今年も5月30日になりました。

 

伝説の3,000人大生前葬LIVEからはや26年経ちました。

 

日本は世界でも例を見ないほど経済的に凋落し、貧困国へ転落しています。

 

2024年から2025年はラーメン屋さん・焼肉屋さん・パン屋さん・ヘアサロンも倒産件数が過去最多、コロナのゼロゼロ融資の返済が追い付かず、高い税金が払えなくてついに息絶えた中小企業・個人事業主が後を絶ちません。

 

それでも投票率は50%以下、5000万人が選挙にいかない、国を凋落に追い込んだ政権がのさばる世にも奇妙な国となっています。

 

自殺率は先進国トップ、結婚できない若者も増えています、それどころか今は米騒動真っ只中、本来一般人が食べない古古古米が流通する異常な世界になっています。

 

光が乏しいこの国で池田貴族さんの愛したエンターテインメントが占める重要性は増しています、「推し活」はすでに2兆円産業、みんなモノよりも経験を求めてお金を使います。

 

 

 

 

 

僕はどうやら5年前の最大のピンチを乗り越え、また挑戦者として日々闘っています。

 

名古屋のアイドルユニットdelaフランス版は今月初めてのフランスLIVEで連日800人の超満員、日本のKAWAIIはもはや世界語となり、アニメ文化とともに世界に発信されています。

 

 

 

 

 

 

 

個人的にも13年ぶりのフランスでノートルダム大聖堂、凱旋門などジャンヌダルクとナポレオンの聖地巡礼をしてきました。

 

 

 

この歴史と芸術の国で絶賛されている日本の70年代アニメとその主題歌

 

その価値を知らないのが日本人だけという事実に何ともジレンマを抱えています。

 

鳥山明、永井豪、そして菊池俊輔の評価が日本は低すぎるのです。とても残念です。

 

 

 

 

再来週にはフィリピンでLIVEを行います、ここでもフィリピン第2の国家と言われる小林亜星作曲の「ボルテスV」を披露する予定です。11月にはメキシコ公演の予定でいよいよ30回の公演はおそらく日本のアイドルでは規模としては最大になるのかなと思います。

 

 

 

ここまで復活できたのも支えてくれた方々のおかげ、すでに亡くなった方も含めて僕ば「生かされてる」ことに感謝を忘れたことはありません。

 

 

それを1冊の本にまとめて出版しました

 

 

タイトルは「大アイドル論」です

 

 

当然、「池田貴族大生前葬」、尊敬する惟信高校の先輩の著書「大名古屋検定」から大の文字を拝借いたしました。

 

 

 

 

 

 

そんな1年でした

 

 

 

 

世界史を学びなおし、もう一度国内事情に目を向けると

この国をダメにしている寄生虫が見えてきます

 

 

それが週刊文春です

 

 

中国の文革、ナチスのゲシュタポ、帝政ロシア、中世フランスの魔女狩り

 

何か気に入らない人に疑いをかけ、あたかも事実のように設えみんなで間違った正義を振りかざしなぶり殺しにする

 

それら世界で起こった蛮行と今の週刊文春に感染された日本と何が違うのでしょうか?

エンターテインメント界から毎年有名人がひとりづつ、生贄にされ奴らはその汚れた金で酒を飲み飯を食らいます。

 

 

この寄生虫が恥ずかしげもなくジャーナリストと名乗っている現代の日本は絶望以外の何物でもありません、文春廃刊だけじゃだめで、これらのさくぶんを書いた記者と編集長は弾劾されるべきです。

 

 

 

 

ようやくこんな文章が書けるまでに復活しました。

 

 

まだまだ挑戦したことがたくさんあります。

 

 

5月30日は命について考える日

 

 

生かされている幸運をかみしめながらまた1年歩んでまいります。

 

 

 

いつか、そちらの世界であった時はよく頑張ったなと褒めてください

 

 

池田貴族さんへ

 

 

2025年5月30日 

 

池田貴族チャリティーLIVE「貴族大生前葬」実行委員会 中村浩一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お久しぶりです、中村区中村町の中村です

 

毎回絶対的な自信がある!といってまったく当たらないセトリ予想です、正直これ書いてるの前日なんですが、眠すぎてLIVE時間までに書けるか分かりません、でも予想は3か月間考えて出来上がっています↓

 

(実は更新できす寝落ちしました、今はジュリーのLIVE終わった後です、もうあのグラサン爺さんまた過去最高LIVEを更新しました、バンドも変わって疑問も不安もありましたが、一発で吹き飛ばしました、今回はまさに僕が見たかったLIVEでした、2025年になってこんなセトリが見られるとは、改めて沢田研二は進化を止めない正真正銘の現役Rockアーティストであると痛いほどに叩き込まれました)

 

 

では改めて今さらのセトリ予想です、いや昨日の「セトリ予想でした」

 

 

以前は1曲目からアンコールまで並びも予想してましたが、全く当たらないので「カテゴリ予想」という手法を編み出しました。

 

 

今回ほど当たりやすいセトリはないってのが本音です、ヒントが満載でした、フッフフウウ

 

 

まずは【A面カテゴリ】予想

 

これは超カンタン!2024年に封印していた「勝手にしやがれ」「ダーリング」「カサブランカダンディ」この3曲はほぼ固い、あとは「追憶」もほぼ間違いない、バンド色が一層前面に出るから「ポラロイドガール」「muda」あたり、「おまえがパラダイス」はさすがにないから、大穴でココロ時代の「女神」でどうじゃ?

 

 

そして最も簡単なのが【佐野元春カテゴリ】予想

 

なんたってバックに長田進、古田たかし(めっちゃ陽キャ)がいるわけですからここはテッパン!

 

昨年「THE VANITY FACTORY」(※佐野元春バージョン表記は「Vanity Factory」はガッツリやってるから「彼女はデリケート」絶対ある、久しぶりで「デリケイ!デリケイ!」あ~楽しみ!

 

もしかしたらもう一曲「すべてはこの夜に」(90年代は吉川アレンジでした)、さらにもしやのもしやで「I'M IN BLUE」(※佐野元春バージョンは「I'm in blue」吉川晃司はI'M IN BLUE」)この時代に聞けたら泣いちゃう(´;ω;`)

 

 

 

続いて【バラードカテゴリ】予想

 

ちょっと広いですが、もうジュリーがやりたい曲をやるってヒントを元に1980年代から2020年代までの傾向を元にすると

 

「Don't be afraid to LOVE」「遠い夜明け」「やさしく愛して」「嘆きの天使」「明星 -Venus-」「君が泣くのを見た」このあたりから2曲~3曲ですかね・・・「坂道」とかやってくれたら号泣ですけどね「いくつかの場面」と「さよならを待たせて」はもう聴けないかも

 

 

【ジュリー推薦曲】予想

 

A面しばりから解放されたらやるのはジュリーが自ら好きな曲と言ってた「銀の骨」「君のキレイのために」「マンジャーレカンターレアモーレ」「単純な永遠」から1曲

 

 

【アンコール予想】

ズバリ70年代から来るでしょう、過去「ウインクでさよなら」は結構やってるから今回はこれ一点!「夜の川を渡る前に」そして、史上初のA面「追憶」とB面「甘いたわむれ」同時歌唱なるか?

 

 

 

こんなところでしょうか?

 

今回はかなり自信がありますがさて当たったかどうか、は皆様で答え合わせ宜しくお願い致します。

 

 

では会場でお会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年も5月30日になりました

 

毎年この日は命について考え、記す日にしています

 

 

25年前、あれから四半世紀経ちました

 

1999年5月30日、池田貴族さんが残り半年となった自らの命を懸け名古屋のセンチュリーホールで3,000人の観衆を前に歌った命のうたの数々・・・昨日というより、つい先ほどのことのように鮮明に覚えています

 

2024年ちょうど先週、同じ敷地内でアーネストホーストカップのラウンドガールのお仕事をいただきちょうど季節も相まっていろんなことを思い出していました

 

 


あのとき「千種高校の後輩が命がけで歌うのに俺がギャラをもらうのか?」と本当に全てノーギャラでゲスト出演いただいた舘ひろしさんは今年なんと「あぶない刑事」の最新作映画に出演されています、あとつボイノリオさんは今朝も元気にCBCラジオから下ネタを飛ばしています、親友の氏神一番さんがコピーしたお江戸のオリジナル「TOKIO」を今も沢田研二は満員のホールで歌っています

 

 

 

 

あと、残念なことに貴族さんの愛した中日ドラゴンズは今日も完封負けしました、1999年、あの開幕11連勝ぶっちぎり優勝の時代とは随分違うチームになっています

 

 

 

 

 

 

 

「死にたくない!死にたくない!死ぬなら代わりに命をくれ!」

 

 

そう叫んで歌ってから25年後の日本は、ひどい状況です

 

 

 

報道では若者の自殺、女性の自殺が増えているとされていますが、今も一番多いのは40代50代の男性の自殺です、全体的にまたじわじわと増えてきてその予備軍とされる鬱病患者のための心療内科も急速に増えています

 

 

名古屋では近鉄が5月に2日連続で人身事故のニュース、名鉄も地下鉄もしょっちゅう止まります、もはや周りで人が死んでも「またか」と驚かないような状況です

 

 

G7の中で自殺率はずっとワースト1、死因のトップも各年代自殺がほとんどです

 

 

 

 

 

 

どうしてこんなことになったのか?

