ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 37

 席を立った谷柱さんが二つのカップを盆に乗せて戻って来た。
 コーヒーに一口付けて、こう切り出した。



「話は変わりますが、吉田さんはサーフィンをされますか?」

 


「恥ずかしくなるほどのビギナーです。 
 今年に入って人に誘われ、2度サーフィンをしましたが、
 自分からサーフィンをしたい思ったことはありません」

 


「ちなみに、どちらでサーフィンをされましたか?」

 


「ハワイと外房です」

 


「とても初心者とは思えません」

 


 谷柱さんの顔に笑みに浮かんだ。



「初めてのサーフィンが今年1月の終わりにハワイはオアフ島のノースショアで、2度目が2月の終わり、外房の勝浦です」

 


「それなら、ビギナーどころか本格派ですね。
 きっと、立派な先輩が付いておられるのでしょう。
 それが証拠に今回の取材依頼もサーフィン関係者から入っています」

 


「ハワイで知り合い、勝浦でもお世話になった源間さんという方のお知り合いからこちらの研究所を取材して欲しいとの依頼を受けました」



「そのようですね。
 こう見えても若かりし頃、わたしも密かにサーフィンに憧れたことがあります。

 


 学生時代に名画座で『ビッグ・ウェンズデー』という映画を観て、胸を熱くしました。

 


 女性と縁がなかったわたしでも手っ取り早くサーフィンでもすればの想いも、その頃、さんざん馬鹿にされた、サーファーもどきの陸サーファーですらなかったわたしがサーフィンなんて言うと人から大笑いされるのが目に見えていました。

 


 と言う訳で、良く言えばインドア派のわたしですが、当時の日本はバブル時代の末期で至る所に浮かれ立った残滓がありました。

 


 学生時代の悪友に誘われ、女性に持てない代表選手のわたしが何度かディスコなんかに出向いたことがあります。
 今よりは10キロ以上は痩せて、腹も出てなく、髪ももふさふさしていたのですが、女性に声の一つも掛けることができませんでした」


 
 そう言う谷柱さんの左の薬指には結婚指輪が光っていた。



「女性をゲットした友人の姿はどこにもありません。
 しょうがなく、ディスコを出て、一人、夜風に吹かれました。
 歌舞伎町の小さな喫茶店で真夏の深夜、ホットコーヒーを飲みながら知りもしないジャズをしたり顔で聴いていました。


 
 またある時、別の悪友に誘われまたのが、
 新宿の外れにある穴場的な、今でいうクラブの走りのゲイナイトでした。

 


 トイレで用を足すと、待ち構えていたような、ゲイの若い白人二人に『アー・ユー・ゲイ?』と声を掛けられました。
 黙っていると、腕を捕まれて、トイレに引っ張られそうになりました。
 思わず、『アイム、ストレート』と、わたしは大声を上げました。

 引っ張られた腕を払い、難を逃れました。

 


 こうして、わたしは大事なお尻を、オカマを掘られずに済んだのです。

 


 学校で習った受験英語が役立ったどうかはともかく、
 身の危険を感じると、どうにかなると、実感しました。
 わたしはそのまま地下にあったフロアを出て、新宿の街に舞い上がりました。
 


 そうこうするうちに、わたしは大学を卒業して鯨の研究職に就きました。
 バブル末期とはいえ、ディスコでナンパ一つできない冴えない自分が生存競争の激しい民間企業でバリバリ働くのは性に合わないと悟ったからです。

 


 鯨の研究は研究職にありがちな、それはそれは地味なもので、  世間から光を浴びることなどありません。
 それはわたしの天職と言ってもいいほどでした。
 どの世界もそうでしょうが、社会に出たばかりの若造が自分から進んで何かの仕事が出来るほど世の中は甘くありません。


 
 最初の数年は先輩に付いて、先輩の言われるままにそれこそ付き人となって、鯨のいろはから教えて頂きました。
 この世界に入って数年が経ち、少しは回りが見渡せるようになって、鯨の現場、つまり、鯨が生息する海に出向いて気づいたのですが、鯨が生息する海域の海岸近くはサーフィンの絶好の場所になっていることです。



『ビッグ・ウェンズデー』はサーフィンに生きるベトナム戦争当時のアメリカの若者像を描くと同時に我々が命を授かる地球を取り巻く、地球の過半数以上を覆う母なる海を描く映画でもあったと、あらためてその偉大さに頭が下がりました。

 


 株と不動産が暴落し、銀行や証券会社が潰れ、
 日本中が不景気の真っ只中に突入したのは、わたしが社会に出てからです。


 
 その後、知ったのですが、ゲイナイトに誘ってくれた友人は男も女もこなすバイセクシャルでした。

 


 大学卒業後、彼は日本を代表する大手商社に入りました。
 長らく海外勤務をこなし、出世街道をまっしぐらだったそうですが、昨年、妻子を残して亡くなったと風の噂を耳にしました。
 人生はわかりませんね。

 


 お若い吉田さんに実感はないでしょうが、
 わたしのように人生の折り返し地点を過ぎた人間にはよくわかります。

 


 アリとキリギリスではありませんが、女性に持てず、人から忘れられたような鯨の研究職に就いたわたしがこうして生きているのに、 女性にも男性にも持てて、社会の表舞台でバリバリと働いていた友人がもうこの世の人ではないのですから。



 せっかく、貴重なお時間を使って、鯨の取材に来られているのに無駄な話ばかりをして済みません。
 もう5時に近いですね。

 


 どう言う訳か、吉田さんとは波長が合って、いろんな事を喋りすぎてしまいましたね。
 お役所として、そろそろ家路を急ぐ時間なのですが、
 お店なら蛍の光が流れてきそうですが、
 役所のようで役所ではないここは少しは融通が利きます。



 ここは昭和の時代から取り残された離れ小島のような場所ですが、本所はもっと利便のいい都心近くに暖簾を構えていますが、
 世間の風に逆らえず、和歌山の南紀に移転が決定しました」

 


「和歌山ですか?」

 


「行かれてことがありますか?」


「いいえ。
 ハワイで知り合い、この仕事のきっかけを作ってくれた方が大阪の泉州育ちで今は房総の勝浦に住むサーファーで、
 子供の頃、家族で和歌山を訪れたことがあるそうです」

 


「そうですか。
 和歌山は太平洋の大海原に接しているころもあって、昔から捕鯨が盛んな所です。

 


 そんなこともあって、昨今は街頭右翼のような下品な外国のゴロツキの標的にされています。

 


 シーシェパードという名前を御存知ですか?」



「名前なら知っています」

 


「奴らは自らの意思で動いているのではなく、誰々からの指示に従っているだけの現場仕事の工作員ですが、まあ、これがタチが悪くて、奴らにカンパする、日本でも有名な欧米セレブもいるというから世も末です」

 


「世界は深い闇に包まれていますね」

 


「仰る通りです。
 情報操作に長けていたナチス、ナチスの兄弟のソ連、
 現代のナチスというべき中国共産党や中東の癌といわれるイスラエルが巧みに情報を操っているようですが、
 西側と言われる大手メディアも似たようなものでしょう。

 


 意識するにしないに拘わらず、地理的には東の隅の日本も、
 一応、西側とやらに含まれているようなので厄介極まりない。

 


 世界中に蔓延る、テレビ、ラジオ、新聞のオールドメディアは言うまでもなく、昨今の流行病というべき、フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、ライン等のSNSにもわたしは疑いの目を向けています。

 


 一種の洗脳装置です」

 

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 36   
 
 ゴールデンウィーク休みが明けると、仕事の依頼で銀座の先の晴海埠頭からもほど近い鯨類の研究所に出向いた。

 


 ハワイから帰国して、ゲンさんに誘われ外房の波とサーフボードで戯れ、つい先日、マキと勝浦を訪れた。
 前後して、和田浦の道の駅に展示された鯨の標本と漁協で出会った柳本さんと訪れた資料館がどこでどういう風に結すび付ついたのか、想ってもみない仕事が飛び込んできた。


                                              
 かつて鯨類の研究所を訪れたことがある一回り年が離れた先輩の話では、銀座からそれなりに距離があってバスに乗るのも歩くのも難儀でいっそのことレンタカーでも使ったほうが手っ取り早いと勧められたが、ものは試しにネットで検索すると時代は移り変わり、今では都営地下鉄大江戸線の勝ちどき駅が最寄り駅である。

 


 地下鉄に乗り、駅から地上に出ると、先輩に聞かされた銀座の近くにありながらも、どこか昭和の匂いがした町から大きな変貌を遂げていたのである。



 この辺りはウォーターフロント、タワーマンションと花盛りな話題に事欠かない上に東京オリンピック絡みの施設や選手村も控えている。
 さらに豊洲市場も近くにある。

 


 駅から車の往来の激しい通りを歩くこと10分余り、
 それまでの都心めいた街の景色は一転した。
 西船橋からJRで一駅の南船橋駅側のバスが停留するロータリーを通過し、IKEA近くの船橋オートレース場跡の冷凍施設の工場群を想わせる一角に辿り着いた。

 


 マップ上では道路で繋がっているようで海に浮かんだ島のようにも見えるが、本当にこんな所に鯨類の研究所があるのかと、スマホのアプリで確認すると間違いなさそうである。
 とりあえず、現代の最先端の機器を信じるしかあるまい。
 海が近いだけあって、汐の香に混じって魚の匂いも付いてくる。
 


 ここが銀座に近いことを除けば、マキと訪れ、ゲンさんやタマミさんご夫妻や仲間たちと過ごした勝浦のビーチや柳本さんと出会った和田浦漁協と言われても、可笑しくないほどだ。
 コンクリートに鉄錆びが浮き出たビルの狭いエレベターに納入業者であろう作業着姿の男性と段ボールを積んだ台車と供に4階まで上がった。


 エレベターを降りると、辺りを窺う間もなく、
 サンダル履きでグレーの上っ張りを着た銀縁メガネの中年男性が現れた。

 


「これを、待っていた。
 エレベーターから離れたそこの廊下に置いてくれない。
 伝票は?」

 


 台車の段ボールを見ながら俺に向かって、せっかちそうに早口で捲し立てた。

 


「伝票ですか?」

 


 何のことかわからず、俺は唖然とした。

 


「あなた、業者さんじゃないの?」

 


 首を降る間も、返事をする間もなく、

 


「わたし、わたしです」

 


 エレベターに同乗したはずの作業着姿の人がトイレのドアを開けて慌ただしく飛び出して来た。

 


「遅くなって済みませんでした。
 ここに着くまで何とか我慢していたのですが、トイレをお借りしていました」

 


 狭い空間を道連れした作業着姿の男の人が洗った手の水を切り、声を震わせながら言った。



「もしかしたら、人違いですか。
 でも、漏れなくてよかったですね」

 


「お陰様で」

 


 づれているグレーの帽子を気にすることもなく作業着の男性が小さく頭を下げた。

 


「伝票は?」

 


「台車の商品の間に挟んであります」 

 


「ああ! そう」

 


