淡路島の二つの素掘り隧道 | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<長澤の手掘りトンネルと薄木隧道>

淡路島淡路市には、隧道ファンがよく訪れる素掘り隧道が2ヶ所ある。一つは地形図にも記載されている長澤地区の通称「長澤の手掘りトンネル」(以後「長澤隧道」と称する)。

 

もう一つの中田地区の隧道は私道故、通称もなく、ネットでは「中田隧道」等と称されているが、開削者兼、利用者名を取り、「薄木隧道」と呼称したい。

両方共明治期に造られた手掘りトンネルで、現代の車は通行困難。後者は昭和中期頃、360CCの軽四が通れる位に内部を拡幅したが、素掘りの雰囲気は変わっていない。現在は別の道路ができているため、この薄木隧道を通る車はない。

前回の西濱神社からは県道468号と467号を経由して、まず薄木隧道へ向かったが、途中で道を間違えてしまった。淡路島は元々離島であったため、山手に来ると間違い易い分岐もある。

 

 

高速を抜けて1キロほど北東に進んだ所の、水原池北東角の三差路の路肩に駐車する。「県道」と記された道標に従い、左手に廃屋を過ぎるとすぐ薄木隧道が現れる。

竹藪の細い尾根を貫くこの隧道は、入口上から竹藪の地面が滑り落ちてきそうな状態で、趣がある。少し入った右壁面に「44 2 10」と浮き彫りされていることから、明治44年2月10日に竣工したのではなかろうか。或いは昭和44年2月10日に拡幅したのか。

探訪した時は戦前生まれ(と思われる)の薄木氏が不在で、奥方やお孫さん(子息かも)しかいなかったため、詳細は分からなかった。

 

 

壁面に長く続く複数の茶色い線も地層なのか、開削時の跡なのか不明。懐中電灯がなくても歩けるので、全長は30m以下か。

隧道を抜け出た左手上にも池があり、反対側は薄木氏の広々とした田畑が広がっている。

昭和期、薄木氏の父は収穫した野菜等を、当方の父が昭和47年まで乗っていたボンネット型の三菱の軽トラのような車にでも積んで、薄木隧道を通って出荷していたのだろうか。

帰路、隧道の出口を振り返ると、入口とは全く違った様相。天井部と側壁がまるで巨大古墳のような形状になっている。今まで見てきた廃線跡を除く素掘り隧道の中では、一番景観がいい。

 

入口近くまで戻ってくると、往路時とは違い、歪な形をした入口のように見える。角度の違いによる目の錯覚とは思うが、こういうのも面白い。

 

車に戻ると、この県道467号をそのまま北東に走り、県道88号に出ると一旦西に折れた後、すぐ北に折れ、県道66号を横断し、県道464号に出ると左折する。

また高速を抜けて1キロほど北上すると、右手に広めの道路が分岐するので、これに右折する。この道は樹林帯に入ると路面が悪くなり、離合できない幅員になるが、対向車と出会う確率は高いと思っていた方が良い。

 

 

東山寺への道との分岐は、そのまま北に直進する。県道463号に上がると一旦右折した後、100数十メートル南下して左折するが、ここには道標がない。公道とは思えないような急坂である。

この市道は駐車場所に困るが、目指す手掘りトンネルと、’90年代末頃まで素掘り隧道があった道への上り口との中間辺りの路肩に駐車した。

この頃は農閑期だったから駐車できたが、そうでない場合は、橋詰川に架かる私道の橋(脇道)の袂を右後方に折り返した所の墓の前にでも駐車するしかない。但し、そこも私道と私有地。この道の終点の家屋が空き家故、短時間ならばいいだろう。

 

 

ここに来た時点で既に日没になっていたため、先に長澤隧道に向かう。前述の右下に墓のある地のすぐ先にK字路があるが、前方右に分かれるコンクリート道が長澤隧道に向かう道。

この道もかつては360CCの軽四がぎりぎり通れたかも知れないが、今は隧道から南のこの道は枯れ木や藪があるため、オフロードバイク位しか通れない。隧道は1分ほどで現れる。

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東西に細く伸びた尾根を隧道は南北に貫いている。見た目には歩道の隧道のように思えるが、現在の市道ができるまでは皆、この明治初期にできた隧道を通っていた。長さは薄木隧道より短い。

 

出口付近はコンクリートで固められている。そのせいか、一時期通行禁止になっていた。こちらも抜け出た先は田畑。

 

次は元来た道を徒歩で引き返す。前述の墓のある場所の西の反対側にT氏宅があり、更に西方の道の北沿いにK氏宅がある。人の気配を感じると吠える犬がいる家である。

その向かいから南東に分かれる狭い道が、’90年代末まで素掘り隧道があった道である。2019年発行の昭文社の「兵庫県道路地図」には、まだ短いトンネルが記載されていた。

 

ここも2分ほどで隧道跡が現れるが、天井部を撤去したせいで深い切通しになっている。幅員も若干拡幅したかも知れないが、現代車も通れる幅はある。

隧道を抜けた所の左手には小屋があるが、周辺の田畑は荒れているように思われる。

ここからは一軒の民家も見えないが、奥には集落がある。但し、この道を利用するのは、住宅地図を見る限りでは、三軒だけのように思われる。が、それらも空き家になっている可能性はある。

本当はこの日、滝にも寄る予定だったが、午前中に見学した旧車ミーティング会場(高速SA)が数百台の旧車で溢れ返り、パトカーも出動して大混雑を起こし、駐車するのに1時間ほどもかかってしまったため、予定が狂ってしまった。

 

が、’73年式ムスタング・マッハ1や前期型二代目セドリックバンを見れたのは収穫。

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