 

 

 

 

 

 

 

事情は多くあるでしょうが今年2024年冒頭から象徴的な出来事が相次いで起こりました、それが週刊文春による悪意に満ちたしつこい中傷記事、そしてインフルエンサー達の身勝手なSNS発信です

 

 

日本人は他人を讃えることよりも妬み中傷することで間違った快感を得てしまう、それを巧みに利用し彼らはカネを稼ぎます

 

 

 

「 」内の猥雑なセリフ  闇・戦慄・衝撃・悪夢 などの興味をそそるネガティブな漢字に続いて著名人や有名人の名前とそれらしい写真の無断掲載

 

 

このような見出しを僕は最大の軽蔑を込めて「文春構文」と呼んでいます

 

 

今までは書かれたら最後、どんな言い分があろうがその言論は抹殺され社会的地位や仕事を追われることになっていました、そして負い目に耐え切れす自殺する人、それでも彼らは「自殺しろとは言わないが死ぬなら仕方ない」と身勝手極まりない言い分で血に濡れたカネでメシを食います

 

 

 

 

 

ただ、この半年近くで随分風向きが変わってきました

 

文春や悪質なインフルエンサーに書かれただけでテレビに出られなくなり、職を追われるのはおかしいと多くの日本人が気づき始めました、有識者ではなく一般の人々です。

 

あと10年かかると思われていた日本人のメディアリテラシーの水準が一気に上がってきたのです、また週刊文春で記事を書いている人たちの実態も明らかになってきました。

 

 

風俗店で秘匿義務など関係なしに自慢話をペラペラしゃべる者、それにより報復を恐れて暮らさざるを得なくなった密告者たち。

自称ジャーナリストの醜い集団に成り下がった組織の中で、賢明かつ微かな正義感を残していた記者たちは文春を去り、自分のしてきたことを悔いて告解し始めています。

 

 

よく考えたら当たりまえのことで、自殺しても知らねーよと人の悪口を書いてカネを手にしてそれで家族を養うことに耐えられなくなったのです、つまり今まだ文春に残っている人間とは?と考えるとそこに書いてあることをマトモに論議することさえ愚かなことだと、ようやくそこまでリテラシーが辿り着きました

 

 

自殺してもいいから悪口を書く

 

 

許されてきた時代は終わらなければなりません、報道の自由とは人を死に追い込んだり鬱病にさせたり職を奪う自由であっていいわけありません

 

 

政治は出生率とともに自殺率を放置してきました、これで国が繁栄するわけがありません、大至急の法整備が必須です、SNSで喚いてる人たちも大勢いますが投票率は未だに50%程度では変わりようがありません

 

 

池田貴族さんが生きていたら、あの鋭い舌鋒で今の日本とどんな戦いをしたのか?と考えることがあります、今一度命の大切さ、日本人の本来持っている慈しみの心を訴えてほしいと思うのです

 

 

 

 

 

個人的な話になります

 

 

あの時の千種高校生徒会の面々も今やすっかりおっさんでしょう、そんな僕もおっさん度に磨きがかかりながらも毎日仕事をしています

 

エンターテインメントは衣食住の次に来るものだと自虐的に話していました、2019年までは

 

でも2020年コロナを経験して以降、つまるところ楽しみがないとメシも美味くないし外出もしたくないし、不安ばかりではそもそも眠れない、それらを解決するためにエンターテインメントがあるのだ、と、もしかしたら人間が生きていくうえで一番最初にくるものなのかもしれないと考えるようになりました

 

 

 

僕は今年、ある挑戦をしています

 

昨年から準備をして本当なら5月に発表できる予定でしたが、自分の仕事や鬱病に悩む人の話や、社会的に弱っている人たちのためにどうしても時間を費やしてしまいます、それが優先順位だから仕方ないのですがどうにか今年中に完成し、とある武器を手にしたいと考えています、非力である自分は武器を持たないと誹謗中傷者たちと戦えません

 

 

そしてエンターテインメントにかかわる今の仕事がいつか終える時がきたら、いよいよ自殺者対策を専門にした組織を作りたいと企んでいます

 

 

愚劣な週刊誌は廃刊に追い込んで記者の責任を追及しなければなりません、SNSによる誹謗中傷は更なる厳罰を与えるべきです

 

他人を攻撃して愉しむ仕事が存在しない世の中、自殺者・鬱病患者が大幅に減少した日本を目指し、褒め称えあう人たちが大多数を占める世界を夢見ています

 

 

 

どうか、このブログを読んでいらっしゃる皆様も誰かを攻撃するSNSをアップする前にご自分の顔を鏡でみてください、そこに正義感に曇って卑しい顔をした自分がいたら一旦止めましょう、殴られた痛みは消えますが心の傷はなかなか癒えないものです

 

 

 

どうか、自らの命を無駄にしないでください、人の命を傷つけないでください

 

 

 

最後の方、散文みたいになってすみません、読み返しもしませんので誤字脱字、句読点の統一性のなさにもご容赦くださいませ

 

 

それではまた来年!

 

 

 

中村浩一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~前回までのあらすじ~

 

 

コロナ渦で着席・声出し・水芸NGとはいえ、バンド体制が復活した2022年正月LIVE

「約束の地」さいたまスーパーアリーナに向けて勢いに乗るジュリーを見ようと愛知県芸術劇場には超満員のファンがつめかけていた

 

LIVEに大切なのは「健康」「座席」「周囲の観客」俺は体調万全で安定の平民席(2階席)に座ったがそこには思わぬ難敵が潜んでいたのだった・・・・・

 

 

 

 

 

あーはっはっはっはっはっはっは!!

 

うあーはっはっはっはっはっはっはあああああ!!!

 

 

いやああ、楽しい~!気分はズォーダー大帝だ

 

 

 

俺は心の中で勝利を確信した。中抜け組の皆さんにとって1989年からのジュリーは未知の領域、「ポラロイドGIRL」のフリつけにはついてこれまい

 

カズのギターに続いてジュリーが叫ぶ

 

「FLASH!!」

 

 

 

 

 

目線は前を向いたまま左90度を意識する

 

どれどれ?キョロキョロ

 

 

 

 

 

 

♬いろがうーかーびあがるいーしゅんゆうわくのりぷれいぃ!

きみのきまぐれ~おーばえくぽじゃちゃんすはいちどだけー!

 

うおおおおおおおおおおおお おおお

 

 

お?お?おおお?ガーン

「てのひらフラッシュ」バイバイバイバイやっとるがね!キッチリと!まじかあアセアセ

 

 

♬だーりんだーりんきみはなーんにもしらないくちびる~

 

 

ウン、パパ拍手拍手、ウン、パン拍手

ウン、パパ拍手拍手、ウン、パン拍手

 

 

おおおおおおおおお!2拍からの1拍休んでパン!

 

 

そう、「だーれが殺したクックロビン」と同じリズム

 

 

 

完璧についてきている・・・

 

 

♬おーとなびた

 

ヘイ!

 

♬ぽーずだけ

 

ヘイ!

 

♬おおおおお~お

 

再び手のひらフラッシュ

 

 

 

全部できてる・・・なんなんだ、このひと・・・

 

 

 

 

いやいやいや!おかしいだろ、それ?

 

 

1980年代後半からの貴女の世代は結婚から出産、親の介護も重なったかもしれん、あれほど愛したジュリーのLIVEも生活に追われ、行きたいけど行けなかった

 

 

 

 

そんな毎日と子育てに心身ともに疲れ果て、体調を崩した日、貴女のダンナは

 

 

 

「あ、今日、俺のメシいらないからウインク

 

 

 

 

とか言われて「テメエ!それが愛情とか思ってんかあ!ゴラアアアアア!ムカムカハッ

体調が戻った瞬間に区役所に書類取りに行ってハンコついて投げつけてやる!と固く心に誓う

 

 

 

 

 

 

そんな日々を送っていたはずじゃないのか?

 

 

 

 

 

取り戻したのか?青春を、あるいはやたら理解のあるダンナで年に2回だけはジュリーのコンサートに行くことを婚約時のマニフェストに記載していたのか?