 銀縁メガネの男性が台車に乗った段ボールに挟まれた伝票を掴み、上っ張りの胸ポケットに挟んだボールペンを摘まんでサインした。
 伝票を受け取った作業着姿の人がづれた帽子を元に正し、台車を引いてエレベータの前で1階に向かうドアが開くのを待っていた。


「それで、あなたは?」

 


 メガネの人が体を反転させ、ジェケットにネクタイ姿の俺に向かって尋ねた。

 


「わたしは取材で訪ねました吉田と申します」

 


「取材ね! そんな案件入っていたかな。
 ここまで来られて、ご存じかもしれないが、ここは鯨の研究所ですよ。
 吉田さん、名刺持っている?」

 


「はい」

 


 俺は財布から名刺を差し出した。

 


「今から確認するからここで待っていて」



 この間に納品業者さんに続いて用足しを済ませ、元の位置に戻っり、台車と供に消えた作業員の幻を追いながら、俺は廊下に突っ立っていた。



 数分間待つと、

 


「お待たせしました、確認が取れました」

 


 銀縁メガネの人が愛想笑いを浮かべ、言葉が丁寧になっていた。


「霞ヶ関から都道府県庁、市役所、区役所、町村役場までお役所なんてどこも同じだと想われているかもしれませんが、
 いかんせん、うちは役所崩れですから、悪しからず。

 


 大きな組織でもないのに横の連絡がないに等しく、
 これでは税金でメシを食っている、税金泥棒って言われても、
 返す言葉もありません。
 さあ、どうぞう、中に入って下さい。
 吉田さんでしたよね。わたしは谷柱と言います」

 


 男性は名刺を差し出した。



「これでも、ちょっとした珍名さんで、家族親戚以外にはまだお目に掛かったことはありません。
 日本広しといえど、谷柱姓が何人いるのでしょう。
 絶滅危惧種さながらに貴重な種族です。
 ということで、よろしくお願いします」

 


「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」



 俺は頭を下げ、自らお役所崩れと謙遜する、一風変わった名字を持たれた谷柱さんと人が疎らな部屋の中に入った。


 
 取材といっても、用意してある特別な場所に案内されることもなく、中学高校の教室大の空席が目立つフロアー、本が山と積まれたデスクの脇で、谷柱さんご自身がどこから持って来られた椅子に座っての取材というよりは談笑になった。


           
「どこまでお話ししましたかね」

 


「ここは鯨の研究所ですに続いて、自己紹介までです」

 


「そうでしたね。
 繰り返しになりますが、
 毎年のように土地の評価額が日本一とされる銀座からもほど近いながらも、ここは世間から忘れられたような鯨の研究所です。

 


 巷で人気のイルカならともなく、愛嬌のあるイルカ好きはいても、イルカをでかくしただけの鯨なんてとっくに世間から忘れられた存在です。
 鯨でメシを食っている漁師か物好きな研究者か我々を貶めるのが目的のプロの環境屋以外、誰も振り向きもしません。



 それでも、今から50年も前の日本で鯨といえば、幕末から明治初頭の欧米列強にとっても、鯨はちょっとしたものでした。

 


 ヨーロッパではスペイン、ボルトガル、オランダ、イギリスが大海原に乗り出し、アメリカ大陸やアフリカ、インド、中国、
 東南アジアを植民地し、産業革命や帝国主義は幅を利かせ、
 スペイン、ポルトガルを凌ぐようにオランダ、イギリスの東インド会社が世界を席巻しました。
 産業革命と東インド会社で世界を席巻した、

 


 元祖グローバリズムの帝国主義の権化のイギリスがEUからの離脱するというのは皮肉というか、世も末というか、世界の移り変わりの鏡と見るべきでしょう。



 21世紀、イギリスは近くの他人のヨーロッパ大陸諸国と生きていくより、遠くの親戚である、アメリカ、カナダ、オーストリア、ニュージーランド、アングロサクソン同盟、同じ5ヶ国でのファイブアイズとも言われるインテリジェンスの世界に身を委ねるつもりなのでしょうか。

 


 同じ島国として、西と東の大陸から程近い島国としてイギリスの動向は我々日本人も注視すべきでしょう。
 今からおよそ30年前、世界は大きな地殻変動に見舞われました。 

 

ベルリンの壁崩壊、それに続くソ連崩壊、天安門事件を前後とする鄧小平の改革開放路線の中国の台頭で世界は狭くなりました。


 
 いわゆる、グローバリズム経済ですが、
 その走りの一つが、今から百五十年前から二百年前に起こった事で、世界中の海で鯨から取った脂で大金を稼げぐことができました。

 


 日本の近海にそれらの国々に加え、フランス、ロシア、
 当時、新興国だったアメリカまで船までが現れる始末で、
 それまで鎖国政策で安泰かに見えた徳川幕府にも不吉な影が忍び寄っていました。


 
 鯨の肉を食べない西洋人はひたすら金になる鯨を求め、鯨の脂に命を掛けた、
 ひたすらに世界中の海を駆け巡り、鯨から脂だけを取り、
 捨てるところがないといわれる鯨の大半を海に投げ捨てた。

 


 それが、鯨の脂に取って代わり、石油が世界のスタンダードになると、世界が一変しました。

 


 今になって、そんな奴らが自分のことは棚に上げて、
 鯨を捕る日本を陰口を叩くのはお門違いどころか、
 まったくのお笑い草なのですが、エルサレルムを聖地とする、
 ユダヤ、キリスト、イスラム、一神教世界の住人が他の神を認めることはあり得ません。

 


 自分の非を認めないように、自分たちが崇める神だけが正しく、自分たちだけが正しく、日本を含め、その他のものを全否定します。
 彼らにとっては宗教も、宗教を基盤とする法律も、自分たちみ都合がいいように解釈して、利用するのが得策なのでしょう。


 
 この世界に入って、参考になりはしないかと、
 ジャンルを問わずいろんな本を読み漁り、小説を読み、
 映画、ビデオ、DVDと観てみてみましたが、
 その当時、鯨の脂を巡り、世界の海で起こっていた現象は同時期に流行っていた、金やダイヤの鉱山みたいなものでしょう。

 


 今世紀に入って顕著ですが、ITで飛ぶ鳥を落とす、サンフランシスコ、その周辺のシリコンバレーなんて、その昔は先住民インディアンの土地を戦争で勝利したアメリカがメキシコから巻き上げ、ブドウ畑だったところに金が出てゴールドラッシュに群がった山師に分捕られた。



 こう見えても、数年前、サンフランシスコ郊外にあるスタンフォード大学に招かれて、1週間ほど滞在したことがあります。
 キャンパスが広過ぎて、バスで回るか、車で回るか、
 自転車でも周り切れないほどだった広い何もない田舎でした。



 日本ではキャンパスが広大な事で知られる北海道大学でも、
 札幌駅から歩いて数分ですし、スタンフォードに比べれば、
 コンパクトに纏まっています。

 


 嘘でしょう、世界的に有名なスタンフォード大学はこんな田舎にあるんですか?

 


 本音を言ったら、きっと怒られる以上に、知的世界から追放ささること間違いなしです。


 
 とはいえ、同じアメリカの名門でも、西と東と違いはあるのかもしれませんが、ニューヨークのマンハッタンのどこか閉鎖的なコロンビア大学とは大違いで、スタンフォードのほうがずっとオープンでした。

 


 スタンフォード周辺にはグーグルやアップル、世界に名だたるIT起業が控えているうえにアメリカンフットボールで有名なサンフランシスコ49ERSのスタジアムがあって、49ERSの命名自体、 1848年のゴールドラッシュに因んでいて、それを名付けることが、良くも悪くもアメリカ的ですね。


 
 我が日本に目を向けると、古来から鯨漁が営まれ、
 鯨は肉を食べないとされた日本人の貴重なタンパク源となっていたようです。

 


 戦後から四半世紀、敗戦国の貧しい食糧事情を救ったのが、
 何を隠そう鯨だったといえば、信じてもらえますか。
 先述したように、鯨は肉から脂まで頭の先から尾の先まで捨てるところがないと言われる貴重な食材です。

 


 とは言っても、鯨のスポットライトが当たっていたのはわたしが生まれる前後の話で、わたしは学校給食で鯨の肉を食べたことがありません。

 家で鯨の肉を食べた記憶も曖昧で、両親に尋ねてみても、
 鯨を食べたかなって、惚けたことを言う始末です。
 わたしがこの仕事に就いてからというものの、
 鯨に関する仕事や研究は斜陽産業を通り過ごして、
 世間から見捨てられ、忘れられた、今となっては外国のヤクザ紛いの連中の標的にされる、物好きの道楽に成り下がりました。



 今時、鯨の研究所を取材する、そんな暇人がいるんですか?
 変わり者で道楽者の極みの研究者を取材するあなたはどこのどなたですか?」
 

 おどけるようにメガネの人が俺を顔を覗いた。

 


「目の前に座っているじゃありませんか」

 


 俺は言うべき台詞を吐いて、ここで一息ついた。



「ほとんど、わたし一人で喋っていますが、
 吉田さん、喉が渇きになりませんか?」

 


「そう言われれば」

 


「コーヒーでもお持ちします」

 


「ありがとうございます」

 


 砂糖、ミルクは如何します?」

 


「ブラックでお願いします」

 


「承知しました」

 

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 35
 
 ゲンさんと仲間達に別れを告げ、
 俺とマキはスイフトでタマミさんの軽ワゴンの後を走った。


 
「もうすぐです。
 元気な犬が飛び出してくるので気を付けてください」

 


「本当ですか?」

 


「リードで繋がれているから安心してください。
 ゲンタという元気一杯な番犬がマキさんに挨拶するだけです」

 


「吉田さん、驚かせないでください。
 今から心の準備をしますので、家の近くになったら知らせてください」


 
 ゲンさんの家が見えてくると、噂どおりに車の音を聞きつけたゲンタがリードを強く引っ張り、元気よく飛び出してきた。

  ゲンタの歓迎を受け、お宅にお邪魔してタマミさんご自慢の自家製ケーキをご馳走になった。

 


 2月にお邪魔した際に聞きそびれていたゲンさんとタマミさんの交際期間や勝浦での暮らしぶりに相づち打ちながら、
 俺とマキはもっぱら聞き役に回っていると、時間は過ぎて行くもので、源間家のイルカのデザインの置時計は2時半を指していた。



「もうこんな時間ですね。
 そろそろお暇しないと、日暮までに西船橋まで戻れなくなります」

 


「吉田さん、今日はお泊まりじゃなかったの?」

 


「とんでもありません。
 レンタカーは12時間以内の返却で9時までに西船橋に戻らなければいけません。
 その前に満タン返しですから、その時間も必要です」

 


「吉田さんて生真面目なのね。
 海と波と太陽を時計代わりにするどこかの人たちに聞かせてあげたい。
 ゴールンデンウイークで込んでいても、同じ千葉県内ですから勝浦から西船橋まで3時間もあれば楽勝です。

 


