黒崎防空監視哨の聴音壕(倉敷市) | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

 <探訪ルートをネット初公開>

岡山県倉敷市は観光立市ということもあり、また、兵器製造工場もあったことから、戦争遺跡の保存・整備にも積極的で、戦争遺跡マップも発行し、公式サイトでも公開している。

 

 

 

が、その戦跡の中で、道標・案内板・探訪コース等の整備が一切されておらず、ネットでも道順・アクセスが公開されてないものがある。それが玉島黒崎地区の標高100mの山の頂上にある黒崎防空監視哨跡である。

 

 

 

この戦跡の特徴は、聴音壕がきれいな状態で残っていることと、GHQの指示で爆破された哨舎の残骸が残置している点。ただ、詳細な資料が乏しく、設置年や任務体制等が不詳。

 

 

恐らく戦争中後期に設置され、哨舎には県庁の防空監視隊本部に直通する電話がひかれ、地元の青年団等が24時間体制で任務に就いていたものと思われる。

 

 

当初、十数年前、戦争遺跡マップ制作に携わった倉敷市総務局総務部職員が登ったコースを辿る予定だった。そのコースは沙美アルプス縦走コースの起点の一つにもなっている黒崎公園から、南東の中国電力の送電鉄塔に上がり、尾根伝いに登るもの。

 

 

しかし実際に鉄塔巡視路登山口(下図)に行ってみると、巡視路標柱が指し示す方向に道が見当たらなかった(実際は踏み跡があったため、帰路はその道を下った)ため、防空監視哨所員が登ったと思われるルートを辿った。それは巡視路標柱背後に続く、猪除け柵が設置されている道。

 

 

備南アルプス協議会が設置している案内板から水路を挟んだ東に並行する道を進むと、ビニールハウスの北西角に前述の鉄塔巡視路標柱がある。そこの塩ビの紐等をいくつも巻き付けている柵の扉を開け、更に南下するとまた紐で結ばれた柵の扉が現れるので、それを開閉して先に進む。

 

 

その奥の竹藪に達した所で踏み跡が一旦不明瞭になるが、そのまま、水路から続く沢沿いを進み、竹藪の中に入るとまた踏み跡が現れる。この踏み跡は地形図「玉島」に記載されている標高30m地点の砂防ダムに突き当たると、ダムに沿って直角に左へ折れる。そして南東に切れ込む谷状地形を進む。

 

 

涸れ沢のような踏み跡だが、次第に竹の倒木が目立つようになってきたため、適当に東の斜面を上がって、鉄塔から続く尾根の標高60m地点に出た。復路、同じルートを引き返す場合、この尾根に出た地点にさえ、マーキングテープを付けておけば、帰路は眼下の谷沿いを下るだけだから分かり易い。

 

 

尾根は標高70mになると、急勾配になる。地形図で見るよりかなりきつい。踏み跡はないに等しいが、尾根は比較的明確だからルートは分かり易い。

 

 

174.1m(平成11年発行地形図での数値)三角点峰に続く尾根との分岐は分り辛いが、そこを過ぎた少々先、尾根の北側にコンクリートの残骸が一列に並べられており、その奥には、同じく残骸が一列に南北に並べられている。自治体職員が並べたのだろうか。そこの平地が監視哨哨舎跡である。

 

 

そのすぐ上が山頂で、真ん中に直径3.5m、深さ1.6mの聴音壕が残っている。戦前、見晴らしが良かった山頂は、木々に覆われ、展望はない。

 

聴音壕内の4ヶ所に正方形のコンクリート片が設置されているが、これは聴音作業時の腰掛けであるという。内壁に縦に走る8本前後の溝は、木造覆屋の柱が接していた箇所。

これと全く同じ聴音壕は岡山市にもある。これまで紹介してきた四国各地の聴音壕には、腰掛けのような気遣いはない。県民性の違いか。

 

 

因みに今の時期はやぶ蚊の大群に襲われるので、その対策を。また、標高は低いと言えども、砂防ダムコース、鉄塔コース共、藪があるため、くるぶしが隠れるミドルカットか、ハイカットのトレッキングシューズを履いた方が良い。

 

この日の夕方、時間があれば、トーチカのような玉島戸島防空監視哨跡にも寄ろうと思っていたが、当日はプチ天空の鳥居や急登のある海岸沿いのハイキングコース、歩き難いごつごつした石ばかりのご当地エンジェルロード等を探訪し、且つ、こむら返りや足の指をつる等して、体力的にも精神的にも断念した。

 

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