 

じゃなきゃポラロイドGIRLは踊れないはずだろ?

 

 

 

(こんなはずじゃなかった・・・こんなはずじゃ)

 

 

俺は1月の夜が静かに降りてきて全身を包む恐怖感を否定できなくなっていた

 

 

 

 

 

 

 

中盤 11曲目「サムライ」

 

 

 

とても同い年に見えない斎藤有太のピアノ音から

 

♬かたてにっ

 

(はい右腕人差し指までまっすぐ高く伸ばして)

 

♬こころにっ

 

(はい左手をこころに)

♬くちびるに~

 

(はい先ほどの右手を唇に、そのまま五十肩に贖いながら背中にまわす~)

 

 

 

隣の姉さんもなんなくクリア、うしろのBBAさんもやっとるやっとる

 

いやあ、いい景色ですなあこういう景色は平民席ならではかもしれん

 

 

 

 

 

12曲目「LOVE(抱きしめたい)」

 

 

1978年、初の演歌以外で紅白トリを務めた名曲「LOVE」

照明とギターとパイプオルガンと阿久悠の歌詞が織りなす映画のような5分間、ここは闘いを忘れてじっくりと・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああああ~いいわね~~~ジュリーちょっとおおおお素敵ねえええええええジュリー素敵いいいいいいいい、ねええええええええ、ジュリーいいいいいいい」

 

 

 

 

 

 

 

 

あがあああああああああああ!!!ムカムカムカムカムカムカムカムカムカムカムカムカ

うるせ~よ!後ろのBBAピリピリピリピリ

 

 

 

アップテンポの曲はまだガマンできてたさ、バラードはしゃべるな、静かにしろ!

ドラムとギターとキーボードで真冬に聞く「LOVE」は俺たちにとっても数年ぶりなんだ!やめてくれ、ホントに黙ってくれ!!!!

 

 

 

このKSBBAの万死に値する蛮行を日本の司法が裁けないのならばこの俺が中村区中村町の中村主水になって仕置きしてくれるわ

 

 

 

 

 

LIVEが終わったら会場隣のオアシス21の天井のプールに沈めてからテレビ塔の展望台から落として中村区まで車でズルズル引きずって豊国神社に奉納してやろうか?!このKSBBA炎

 

 

 

 

 

おれはもう自分ではどうすることもできない殺意のコートに袖も通さず包まれていったのだった・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

つづく・・・・

 

 

 

 

 

 

次回、ついに中村史上最大のライバルと決着か?そしてKSBBAの末路はいかに?

衝撃の展開!!にご期待ください(なんのこっちゃ)

 

 

#沢田研二 #ジュリー

 

こんばんは

 

中村区中村町の中村です

 

今日の沢田研二論は全くの別の角度からジュリーこと沢田研二を検証してみたいと思います。

 

 

 

(写真反転してたらごめんなさい)

 

 

 

 

 

 

1980年代のLPレコードは2,800円、コンサートは3,000円くらいが相場でした

 

2000年以降「体験」の価値は上昇し、今やコンサートのチケットのお値段は1万円超えも。ジュリーの場合は良心的にここしばらく8,000円です

 

でも転売ヤーが横行し良席だと25万円以上で売買されていることも珍しくなくなりました、ホント何とかしてほしいもんですショボーン

 

 

 

そこまで価値の上がったLIVE

自分の好きなアーティストのコンサートを存分に楽しむために欠かせない要素はいくつか存在します


 

まずは健康状態

ジュリーはいつも別れ際に「元気でいてねー」「生きててねー」と何度も言います、ご高齢の方も増えてきた昨今やはり体調は万全で臨みたいものです

 

 

続いて席

これは毎回悲喜こもごもがX(以後Twitterと表現します)にあふれていますね、我が街名古屋の愛知県芸術劇場ですと1階5列目までは神席、1階席20列目までは上級国民、後方まではブルジョワジー、2階席は平民、3階席は下級市民、4階席は半地下市民、標高の高い5階席へは酸素ボンベと天体望遠鏡が必須となりますのでもはや人間のたどり着ける場所ではありません、未知の世界への開拓者です

 

そして、もう一つ、楽しむための要素があるとするならばそれは

周りの観客ではないでしょうか?

 

 

僕の身長は171cmなんですがラグビーを続けてたせいで肩幅がやたら強欲なんで後ろが女性ですと迷惑をかけないようにかなり気を使います、せっかくのジュリーのLIVEはみんなで楽しみたいものです、前のおっさんの肩でまったく見れんかった・・などということがあってはいけません、そこで僕はコロナで着座の期間以外はいつも中腰で身体もナナメにしてなるべく後ろの方の迷惑にならないように心がけています。

 

 

(そいえば『REALLY LOVE YA!!』だったか?LIVEDVDで最前列中央に190cmくらいはあろうかという男性が存在感抜群で映っているのは残念です、まったく罪はないのですが)

 

 

さて、そんなわけで今回は実際にあったファン同士の激しすぎるバトルハッをご紹介したいと思います

 

 

 

 

 

それでははじまりはじまり~音譜

 

 

 

 

2022年1月、ジュリーの正月LIVEはバンド体制が復活してコロナもほぼ終息、近年にない『LIVEヒット曲』満載でした。まだ声出しは禁止でしたが、個人的にもメンタルがかなり復活して耳も聴こえるようになっていて印象深かったのです

 

 

僕は愛知県芸術劇場の安定の平民席(2階)に陣取り、開演を待ちます

 

 

左後ろの席にはお友達同士でしょうか?ご婦人の一人はどうやら常連でもう一人はジュリー初体験、名古屋の前に東京も行ってきたというベテランさんが前説に熱心です

 

 

一番重要なお隣には僕より少し年下40代後半~50代くらいの女性が座りました、綺麗な身なりで片手に缶コーヒー(ん?缶コーヒー?上手に置かんと転がりますよ)大好きな彼に会う前のような緊張とワクワク感が隣までひしひしと伝わってきます

 

 

ジュリーの前ではすべての女性が乙女に還りますラブラブ

 

 

開演5分前の1ベル

 

後ろのご婦人が「わああああああ、始まるね、あのね、最初の曲はコロナの日本に向けたジュリーのメッセージだからね、『護り給え』って曲、ちょっとゆっくりだけどじっくり聴いてね」

 

 

 

 

おいおいおいおいおいおいおい!!!!アセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセ

 

 

ご婦人!それはあかんやろ!ムカムカ

 

 

こっちは毎回沢田研二700曲の中からセトリ予想して、何曲当たるか楽しみにしてきてる

Twitterお友達のひだまりさんに鍛えられて「ひとりドレミファドン!」(←イントロあてクイズね)も楽しんでる、それをなんてことしてくれんだよ!ガーン

 

 

ずっと事前ネタバラシ解説付きで観るの?俺?

 

 

 

そして本ベル

(ジュリーのファンで会場にいない方は一斉にTwitterで「ぶーーー」ってやります)

 

 

 

 

 

1曲目

「護り給え」アルバム『告白-CONFESSION-』より

 

あああ、マジかあガーン、まあいいやここは集中しよう

 

 

3曲目

~MC布袋寅泰!キッカケ~からの!いきなり!!!

「そのキスがほしい」

 

 

 

 

隣の女子は

「そのキスがほしいいいいい」の両手を上げてリズミカルに手拍子のところ

「はあああとで~はげ~しく~だいてえええええいえいえいえ」

の右手のナナメにフリフリ上げるとこ

 

か・・・・・完璧やないか・・・・

この女やるなキョロキョロ

 

 

 

後ろのおばさんが「●●ちゃん!次だよ!次!大好きな曲ストリッパー!」

 

 

 

「ストリッパー」

 

 

「春でも~あーきーでも~まふーゆーでも~」

のとこ、右腕肩から肘の角度に気を付けながらの内側→外側→内側のフリ

「おおまえのすべてをおおおみったいいー」のグー

 

隣の女子はここも完璧な所作

 

 

ヤバい、これはこっちも本気出さないと勝てないアセアセ

 

 

ジュリーが握りこぶし作って、カズさんがギャアアアンってギター終わって、ふうっって思ったら、ドラムの「1・2・3・4!」から、1982年当時は「アルプスの少女ハイジ」主題歌でおなじみの伊集加代さんがコーラスを担当したあの特徴的なイントロ

 

今回はすわさんと山崎さんと、ギターのカズさんとベース市川さんとみんなで

 

 

I don't need your love at all love at all love at allルンルン

 

の大合唱!きました!!!6曲目だけに

 

「6番目のユウウツ」

 

 

 

