生である。
学生が席を立って、座敷から離れること3分。
若い女性店員さん2名に先導されるように学生が戻って来た。
「お待たせしました。トイレが混んでいまして」
言い訳した学生が頭を掻いた。
富四郎と年長者の院生以外の7名は初めての北海道であり、
ジンギスカン鍋も当然のように初体験である。
この当時の内地では羊の肉を食べることは稀で、
羊肉を売っている場所も羊の肉を食べさせる店もごくごく限られていたので当然といえば当然で、
セルフサービスで羊肉と野菜を焼いて食べるという基本的なスタイルさえ知らない彼らに対し、まずは院生が手本を見せた。
鍋にガスの火を点し、脂を引き、メインの羊の肉を箸で摘まみ、 中華鍋を一回り小さくした専用の鍋に乗せ、もやし、玉ねぎ、人参などの雑多な野菜を加えた。
「ここにお集まりの皆さん、
こうして、食べ頃を見計らって下さい。
あまり焼かなくても食べられる牛肉と違って、羊の肉は豚肉と同じようによく火を通すこと。
肉と野菜はタレを付けて食べますが、タレが苦手な人は塩と胡椒もあります。
その前にビールで乾杯しましょう」
院生の一言で、まずは院生が富四郎にサッポロの瓶ビールをコップに注いだ。
それから、院生、学生が互いにビールを注ぎ合った。
「今宵の札幌に乾杯!」
食欲旺盛な若い諸君は言葉も発することなく、羊の肉をむさぼり食った。
多少臭みがあろうが、肉が硬かろうが、
質より量を好む若い連中にいらぬ講釈は無用で、
タレだろうが塩、胡椒だろうが構うことなく、肉の焼き加減を気にすることなく口の中に放り込み、胃の中に収めた。
おまけ程度に野菜を抓み、ごはんと一緒に口に運んだ。
8名が10分少々で完食すると、コップにビールを注ぎ合った。
いつもながらのんびり食事する富四郎を横目に、
「先生、せっかく札幌に来たのですから、締めにラーメンは如何ですか?」
あの学生である。
「若いだけあって、胃袋のほうは底なしだね。
僕はお腹一杯でもう食べられない」
「先生、そう仰らずに」
「ここはジンギスカン料理専門店のようですけど」
最年少の学生である。
「それじゃ、ここからラーメン屋に足を伸ばせばいいだけのこと。
先生、そうですよね」
富四郎が食べ終わるを待って、全員、店を出た。
ジンギスカンでお腹が膨れた富四郎は学生諸君とラーメン屋には同行せず、辺りをぶらぶらして宿に戻ることにした。
店の前で袂を分けた8名は財布を預かった最年長の院生に連れられるようにしてすすきの町をそぞろ歩きしたのである。
「先生が仰っていたように門限は11時ですよね」
「お前、変なことを考えているんじゃないだろうな?」
お水のお姉さんの顔を見たいと言った学生に院生が諫めた。
「そんなことはありません。
僕は味噌ラーメンを食べれば充分です。
この先、いつ札幌に来れるか知れませんから、
すすきの夜風に当たって風流を楽しむことにします」
富四郎はすすきのから札幌駅に向かって一人歩いていた。
途中、大通り公園に寄って、美子との新婚旅行を懐かしむように札幌の町を巡った。
美子はどうしているだろう。
結婚して半年足らず、初めて家を空けて、自分が結婚したことを実感した。
公衆電話で家に電話してみようかと閃いたが、いつものように母が電話に出て美子に代わってもらうのが面倒なので、
ガラス張りの電話ボックスを通り過ごした。
駅の向こうの北海道大学近くまで行ってみようか。
富四郎は足を止めて、辺りを窺った。