 でも、どこかに寄って、美味しいディーナでも召し上がると、
 良い時間になりますね」



 俺とマキは黙って目を合わせた。



「またいらしてくださいね。 
 この次は夏がいいかしら。
 外房が1年で一番賑わう季節にサーフィンはともかく、
 都会の喧噪を忘れ、海に浸かり、のんびりするのは最適です。

 


 そう言うわたしもたまには都会の風に触れたいな。
 西船橋から東京の湾岸沿いを巡るのが好き。
 結婚前、主人が1度ディズニーに連れて行ってくれたのですが、釣った魚に餌をあげないのか、それっきりですね。
 吉田さんとマキさんが羨ましい」


     
 タマミさんとゲンタの見送りを受けた。
 せっかくのゴールデンウィークにこのまま西船橋までも戻るのは勿体ないような気がして、マキの了承を得て、来た道を戻らず、勝浦から白浜まで行くことにした。

 


 房総半島の最南端へ海岸沿いにスイフトを走らせた。
 白浜までの通り道の千倉海岸に寄って海風に当たった。
 柳本さんと訪れた道の駅に展示される鯨の標本にも寄ってみたかったが、マキを連れて時間の制約もあり、千倉で誰もいない海を眺めていた。


「勝浦と違って、ここにはサーファーがいませんね。
 同じ房総の海でも人の気配があるのとないのでは大違いです。
 目の前に広がる海がハワイやアメリカに限らず、わたしの国のミャンマーに世界中にも繋がっているのが不思議な気がします。

 


 海は富や名声や人種や宗教を超えた世界共通の財産です、
 人類に限らず、動物、魚類、植物、地球上のすべての生命体の母が海です。

 


 目を瞑り、汐の香を嗅いで、頭を空っぽにすると、雑念が消え、波の音と共鳴して、すーっと何かが体に入ってきます。
 頭で考えるのではなく、心で考えるのでもなく、
 ただ、風と波音に触れて、無心になると、大地とそれを取り巻く大海原から大量のエネルギーを受けているようで、何とも言えない気分です。



 吉田さん、今日ここに連れて来てくれてありがとうございます。
 源間さんと奥さん、仲間たちにお会い出来たのは何よりでしたが、 忘れてはいけない、ゲンタも可愛かった」

 

 そのままマキと千倉のビーチに佇んだ。
 砂浜をのんびりと歩いて、それにも飽きると、海を目の前にした巨大なコンクリートのベンチに腰を降ろして、言葉を交わすこともなく、どこまでも続く海をじっと見ていた。



「いつまでもこうしていたいのは山々ですが、
 そろそろ、目的地の白浜に参りますか」

 


「そうですね。
 海と太陽、風と波音だけの時計もスマートフォーンもいらない最高の贅沢を味わせて頂きました。
 吉田さん、ありがとうございます。
 さーて、現実の世界に戻りましょうか」


 
 マキが岩場から腰を上げた。



 白浜を発ち、内房沿いの小洒落たレストランでシーフード料理を堪能して西船橋まで戻った。
 レンタカーショップでスイフトを返し、西船橋駅までマキを送り、改札前で別れた。

 


 俺の連休はあの日で終わったようなもので、
 残りの数日はのんびりだらりと部屋で過ごした。

 

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 34

 いつの間にかゲンさんの仲間のタクマ、サユリ、シゲキとコユキがウェットスーツ姿で勢揃いしていた。



「おはようございます。
 吉田さん、今日は彼女連れで鼻の下を伸ばしているでしょう」
 褐色に焼け、白い歯を覗かせるタクマだ。
「そんな口を聞いたら、吉田さんはともかく初対面の女性に失礼でしょう」

 


 サユリが彼氏のタクマを窘めた。

 


「はじめまして、マキと申します」

 


「はじめまして、タクマです。
 はじめまして、サユリです。
 失礼ですが、マキさんは外国の方ですか?」

 


 物怖じしないサユリがマキの顔色を伺うように語り掛けた。



「はい。ミャンマー人です。
 2年前に来日して、4月に短大から大学に編入して3回生になったばかりです」
「ということは女子大生ですか?」

 


 タクマが尋ねた。

 


「はい。共学の大学ですが、そういうことになります」

 


「尊敬しちゃうな。
 ここにいる仲間で大学に行った人なんでいませんから」

 


「馬鹿言え、吉田さんが大卒だよ」

 


 ゲンさんの声に、

 


「失礼しました。
 どおりで、ハワイで出会った時から俺たちと違って、どこか知的でしたね」



「吉田さんとマキさんはワイキキビーチのホテルでお知り合いになったそうで」

 


「そうなんですか?」

 


 それまで音なしだったシゲキが口を開いた。

 


「そうしたら、ここにいる全員がハワイ繋がりじゃないですか」

 


 シゲキの彼女のコユキが可愛い八重歯を見せた。


「みんな、ここに集まっていてくれてよかったわ」

 


 ゲンさんの妻のタマミさんの声だ。

 


「もうすぐお昼でしょう。
 家でおにぎりを作ってきました」

 


 スポーツウェアのタマミが顔を見せた。



「奥さん、お久しぶりです」

 


「吉田さん、お久しぶりです。
 狭い我が家と違って、ビーチで見ると、より一層、男ぶりが上がったように感じるけど、気のせいかしら。
 一昨日、主人に吉田さんが勝浦に見えると聞いて、お昼に何にしようかと考えた結果、簡単に摘まめるおにぎりにしました」



「奥さん、ありがとうございます」

 


 ゲンさんの仲間の合唱に続いて、

 


「はじめまして、マキと申します」

 


 マキがタマミさんに声を掛けた。

 


「はじまめして、源間の妻のタマミです。
 マキさんは吉田さんとご一緒されたお友だちですね」

 


「はい。今日はよろしくお願いします」

 


「こちらこそ、よろしくお願いします。
 みんな、おにぎりどこで食べるますか?
 ここ、それとも車の中?」

 


「もちろん、ビーチでしょう」

 


 タクマが声を上げた。

 


「それなら、今から駐車場まで戻って、おにぎりを取ってくるわ。
 マキさん、わたしに付き合ってくれない。
 みんなは波に浚われないように気をつけて」

 



 タマミさんに連れられてマキがビーチを離れた。
 その間、若い4人衆がああでもないこうでもないと賑やかなこと。


「吉田さん、しばらく顔を見せずに何をしていたんですか?」

 


「タクマって、本当にバカね。
 うちら暇人と違って、吉田さんは忙しいのよ。
 パリッとした勤め人で忙し東京暮らしから癒やしを求めて外房の海まで来られるんだから」

 


「知らないんだ、吉田さんは西船橋住まいだよ」

 


「そうだったんですか?」

 


 サユリが驚いて顔を向けた。



「はい。
 皆さんと同じく千葉県民で今日は電車ではなく、
 西船橋からレンタカーでここまで来ました」

 


「初耳だけど、吉田さんが西船橋に住みなら、海風に当たり、
 波に乗って日々を過ごす田舎者のうちらとたいして変わらないじゃない。
 ねえ、マキさんって、サーフィンするの?」

 


 いたってフレンドリーなサユリがすでに仲間気分になりきっていた。



「サーフィンの経験はなく、泳ぐのも苦手のようです」

 


「マキさんって、今日は吉田さんのお付き合いで勝浦まで来たんだ。
 それにしては良い色に焼けてない?」

 


「サユリは本当にバカだな。
 マキさんは焼けているんじゃなくて、ミャンマーの方だろう。
 本人の目の前で言ったら大変なことになるぞ」

 


「心配しないで、こう見えてもデリカシーってもんがあるのよ」



「そういう風には見えないけどな」

 


「そんなこともないよ。
 タクマ、ミャンマーってどこにあるの?」

 


「俺もよく知らないけど、東南アジアでタイの近くじゃなかったかな。
 サーフィンのスポットで結構有名だよ」

 


「海外が羨ましいな。
 ハワイだと、ノースショアみたいな辺鄙な田舎でも勝浦よりずっと物価が高いから、もっと財布に優しいビーチに海外遠征したいな。

 


 タイの隣っていうことはハワイよりは近いし、物価も日本より安いよね。
 ミャンマーってどんな国だろう。
 どんな波が来るんだろうね?」


 タマミさんとマキは駐車場まで歩いた。



「マキさんは外国の方ですよね。
 学生さんですか?」

 


「はい。ミャンマーのヤンゴン出身で千葉市内の大学に通っています」

 


「マキさんも西船橋にお住まいですか?」

 


「いいえ、東京の杉並区です」

 


「ええ!」

 


 タマミさんが驚きの声を上げた。

 


「杉並から千葉まで通っているの?」

 


「はい。
 3月に都内の短大を卒業して、4月から大学3年に編入し、
 1ヶ月様子を見る形で杉並から千葉市まで通いました。
 通学に約2時間かかります」

 


「それは大変ね。
 わたし、近くのスーパーに勤めているんだけど、
 車で5分だから、ちょっと考えられない。
 大学に通うのも一苦労ね」

 


「つい先ほど、女子大生ですかと、男の人に突っ込まれました」



「みんな、マキさんのことが気になってしょうがないのよ。
 悪気はないから、気にしない、気にしない。
 少々がさつだけど、みんな良い人ばかりだから」

 


「わたしも来日して2年でどうにか日本人の表情や心を何となく読めるようになりました」

 


「それは大した進歩ですね。
 大学では勉強、キャンパスを一歩出ると、現実が待ち構えている」

 


「その通りです」

 


「マキさん、ミャンマーから遠くはるばる日本にやって来られたのですね。
 ご苦労様です」

 


「どういたしまして」

 


「わたし、結婚前にリュックを担いで東南アジアを一人旅したことがあって、ミャンマーには行けませんでしたが、
 どんな国なのかなと興味は持っています。
 結婚前に主人がサーフィンで行ったことがあるそうです」

 


「源間さんがそう仰っていました」


「ミャンマーはタイと同じように仏教国で黄金に輝く塔があるんでしょう?」

 


「パゴダのことですね、仏塔です」

 


「TVの旅番組かネットで見たんだけど、
 日本人の感覚では随分と立派だなと」

 


「ありがとうございます」



「マキさんはサーフィンをされますか?」

 


「いいえ」

 


「わたしもそう。
 この海からもそう遠くない勝浦の隣町で生まれ育ったとはいえ、サーフィンとはさっぱり縁がなかったわたしが何の因果か、
 サーフィン馬鹿の主人と結婚したのが運のつき。

 


 サーフィンもしないのにサーフィンに嵌まる主人や仲間と時間を共有していると、自分までサーフィンをしているい気になってしまって。
 主人、吉田さんともハワイで知り合ったのよ」



「わたしもそうです」

 


「そうなんだ。
 ということは、ハワイを知らないのはわたしだけ。
 主人と吉田さんはホノルル空港でバスを待つ間に知り合って、
 そのまま同じバスに乗って、その日はバスの中で逸れて、
 オアフ島北部のノースショアのセブンイレブンで偶然、再会した。

 