「6番目のユウウツ」は

まいにちぼくねーむれないやーるーせーない音符のサビ部分

「HA!HA!HA!」で場内一斉に右手でこぶしを掲げます、この時の注意は肘を支点にするのではなく、顔はやや左下向きに、右手のこぶしの軌道はその反対、右45度を目指して突き上げます

 

そこまではカンタン難しいのはラストです

 

 

レコードではフェードアウトで終わるけどLIVEは最後「heil!」でEXOTICS一同ビシッと決める、ジュリーとファンはその「heil!」に合わせて右手のひらで〇〇〇式のような敬礼・・・

 

 

このタイミングが、難しい・・・

 

「ゆううううう、ううううう、つうううう、だああああよおおおお」の最後の「よ」から数えて実に16小節、2000人の会場では遅れて敬礼するひと続出、遅れまいと8小節や14小節で上げてしまう方もチラホラ

 

 

 

この難関を難なく乗りきらないとLIVE完遂のミッションは果たせないのです

 

 

 

 

ここだ、隣の女に圧倒的な差をつけるのはここしかない、チャンスだ

 

 

 

 

僕はおもむろに手帳を取り出し、ここまでのセトリをメモ、「だあああよおおおお」のときにはペンを走らせ、敵を油断させる作戦に出ます

 

 

頭の中はしっかりとカウント

 

4小節、8小節、12小節・・・・だんだん近づいてきます、まだペンをもったまま手帳をみています、15小節・・・緊張感が体を包みますそして

 

 

運命の16小節

 

 

「heil!」

 

 

 

決まった・・・・完全な右手、角度、タイミングともに完璧なフィニッシュ・・・我ながらこれは美しいこれぞ「6番目のユウウツ」を完遂した達成感

 

 

隣の敵はどうだ?

 

う!!!!アセアセアセアセ

同時やないか・・・まったく完全なタイミング

 

後ろは?おばはんは?

なんか、いま、ゆっくり堂々と上げとるがね・・・

 

 

 

いや、強いな、この隣の女はホンモノだわ

 

その後も

 

 

 

「カサブランカダンディ」

「憎みきれないろくでなし」

「恋のバッドチューニング」

 

俺たちは二人とも非の打ちどころのないフリをこなしていった、敵ながらあっぱれじゃねーか

 

うしろのBBAはイントロが始まるか始まらないうちに曲の解説を続けている、いらん!あんたの解説はいらん!しかもまあまあ間違っとる!

ザ・ベストテン7週連続1位は「カサブランカダンディ」ではなく「ダーリング」だ

「憎みきれないろくでなし」は勝手にしやがれより前のうたではない

 

 

 

 

 

 

そして、運命の瞬間はおとずれた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポラロイドGIRL」

 

 

きたあ!ついにきたあああああ!!!!!

 

 

70年代の俺は小学生、だからこれまでは同等の勝負だった

80年代後半から90年代に入ると、ジュリーファンの女性の大半は結婚・出産・子育ての時期に入った

 

いわゆる「中抜け」の時期だ

 

 

皆様の子育て本当に頭が下がります、イクメンなどどいう概念も言葉もなかった時代、日本のお母さまたち、ありがとうございます、こっちはのうのうと合コンしてました、ジュリーのコンサートにも女性と行ってました、すみませんでした、役に立たなかった世の中のすべてのダンナに代わってこの場でお詫び申し上げます、ごめんなさい!

 

 

とはいえ、だからと言って容赦はしねええよ

 

 

AORから王道ロック路線に戻った記念のアルバム、カズさんも戻って村上ポンタ秀一一や吉田建の黄金バンド、そしてシングルカットされたプリプリ奥居香の提供楽曲、ジュリーLIVEでは「彼女はデリケート」「愛までまてない」に並ぶ超絶アゲアゲ曲それが「ポラロイドGIRL」

 

 

さすがにこの時期の曲はついてこれないだろ?

お嬢さん、ここまでの健闘は褒めてやろうじゃないか

 

 

だが、ここまでだ「お嬢さんお手上げだ」とはいかないようだ、どうやら夏のピエロにもならなくて済んだ、もはや勝利は目前だ、勝ったも同然

 

 

俺の気分はヤマトがどれだけ波動砲で頑張っても遠く及ばない白色彗星帝国のズオーダー大帝だ

 

 

もう、高笑いがとまらない

 

 

さあ、人間よ、弱く悲しい地球人よ「ポラロイドGIRL」が始まるぞ

 

 

自分の無力感をたっぷりと味わうがよい

 

 

わ~ははっはっはっはっはっは

わ~~~~~はっはっはっはっはは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

波乱に満ちた後半へつづく

 

隣のデキる女性の運命やいかに?

そして後部座席解説BBAその末路は?

 

 

 

 

#沢田研二#ジュリー

貴族さんへ

 

今年も5月30日になりました。

1999年からはや24年です、そら自分もおっさんになるわ思います。

 

最近深夜に現れませんが、そちらはどうですか?お元気ですか?

 

「俺は死んでるのに元気もなにもあるか!」って笑顔での返しが聞こえてきそうです。

 

貴族さんの愛した中日ドラゴンズは最下位独走中ですが、まだ死んでません、それどころか新しい才能が次から次へと芽吹いてきて生き変わろうとしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は嬉しいご報告が2つあります。

 

 

あの1999年当時、一生懸命励ましてくれた山﨑武司さんが最近のYoutubeで池田貴族さんのことを話されてました、しかも「友達の・・・」という表現です。ね!嬉しいでしょ。

 

 

 

その武司さんの他、中村武志さん、山本昌さん、井上一樹さん、川又米利さんら中日ドラゴンズのレジェンドやドラゴンズファンの著名人の皆さん(イチローさんは断念しました)にもご参加いただき、ドラゴンズの新しい応援歌をリリースしました。

 

 

 

作詞作曲のくらはしかん先生からお話をいただいたのが2年前で、そこから入念に準備をし、昨年から中日新聞社、中日ドラゴンズ球団関係者の皆様とお話合いを重ね、ご協力いただき、ようやく悲願を達成し世に出しました。

 

 

貴族さん生きてたら絶対参加していただきましたが、死んじゃってるから残念でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、まだ生きてます。

 

 

 

 

失敗し、ミスを重ね、恥を掻き、一時は自分でも生きてるのかわからない状態にもなりましたが、まだ生きてます。

 

貴族さんの遺した強烈な生へのメッセージを直撃された身としては生き続けなきゃダメだと思っています。

 

あのとき、ちょうどコロナ渦のとき「俺が助けてやる」「俺に任せろ」と近づいてきたほとんどは盗人でした、でも本当に助けてくれた人たちもいました。

 

汚い罵声の中で勇気ある女性から

「パフォーマンス落ちてるとか泣き言ってる時間などない、さっさと私の仕事を取ってこい」

 

 

とあるお父様からは

「あんたぁ、こっから復活したらすごいよなぁ・・・」

 

 

いくつかの優しさ溢れる言葉をいただきました、最近になってそれをまた思い出せるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉は平然と人を殺します

 

 

 

 

言葉は地獄から人を救います

 

 

 

 

 

 

さて

 

 

 

 

日本はどうでしょうか?

 

 

 

 

いきいきと輝いて「生きている!」と大声で自信をもって世界に言えるのでしょうか?

 

 

ゆっくりと、互いに魂を殺し合っていないでしょうか?

 

 

 

「●●線は人身事故の影響で・・・・」週初めにはまた通勤電車が止まります

 

 

 

自殺者数の割合はG7の中でダントツの1位を継続中

 

 

若者の死亡原因の1位は自殺

 

 

女性・子供の自殺が増加・・と言っていますが、それは「増加」であってその倍以上男性の自殺者がいます。

 

 

 

この国は、異常です。

 

 

 

どうにかして人を貶めてカネを稼ごうとする週刊誌とネットと、それをバイブルと崇め信仰する人々が我が世の春を満喫するがごとく大手を振って道の真ん中を闊歩しています。

 

成功者の足を絡めて川に落とす知恵と技術に関しては超一流の国に成り下がりました。

 

 

一旦川に落ちたら最後、覆面を被った人たちがどこからか湧いてきて安っぽい正義のプラカードを振りかざし、血だらけになるまで殴ります。赤く染まった川に沈んで見えなくなるまで石をぶつけます。

 

 

そして彼らは高揚した気持ち悪い顔で気持ち良さそうにお互いを称え合います

 

 

「我々は正義の行いをしているのだ!」

 

 

 

被害者を探して、被害者を祀り上げ、ときに被害者を捏造してまでも、集団で、言葉で人を殺します。

 

 

 

僕は彼らをこう名付けました

 

 

「プロ被害者」

 

 

とその生成者です

 

 

 

本来、有名・無名にかかわらず殺人や強盗など重大な罪を犯した人以外は部外者から言葉の集団暴行を受けるべきではありません。ましてや年老いた両親と一家心中する悲劇など絶対に起こってはいけないと考えます。

