ブログNO.105 明けましておめでとうございます。 | うっちゃん先生の「古代史はおもろいで」

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ブログNO.105

 

明けましておめでとうございます。

 

 

本年の皆様のご多幸とご健勝を祈ります。

 

昨年はいろいろお世話になり、有難うございます。

お陰様でいろいろ新しい発見をすることができました。

 

 その最も大きな発見はやはり天智天皇にまつわる古代史の事実を探ることができたことだと思います。九州にこの天皇に関する伝承はかなりあることは知られていました。が、新しく精査した結果、本当の天智天皇は太宰府に都していて鹿児島の薩摩半島南端で亡くなったことが地元の証言から判明しました。『日本書紀』は本当の天智天皇の諡号をパクって中大兄に付け替えていた、と判断できました。指宿市や南九州市など関係市町にはお伝えしておきました。また御陵探しに取り掛かりたいと思っています。

 

 

 それと、1300余年の長きにわたって発見されていなかった古代山城・長門城が見つかったことです。当時の都は大和・飛鳥周辺にあったという『日本書紀』のうそに惑わされ、皆さん、あらぬ方角ばかり探していたようです。消去法だと100%間違いない、と考えますが、山口県に確認の発掘調査をお願いしています。すごい石塁がそうとわからず眠っていました。読者の方々には近い時期にご報告します。

 

 

 それと小生は深く関係したわけではありませんが、大分県の臼杵石仏群が通説より200年以上前の6世紀前半から造像が始まっていたこと分かりましたよね。すごいニュースでした。

 

 当ブログでも発見に関わった経緯について、東京・多元の会の角田さんの報告を掲載しておきましたから、ぜひご覧ください。

 小生の思いとしては、1985年ごろ雲崗、太原、龍門など中国各地の石窟寺院をめぐって以来の疑問、疑惑がすっきり晴れたという思いです。やっぱり地元の言い伝えが正しく、ちゃんと九州年号が刻まれていたんですね。

 

本年もぼちぼちですが、真実の古代史発掘に努めたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 

 

平成が変わる年2019年   正月 

 

 

ブログ主宰者 内倉武久