またまた司馬遼太郎ファンからはブーイングされるかも知れませんが、遼太郎は著書等の中で、検証もせずに風聞程度のものを史実として公表することが、あまりにも多過ぎます。
以前、「竜馬がゆく」の中で、龍馬が江戸へ剣術修行に向った際、通った四国の街道は大歩危・小歩危沿いの道である旨の記述が、如何にでたらめであるかということを指摘しましたが、「亀山社中が我が国初の株式会社である」というでたらめも、遼太郎によって定着してしまったのです。
第一、日本初が亀山社中であることの調査をどのように行ったのでしょうか。この遼太郎の根拠は、経済学者の坂本藤良が言ったことを鵜呑みにしているだけなのです。
晩年、藤良は絶筆となった「小栗上野介の生涯」の中で、「小栗上野介の兵庫商社が日本の株式会社としての最初」と訂正しているのです。
但し、遼太郎は己の体面から、自分の述べたことを大々的に訂正することはありませんでした。
以前も述べたように、「街道をゆく」では、実際の街道をゆかずに、明治期や戦後にできた道路を、バスやタクシーを使って、ごく一部しか行ってないし、歴史小説家の営利目的による歴史の歪曲には困ったものです。
脱藩道についても以前述べましたが、やはり沿線市町村によって、でたらめのコースガイド・パンフレットが刊行されてしまい、それをマスコミや大手出版社、県、各龍馬会等が何の検証もせずに追従。
これによって、愛媛県と高知県梼原町以外の市町村は、殆ど古道が残ってないものと判断され、「魅力のない道」と解されてしまったのです。
歴史ファンの方は是非、「己の目」を持って戴きたい。
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