 

 

 

プロ野球も、梨園も、神事も、学校内での恋愛も

 

多くのことは当事者同士のみの問題です。密告者と、カネの匂いを嗅ぎつけた週刊誌と、どこからか湧いてくる部外者が騒ぎ立てるべきではないのです。「私も間接的に被害者だ、あなたも被害者だ、被害者はもっと名乗り出るべきだ」平静に暮らしている人たちにとっては余計なお世話でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

今、自殺大国日本で起きているトラブルのほとんどは「シャーデンフロイデ」と「スパイト行動」で説明がつきます。

 

 

 

密告を奨励し、人が壊れていく様子に快楽を覚え、努力して這い上がった者をプロの被害者と生成集団が断罪する、そんな国から、寛容と礼賛をもって称え合う国に戻ってほしいと願っています。

 

 

 

 

 

 

貴族さん、今、あなたが生きていたら、あの鋭い舌鋒で世相を斬りまくってくれるでしょうに。

 

 

もはや闘将や闘魂や豪傑の生きる空間と時代はテレビにもラジオにいなくなってしまいました。

 

 

 

でもね

 

 

 

それでも

 

 

エンターテインメントの力はすごいですよ

 

 

僕らは衣食住の次の商いだから本来は必要ないもの・・・・と自虐的に呟いてました。

 

でも違ってました、騒ぐな、歌うな、集まるな。コロナを経験した我々は思い知らされました。人間はエンターテインメントなしでは生きられないのです。

 

 

 

 

「元気があればなんでもできる」猪木さんは最後までこう日本人にメッセージを遺して旅立っていきました。

 

 

 

元気がなければごはんも食べられないし寝られないし外にも出たくありません。

 

 

 

逆転ホームランの大歓声

 

 

年老いたスーパースターの力強い歌声

 

 

アイドルオタクのミックス

 

 

美しい女性の肢体

 

 

 どれも絶望をなぎ倒し希望の旗を立て日本を元気にしてくれます。

 

 

天照大神に天岩戸を開かせたのもエンターテインメントの力です、日本に光を取り戻させたのは古事記の時代からそうだったのです。

 

 

 

 

 

現代日本で、アジアで、世界で、池田貴族の生きたエンターテインメントの世界でたくさんの感動を見たいし、もっともっと才能を発掘して世に出し続けたいです。


そして僕自身もまだ挑戦したいことがあります。

 

 

 

 

来年2024年5月30日は、あの日からついに25年

 

 

 

 

素晴らしいが報告できるように頑張ります。

 

 

 

 

それではまた来年






 

 (写真は池田貴族さんと中日スポーツ紙面で対談した星野仙一さんのお墓です)

 

 

 

 

 

 

1999年池田貴族チャリティーLIVE「貴族大生前葬」実行員会事務局長 中村浩一

 

 

 

 

その合宿に行くと、まずは教祖がいかに優れた人物であること、世界史上の教義すべてを統一した預言者であること、を延々と聞かされる。

 

そのあとが地獄の始まりで・・・・

 

朝は普通に出ていた食事も昼・夜は出されず、有難いお話は休みなく深夜まで延々と続き部屋には鍵がかけられ、そしてトイレに行かせてもらえない。

 

男性の何人かは最初反抗の態度を示すが力で押さえつけられ身動きはとれなくなる。

 

数時間立つ頃、阿鼻叫喚の中、失禁する若い女性、屈辱に耐えてきたも力尽きて脱糞する男、狭い部屋で汚物にまみれ羞恥心は奪われ空腹と凄まじい異臭の中、文字通り汚辱の中で絶望感だけが人間を支配していく。

「風呂に入れてくれ!」「着替えさせてくれ!」「水を!」「食べ物を!」「ここから出して!」「家に帰して!」

 

 

そんな声もやがて聞こえなくなり全ての思考が奪われ夜が明けるころ

 

静かにドアが開き全員が広く清潔な風呂に案内され、汚れた衣服の着替えを許される。

 

身辺の安全を取り戻すと次に人間を襲うのは激しい空腹感です

 

 

通された部屋には大きな食卓があり、そこへ豪華絢爛に彩られた溢れんばかりの食事が運ばれてくる

 

 

「真のお父様からです」

 

 

上級の信者がそう告げると合宿参加者は口々に「お父様のご慈悲だ!」「お父様ありがとうございます!ありがとうございます!」と叫びながら号泣し、最大の感謝の気持ちを持って食事に貪りつく。食器も箸も使わずフルーツにかぶりつき、肉を引きちぎり、泣きながら食べる、飲む。

 

 

その後のお話は全員が集中力を持って従順に聞き入り、感涙し、賛同し、洗脳は完了し、参加者全員が完全な信者となる・・・・

 

 

 

 

 

 

 

以上が、20代のころ(1990年代)聞いた統一教会を脱会したという同世代男性の話ですが、当時は本当かな?と思っていました。ですが、今となってはさすがにこれは犯罪行為だからかなり盛ってるどころか、真実味に乏しいと思います。



僕が狂信的な宗教よりも怖いのはこの国の人々の持つ集団への強い帰属性です。それが地震や津波など災害時には良い方向に出ますが、反面、はみ出し者や一度ミスを犯した人を攻撃する際の負の団結力は恐ろしいものだと考えます。

 

 

統一教会の奴らは全員悪い奴だ!何人もいくつもの家族を破滅に追い込んだ悪魔の集団だ!だから少々のウソでも虚言でも奴らを攻撃しても許されるんだ!という考え方です。

 

 

 

擁護するのではありません、日本人はもう少しメディアリテラシーを向上していかないと、一部の週刊誌報道や歪んだネット記事にこの国の人々が支配されてしまいます。僕はそれに恐怖を感じているのです。

 

 

 

以下は僕の実体験のみを書きます、繰り返しますが擁護ではありません、攻撃と捉えられるのも怖いので、実体験のみをただ記しておきます。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

Nさんは同じ中学の同級生で、成績は優秀、名古屋学校群の名門N高校を卒業後、お嬢様大学として有名な女子大のS大学に入学しました。

 

僕は中学では生徒会長だったり比較的目立っていた存在で、彼女とも同じクラスになったことがありました。

 

 

大学2年生のある日、Nさんから電話がありました。

 

 

「こういち君、久しぶり、元気?このあいだテレビ見たよ、こういち君ってさ、国際交流が夢だったよね?将来は日韓交流に役立つ仕事もしてみたいとか?」

 

 

 

「おお、よく覚えてるね!台湾や韓国や中国のことはずっと勉強してるしそういう会合にもたまに出てるよ」

 

 

「実はね、今度、日本と韓国の交流についての勉強会があって、私参加するの、よかったらどうかな?2時間くらい」

 

 

「さすが、名門大学生!いいね、俺なんて最近合コンとディスコと麻雀しかしてないからいくいく!たまには勉強しなかん!」

 

 

 

 

 

で、とある日曜日、名古屋駅前の一等地にあるオフィスビルに行きました。

 

記憶が確かならば、その後出版社時代に担当取引先となる広告会社の「マスコミ企画」が入っていた本当に名古屋駅前の、建物は古いけど一等地のビルの1フロアのかなり面積があったと思います。

 

 

 

彼女は中学時代と変わらぬ笑顔で出迎えてくれて他の大学生らしき男女20人くらいと一緒にビデオと講義を受けました。

 

 

日韓トンネルの実現に向けて活動している人たち、日本と韓国はもうすぐ文化交流が始まって、その後政治的にも関係が良くなっていくであろう予測、その時に学生や若者同士が国籍に関係なく自由に交流できるサークルの創設。

 

 

 

ちょうど90分非常に興味深い話が聞けました。

 

 

 

 

「いやあ、Nさん!面白い活動してるね!とても勉強になったよ!」

 

 

 

「でしょ?良かった!実はねこのあともう少しレベルの高い話ができる人たちがいるんだ、時間あったらそれもどうかな?」

 

 

「うん、いいよ、どうせ今日バイトないし、もっと面白い話なら聞きたい!」

 

 

 

 

で、ビデオルームとは別室へ。

 

 

そこは、1対1の対面式の机が20組ほど。Nさんに座るよう指示された椅子の反対には、少し年上の男が座りました。

 

 

 

「君の夢はなんだ?親のカネで大学に行って、ロクに勉強もしないでバイトして女のケツ追いかけて、20歳になろうというのに恥ずかしくないのか?戦時中であれば立派な大人だ、みんな将来のことを真剣に考え自分の夢に向かって努力してなきゃだめだろ」

 

 

 

え?  僕は即座に反論します

 

 

