≪200人収容の巨大コンクリート壕≫
民間の防空壕と言えば素掘りの簡素なものが普通だが、愛媛県八幡浜市幸町には四国最大級、収容人員200人、便所、洗面台装備のコの字型コンクリート壕がある。昭和16年2月に竣工した「八幡浜第一防空壕」 である。
九州から呉海軍工廠方面へ飛行する米軍機が、そのルート上に位置する八幡浜市街地上空を通過時、機銃掃射することがあったことから、昭和15年、地元の篤志家が防空壕施工費を寄付し、警防団と八幡浜警察署特高係が建設を指導、在日朝鮮人が強制加入させられていた協和会八幡浜支部が工事を強制奉仕(朝鮮人強制労働)させられた。
が、あまり壕が利用されることはなく、病院の薬品保管庫として利用されていたという。
戦後、この防空壕は人々の記憶から忘れ去られていたのだが、’01年、壕の前にあった貝ボタン工場が取り壊され、再び陽の目を見ることとなった。その後、地元有志たちが壕内を整備、自費で扉を付け、電気も引き込み、照明設備を設け、見学の便を図った。「えひめ博」開催時は相当数の見学者が来訪したという。
壕の出入口の内、どちらが入口でどちらが出口だったかは忘れたが(見学人数が多い場合は一方通行)、西側壕口から入った所に奥行き10m、幅4m、高さ2mの御真影(天皇・皇后両陛下の写真)奉安所を擁する広間がある。
見学は事前予約が必要。連絡は市内の三ヶ所のいず れかへ。その三ヶ所は此上製あん所、尾崎てんぷら店、柿本農機具店。
壕前の道を北上して行き、突き当たりを東へ上がった所にある天性庵には、陸軍が駐留していた。第35航空情報隊八幡浜隊で ある。
20数人の若い兵士が宿舎として利用し、本堂裏のコンクリート壕で通信業務を行っていた。現在、壕の出入口は埋められているが、外観は貯水槽のようである。
庵には部隊で使用されていた、俗に言う「軍人精神注入棒」が残されている。海軍で言うところのバッターである。この棒で下士官たちはことあるごとに、尻 を叩かれていた。
当時の住職は夏場、壕内や本堂、境内で兵士が蚊を叩いていると、「蚊も一つの命だから殺してはならん」と言っていたという。明治42年創始の小さな庵だが、戒律は厳しかったようである。
住職は特に失敗をした訳でもないのに、尻を腫れあがるほど叩かれる下士官の様をどのような思いで見ていたのだろうか。
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