 主人に誘われた吉田さんはそのままノースショアのビーチに連れられ、今ビーチに集まっていたハワイに先乗りしていた仲間を紹介されて、生まれて初めてサーフィンに興じたのよ。
 2月には勝浦まで来てくれて、サーフィン方々、我が家にお泊まりして」


「そうだったのですね。
 吉田さんから源間さんとはハワイでと出会ったと聞かされましたが、それ以上のことは知りませんでした。

 


 わたしも、短大の卒業旅行にハワイに行ってワイキキビーチのホテルで吉田さんと出会ったのですが、それもほんの一瞬の立ち話のようなもので、日本に戻ってから偶然に新宿で再会しました」

 


「そうなんだ。
 主人は大阪の出身でサーフィンがしたくてこの町に流れ着いて、わたしと出会って結婚した。
 偶然に偶然が重なって、今、わたしたちが出会ったのよ」



 駐車場に着いて、タマミさんが軽ワゴンのハッチを開けた。

 


「マキさん、バスケットを一つ持ってもらっていいかな?」

 


「はい」

 


 タマミさんは藍色のバスケットをマキに渡し、
 自分の赤いナップザックを背中に回し、
 もう一つのバスケットを左手に、右手にポットを持った。



 タマミさんとマキが戻ってきた。

 


「みんな、遠慮しないで食べて」

 


 タマミさんの号令を合図に、ゲンさんの4人の仲間がカップル毎に野生の雄叫びを上げると、波が届かない砂浜まで下がり、
 8人で腰を降ろした。

 


 タマミさんの手作りのおにぎりとポットから注がれた冷たい麦茶を飲みながら、勝浦での生活や外房の海、サーフィン仲間の何気ない喜びやちょっとした拘り、たわいもない悩みや、西船橋に住みながら都心に通勤する俺の日常や西武沿線から東西線、総武線と乗り継いで千葉市内の大学まで通学して1ヶ月余りのマキの新生活を、ああでもない、こうでもないと語り会って一時を過ごした。

 


 ゲンさんと仲間とはここでお別れですることになった。

「吉田さんとマキさん、また来て下さい」

 


「はい」

 


 ここでは唯一の都民のマキさんが千葉県民になられたら嬉しいな。

 その際はご一報ください」

 


「タクマ、マキさんとアドレスの交換でもしたの?」

 


「してないよ。
 サユリ、誤解するな。
 吉田さんからゲンさん経由で俺にも情報が伝わればと、
 言っているのがわからないかね」

 

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 33

「サーファーの方って、大阪の方なんですね」

 


「そうです」         

 


「ハワイからの帰りに大阪の友人の実家に泊めてもらって、
 彼女の案内で梅田や難波を観光しましたが、大阪と東京はだいぶ違いますね。
 言葉もそうですが、街に活気があって、短大卒業後、
  彼女が東京に残らず、大阪に戻って就職するという気持ちが理解できるようになりました」


「それはそうと、大学の卒業後の進路は未定のようですが」
「日本に残り、日本語や文学に拘わる仕事に就きたいのは山々ですが、わたし、一人娘なので、自分だけのことを考える訳にもいかないのがの悩みの種です」



 新進気鋭な女性に見えて、マキの古風な一面を垣間見た気がする。



「両親は何にも言いませんですが、両親の気持ちはわたしが一番理解しているつもりです。
 それがプレッシャーになるというほどではありませんが、
 心のどこかで自分を抑えていると思います。

 


 日本まで留学させてくれたうえに、わたしのわがままで短大から大学に編入して、2年の留学期間がさらに2年伸びて4年になりました。



 今は大学に編入したばかりですが、短大時代と同じように2年間なんて、あっという間です。
 来年は4回生ですし、日本に残るとすれば、今年の秋から就活の準備をしなければならず、わたしに残された時間はそんな多くありません」


 高速を降りて下道を走った。
 ナビの指示に特別疑問にも感じなかったが、
 海に向かって走っているのに気配すら感じなかった。

 


 2月末に和田浦漁協に行った時は内房沿いを走り高速を降りた。 

  そこから内陸に入り、和田浦に向かって走ったと記憶しているが、同じ外房で、それほど距離が離れていない和田浦と勝浦で西船橋からの行き方がまるで違うのに戸惑いながら、
 信号待ちでいつの間にか静かになったマキを横目に見ると、
 静かな寝息を立てていた。

 

   緊張していたんだな。

 外房の海が見えてきた。
 もうすぐゲンさんと待ち合わせている海岸だ。


 
「もうすぐですよ」

 


 マキに声を掛けると、

 


「わたし、寝ていたようですね。
 恥ずかしい、吉田さんに寝顔を見られたのかしら」

 


 突然、マキが口を開いた。

 


「これが外房の海ですか?
 もっと荒々しい海だと想っていましが、穏やかな海ですね。
 わたし、海を見るのは好きです。
 ミャンマーにも人気のビーチはありますが。
 海に囲まれた島国の日本の周りは海だらけですね」

 


「外房はそれこそ海しかありませんが、よく行く気になられましたね」


 
「そう言われると、そうかもしれませんが、
 日本に来てから、一層、海が好きになりました。
 水着にならなければ、怖い物なしです。

 


 ハワイでも、友人とワイキキビーチで楽しそうに戯れる人々を横目にしながら、ビーチをのんびりと歩くだけで、水着姿になりながら、ビーチで過ごしただけの友人には悪いことをしました。
 初夏らしいキラキラとした太陽の反射が眩しいですね。

 


 このまま真っ直ぐに太平洋を進むとハワイまで行けるなんて夢のようです。
 日本からミャンマーに帰る時も、ミャンマーから日本に戻る時も飛行機内に表示されるモニターの地図を見るのが大好きです。


 ミャンマーはどっちでしたっけ?

 


 日本から南に進んで西に行って、今、海の上を飛んでいるんだな。
 大陸に差し掛かり、また海に出て、あとどれくらいでミャンマーに着くとか、日本に着くとか想像しながら胸をドキドキさせています。

 


 日本に行くことなど夢の夢だった少女時代に戻って、
 あの時の気分に浸っています」



 ゲンさんと待ち合わたビーチ側の駐車場でゲンさんのワゴンの隣にスイフトを駐めた。
 左右のドアから車を降りると、海風が吹き付け、マキの体がよろめいた。

 


「寒い!」

 


「名刺代わりの外房の海風です。
 今、目の前でサーフィンに興じているのが、
 ハワイで知り合った友人の源間さんこと、ゲンさんです」

 


 マキは波間に浮かぶ人影とサーフボードを見ていた。
「子供のように楽しそうですね。
 ハワイでもサーファー見ましたが、ワイキキは観光色が強すぎて、所変わればサーファーも違って見えます。
 わたしにとって、新しい発見です」


  
 そのまま暫く浜辺で海風に当たりながら、波に戯れるゲンさんと仲間たちの様子を眺めていたら、丸坊主から髪が伸びたゲンさんが浜に上がり、頭から黒いウェットスーツから外房の海水を滴らせサーフボードを手に持ったままこちらに近づいて来た。


 
「ゲンさん、お久しぶりです」

 


「本当にお久しぶりです。
 吉田さんお元気でしたか?」

 


「おかげさまで元気にしています」

 


「それは何よりです。
 2月以来のサーフィンに来られると思いきや、
 今日は女性同伴ですか?」

 


「はじめまして、ミャンマー人のマキと申します」

 マキが丁寧に挨拶した。

 


「こちらこそ、はじめまして、源間と言います。
 こんな素敵な彼女連れとは吉田さんを見直しました?」


「彼女なんてとんでもない。
 マキさんとはワイキキビーチのホテルで知り合って、
 新宿で偶然、再開しました。
 今日でお会いするがの3度目です」

 


「4度目です」

 


 マキが口を挟んだ。

 


「これは一本取られました」


「スーツもボードもありますから、
 吉田さんもマキさんも目の前の波に乗られたらどうですか?」

 


 褐色のマキの瞳がこちらに向いた。

 


「今日は時間がないのでご遠慮させて頂きます」

 


「吉田さんはともなく、活発そうなマキさんはいかがですか?」

 


「わたし、ほとんど泳げません」

 


「水性初心者の方ですも、1時間も海に入れば、
 自分でも驚くほど泳げるようになりますし、ボードに乗れるようになります。
 マキさん、どうでしょう?」

 


「わたし!」

 


 体はゲンさんに向けながら、マキの目は救済を求めていた。

「マキさんはミャンマーの方ですか?」

 


「はい。
 ミャンマーのヤンゴン出身です」

 


「僕は1度、ミャンマーに行ったことがあります。
 5年前になりますが、安いチケットでタイのバンコックまで行って、そのままトランジットで、ヤンゴンまで往復しました。

 


 サーフィンが目的だったので、ネットで知り合った日本人に空港まで迎えにきてもらったそのまま車でビーチに直行しました。
 空港とサーフィンで訪れたビーチだけしか知りませんが、
 機会があればもう1度、ミャンマーに行ってみたい」

 


「ビジネスでも観光でもサーフィンでも、どんな形でもミャンマーに行かれた方にお会いできて、とても嬉しい。
 源間さんにお伺いしたいことがあるのですが?」
「この僕でよければ、なんなりと」


「わたし、サーフィンのことなんて何も知りませんが、
 ワイキキビーチで見たサーファーと外房の波に戯れる源間さんたちのお姿を見ていると、何だか違いがあるように感じました。

 


 ミャンマーのサーファーとサーファー事情について、
 それから、何というビーチに行かれたのですか?」


 
「ワイキキのサーファーと外房のサーファーの違いですか、
 難しい質問だな。

 


 僕はオアフ島北部のノースショアに居着いていたので、
 ワイキキでサーフィンした経験がありません。
 あの辺りは観光のメッカだけあって、
 いろんな国からいんろな人が押し掛けるでしょう。

 


 ミーハーといえばお叱りを受けるでしょうが、
 少々軽いイメージを持っています。


 
 ミャンマーのサーフィンとサーファー事情ですか?
 これまた難しいな。

 


 先ほども言ったように、僕は空港とビーチしか知らないし、
 ヤンゴンから車で西へ数時間走ったベンガル湾の名前も知らないような穴場のビーチでした。
 結局、近くの安宿に5泊して、毎日毎日、キラキラした太陽に照らされながら、ひたすら波と戯れる日々で乏しい予算のため自炊が基本でした。

 


 それにも飽きると、ビーチとホテルの中間点にあるローカルな店に寄って、カレーと肉とフルーツを貪りました。
 腹が空いていたせいか、何を食べても美味かった。

 


 ほんの短い滞在でしたが、今、目の前している外房の海ともハワイのノースショアとも違って、見るもの、聞くもの、何から何まで新鮮でした。



 僕らは5、6名の日本人のグループで少し離れた場所に欧米系の白人サーファー数人を見掛けましたが、ミャンマーのサーファーは見なかった。

 


 ミャンマーにもサーフィン好きな人はいるのでしょうが、
 接触はゼロでした。
 サーフショップを訪ねた時、一人、二人、地元らしき人を見かけたくらいですね。

 


 応えになっていませんが、悪しからず」

 