「あの、すみません、僕の家決して裕福ではなのいですが親からは『遊べ、もう勉強などするな、ひたすら遊べ、若者らしく合コンへいきなさい、ディスコへ行っていい女をナンパしなさいブスはダメです、さあ、人生でたった4年間の自由な時間、どうぞ思い切り遊びなさい』って言われてるんで、今んとこ夢とかないんです・・・」

 

 

 

「呆れたな・・・そんな親いるのか?中村君は自分では恥ずかしいと思わないのか?」

 

 

「まあ、特に、あ、でも『勉強するな』って言われたんで、僕反抗期なんでめっちゃ勉強ばっかしてますが、特に世界史」

 

 

 

「そうですか?それは良かった、いいですか?日本は50年毎に浮き沈みを繰り返しています。明治維新で内戦状態になり、50年後日露戦争に勝利し栄光の国となり、その50年後太平洋戦争に敗れ、今1980年代の日本はこれからの繁栄に向け大きな分岐点と・・・・」

 

 

 

 

「いや、ちょっと待ってくださいね、今、日露戦争に勝利って言いました?いやいやいやいや!あなたね?世界史に於いて国対国の戦争の勝利の定義って知ってます?首都落として、全土を完全に制圧して武装解除して調印して賠償金ガッポリもらって勝利でしょ?あれはね、東郷平八郎や有能な参謀達の活躍でバルチック艦隊をやっつけたけど、莫大な国家予算の損失と戦力も残ってなくて、結局賠償金1円ももらってないんですよ、つまり局地戦には勝ったけど、命からがら終わらせた戦争でそれを繫栄の象徴みたいに言うのは違いますよ、わかってます?」

 

 

「・・・・・・そうなんですか?でも勝利には違いないでしょう?」

 

 

「確かにね、局地戦とはいえ世界史上初めて黄色人種のアジア人がヨーロッパに一矢報いたことで、その後のインドやアジアの植民地の人たちに勇気を与えたのは大事件でしょうね、でも50年ごとっていうのも10年くらい違うしね、それいうなら39年と89年の法則知ってます?1789年、1889年、1939年、そして来るべき1989年には必ず世界史を揺るがす大事件が起きるはずです!」

 

 

「あなた、詳しいですね・・・」

 

 

「そりゃあね、自慢じゃないけど、僕世界史以外の偏差値50くらいですから」

 

 

「え?偏差値60ないのによく私に偉そうに語れたものですね、そりゃあ、自慢にもならないですね」

 

 

「あ、お前今俺をバカにした?ちょっと表出ろやコラ!いや、やっぱり出るな、お前そのまま俺の話を聞け!」

 

 

その後も1時間ほど座らせたまま彼の論説をことごとく論破、僕から彼への説教(ごく一部人格否定)は延々と続き、ついに彼は泣き出してどこかへ行ってしまいました。

 

 

 

(男が泣くなよな・・・・まったくあんなレベルのヤツを俺に当てるなよ)

 

 

 

 

 

次に出てきたのは40代くらいの頭のよさそうな人でした

 

 

 

「中村さんでしたっけ?随分といじめてくれたようですね」

 

 

 

顔は笑っていても、眼光鋭いというか、さっきのマニュアル君とはちょっと違う威厳を感じました。

 

 

気づくと、さっきまで20人ほど座っていた大学生たちは僕ともう2~3人になっていました。

 

 

「他の人たちは?」

 

 

「ああ、みんなサインして帰りましたよ、中村君も合宿参加用紙にサインして帰りませんか?楽しいですよ、合宿。世の中の分からなかったことがピター-------っと全てパズルにはまる感じ」

 

 

「2万円?いや、そんなお金ないんで、それに僕はもう帰りたいのに帰してくれないって、これって監禁じゃないですか?」

 

 

「中村君ね、ほら、出口は少し空いたままでしょ?それにほら目の前にジュースもある、それを監禁って言わないんですよ」

 

 

僕はこのおじさんにも論戦を挑みましたが、19歳の社会人経験のない知識ではとても太刀打ちできません。

 

 

名古屋支部?の幹部ともなればそれなりの知識とプレゼン力を持っていました。

 

 

午後6時となり、ついには部屋の中には僕と幹部だけ、他の大学生はサインしてしまったのか?逃げたのかわかりません。

 

 

「すみません、あなたの言っていることは正しいのかもしれませんが、今日は疲れました、帰りたいです、帰してくれないのなら暴れますよ」

 

 

「ははははは!仕方ないですね、君、テレビに出ているらしいね、君みたいな学生がウチに入ってくれると心強いんだけどなあ」

 

 

顔は笑顔でしたが、後ろから腕で首をロックされ意識が飛びそうになりました(ヤバい、意識が飛ぶ・・・)

 

 

力を緩めて、一瞬逃げて振り返ると、その顔は笑顔ではなく、人を刺すような目でした。

 

 

息を整えて「帰ります・・・」

 

 

と言って出口に向かうと、Nさんが部屋に飛び込んできました。

 

 

 

「こういち君となら一緒にできると思ったのに!!!!!あああああああ!!!!!!!」

 

 

Nさんは泣いていました。でも正直僕は恐怖しかありません、よくも僕を騙したなN

 

 

口をきくことなく、目も合わさず部屋を出て、ビルの外に出ると、もう外は真っ暗でした。

 

 

「6時間以上か・・・・疲れたな」

 

 

 

 

自宅に帰ってすぐに同級生何人かに電話しました

 

 

「Nさんがおかしな宗教に入っている、誘われても絶対にいかないように」

 

 

不思議と誰もそんな誘いは受けてないと言ってましたが、その後のウワサでやはり何人か「講義」に誘われたのと、中村区内にある豪邸が壺でいっぱいだったこと、脱会させようと友達が家を訪れると明らかに空気がおかしくなっていたこと、やがて自宅が更地になっていたこと、がその後わかりました。

 

 

 

今となってはNさんとその家族がどうなったか誰も知りません。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

以上が僕の体験談です、衝撃的な体験だったのでよく覚えています。

 

 

その後、もっと後に最初に書いた「合宿」の話を聞いてゾッとしましたが、繰り返しますが、これはおそらく事実ではないと思います。

 

 

 

 

 

どうしてNのように真面目で裕福で優秀な子がカルト宗教にハマるのか?

 

 

 

 

 

何年か後、部活の連中とNの話になったときひとつひっかかる話がありました。

 

 

 

中学時代、みんなで中区丸の内にあったボウリング場に行ったとき、たまたま誰も学生証をもっていなくて受付の人から大人料金を支払うよう言われました。みんな渋々払っているとNが

 

 

「みたらわかるでしょう!どう考えたって中学生はないですか!大人料金なんておかしいでしょ!!!!」

 

 

と受付の男性と大モメしていたのです。

 

そんなことを思い出しながら

 

 

 

「自分の考えは絶対に間違っていない」

 

 

 

と考えてしまう頭のいい人ほど一度信じてしまうと抜け出せないのかもしれませんね。

 

(適当に遊べと言ってくれた親に感謝?かなあ)

 

 

 

 

このお話の最後に・・・・

 

 

 

僕らは「壺だらけになって、最後家まで取られてかわいそうに」と思うかもしれませんが、Nさんとそのご家族にとってはもしかしたらそれが幸せかもしれないと思うのです。

 

 

だから一概には言えない、それが信仰であり、カルト宗教の怖いところかな、と。

 

 

 

でもね、やっぱり家族のだれかが不幸にと感じたり、他人にも迷惑かけちゃいかんですよ、ウソをついて僕を6時間軟禁した事実は残ったわけですからね。

 

 

 

 

だいたいね、20歳そこそこで人生の全てを知ろうとしちゃダメですよ、実社会でのささやかな学びと壮大な遊びこそ自分探しの大冒険なんだから。

 

 

 

Nさん、どこかで元気に生きてたらいいな。

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※次回、死にかけた話へ続く

 

今年も行ってきましたあ!嫁に置き手紙して

 

 

 

 

 

旅先は刈谷市文化市民会館上差し

 

 

 

 

まずは【速報‼️】

◆沢田研二はLIVEリハ3曲しかやらないことが判明!!(加山雄三はLIVEより長くやる)

◆ツアーTシャツは6,000枚追加発注!!神戸くらいから再発売かも、でも間に合わないかも

◆ すわしんじさん、ハケ際に「エンヤーコーラヤ」のフリを披露!!

 

 

 

で、いつもならセットリスト(ネタバレ注意)丁寧に書くのですが、それは後日追記するかもです(本当に今お仕事が忙しいんで、この後まだまだ残業なんです)




オープニングで犬の鳴き声聞こえたとき「うおおおおおおお!!!!きたああああ!!!」ってなりませんでした?

