鉄道廃線跡遺産(1)残置レール・枕木三景 | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

私は’80年代後半、テレビのロードショーで映画「スタンド・バイ・ミー」を観た時、主人公たちのように、田舎の線路や鉄橋を歩いてみたい、という衝動に駆られ、その年の盆休みに高知に帰省し、地元の友人を誘って、いの町の仁淀川を渡るJR土讃線の鉄橋を歩いてみましたが、列車には汽笛を鳴らされるは、列車通過時は枕木が激しく振動し、川に落ちそうになるはで散々でした。


しかし廃線跡なら何も気にせず、堂々と歩くことができます。数ある廃線跡の中で、やはり線路のレールや枕木が残っている軌道跡が一番、廃線跡ウォーキング気分を盛り上げてくれます。


(1) 旧国鉄坂出港貨物線香川県坂出市)自然、戦跡、ときどき龍馬-国鉄坂出港貨物線廃線跡

香川県坂出市のJR坂出駅から分岐し、左回りに円を描いて港沿いの工場群の中を通り、港に達し、且つ、周辺の各工場へと引き込まれていた貨物の引込線が、昭和24年から61年まで(貨物の取扱自体は59年に中止)運行されていました。


現在、レール等が残置しているのは、本線の終点・坂出港を過ぎて支線が南に分岐し、その終点の日清製粉に到るまでの区間


レールの大半が舗装道路にめり込んだ形になっていますが、県道186号の両景橋下だけは、枕木とレールがガーダーと共に完璧な形で残っています。


尚、この廃線跡は工場群の公道の区間については、殆どが舗装道路になっていますが、前半の一般民家の中を通る区間は、大半がそのままの歩道として残っています。


(2) 愛媛鉄道内子線愛媛県内子町)

この路線は現在のJR予讃線内陸線(内子回り線)の前身の鉄道自然、戦跡、ときどき龍馬-愛媛鉄道内子線廃線跡 。内子線は支線で、本線は大洲・長浜間で営業され、大正7年に開通。内子線はその二年後に開通しました。


軌道跡は前半部(西部)は消滅していますが、東部の国道56号のバス停「黒内坊(くろちぼ)」から県道229号に到るまでの所々に廃線跡が残っています。


レールが残置しているのは、旧二本松トンネル東口から東方の箇所。そこへ行くには、高架のバイパス国道56号東下の鳥越交差点南東の十字路を南に折れます。突き当たりは右折。


この道路は民家がなくなり、進路が南西に変わると歩道になります。この歩道を上がった先が軌道跡ですが、最初は藪。目で追って歩いていると、次第に築堤が露になり、レールが姿を現します。


この路線(愛媛鉄道から旧国鉄に引き継がれていた)が廃線(路線変更に伴い)になった直後の昭和60年代、映画「ダウンタウン・ヒーローズ」の中で、ここを機関車が走ったことが信じられないほど。


(3) 旧国鉄福知山線旧線兵庫県西宮市)

この廃線は西日本の廃線跡の中で、屈指の人気を誇り、廃線自然、戦跡、ときどき龍馬-国鉄福知山線旧線跡 跡歩きブームが起こる('95年)何年も前の’80年代後半から、既に大勢の廃線ファンやハイカーに歩かれていました。


休日、JR宝塚線(現、福知山線)の生瀬(なまぜ)駅を下車すると、廃線跡を目指すウォーカーが目につきます。


今もあるかどうか分かりませんが、駅から廃線跡に到るまでの間に食堂があり、そこでは天気のいい日、屋外で食事するようになっていました。

勿論、客の大半がこれから廃線跡を歩こうとする者たち。私はソーメンとビールの大瓶を注文。


旧福知山線の前身は明治32年開業の阪鶴電鉄。国鉄に移管された後、廃線になったのは’86年。西に名塩トンネルができたことによるもの。


武庫川沿いの廃線跡には、いくつものトンネルや鉄橋が残っています。終点の武田尾駅西方には武田尾温泉があり、汗を洗い流すこともできます。


以上三路線廃線についての詳細やコース図は拙著「四国の鉄道廃線ハイキング」を。

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