四国鉱発白木谷鉱山鉄道廃線跡・前編 | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。


平成10年発行の地形図に記載されたトンネル


昭和35年開山の白木谷鉱山は、石灰岩を稼動していた頃のディーゼル機関車 中心とした小滝、滝の下、中の谷、萩野、奈路の五ヶ所の鉱床からなる。

 

輸送形態は、鉱床での発破作業後、ダンプトラックに積み込み、立坑に移動して投入、小割室で小割発破を行い、フィンガーゲートで15両編成のグランビーカーに積み込み、坑内ディーゼル機関車で粗鉱槽に運ばれ、破砕・撹拌された後、貯鉱槽へと移され、そこからダンプで石灰石運搬専用道路を経由して、地元の生コン工場や浦戸湾沿いのアサノ鉱発港工場、高知新港へと輸送される。東方の削平地


 

鉱山内の鉱石輸送は平成12年にディーゼル機関車からダンプトラックに変わり、廃線となった。その軌道は地下の坑内が殆どだが、一部、地上部の軌道とトンネル口を地形図(土佐山)で確認することができる。


 

旧図では粗鉱槽建屋付近から火薬庫側のトンネルまでの軌道しか記載されてなかったが、平成10年発行のものには、東方の三ヶ所のトンネルとその間の軌道が記載されている。そこでまず後中央の隧道の東口 者を少し離れた所からズームカメラで捉えることができないものかと、南方の南国市白木谷萩野集落から沢沿いを北上する林道(白木谷国際現代美術館の東方から折れる)を行った。


 

この林道は軽四しか通れない狭さだが、途中、走行に不安を感じたため、車を捨て、徒歩で向かった。

林道の終点まで来ると、左手に古道、右手に鉱山の作業車道が分かれるが、後者にも特に柵や車止めのチェーンは設けられてなかった。つまり、軽四で直接鉱山へ乗り付けることができるのである。隧道内部


 

作業車道はジグザグに上がっていて遠回りになるため、法面をショートカットしながら、鉱山まで上がった。鉱山内にも作業車道が走っているため、とりあえず、一番高い所にある作業車道まで上がってみた。


 

そうすると山際に導水トンネルのようなものが見えている。まず、東側の地形図の鉱山マーク側のトンネル口を探したが、どうも斜面諸共崩されて消滅している模中央の隧道の西口 様。

 

そこでさきほどの導水トンネル口のような箇所まで戻ったが、そこは位置的には三本連なった内の真ん中のトンネル部にあたる。そこでよく観察してみると、これが廃線跡トンネルの東口で、水路のようなものが軌道跡だった。トンネル口には立入禁止看板がかかっているため、入ることは遠慮すべきである。それに日曜でも作業員がいる。


 

トンネルの西口も見てみたが、やはりこちらもト中央隧道西口からの軌道跡 ンネルから出た軌道跡は水没しており、そこより西方の軌道跡は作業車道や削平によって消滅していた。尚、ここのトンネルは地形図よりも実際は短い。

一番西端のトンネルも東端のトンネルと同様に崩されて消滅している模様である。


 

トンネル内部をカメラにおさめると、車へと引き返していった。次は粗鉱槽建屋付近の廃線跡を探るため、移動する。鉱山に隣接する山に入る造林作業者や猟師たちが歩く、鉱山に入る徒歩ルートがあるものと睨んでいたが、案の定、複数存在した。そこでは「天空の線路」たる光景を目にすることになる。

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