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席を立った谷柱さんが二つのカップを盆に乗せて戻って来た。
コーヒーに一口付けて、こう切り出した。
「話は変わりますが、吉田さんはサーフィンをされますか?」
「恥ずかしくなるほどのビギナーです。
今年に入って人に誘われ、2度サーフィンをしましたが、
自分からサーフィンをしたい思ったことはありません」
「ちなみに、どちらでサーフィンをされましたか?」
「ハワイと外房です」
「とても初心者とは思えません」
谷柱さんの顔に笑みに浮かんだ。
「初めてのサーフィンが今年1月の終わりにハワイはオアフ島のノースショアで、2度目が2月の終わり、外房の勝浦です」
「それなら、ビギナーどころか本格派ですね。
きっと、立派な先輩が付いておられるのでしょう。
それが証拠に今回の取材依頼もサーフィン関係者から入っています」
「ハワイで知り合い、勝浦でもお世話になった源間さんという方のお知り合いからこちらの研究所を取材して欲しいとの依頼を受けました」
「そのようですね。
こう見えても若かりし頃、わたしも密かにサーフィンに憧れたことがあります。
学生時代に名画座で『ビッグ・ウェンズデー』という映画を観て、胸を熱くしました。
女性と縁がなかったわたしでも手っ取り早くサーフィンでもすればの想いも、その頃、さんざん馬鹿にされた、サーファーもどきの陸サーファーですらなかったわたしがサーフィンなんて言うと人から大笑いされるのが目に見えていました。
と言う訳で、良く言えばインドア派のわたしですが、当時の日本はバブル時代の末期で至る所に浮かれ立った残滓がありました。
学生時代の悪友に誘われ、女性に持てない代表選手のわたしが何度かディスコなんかに出向いたことがあります。
今よりは10キロ以上は痩せて、腹も出てなく、髪ももふさふさしていたのですが、女性に声の一つも掛けることができませんでした」
そう言う谷柱さんの左の薬指には結婚指輪が光っていた。
「女性をゲットした友人の姿はどこにもありません。
しょうがなく、ディスコを出て、一人、夜風に吹かれました。
歌舞伎町の小さな喫茶店で真夏の深夜、ホットコーヒーを飲みながら知りもしないジャズをしたり顔で聴いていました。
またある時、別の悪友に誘われまたのが、
新宿の外れにある穴場的な、今でいうクラブの走りのゲイナイトでした。
トイレで用を足すと、待ち構えていたような、ゲイの若い白人二人に『アー・ユー・ゲイ?』と声を掛けられました。
黙っていると、腕を捕まれて、トイレに引っ張られそうになりました。
思わず、『アイム、ストレート』と、わたしは大声を上げました。
引っ張られた腕を払い、難を逃れました。
こうして、わたしは大事なお尻を、オカマを掘られずに済んだのです。
学校で習った受験英語が役立ったどうかはともかく、
身の危険を感じると、どうにかなると、実感しました。
わたしはそのまま地下にあったフロアを出て、新宿の街に舞い上がりました。
そうこうするうちに、わたしは大学を卒業して鯨の研究職に就きました。
バブル末期とはいえ、ディスコでナンパ一つできない冴えない自分が生存競争の激しい民間企業でバリバリ働くのは性に合わないと悟ったからです。
鯨の研究は研究職にありがちな、それはそれは地味なもので、 世間から光を浴びることなどありません。
それはわたしの天職と言ってもいいほどでした。
どの世界もそうでしょうが、社会に出たばかりの若造が自分から進んで何かの仕事が出来るほど世の中は甘くありません。
最初の数年は先輩に付いて、先輩の言われるままにそれこそ付き人となって、鯨のいろはから教えて頂きました。
この世界に入って数年が経ち、少しは回りが見渡せるようになって、鯨の現場、つまり、鯨が生息する海に出向いて気づいたのですが、鯨が生息する海域の海岸近くはサーフィンの絶好の場所になっていることです。
『ビッグ・ウェンズデー』はサーフィンに生きるベトナム戦争当時のアメリカの若者像を描くと同時に我々が命を授かる地球を取り巻く、地球の過半数以上を覆う母なる海を描く映画でもあったと、あらためてその偉大さに頭が下がりました。
株と不動産が暴落し、銀行や証券会社が潰れ、
日本中が不景気の真っ只中に突入したのは、わたしが社会に出てからです。
その後、知ったのですが、ゲイナイトに誘ってくれた友人は男も女もこなすバイセクシャルでした。
大学卒業後、彼は日本を代表する大手商社に入りました。
長らく海外勤務をこなし、出世街道をまっしぐらだったそうですが、昨年、妻子を残して亡くなったと風の噂を耳にしました。
人生はわかりませんね。
お若い吉田さんに実感はないでしょうが、
わたしのように人生の折り返し地点を過ぎた人間にはよくわかります。
アリとキリギリスではありませんが、女性に持てず、人から忘れられたような鯨の研究職に就いたわたしがこうして生きているのに、 女性にも男性にも持てて、社会の表舞台でバリバリと働いていた友人がもうこの世の人ではないのですから。
せっかく、貴重なお時間を使って、鯨の取材に来られているのに無駄な話ばかりをして済みません。
もう5時に近いですね。
どう言う訳か、吉田さんとは波長が合って、いろんな事を喋りすぎてしまいましたね。
お役所として、そろそろ家路を急ぐ時間なのですが、
お店なら蛍の光が流れてきそうですが、
役所のようで役所ではないここは少しは融通が利きます。
ここは昭和の時代から取り残された離れ小島のような場所ですが、本所はもっと利便のいい都心近くに暖簾を構えていますが、
世間の風に逆らえず、和歌山の南紀に移転が決定しました」
「和歌山ですか?」
「行かれてことがありますか?」
「いいえ。
ハワイで知り合い、この仕事のきっかけを作ってくれた方が大阪の泉州育ちで今は房総の勝浦に住むサーファーで、
子供の頃、家族で和歌山を訪れたことがあるそうです」
「そうですか。
和歌山は太平洋の大海原に接しているころもあって、昔から捕鯨が盛んな所です。
そんなこともあって、昨今は街頭右翼のような下品な外国のゴロツキの標的にされています。
シーシェパードという名前を御存知ですか?」
「名前なら知っています」
「奴らは自らの意思で動いているのではなく、誰々からの指示に従っているだけの現場仕事の工作員ですが、まあ、これがタチが悪くて、奴らにカンパする、日本でも有名な欧米セレブもいるというから世も末です」
「世界は深い闇に包まれていますね」
「仰る通りです。
情報操作に長けていたナチス、ナチスの兄弟のソ連、
現代のナチスというべき中国共産党や中東の癌といわれるイスラエルが巧みに情報を操っているようですが、
西側と言われる大手メディアも似たようなものでしょう。
意識するにしないに拘わらず、地理的には東の隅の日本も、
一応、西側とやらに含まれているようなので厄介極まりない。
世界中に蔓延る、テレビ、ラジオ、新聞のオールドメディアは言うまでもなく、昨今の流行病というべき、フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、ライン等のSNSにもわたしは疑いの目を向けています。
一種の洗脳装置です」