「貴重なご意見ありがとうございます」


 
「海を離れる別れの日にビーチでちょっとしたパーティがあって、その後、車でヤンゴンの空港まで送ってもらいました。
 ちょっぴり古めの空港ターミナルに着いて、
 バンコク経由で日本に戻ってしまうのかと名残惜しかったのを今でも覚えています」



「ちょっぴり古めと仰った国際線のターミナルですが、
 今ではすっかり綺麗になって見違えるほどです。

 


 綺麗なお店にお高いレストラン、出国審査を過ぎると、
 これまたブランド品の数々で免税で少しはお安くなっているのでしょうか、ミャンマー人からしたら、一体誰が買うの? 
 という値段になっています」
 

 

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 32

 マキの要望もあり、5月3日にレンタカーで房総半島に行くことにした。
 この日は3月末に大宮の氷川神社でお会いした柳本さんとフィアンセの吉田葵さんの結婚式が千葉市内のホテルで執り行われる予定で、前々日の1日にお祝いのメールを送り、この日に合わせて祝電を送った。



『柳本さん、葵さん、ご結婚おめでとうございます』

 


 心の中で文面と同じお祝いの言葉を述べ、
 部屋を出てマキとの待ち合わ場所の西船橋駅の改札まで急いだ。
 待ち合わせ時間の5分前に着くと、先日の高田馬場同じく、
 一足先に到着したマキがスマホに目を落としていた。



「おはようございます、お待たせして済みません」

 


「わたしもたった今着いたばかりです」

 


 薄化粧のマキが見上げた。

 


「いつもお早いですね」

 


「そんなことはありません」

 


「マキさん、デニムお似合です」

 


「ありがとうございます」


 
 マキはワンピース姿とローヒールの革靴からデニムのシャツとジーンズとスニーカーへとカジュアルな装いになっていた。



「ミャンマーでは鉄道インフラが未熟でバスがメインなので、
 日本の電車に素晴らしさにいつも感謝しています。
 地元のヤンゴンに古い日本の鉄道車両が今も走っていると言ったら驚かれるかもしれませんが、本当の話です。

 


 日本の鉄道の一番の利点は時間が正確で時間を読めることです。
 だから、いつも少し早めに部屋を出るようにしています。
 今日も特別なことは何もしていません。



 4月から千葉の大学に編入したので、
 短大時代と同じく西武新宿線で高田馬場まで行って、
 地下鉄東西線に乗り換え、西船橋で総武線に再度乗り換えるので、駅で降りたことはないのですが、勝手知ったる他人の家のようです。



 電車の中で西船橋がどんな街なのかとスマホで下調べていまいした。
 電車を降りて、プラットフォームから階段を上がり、
 初めて改札を抜けると、想っていた以上に人が多く驚いていたところ、吉田さんに声を掛けられました」



「確かに西船橋は人が多いですね。
 高田馬場とは比べものになりませんが、乗り換える人が多く、
 駅を離れ、裏通りに入ると、閑散としていて、その辺が都心との違いです。
 今日は西船場まで来て頂いて、ありがとうございます」

 


「今日はわたしの番です。
 大学は千葉市内なので、いつもの通学を思えば楽です。

 


 吉田さんが言われたように1ヶ月は様子を見ていましたが、
 アパートを出て大学のキャンパスまでの歩きを入れると2時間近くかかり、交通費もばかにならないので大学近くの千葉に住もうかと迷っています」



「僕が余計なことを言いませんでしたか?」

 


「そんなことはありません。
 吉田さんのアドバイスは貴重でした」

 


「そう言って頂いて、僕も少しほっとしました」

 


「短大卒業と大学編入に加え、引っ越しまで重なったら、
 わたし、倒れていたかもしれません」

 


「本当に驚かせないで下さい。
 僕も東京を離れ、西船橋に住んでいるのでマキさんの気持ちもわかるのですが、
 住み慣れた杉並とミャンマー人のコミュニティとバイト先の高田馬場を離れ、大学近くの千葉に移るのは悩ましい問題です。


 焦らず、じっくりと考えて結論を出してください」

 


「吉田さんとボウリングした翌日、今着ているシャツを買いました。
 あの日、吉田さんのジーンズ姿が素敵で連れ合いの取れないワンピース姿のわたしは少しブルーでした。

 


 ボウリングに誘っておきながら、
 わたし、ずっとデニムのシャツを考えていました。

 


 吉田さんとお別れして部屋に戻り、デニムのパンツは持っているので、スマホでデニムシャツを探りました。
 このままネットで買おうかと迷ったのですが、サイズと生地の触り心地を確かめたかったのと、今までネットで服を買った経験がないので、踏ん切りがつきませんでした。



 翌日の日曜日、新宿のショップで自分に似合いそうなのデニムシャツを見つけると、迷わず手に取り、大きな鏡の前に進みました。

 


 着ていたカーディガンを脱いで、手が届く棚の上に置いて、
 プラウスの上からですが、デニムのシャツを着てみました。

 


 お洒落上手な若い日本女性と違って、ファッションセンスに今一つ自信が持てないわたしは側にいた店員さんのとてもお似合いですの誉め言葉に『ありがとう』と呟いてレジに急ぎました。
 吉田さん、今日のシャツもお似合いです」


「ありがとうございます。
 今日は箪笥の肥やしなりつつあったシャツを初めて着てみました」

 


「わたしたちどこかチグハグですけど、どうにかなりますよね」
「もちろんです。
 レンタカーを予約したので、ここからオフィスまで歩きます。
 10分少々ですが、マキさん、歩くのは平気ですか?」

 


「大丈夫です。
 毎朝、アパートから駅まで歩いて慣れています」



 北口のロータリーに出て、駅まで来た道を辿るようにマキと並んで歩いた。
 改札前では弾んだ会話も駅を離れると、言葉に詰まり、
 無言のまま大通りに出て、レンタカー・オフィスの前まで来ると、急にマキが口を開いた。

 



「ミャンマーにも日本車が溢れていますが、
 車はプリウスとベンツしか知りません。
 プリウスが日本車でベンツがドイツ車、その程度の認識です。

 


 ヤンゴンの実家の父は運転免許も車も持っていません。
 わたしも免許を持っていないのでバスとタクシーは別にして、  日本で乗用車に乗ったことがありません」


 
 オフィスで規定の手続きを済ませ、店員さんと予約した白い車の前に進んで、キーを手渡された。

 


「可愛い車ですね。
 何という名前ですか?」

 


 マキが声を掛けてきた。

 


「スズキのスイフトです。
 同じくスイフトで房総の和田浦を訪れて、気に入ったので昨日予約しました」



「スイフトはミャンマーにも走っていますか?」


「残念ながら、知りません」

 


「ミャンマーには日本の中古車が多いと言いましたが、
 車音痴なわたしには全部同じに見えてしまいます。
 新しいとか古いとか、高級そうとか、そうでもないとか、
 それがわたしの判断基準で、来日してかもその癖が抜けません。
 


 ミャンマーのタクシーはほとどん日本の古い車ですが、
 日本ではピカピカの車ばかですし、タクシーかどうかの見極めが難しく、手を上げる踏ん切りがつきませんでしたが、1年くらい経ってようやく、タクシーには屋根にマークが付いていて、
 車に会社名が入っているので、区別はできるようになりました。

 


 吉田さん、今日はどうかよろしくお願いします」

 



 マキとスイフトに乗り込み、ゲンさんの家がある勝浦に向かって走った。
 下道から高速に入り、静かだったマキに独り言のように語り始めた。


「歩くのが好きで、数少ないわたしの趣味のようなものです。
 アパートから駅までに加え、高田馬場や大学のキャンパス周辺を歩いて眺めていますが、車の助手席から見える景色と若干の違いを感じます。

 


 知らない間に高速に入って、何だか別世界を走っているようで、都内の主要道路の上に</p>に支えたられた首都高を下から見上げると、それだけで怖くなります。

 


 タクシーを利用するのは友人知人との近場の相乗りですし、
 高速バスを除いて、車に乗って高速道路を走るのは初めてです。

 


 ハンドルを握っている訳でもなく、助手席に乗せてもらっているだけですが、日本の高速道路って、こうなっているんだ。
 普段歩いている道も綺麗ですが、歩行者も自転車もいませんし、高速道路は格別ですね。

 


 今、どれくらいのスピードで走っているのですか?」

 


「時速100キロです」

 


「正直、ピンときませんが、1時間走れば100キロ走るという意味でしょう。
 上から目線というか、自分が偉くなったような感覚に囚われて、ちょっとしたカルチャーショックです。



 わたし、東京から地方に行く時は安い高速バスが専門で新幹線はもっての他です。
 成田空港に行く時も成田から東京に戻る時もエアポートバスを利用せず、毎回、京成電車を利用しますし、成田からLCCに乗って日本国内を旅行するのが、今のわたしの夢です」



「マキさんはハワイに行かれましたよね」

 


「そうでした。
 あの時は成田からLCCで関空経由でした」

 


「僕もそうですよ」

 


「そうでしたね。
 LCCを使って、ハワイまで格安で連れて行ってくれた友人に感謝しないと」

 


「これから向かう勝浦のサーファーの人も、同じく成田から関空経由でハワイで知り合った、関空に近い大阪南部の出身の方なので、
 大阪出身の友人がいるマキさんと気が合うと思います」

 

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 31

 先ほどの店員が注文を取りに現れると、
 マキの生ビールの小ジョッキと小さなグラスに続いて、
 俺は中ジョッキと砂肝、つくね、鶏皮、ピーマン、玉ねぎをそれぞれ二人分頼んだ。

 


「とりあえず、以上です。
 あとから、また注文します」

 


「ありがとうございます」

 


 タブレットに注文を入力した店員が下がった。



 マキの女性ならでは横座りを見て、

 


「足を崩したらいかがですか?」

 


「ありがとうございます。
 男性の前で足を伸ばすのは端ないですが、
 正座のままでは足が持たないような気がして、好きとはいっても、畳に座るのは難しいですね。

 


 わたし、畳の臭いが好きです。
 部屋はフローリングで勉学が本業の学生だから机とベッドを置くと、狭い部屋が一杯です。

 


 板間で食事するのも味気ないので、小さな和風のテーブルを置き、 茣蓙の座布団に腰を降ろして、日々の食事しています。
 その時は人目がないので足を伸ばしていますが、
 今日はこのままにさせてください」



 生ビールと焼き鳥が運ばれると、
 マキの小ジョッキのビールと俺の中ジョッキをカチンと鳴らして、乾杯の音頭を取った。


 マキと同時に生ビールに口を付けた。

 


「美味しい。
 3月末にミャンマーの友人と花見して以来のビールです」

 


 マキはもう一度、ビールに口を付けて、ふっと息をついた。

 


「わたし、4月から千葉の大学に編入したばかりで、
 慣れまいことばかりにどこか気持ちが張り詰めていたのかもしれません。
 吉田さんと再開して、1年ぶりにボウリングを楽しんで焼き鳥屋さんに足を運んで、今日、お会いできて本当に良かった」




