旧国道や旧県道及び、鉄道廃線跡のトンネル等は廃墟ファンや廃道(車道)ファンには人気の遺跡の一つですが、ここではそれ以外の一寸変わったトンネルも紹介します。
(1)芋谷のトンネル(和歌山県橋本市)
関西の隧道ファンにはお馴染みかも知れませんが、このトンネル、地元自治体の文献にもあまり詳しいことは記されていません。
このトンネルは大阪と和歌山の県境・紀見峠を
和歌山県橋本市側に下った東側の集落・柱本から、その南東の集落・細川へ抜けるため、明治23年頃掘られた素掘りの隧道。
ただ、不思議なのはどう見ても自動車が通れるような大きさではないのに、東口に速度制限標識と高さ制限標識がある点。
周辺の道も下草が生えた未舗装林道。トンネルの全長は108m。中は真っ暗で懐中電灯がないと何も見えませんが、中ほどの左手にロウソク台跡があります。
以前、南海電鉄がこのトンネルを通るハイキング・イベントを開催していましたが、昭文社発行の「山と高原地図」の金剛山が載っているものにも、トンネルを通るハイキングコースが記載されています。
起点となる駅は南海電鉄高野線御幸辻駅や林間田園都市駅、紀見峠駅。
(2)宿毛海軍航空隊燃料庫隧道(高知県宿毛市)
昭和18年4月、宿毛市宇須々木に海軍の水偵搭乗員育成のための練習 航空隊・宿毛海軍航空隊が開隊。
駐機場や弾薬庫、兵舎等を建設しましたが
、8月、宿毛沖の波が高く、練習機の訓練に適さない、ということで大分県佐伯基地に移転。更に10月、鹿児島県指宿に移りました。
その後、四国西南部の水上と水中の特攻部隊を統轄する海軍第21突撃隊司令本部が航空隊基地跡に開隊し、周辺の山際に横穴壕を沢山掘ることになります。
宇須々木漁港西の公民館(士官兵舎跡)前に基地跡の写真が解説入りで記された説明板が建っています。
公民館から南に司令本部跡、弾薬庫(現存)と続き、松本水産作業場向かいに立て看板があり、そこから石段が4m上のコンクリート造りの隧道まで上がっています。
この隧道の大きさは、高知県下の軍のコンクリート隧道としては最大級で、新幹線のトンネル並み。画像では円の4分の1のような形になっていますが、これは壁面が邪魔してこんな見え方になっているだけで、実際には普通の形状のトンネル。
入口前には燃料タンクの台座が雑草に埋もれています。
全長は35mしかなく、反対側の出口から草地の地面へは、また石段が下りています。
(3)住友別子銅山東端(とうたん)索道隧道(愛媛県新居浜市)
新居浜市の別子銅山は全国屈指の銅山で、元禄4年(1691)から昭和48年まで採掘されていました。
明治になると機械化が進み、鉱石の運搬も地 下電車や索道が利用されるようになります。
その輸送拠点は採掘地の移動に伴って経路も
変わってきたのですが、明治後期、拠点が東平(とうなる)に移ると、そこから鉱石を索道で別子鉱山鉄道下部線の黒石駅まで輸送するようになります。
黒石駅からは鉄道下部線で惣開(そうびらき)まで輸送され、そこからは船に積み替えられ、沖合いの四阪島の精錬所まで運ばれていったのです。
が、昭和初期には拠点が端出場([はでば]→現在、マイントピア別子端出場ゾーンがある所)に移行し、東平からの索道も鉄道下部線端出場駅前へと輸送されるようになりました。
索道は山間の谷間を進むようになっていましたが、地形上、どうしても山の斜面に阻まれる箇所があり、そこには短い隧道を掘りました。標高600m以上の地です。
その隧道へは、端出場南方の鹿森ダム湖沿いから登るか、資料館等がある東平から下るかのどちらかになりますが、下ると帰路の上り返しが大変なので、前者コースを辿るといいでしょう。
登山口には道標が立っていますが、隧道は地元でも知る者は殆どいないので、途中の分岐には道標もありません。が、目印になるものも一応あります。送電鉄塔巡視路の鉄塔番号入り標柱です。NO.49の鉄塔方向に上がって行くと、隧道に辿りつきます。
隧道分岐まで戻ると、折角なので、すべり坂社宅跡から東平へ上がるといいでしょう。各種銅山関係の遺構や、西の坑道から出てきた電車の東平駅跡、インクライン跡、社宅跡、学校跡等のほか、東平資料館側の電車の廃トンネル内には、篭電車車輌や掘削機、東端索道の鉱石搬器(パケット)等が照明付きで展示されています。
隧道への登山コースや東平、端出場の各遺構、鉱山鉄道全線の廃線跡については拙著「四国の鉄道廃線ハイキング」を。
余談ですが先週、鉄道下部線沿いの生子山(しょうじやま)山頂の国定史跡の鉱山遺構である巨大な赤レンガ煙突が新登山道と共に整備されました。
5/25には新居浜市で別子鉱山遺跡についてのシンポジウムも開かれます。煙突から更に上部の山へのコースについても前述拙著を。
最後までお読み戴いた証に次の二つのバナーをプリーズ・クリックon me&東日本義援金にも善意を。