倒壊した仏堂奥の鍾乳洞・穴なんど(八幡浜市) | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<首無し石仏がある厄除け洞>

昨日、「世界ふしぎ発見!」で神社奥に続く鍾乳洞が取り上げられていたが、四国にも例えば、南国市の石土神社奥の石土洞、高知市の水分神社背後の荒倉洞等がある。が、前者は柵があり、立入禁止。後者は入口が土砂崩れで塞がれ(下方写真)、入洞不可になっている。

 

そんな中、愛媛県八幡浜市にある倒壊した仏堂背後に開口する鍾乳洞「穴なんど」は、その仏堂とは違い、西日本豪雨時でも土砂が流れ込むことはなく、いつでも入洞できる状態。但し、距離が短く、観光洞ではないため、ヘッドランプを持参する必要がある。

その西日本豪雨で倒壊したトタン張りの仏堂は「瀧御堂」(「瀧」は崖のこと)と言い、神社で言うところの拝殿のようなもの。ここにかつて大・中・小、三種類の杓子があった。

その中から一つの杓子を選び、それに住所・氏名・祈願内容を記して奉納し、杓子別の定められた賽銭を入れ、穴なんどに入洞し、「南無大師遍照金剛」と唱えながら巡ると、一年の厄を落とすことができると言われていた。

瀧御堂は昔、トタン張りではなく、普通の様式の仏堂で、瀧御堂下の小径の先には昭和中期頃まで、堂を管理する良久寺(旧良久寺)があった。その旧良久寺跡の背後の上方にも穴なんどより一回り小さな鍾乳洞がある。

 

かつてはそこに到る小径もあったが、平成期、台風や豪雨等で小径の路盤が崩落して以降、ザイルや高い梯子等がないと入洞できなくなった。因みにその小径(踏み跡)沿いの右手上には、小動物が入れるほどの小さな洞穴がある(下の写真)。

以前は県道28号沿いの瀧御堂参道口に「良久寺跡」の道標が設置されていたが、堂が2010年代半ばに起きた地震で損傷し、更に2018年の西日本豪雨で屋根が倒壊してから寂れ、忘れ去られた観がある。故に参道口は添付写真を参考にして戴きたい。少々先の緩いカーブ部の路肩に駐車スペースがある。

参道を2分ほど上れば、右手前方上に瀧御堂が見えてくる。穴なんど入口から奥にかけて数体、石仏が縦列に並んでいるが、その中に弘法大師像もあることから、大師も伊予巡錫時、入洞し、修行していたのかも知れない。

穴なんどは距離が短い(20mほどか)ことから、石筍や石柱、カーテン等は殆ど見られない。記憶が前後するかも知れないが、入洞してほどなく左にカーブしたと思う。そして中腰にならないと通れない箇所がある。当方はカメラケースを首から掛けていたため、四つん這いになって通過した。

その手前か先だったか忘れたが、首無し石仏がある。恐らく明治初年の廃仏毀釈時、叩き落されたものと思われる。それ以後も内壁のやや高い所に祭られている石仏が現れる。

また、左手には縦長の支洞も現れるが、児童でないと通れない位狭い。この支洞は本洞の終点に繋がっている。終点には特に石仏等は安置されていなかった。

洞を出ると先の旧良久寺跡と上の穴も確認する。旧良久寺跡には住職の墓と瓦が何枚かあるのみ。上の穴への小径は瀧御堂南方上部に上がれば踏み跡が現れる。道標代わりの小さな立石のある三差路は左に折れる。赤いマーキングテープもあるが、踏み跡の路盤はすぐなくなる。

下山後、10年ぶりに宇和島市の穴ノ御前(鍾乳洞)と高森山登山道沿いの坑道に行く予定だったが、移動中に雨が降ってきたため、後日、改めて出かけた。穴ノ御前も西日本豪雨で小径が斜面諸共押し流され、藪化していた。新たな道なきルートは、来月、セレクト記事で紹介予定。

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