 マキと焼き鳥を食べながら、ビールを飲んでいろんな話をした。
 カフェでの続きで彼女の子供の頃からの夢の日本留学と、
 この4月、短大から千葉の大学に編入するまでの出来事を2時間の映画のようにぐっと濃く掻い摘まんだ話を聞いた。



「マキさん、ボウリング・フォー・コロンバインという映画をご存じですか?」

 


「わたしたちのようにボウリングをしたあとに焼き鳥屋さんに行く映画ですか?」

 


「冗談がきつないな」

 


「ネタではないんですね?」



「それならコメディーです。
 ネタではありません。

 


 ボウリング・フォー・コロンバインはアポなし取材で有名なアメリカの映画監督マイケル・ムーアが独自の手法で描いているドキュメンタリー映画でコロラド州の高校生が今日の僕たちのようにボウリングを楽しんだあとで、自分たちが通う学校を襲撃した実話に基づいたコロンバイン高校銃乱射事件を扱った作品です」

 


「そんな大変な事件があったのですね。
 わたし、日本に留学して正解でした。
 ボウリングのあとに自分が通う高校を襲撃することなく、
 焼き鳥屋さんで楽しい一時を過ごせるのですから」



「今から20年近く前の事件ですから、ご存じないのも無理はありません。
 アメリカでは銃の乱射なんて日常茶飯事でしょうが、
 舞台が高校だったのと、映画で注目度が上がったのでしょう。

 


 日本に住んでいるので、その辺の感覚は正直わかりません。
 僕も実際に映画館ではなくて、TV放映を観て事件を知ったくらいです」



「20年近く前ならわたしが生まれた前後の事件ですね。
 1月にハワイに行ったとはいえ、ミャンマーに住んでいた当時のわたしにとってのアメリカは日本以上に遠い、未知の国でしたから、わたしが知らなくても当然かもしれません。

 


 軍が国や情報を統治するミャンマーでもアメリカの映画や娯楽は入らなくもないんです。


 政治的なメッセージの強い映画がミャンマーで公開されたかどうかはともかく、今はネットの時代ですから、ミャンマーでも興味がある人は目にしていると思います。

 


 娯楽が少ないミャンマーにも映画館くらいはありますが、
 地元のヤンゴンには入場するのも憚れるようなローカルな映画館だけでなく、日本にあるようなショッピングモールに付随する小綺麗なシネコンもあるにはあるのですが、わたしは自分から進んで映画に行こうとは思わないタイプでした。

 


 日本映画に限らず、アメリカ映画に限らず、映画をほとんど観ないわたしは活字派です。


 
 そんなわたしにも子供の頃はアニメや漫画で日本に興味を持ったようにポップカルチャーで溢れる日本では誘惑も多く、映像に触れなくもありません。

 


 日本の小説を原作にした映画を観たいですね。
 TVで放映された、太宰治のヴィヨンの妻を観ましたが、
 三島由紀夫の潮騒や川端康成の伊豆の踊子も観てみたいのですが、小説と映画は別物でしょうし、わたしにはどうにも小説のイメージがどうにも強くて」



「マキさんは勉強家ですね。
 僕なんて文芸作品の映画化なんてほとんど観たことがありません。
 映画館で眠ってしまいそうで、そもそも足が向きません。

 


 金城武が好きで日本でも人気の三国志を描いたレッドクリフをTVで観ようものなら、案の定、30分も絶えられなくて、チャンネルを変えました。

 


 ゴールデンウィークに活字や映画もいいでしょうが、
 少し足を伸ばしてみませんか?」

 


「そうですね。
 今住んでいる東京はもちろん好きですが、
 先程も言った、自然溢れる房総半島に行ってみたい」

 

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  30

 エレベーターで地上に降りると、ビックボックス前に向かう途中、 難を逃れて、マキの足元に非難し、身の安全を確認するや否や走り去った猫と瓜二つの白い猫がどこからかやって来て立ち止まり、マキの顔を覗くように首をもたげた。



「吉田さんは犬派ですか? 猫派ですか?」

 


「今住んでいるマンションは賃貸でそもそも動物は飼えませんが、どちらかといえば、犬派です。
 今年になって偶然知り合った房総の二人の方のお宅にお邪魔すると、申し合わせたように番犬がいて、
 案の定、怪しい余所者でしかない僕は吠え立てられました。

 

 

犬も家族の一員で、犬が家を守っているという場面に出会え、

子供時代、広島の実家で雑種犬を飼っていたのを思い出して、懐かしかった」


「わたしは猫派かな。
 犬より猫が好きなんですが、ヤンゴンの実家でも東京のアパートでも猫を飼ったことはありません。

 


 ハワイに同行した短大時代の友人に誘われ、
 東京の猫カフェで子猫を触っている時は良かったのですが、
 彼女と別れ、部屋に戻り、シャワーを浴びようと服を脱ぐと、手から腕、肩に掛けて赤い小さな湿疹をところどころに発見しました。

 


 母に似てわたしも猫アレルギーのようです。
 猫を飼うことはできなくても、人知れず、猫の動画を観ています。
 見知らぬ猫の何気ない日常が東京で一人暮らしのわたしの心を癒やしてくれます。



 わたしの密かな猫好きが伝わってか、今日のようにわたしの周りに野良猫が近寄ってくることがあります。
 日本の猫は安全ですけど、ミャンマーでこのような猫に手を出したら危険です。

 


 狂犬病を持っていたら、大変な目に遭います。
 ミャンマーでは犬だけでなく、猫も危険です。

 


 日本では野良犬を見かけませんが、
 ミャンマーには野良犬が掃いて捨てるほどいますから、
 吉田さん、ミャンマーに行かれる際はお気を付けください」
                      

 タイとベトナムを訪れた時にそのような話を聞いた覚えがある。
 東南アジアで怖いのは野良犬と水と蚊とバイクだと。

 


 日本でも昭和の時代、50年ほど前まで街に野良犬が溢れていたそうで、保健所の皆さんのご苦労でゼロとはいわないまでも、
 街中で野犬に遭遇することが少なくなった。



「少し早いんですけど、この近くで食事でもしませんか?」

 


 このまま別れるのが惜しくてマキに声を掛けると、
 左腕に巻いた時計に彼女は目を落とした。



「吉田さんはいつもは何時頃に晩ご飯をお食べになりますか?」

 


「平日は仕事終わりの7時から8時です。
 2年前の引っ越した直後はほとんど都心で食べていましたが、
 ここ最近は西船橋に戻って、駅周辺での外食や部屋で食べることもしばしばです。

 


 休日は自宅でなるべく食べて、夜はのんびり過ごすようにしています。
 晩ご飯のあとはお菓子を含めて、夜食も食べない主義なので、
 体は正直で朝になるとお腹が鳴ります」

 


「高田馬場で晩ご飯にしますか?」

 


 俺が頷くと、

 


「わたし、短大時代からお昼は学食で済ませています。
 週に3日は高田馬場のミャンマー料理店でウェイトレスしているので賄いがあって、それ以外はほぼ部屋で自炊です。
 吉田さん、何か食べたいものはありますか?」

 


「僕はミャンマー料理を一度も食べたことがありません。
 一言で言って、ミャンマー料理はどんな特徴があるのですか?」



「わたしも、来日するまで日本料理を食べたことがありませんでした。
 日本に憧れ、日本語を学び、日本への留学が決定してからも日本料理は考えたこともありません。

 


 わたしの地元のヤンゴンには少なからずの日本料理店がありますが、日本のビジネスマンが対象で現地のミャンマー人にとって敷居が高いの実情です。

 


 バイトしているわたしが言うのも何ですが、
 東京のミャンマー料理店はそれほど高くありません。
 日本の若い人にもっと気楽にお店に来ていただきたいのですが、ミャンマー料理を食べたことがない日本の方が大半です。



 吉田さんが言われたようにミャンマー料理といっても、
 日本人にはイメージが湧かないようで、わたしが務めるお店もミャンマー人のお客さんがメインです。



 ミャンマーが東南アジアにあることはご存じでも、
 アウンサンスーチーの名前は知っていても、
 実際にミャンマーに行ったことがある日本の方は少数ですし、  知名度や関心は隣のタイとは雲泥の差です。

 


 日本に増えてきたベトナム人、ベトナム料理と比べても、ミャンマーはマイナーです。



 話をミャンマー料理に戻しますと、
 ミャンマーの主食は日本と同じくお米です。
 隣国のタイに代表される長いお米もありますが、
 ミャンマーには米は日本と同じく短いお米もあります。

 


 ヤンゴンの実家で短いお米を食べ慣れていたので、
 来日してからも、それほど違和感はありません。
 長いお米は苦手です」

 


「そういえば、これまで定説となっていた日本に稲作が入ったきた経緯が寒い朝鮮半島経由でなく、暖かくてお米が多く採れる、
 ミャンマー、タイ、ベトナムもしくは中国の沿岸部から日本に伝わったのではないかと、言われるようになっています」



「そう言ってもらえると嬉しい。
 ミャンマーでは白いご飯も食べますし、カレーのルーのようなものを掛けたり、日本風の混ぜご飯も食べます。

 


 カレーもあれば、肉も魚も食べますし、野菜も食べます。
 わたしはベジタリアンではありませんが、ベジタリアンもそれなりくに多く、仏教徒向け以外の料理もあります。

 


 日本人にイメージしやすいように言うと、
 一見、インド風な料理でありながら、スパイスを控えめにした、それほど辛くないのがミャンマー料理です。
 吉田さん、晩ご飯は何がいいですか?」

 


 マキが大きな黒褐色の眼を見開いた。
 俺が黙っているのを見越して、
「わたしはほぼ毎日、ミャンマー料理を食べているので、

 


 できれば、居酒屋さんみたいな所に行きたいな」

 


「そうですね。
 ミャンマー料理はまた別の機会ということにして、
 今日は居酒屋に行きましょう」



 ロータリーの人出はより多くなり、これから街に繰り出す人々の活気に満ちていた。
 ロータリーから高田馬場のガード下を潜り、マキとチェーン店の居酒屋に入った。

 


 開店したばかりの5時過ぎで、いつもは賑わうはずのお店も客の姿は疎らで、マキと二人、座席に通された。

 


 マキはワンピースの裾を右手に取って、革靴を脱いだ。
 衝立の前の席で、俺とマキは向かい合って畳に腰を降ろすと、
 早速、座席を勧めてくれた若い男の店員がおしぼりを持ってやって来た。

 


「ご注文がお決まりになったらお呼びください」



 店員が下がるを確認し、マキが俺の目を覗いて、口を開いた。
「わたし、日本に来てビールの味を覚えました。
 ミャンマーでは多くの国民は仏教徒ですが、
 女性がアルコールを嗜むのを忌み嫌う風習が残っています。

 


 わたしの家族もその例外ではなく、日本を学び、
 日本留学を許してくれた、文化的な面では心が広いはずの両親も、父はともかく、母は女性がアルコールを口にするのを絶対に許しません。



 日本でビールの味を知ったわたしも実家に戻ると、
 以前の実家暮らしのわたしに戻っています。

 


