一週間前に書いた、四万十川源流の山、不入山で起こった遭難についてですが、現時点で遭難者は発見されておらず、ほぼ死亡が確定的になっています。
ただ、この遭難事故については、いくつかの謎があります。それは
①捜索が三日で打ち切られた
遭難の連絡が入った当日は警察や消防団ら大勢が捜索しましたが、途中の雨のせいで終了。
二日目の捜索は天候が良好にもかかわらず、午後三時で捜索終了。
そしてつぎの日で完全終了。
遭難から一週間後、二日かけて、高知県勤労者山岳連盟の有志が北側の沢沿いを捜索するも、手がかりなし。
この連盟の捜索が、実質的な「全ての」捜索の終わりとなった模様。
②何キロも離れた土産物屋での目撃情報
不入山からは何キロも離れた四国カルストの土産物屋で遭難者の目撃情報があり、土産物を買っていた、というのですが、これは人違いとみていいでしょう。
③自殺説
今年初夏に遭難事故が起こった城戸木森とは違い、今回の山は迷いこみそうな分岐はあまりありません。
それ故、遭難者は自殺目的で自ら遭難したとする説があります。これならば、捜索を三日で打ち切っても納得できます。
自殺目的での入 山の場合、捜索を一週間以上行うケースは殆どないのです。
いずれにしても、今回のケースの場合、登山パーティ(グループ)のリーダーに責任があることは否めません。
通常、先頭にリーダー、最後尾にサブ・リーダーを置き、パーティの登行に常に気を配らなければなりませんが、このパーティはそれを怠っていたのです。
ところで、何日か前の高知新聞で、前述の連盟会長が遭難をしないための心構えを述べており、その中に「登山は絶対に一人ではしないこと」を挙げていましたが、仲間同士の登山を何十年続けても、読図技術の向上はありません。
それはその連盟最古参で、高知県随一の歴史のある山岳会を見れば分かります。その会には私も、都会から高知に戻ってきた際、加入していたのですが、会の実態は「老人クラブの遠足会」と化しており、大半の会員が読図等の専門技術を有していなかったのです。
その会のあるパーティでは、30代のリーダーが読図技術が未熟だったため、土佐市の標高僅か400m代の低山・石土ノ森にすら登頂できなかったことがありました。
この山は山頂に神社があるため、道は昔から整備されているのですが、読図ができないため、分岐で正しいコースを見分けることができなかったのです。
登山で一番大事なのは読図です。これをマスターするには、最初、一人で山裾に集落が広がる無名峰の低山に登ってみることです。
ある程度のメジャー山での登山経験があれば、登山道が地図に記されてない山でも、どの尾根にコースがあるのかは大体分かるはずです。
山裾周囲に集落があれば、例え道に迷っても藪漕ぎして何とか麓に下山することができます。
そういう登山を繰り返していき、自信がつけば、山深い高山の無名峰にチャレンジするのです。
尚、ヒマラヤ等海外の登山経験者が国内の標高数百メートル程度の山で遭難するケースも多々ありますが、超高山は森林限界を超えているため、見通しがきき、ルート選定が容易です。
しかし標高が低い山は樹林に覆われているため、見通しがきかず、尚且つ、森林作業道や炭焼き窯跡道、獣道等、多くの道が交差・錯綜しているため、道に迷い易いのです。
'03年にはモンブラン登頂経験者がリーダーを務める30名の登山パーティが、国内の低山で遭難しています。
そんな訳でみなさんも、登山は例えグループで行ったとしても、「自己責任」であることを忘れないで下さい。
不入山の登山コースガイドについては→こちらの記事 を
[ps]
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