2曲目で、お?これは飛ぶのか?74歳ジュリー飛ぶのか?って思ったらやっぱり飛んでましたね!!びっくり

そんで6曲目からあの3曲連続で演るの初めてじゃないですかね?

 

で、で、で13曲目くらいから気づきました?

 

ビロードの声ですわ~キラキラキラキラキラキラ

とは言え最近は終盤まで高音は擦れ気味だったんですけど、久しぶりに純度100%のツヤっツヤの声聞いて鳥肌立ちましたわ。

 

でそのまま、沢田研二史上最速BPMのあのノリノリの曲ですよ拍手拍手拍手拍手

 

ジュリー(74歳)ヘッドバンキングしまくるから僕も頭フラフラになるまでやってたら隣のお姉さんも若干フラつきながらしてましたわ、いやああ、健康に悪い悪い・・・

 

この声で、今の状態で、バラ―ド1曲聴きたい~~~~~って思ってたら

 

これ、来ましたよ。去る90年代、LIVEで一緒に行った女性(ジュリー初めて)が「なんて綺麗な・・・・」っていって涙ぐんでたあの名曲

 

で、アウトロのとき、今日一番巨大な赤い旗旗が靡いてましたね、ライティングも赤い旗が大きくはためくように。

 

 

 

 

つまり、だ

 

 

 

このバラードのタイトルと、風に靡く赤い巨大な反旗、そしてジュリーの目線の先

 

 

 

この演出に込められた意味をしっかり受け止めました。

 

 

 

ジュリーは「あの地」に着実に向かっているのだ、と。

 

 

 

 

 

MCです~~~~~~~~あせる

※毎回、当日のメモと記憶が新しいうちに書くのですが、意訳が間違っていたりします、現場におられた皆様、修正はぜひご指摘くださいませ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

コロナでまだまだ立てないし、声出せないし、みなさんも大変ですね

 

僕も得意の水芸が使えない、座席もこんないい席1列目が使えない、僕は飛沫飛ばさないんですけどね

 

 

 

 

 

埼玉スーパーアリーナは、リハーサルまでは行ったんですよ
(客席笑い)

 

客席の黒い幕が・・・・・(←ここはマスメディアが鬱陶しいといかんので自主規制で書略します)

 

普通の大人だったら(ドタキャンせずに)やるで

 

でも僕・・・フツーじゃないもん!

(場内拍手喝采!)

 

 

フジテレビのナントカタローが「沢田研二は自ら芸能生活に幕を下ろした」とかね

 

●●●って言いたかったんですけど、関西弁で言うとまた書かれるから

 

とろくさ~、たーけ

(愛知県民のみ笑い)

 

 

加山さん、拓郎さん(←さん付けなんですね)はLIVEは最後とか、番組に出て最後とか、宣言して区切りをつける

 

でも僕はそういうやり方はしませんよ

 

どこまでやれるかわかりませんが、やれるところまで、声がでなくなるまで、足はいまは車椅子いいのがあるから大丈夫だけど、横浜でジャンプしたときグニャってなりそうになって・・・

 

それより音程が、自分の声が分からなくなるのが怖い。

 

 

加山さんなんて本番よりリハーサルのほうがたくさん歌うらしいです、僕は今日もリハーサルは3曲です、いつも、たくさんやると声がかすれる。

 

 

 

Tシャツは横浜で全部売れちゃって次回入荷予定がわかりませんが、神戸くらいから再発売できるかもしれない、年内に6,000枚発注済み

 

 

上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印

だいたいこんな感じでした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

アンコールはあれと夏の大ヒット曲と

 

 

最後は、おおおおおおおおお~~~~って余韻をたっぷり残してくれました。

 

 

 

 

 

帰り際、僕のTシャツをじー---っと見てる方がいましたので

「1998年のツアーTシャツです」と言うと

「ええ、知ってます、懐かしいですね」

「今日は良かったですね!」

「もう、ジュリービタミンを」

「あははは、たっぷり補給しました?」

「満タンです~」

 

 

 

 

他にもTwitter見てますとか、お声かけいただきました、ありがとうございます

Twitterお友達のヨウコさんと(掲載許可済み)

 

 

 

 

 

次回は愛知県芸術劇場行きます。

 

 

それまで、ジュリーも皆様もごきげんようパー

(ヒントでも一部ネタバレありましたらごめんなさいショボーン

 

 

 

中村浩一

 

 

 

 


 

 

 

まずは深く深く御礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

この20年間、失敗は全て自分の不徳

 

ささやかな成功となんとか今日まで生きてこられたのは多くの「お蔭様」

 

お世話になった方に全て感謝の気持ちを書くと1年以上かかりますのでそれは死ぬまでにやります

 

 

 

2002年1月6日、バイト先の中華料理屋をインフルエンザで1週間休んだら無断欠勤扱いでクビになり、ロッカーのスーツも盗まれ、真冬に薄いシャツと下半身はパンツと靴下と革靴で泣きながら納屋橋交差点を歩いていた夜。

 

 

広告の仕事ならできるかもと個人で初めて、1月6万、2月9万、3月15万・・・・7月には100万円近くを稼ぐようになりました。

 

そしたら友達でDJで税理士の武山が来て「中村さん税金のことわかります?このままだと売上1億円くらいになってものすごい金額を払わなければなりませんよ」18年後、mdmを救うことになるこの男が笑いながら言った。

 

 

「え?ぜ~きん?なにそれ、そんなお金ない、使っちゃってない」

 

 

「だったら会社にしたらどうですか?税金対策は随分有利になりますよ」

 

 

「お?かいしゃ?俺社長?税金安くなる?じゃ作る!」

 

 

で2002年7月29日に有限会社mdm設立、大好きな雑誌広告をメインに、10年後にはデジタルモバイルに広告媒体が変わっていく、時代の変化を察知し順応していく会社という意味。

 

 

 

小堀社長のご厚意で事務所は月刊Cheekの別館ビルの4階の隅っこ。机ひとつ、FAXは共同使用

 

 

そっからオシャレなオフィスビルに引っ越して従業員12人まで増やして、この先10億、20億まではチョロいなって思いながらポールスミスのスーツを着て青年実業家ごっこをしていました。

 

高級スーツのお尻がすぐに破けること以外は順風満帆でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてリーマンショックが襲い掛かります。

 

 

仲間の同業者は毎月のように倒産し、うつ病になり、命を絶ってしまった仲間もいました。

 

 

 

mdmも毎月600万のレギュラークライアントを失い、他にお金を払わず逃げられた未収金額が数百万発生しました。

 

 

広告業は100万売って利益が15万程度の商売です、それが10万になり、5万になり・・・このまま続けても倒産は避けられない状況です。

経営コンサルタントからは早めの自己破産を勧められましたが、ここでも武山が「あなたの性格的に諦めたら絶対ダメだ!」と言い張りました。

 

このとき、政権交代が起こり、亡くなった安倍さんが「悪夢の・・・」とバカにしていた当時の民主党政権が制定した「セーフティーネット法案」に僕ら中小企業の経営者は命を救われます。

 

 

会社の延命措置をしている間に藁をもすがる思いで名古屋のトップのお金持ちの人たちと交流を持ち大須に彼らの趣味のためにレースクイーンの派遣会社を作りました。

 

 

そのタイミングでラグビー仲間からCBC開局60周年記念ドラマのコーディネートを仰せつかいます。

 

 

豪華キャストと堤幸彦監督の作品は話題を呼び、このドラマを通じて現在も芸能界で大活躍している森咲智美、清里千聖、高橋萌らとの邂逅がありました。

 

それら若き才能に溢れた美少女たちもオーディション参加を表明し、乾坤一擲、16ページの企画書を大須商店街連盟に魂を込めてプレゼンしました。

 

 

それが全国初の商店街アイドル「大須スーパーアイドルユニット」略してOS☆Uです。

 

 

伴ちゃんや瑛里香や岡島も参入し、OS☆Uは1年くらいで人気者になりました。

 

 

 

 

でも彼女たちが人気者になっても僕には1円の給料もありませんでした。

 

 

とうとう、大須の会社を去ることになり、でも僕はお金持ちのオーナー様のおかげで獲得したアイドルビジネスのノウハウを手にmdmの再建を図ります。

 

 

2012年に自分の会社mdmで、誰からも口出しされず、100%自分のアイディアでプロデュースする新しいアイドルユニット「dela」を立ち上げました。

 

 

 

会社の従業員は「俺たちは広告マンとしての中村浩一についてきた。女子中高生をカネに変えるビジネスには付き合えない」と辞表を投げつけられました。

 

 

とうとうmdmは、僕の専門学校の生徒だった事務の神田さんだけになってしまいました。

 

でも自分のプロデュースに間違いはない絶対的な自信はありました。

 

 

 

 