 日本でビールを覚えたとは言っても、
 生ビールを小さなグラスに注いでもらっても、
 全部飲み切れない時が多いですね。
 残すともったいないので、連れの人に飲んでもらうのですが、
 吉田さんにそれをお願いして宜しいですか?」


 俺は黙って頷いた。

 


 マキは恥ずかしそうに下を向いた。

 


「それでは、生ビールの小ジョッキをお願いします」

 


「マキさん、焼き鳥はどうしますか?」

 


「そうですね」

 


 マキは焦らすようにそう言うと、おしぼりを両手を拭きながら、
 

 

「わたし、おしぼりが大好きです。
 日本ではおしぼりで顔を拭いている人がいますよね。

 


 さすがに、女性は化粧が崩れてしまうので、
 男の人、特におじさん、サラリーマンの方の独壇場ですが。
 一度、わたしもおしぼりで顔を拭きたいと思ってはいます」



 マキはおしぼりに加えて、焼き鳥が好みだと言う。

 


 居酒屋の雰囲気も好きなようで、
 先述の猫カフェとハワイにマキと誘った友人と東京での別れの席で、いつもなら短大からも近い高田馬場で済ませるところ、 
 わざわざ渋谷まで足を伸ばし、友人が一度行って気に好きになった博多風の居酒屋さんに入ったところ、鳥ではない豚もピーマンも玉ねぎも、竹に刺して焼いたものすべてを焼き鳥と呼び事に衝撃を受けたという。



「焼きおにぎりに竹を刺せば、それも焼き鳥なのかしら」

 


 友人のジョークが的を得ていて、今もマキの心に残っていると言う。

 

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 29

「わたし、吉田さんに言われた房総半島に行きたくなりました。
 行ったことがなくても、海しかないのは知っていますが、 
 何かと忙しい東京に2年間住んでいると、
 どこか日本人化したようで大都会の暮らしに慣れてしまって、
 ハワイ観光ではないですが、海風に浸り、波音を聴き、
 ぼーっと過ごすのが贅沢かなって想うようになりました」



「確かに房総半島には海しかありません。
 僕もそれほど詳しくなくて恐縮ですが、
 房総の中央部にそれほど高くはない山があるとはいえ、
 海に囲まれた半島といって過言ではないでしょう。

 


 ハワイと同じくサーフィンのメッカでもあり、
 つい先日、和田浦で知り合いになった方は地元で代々漁師を営まれています。
 それから鯨で有名です」


「和田浦と言われましたか?」


 俺は頷いた。

 


「ハワイと房総半島の和田浦が鯨で結ばれているということですね」

 


「その通りです」



「話は変わりますが、今からボウリングに行きませんか?」

 


「ボウリングですか!」

 


「2年前、短大の入学祝いに知り合いになったミャンマー人数名に誘われ、今日、待ち合わせたビックボックスで生まれて初めてボウリングを経験しました。


 
 ヤンゴンにもボウリング場はありますが、
 実際に見たことがなく、怖い物見たさに彼らに同行すると、
 ビックボックスのエレベーターに充満するほど不安を抱えながら、 わずかな時間が数分にも感じるほど長く、ようやくボウリング場があるフロアに辿り着きました。

 


 緊張感に満ちた空間から誰より早くこの場を立ち去ればいいものを、お節介なわたしは薄いオレンジ色に変色したパネル表示を見ながら、開くマークを押え、愛想笑いさえ浮かべながら、最後にエレベーターを出ました。


 わたしを待っていてくれた知人の言葉に促されるように歓声やボールやピンの音が木霊するレーンに足を進めると、
 生まれて初めて見るボウリング場は想像していたスポーツゲームというより、誰でも気楽に楽しめる娯楽施設のようで、それまで張りつめていた肩の力がぐっとやわらいでいくのが自分自身で感じられたのです。

 


 シューズを借り、右足、左足の順で足を入れ、靴紐を結び、カラフルなビニール製の椅子に腰を降ろして、辺りを見回しました。



 男女二人ずつのグループでレディファーストを拒否して、
 ミャンマー式のジャンケンで、わたしの順番は最後になりました。
 心臓が高鳴り、自分でも音が聴こえるほどで、わたしは大きく息をつきました。

 


 今更、引き返すこともできず、知人や周りのレーンの日本人の投げ方を参考に見よう見まねで黒く重いボールを抱えました。
 深呼吸して、心を落ち着け、2、3歩、足を踏み出してボールを投げてみたのですが、ボールはピンに向かって真っ直ぐ転がることなく、案の定、ガターでした」


『溝掃除お上手ですね』

 


 日本語でジョークを飛ばす、ミャンマー人の知人男性にカチンときて、睨みました。
  これでも負けず嫌いで、子供の頃から学校のテストで人に負けると、次はやり返してやるというようなわたしの性格は日本に来ても変わっていませんでした。

 


 また、わたしの番が来ました。
 前の失敗を取り返そうと、ムキになっても、足元がもつれて、
 次の投球もガター。
 その次ぎもガターで、わたしの心は沈んだままでした。

 


 考えてみれば、日本ほどスポーツが盛んでないミャンマーで、
 並の運動神経でインドア派のわたしが初めてのボウリングで上手くピンを倒せるはずがありません。


 
 開き直って、黒いボールから少しは軽い赤いボールに持ち替えました。
 両手でボールを胸元まで持ち上げ、わたしの右の手元から放たれた赤いボールはゆっくりとレーンの中央を転がり、やや右に逸れてピンに命中して、5本のピンが倒れました。
 

 ゲームが終了すると、わたしの得点は32点。
 次のゲームが37点で、その次のゲームが43点でした。


 3ゲームを通して、ストライクは取れず、スペアも取れず、
 目標としていた50点越はならず、一番多くのピンを倒したのが7本でした。
 次の機会があればと、わたしは心に秘めて、その場を去りました」



 マキのお気に入りのカフェから路地のような細道を歩いていると、停まっていたワゴン車の死角から猫が飛び出し、
 もう少しでスクーターには撥ねられるところだった。

 


 命拾いした白い猫はマキの足元で一瞬、伸びをして、
 何事もなかったように突っ走った。
 マキは正面を向いて猫の後ろ姿に魅入っていたが、視界から消えると、黙って歩き出した。


 待ち合わせたビックボックスのエレベターの中でマキと二人だけの時間と空間を味わった。
 先ほど語ったように彼女が開きボタンを押して、俺は一足先にボウリング場のフロアに足を踏み出した。

 


 来日以来、マキは年に1度のペースでここを訪れて今日で3度目になるが、俺は10年以上のブランクがある。
 最後にボーリングをしたのは高校時代で当時の様子を思い出すことできなかった。


 二人でフロントに進むと、

 


「今日は土曜日ということで30分程度お待ちいただきますが、
 それでもよろしいですか?」

 


 グレーの制服姿の若い女性から丁寧な説明があった。

 


 一瞬、マキはたじろいで、大きな眼を見開いて顔を向けた。
「それでも構いませんか?」

 


 マキの無言のまま問い掛けに、俺が小さく頷くと、

 


「はい、結構です」

 


「マイクで番号をお呼びしますから、
 この付近のフロアでお待ちになって下さい」

 


 女性から黒字で32番と記されたカードが手渡されると、
 マキは辺りを見渡し、無人の緑のシートに目を遣った。

 


「あそこで待つのはどうかしら?」

 


 俺が黙って頷くの見て、

 


「その前にお手洗いに行かせて下さい」



 マキが席を外している間、
 俺は一人で見知らぬ人々がボウリングに興じる様子を見ていた。 小学生の子供から還暦過ぎの男女まで、ストライクでポーズを決めて声を上げ、仲間の祝福を受けた。
 ガターをすれば恥ずかしげに下を向き、取って当然のスペアを外そうものなら、それ以上に悔しがった。


 
「お待たせしました、遅くなって済みません」

 


 そう言ってマキが頭を下げた瞬間、

 


「32番でお待ちのお客様、ご用意ができましたので、
 フロントまでお出でになって下さい」

 


 30分程度の時間が大幅に短縮され、マキにカードを渡した女性の声が響いた。



 フロントから指定されたレーンに足を運ぶ前にシューズを借りた。
 マキはピンクのボールに合わせ、ピンクのシューズを選び、
 ライトブラウンのローヒールの革靴から履き替えているのを横目に俺は黒いスニーカーから黒いシューズに足を突っ込み、ビニールシートに腰を降ろした。


 
「わたしからボウリングに誘っておきながらですが、
 ボウリングをするなら、わたしも吉田さんのジーンズに合わせ、 もっとカジュアルなファッショにすべきでした」

 


 そう言って、長身で細身なマキは下を向いた。



 まずはマキに順番を譲ると、1年ぶりに投げた、彼女の体力、
 筋力からすれば当然のようにピンクのボールは右のレーンからカーブなのか自然の曲がりなのか、ボールはすぐにスピードを失い、上手い具合にピンの手前でやや左に曲がり、真ん中の一番ピンから少し右にずれて当たった。

 


 ボウリング場に響き渡るような抜けるような快音というよりは、ぐしゃっという鈍い音を立てながらピンクのボールが視界から消えると、上手い具合に白い10本のピンが弾けた。
 マキは生まれて初めて、ストライクを取った。



 マキは振り向くなり、右の拳をグーの字にして勝ち誇ったような表情で笑みを浮かべ、若かりし頃のスーチー女史に似た、
 まるでミャンマーのプリンセスになったようで満更でもなそうな雰囲気に満ちていたのある。


 俺が手を叩いて出迎えると、

 


「ありがとうございます。
 吉田さんも、続いてください」

 


 マキはワンピースの裾を右手で押さえ、無機質なビニールシートに腰を降ろした。



 彼女の声援を受け、俺は重い腰を上げた。

 


 黒いボールを手に取るとずしりと足元まで響き、
 もっと軽いボールにすればよかったのも後の祭りで、
 長いプランクはどうにも隠せず、映像で確認するまでもなく、
 どうにもぎこちないバラバラのフォームでボールを投げた。

 


 黒いボールはゆっくり転げながらも溝掃除することなく、
 一番ピンを外しながら、7本倒れた。


 
 若干下を向いて、ツートーンのシートに戻ると、マキは軽く両手を叩きながら、

 


「3本残りましたね」

 


 そう言って、スコアシートに鉛筆を走らせた。

 


「綺麗なスペアをお願いします」



 シートの横のトンネルから黒いボールが戻って来た。
 そのままボールを摘まみレーンに立つと、残った3本に意識を集中した。

 


 フォームに構うことなく、右手から放たれたボールは宙に浮き、ドスンと鈍い音を立て、足元1メートル先に着地した。
 そのまま綺麗な回転で真っ直ぐに転がり、1番ピンに当たり、
 上手い具合に3本倒れて、スペアが取れた。



 笑顔を隠し、俯き加減にシートに戻ると、マキは両手を叩いてくれた。

 


「ナイス! スペア。
 さすが、吉田さんです。
 高校生以来のボウリングでも、しっかり結果を出しますね」

 


 マキが備え付けの鉛筆を持って、シートに走らせた。

 


「わたしをからかったミャンマー人の男性にスコアの書き方を教わりました。
 今年の春、大学卒業後に帰国しました数日前に届いた彼のメールには地元にボウリング場がなく、少し腕が落ちていると嘆いているそうです」



 こうして、マキと10年ぶりのボウリングを楽しんだ。
 マキは3ゲームで1ゲームに1度ずつ、都合3度ストライクを出した。

 


 日本から遠く離れた異国で決して恵まれたとはいえない環境でコツコツと日本語を学び、日本留学のチャンスを掴んだ彼女の性格を現してか、尻上がりにスコアもよくなった。
 対照的に俺のほうは2ゲーム目でストライクを2度取った切りで、ゲームもマキに勝つには買ったものの、調子の波が大きかった。


 
 マキ 82
 俺  78
 マキ 86
 俺  98
 マキ 92
 俺  83



 結果は以上で二人とも百の大台を突破することなく3ゲームのトータルでは彼女の2勝1敗の勝利である。

 

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 28

「ゴールデンウィークはどう過ごされますか?」

 


「これと言って予定はありません。
 実家は広島ですが、この時期に帰省したことがありませんし、
 部屋で録りためた映画でも観ようかと思っています。
 マキさんはゴールデンウィークにミャンマーに帰省されるのですか?」

 


「帰省したいのはやまやまですが、この時期はチケットが高く、
 わたしには高値の花です。
 代わって、本を読んで過ごします。

 


 お盆休み、正月休みと並んで、ゴールデンウィークは日本で働いている皆さんにとって貴重なお休みですからチケットが高いのは仕方ありません。

 ミャンマーへの帰省はお盆過ぎまで待つしかありません」

 


「お盆は亡くなった先祖があの世から帰ってくるという言い伝えたあるのですが、海外から日本に来られている方も何かとご苦労があるのですね」

 


「ご先祖様ですね。
 季節は異なりますが、ミャンマーにもお盆と同じような儀式があります。
 大宮の氷川神社を話題にされましたが、ミャンマーは仏教国です。

 


 仏教国とはいっても、ミャンマーは日本と同じく多宗教です。
 国民の9割が仏教徒といわれていますが、
 キリスト、イスラム、ヒンドゥーなどの宗教を信仰する人も少なくありませんし、地元のヤンゴンに限ったことかもしれませんが、これらの宗教施設を容易く目にすることができます。

 


 わたし自身は仏教徒ですが、正直に言って、それほど熱心な信徒とは言えません。
 その点、多くの日本人の方と共通点があって、
 日本の神社をお参りするのに抵抗はありませんし、すんなりと受け入れることができました」

 


「僕も仏教徒といえば仏教徒ですが、あなた同様に熱心ではありません。
 宗教に詳しくないのですが、日本には海の神様、学問の神様、
 商いの神様、戦の神様とか多くの神様が存在します。

 

 
 その元になっているのが日本固有の神道に由来している気がしてなりません。


 
 神道についての起源や歴史も、
 インド発祥である仏教が日本に入ってきた経緯も詳しくありませんが、江戸時代まで神道と仏教がそれなりに両立していたところに明治政府が介入して今に至っているようで、今日でも、お寺の中に鳥居が残っているとこも少なからずあるようです。

 


 現代の日本では葬式仏教といわれるように葬儀の時だけ、
 お坊さんを呼び、仏式で葬儀を行うことが多く、
 いわゆる神さん、神道式に葬儀を行う家庭もあれば、キリスト教もあるでしょう。

 


 それほど、人の死には人生の最大のテーマです。
 江戸時代に始まったのでしょうか、檀家制度の継続も困難になっています。



 少子高齢化でそれまで墓を守ってきた墓守の存在が危うくなって、檀家の問題はそれまで保ってきた日本人のメンタリーに多大な影響を与えなくはない。

 


 東京に出て来て驚いたのですが、
 関東の初詣は神社とは別に成田山新勝寺とか浅草の浅草寺とか、お寺にも参拝することですね。

 


 僕の地元の広島でも初詣で寺に参る地域があるようですが、
 僕の家では初詣は神社と決まっていたので、少なからずショックを受けました」



「勉強になりました。
 神社とお寺にそのような経緯があったのですね。
 わたし、明治神宮にも浅草寺にも初詣に参ったことがありますが、日本ではお寺と神社が上手い具合にミックスされて、
 特別、不思議に感じたことはありません。

 


 ミャンマー人で仏教徒のわたしはともかく、
 特に西洋のキリスト教徒はお寺と神社の区別がつかない方が多いようですね」

 


「日本人にもそのような人はいます。
 テレビかネットで拝見しましたが、
 ミャンマーの仏さんのお顔はどこかインドっぽくないですか?」

 


「そうですか?」

 


 それまで畏まっていたマキが表情を崩した。

 


「日本の仏さんも、その昔はインドっぽいお顔をしていたと、
 どこかの学者が言っていた気がするんですが」

 


「仏さまのお顔一つとっても、奥が深いんですね」


 
「一つ、聞きにくいことを伺ってもよろしいですか?」

 


「はい、何なりと」

 


 マキは頷いた。

 


「ロヒンギャについてです。
 恥ずかしい話ですが、ここ数年、ロヒンギャ問題が報道されるまで、ロヒンギャの存在すら知りませんでした。

 


 最初は日本から遠く離れた国の話で他人事というか今更感というか、民族、宗教の違いから起こる差別でしょうと。
 TVニュースやネット記事を受け流していましたが、
 難民になったり、バングラデシュに送り返されたりと、
 状況は悪化しつつあるようで、
 当事者のミャンマーの方にとっては如何なものですか?」



「何なりと言っておきながら、
 吉田さん、応えにくい所を突いてこられますね。
 とはいえ、ここではわたしなりの見解を述べさせていただきます。

 


 わたしはミャンマーでは半数以上を占めるビルマ族の一人です。 

 ミャンマーには百を越える民族が存在しますが、
 先ほどの宗教同様に言語も肌の色も多種多様です。
 ミャンマーで生まれ育ったわたしでさえも、そのすべてを申し上げることはできませんが、ロヒンギャはその中でも特別というか、一筋縄ではいかない民族です。



 ロヒンギャの人は我々多くのミャンマー人とは違い、
 インド系というかバングラデシュ系というのか、民族そのものが他のミャンマー人とは違っていますし、イスラム教徒です。

 


 ミャンマーにはロヒンギャ以外にもイスラム教徒はいますし、
 それだけなら、ミャンマーにとってロヒンギャを受け入れることは可能なのかもしれませんが、より複雑にさせているのが、
 イギリスがミャンマーを、以前のビルマを植民地化する課程で、かつてのインド、今のバングラデシュ周辺からロヒンギャを移住させたことです。

 


 ロヒンギャがいつからミャンマーに棲み着いているのか、
 はっきりとした事は不明ですが、ビルマを混乱させ、分断するためにイギリスがロヒンギャを利用したというのが定説になっています。


 わたし、特別なイギリス嫌いではないのですが、
 日本ではいざ知らず、諸悪の根源はイギリスだという説があるようにロヒンギャ問題に限らず、パレスチナ、シリアと世界を不安定させる要因にイギリスが深く絡んでいると想います。

 


 ロヒンギャの問題は軍でも、民主化の象徴として祀り上げられたスーチー女史でも、ミャンマーが解決するのは困難です。
 スーチーさん自身、イギリスと深く関わりのある人で、
 亡くなったご主人はイギリスの方ですし、二人いる息子さんはイギリス国籍のようです。


 
 詳しい事情はともかく、ミャンマー人に今も慕われるアウンサン将軍の忘れ形見のお嬢さん然としたイギリスかぶれのスーチー女史が、わたしはどうにも鼻についてしょうがないんです。
 軍が一方的に悪くて、スーチーさんやその取り巻きが正義の味方だという報道には少なからず疑問を持っています」



「ロヒンギャとは直接関係ありませんが、
 スーチーさんが着られている民族衣装は素敵ですね」

 


「それが先程申し上げた、わたしも愛用していたロンジーです」

 


「そうなのですね。
 僕はミャンマーに行ったことがありませんし、
 特別、ミャンマーが好きだとか興味がある訳でなく、
 ミャンマーの歴史も事情にも疎い日本人です。
 だからこそ、客観的に見える部分はあると思います。

 


 軍が悪で、スーチーさんが正義だという常識に疑問符が付くとすれば、それはまるでプロレスですね」

 


「プロレスですか!
 プロレスって、大きな男の人が四角いリングに上がって、殴ったり蹴ったりする競技でしょう。
 わたし、プロレスも、格闘技も、ほとんど知識も興味もありませんし、隣国タイのムエタイも何が面白いのさっぱりわかりません」



「ムエタイについての知識はありませんが、
 プロレスは競技というより、一種のエンターテイメントです。

 


 悪がヒール、正義がベビーフェイスと予め役割が台本が決まっていて、それをプロレスラーが演じ、ファン、観客と一体になって会場を盛り上げます。

 


 昨今では男子だけでなく、女子プロレスも人気を博しています。
 女の人がボクシングやムエタイやキックボクシングをするのと同じです」



「女の人が、プロレスやボクシングをするって本当ですか?」

 


「本当です」

 


「サーフィンする女性以上の驚きです。  
 本当に女性もプロレスのリングに上がるのですか?」

 


「本場のアメリカでは日本以上に女子プロレスが盛んです。
 アメリカに限らず、男女を問わず、プロレスはエンタメというより演劇の要素が強い。
 アメリカのプロレスを真似た日本では歌舞伎や映画のようにプロレスも興行だと言われる所以です。

 


 色物なのでしょうが、一部に男女混合のプロレスもありますし、アメリカでは男性プロレスに女性レスラーがマネージャー役で登場したりと賑やかですし、追って日本もそうなるかもしれません。



 ミャンマーに話を戻すと、ミャンマーの政治も裏で誰かが糸を引き、台本を書き、軍とスーチー派に分かれ、ミャンマー国民と言う名の観客や世界に向かって演じている、発信し続けている。
 そう俯瞰してみると、以外に解決策が見つかるのかもしれません」



「わたし、さほど政治に関心はありませんが、
 軍もスーチー女史もお互いに意地を張り合って、
 がんじがらめで身動きがとれない状態です。

 


 それでも少しは動かないと、せめて動いているふりでもしないと、人権にうるさいヨーロッパやアメリカからの経済制裁は続きます。

 


 事の張本人であるはずのイギリス政府やBBCをはじめとするマスコミも、自分たちのやった過去を棚に上げ、どの口がミャンマーを非難するのかと。

 


 わたしに限らず、多くのミャンマー国民の心情を逆なでしているのが現状です。

 


 その点、日本はいいですね。
 日本政府も民間もロヒンギャを政治問題化にしません。
 ミャンマーを非難もしません。
 わたしが日本に惹かれた一因があるかもしれません。
 ロヒンギャで煮詰まってしまったので話題を変えていいですか?」

 


 俺は黙って頷いた。

 

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