中日新聞社やCBCテレビ・ラジオ、東海ラジオ、FM愛知、そして麻雀仲間が多いメ~テレ、名古屋のメディアのほとんどはこの新時代の産業をこぞって応援してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

delaは2014年に名古屋アイドル史上最高の美少女「瞳さとみ」を迎え一躍全国区になり最初のピークを迎えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後2016年には名古屋の観光文化交流特命大使を拝命すると同時に松坂屋がスポンサーにつきます。

 

これで一気に風速が増しました。

 

 

松坂屋のモデルとアンバサダー就任の破壊力は凄まじいものでした。その後、愛知県、中日ドラゴンズ、中部国際空港、名古屋鉄道、すき家、Softbank・・・続々とdelaを応援していただく企業に参入していただきました。それにつれて本業である広告もしっかり仕事をいただけます。

 

 

愛知県の文化と産業は松坂屋とTOYOTAが創ってきたんだなあと思い知らされました。

 

 

 

2019年には海外進出は21回を数え、全国誌と名古屋のメディア露出も多くなり、収入面においても年収500万円超のタレントを複数名輩出することに成功しました。(delaはいわゆる握手会・チェキバックはゼロで全てモデルとしての肖像権料やタレントとしての芸能活動の収入です、なのでファンの方との交流を図るサイン会には500円で参加できるシステを作りました)

 

高校生以上の平均月収も20万を超え、僕が22歳のころ卒業論文に書いた「芸能文化の地域主権論」がついに達成した瞬間でありました。

 

 

mdmは経営のピンチを脱し、全ては希望の光に包まれ、このままいけば僕の収入ももう少し増やして、BMWを残価設定型ローンではなく現金で買って、またポールスミスを着こなすような生活に戻れると浮かれていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして2020年がやってきます

 

 

 

 

 

 

 

 

自身の大失敗とコロナのエンタメ業界への直撃、明らかな脳機能の欠損による経営判断のミスに次ぐミス・・・・

 

 

聴覚や運動機能にも支障をきたし、もう生きているための気力を保つのがが難しい状況に陥りました。

 

 

このとき、弱り切っている僕の姿を見て火事場泥棒のように盗みを働いた人たちの顔よりも「お前は必ず復活できる」と応援してくれた人たちの顔を僕は一生忘れません。

 

 

 

「汚名を着せられたまま死ねるか」

 

 

 

と思えるようになったのはようやく1年後のことです。

 

 

 

毎度ピンチの度に代役を引き受けてくれた武山、プロデューサーをかってでてくれた近藤薫さん、引き続き残ってくれた渡邉さん

 

 

最初に東京から駆けつけてくれ「絶対大丈夫だ」と励まして、有名な占い師を紹介してくれた小学校から親友のS

 

 

120万の現金を手にもって現れて命をつないでくれたタカリン、中村を助けるためだとCMを打つような業種ではないのに番組スポンサーになっていただいた岸社長

 

 

常に味方をしてくれ、名古屋の芸能文化の発展を真剣に考えてくれているFMAICHI横内さん

 

 

「大丈夫か!俺にできることはあるか?」と電話をくれて自社CMにタレントを急遽起用していただいた中広現社長大島さん

 

 

「なんで俺に相談しなかったんだ!」と激怒して殴ってくれた元ラガーマンでフォトグラファーの伊波さん

 

 

超多忙にもかかわらず話を聞いていただいた某出版社M編集長(ご迷惑がかかるといけないのでお名前は控えます)

 

 

自身の鬱からの生還を数時間に渡って話してくれた元警察庁のエリートYさん、40億の借金を全て返済した伝説の男、惟信高校同級生の田村誠

 

 

ボスはボスのままの厳しい助言をいただいた流行発信グループ小堀社長

 

 

 

「ラグビーグランドに帰ってこい!まだやれる!」と何度も熱心に誘ってくれたラガーマンたち

 

 

dela3期生の池永百合ちゃん、桑名ありさちゃん、あと元ベリーボタンのメンバーも「私は恩を忘れたくないので応援しています」とナイショでメッセージをくれました(バラシてごめん)

 

 

 

そして「中村さん、家にこもっていてはダメだ」とナゴヤドームやごはんや、時には泊りの旅行に連れ出してくれたdelaのファンのみなさん

 

 

 

物心ともにdelaを応援していただきながらも事故で急死された野村先生

 

 

テレビ業界の主でありOS☆Uのころから事実上の影のプロデューサーだった中Pさん

 

 

ウラで動いていた人間の真相を教えてくれた宇都宮先生

 

 

 

 

 

あと、迷ったけどどうしても記しておきたい方がいまして・・・・

 

 

 

 

 

それは清里千聖のお父様です。

 

 

 

 

それは素晴らしい演説でも力に溢れた説法でもありません。

ふらつく足でご説明回りに伺ったとき「大変だったね、中村さん大丈夫?」と心配して多くの励ましの声をかけていただいたあの有名な千聖ママの横で僕を指さして、ただ一言

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたぁ・・・こっから復活したらすげ~な」

 

 

 

 

 

これだけです。

 

 

 

この短い一言にどれほど救われたか、今思い出しても涙が出てきます。一生忘れません。

 

 

 

それまで毎日毎日、拷問のような、多くの激しい罵声と嫌味の籠った詰問と長時間の電話による尋問のような扱いも受けてきました。

 

 

これは当然で、自分の将来、また自分の娘のことを考えれば至極あたりまえの反応だと思います。

 

 

 

だからその人達を恨んだり、ましてや自分を被害者扱いすることはありません、当然の報いだからです。

 

 

 

 

 

 

 

OS☆UをZeppNAGOYAで卒業した翌日、8時間に及ぶ清里家の家族会議、そのときプロデューサーを離れてもう6年も経つ僕を呼んでくれました。

 

このご家族においては感謝の気持ちを日数で減らすることはしないのか?と思いましたが、それからさらに月日は過ぎていました。

 

 

 

それがこの名古屋弁のイントネーションのひとことです。おそらくご本人もそれほど重要な台詞を残したとは思っていらっしゃらないかと思います。

 

 

でもそのときの僕には魂の奥底まで刺さる一言でした。

 

 

 

ここから復活したら・・・・か。

 

 

 

そんなこと考えてる人がいるのか?

 

 

ということはこれは絶望ではないのかもしれない、今は無理でも、時がくれば、また頑張れるかもしれない・・・

 

 

とりあえず、今は生きることを考えよう。人に任せて、今は挑戦できなくても、まずは生きることを考えよう。

 

 

 

 

 

 

 

このお話は、僕がこの先もしも、成功者として認めていただけることになったら、ご本人と千聖ママにだけお伝えするべきで、次期尚早すぎるのは認識しております。

 

 

明日朝になったら恥ずかしくて消しているかしれません、でもこのタイミングでお話ししてしまいました、ただただ、感謝の気持ちをお伝えしたくて。そして、皆さんの回りに失敗して迷惑をかけてるバカがいたら、どうか罵声を浴びせるのではなく、励ますのでもなく、このお父さんのような声のかけ方で救われる人もいるのだという、それが日本社会にとってもしかしたらプラスになっていくヒントなんじゃないか?と、このひどい自殺大国の鬱社会においてそれを知っていてほしいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、武山が事務所に来て、儀式として毎年7月末に行われる決算書の20年目のまとめをしました。

 

 

武山と渡辺さんとmdmクライアントとdelaとファンの皆様のおかげで2年前の大赤字からは脱し、会社は黒字転換しました。

 

 

2020年秋に倒産の現実味が色濃くでていた会社は奇跡的に生き延びて20周年を迎えることができました。

 

 

 

 

 

運のみです。

 

 

 

 

自分の力、才能などほんのささやか。全てはピンチの時、力を貸してくれた人たち「お蔭様」

 

 

 

 

最後に、いつも支えてくれる家族と、幼少期から感謝の気持ちを持つことの大切さを説いてくれた母ちゃんと、いつも的確な助言とたまにおこずかいをくれる姉ちゃんと、20年前プータローから会社を作ったとき誰より誇らしげに眺めてくれて昨年その人生を終えた父ちゃんにも感謝を込めて。

 

 

 

 

 

 

いやあ、20年?なげ~よ!!!!!!それと濃すぎるだろ~~~が!!!

 

 

 

 

俺、あと50年くらいしか生きられんから、すこしづつ御恩は返していく、つもりではいます。

 

 

 

 

 

ありがとうございました!21年目もよろしくお願いいたします!

 

 

 

 

(あ、あと昨日を持って筆頭株主ヒラ社員の名刺は捨てました)

 

株式会社エムディーエム 代表取締役 中村浩一

 

 

こんばんわ

今年も5月30日を迎えました。

 

私、実は元気になりました、僕が元気なのを気に入らない人には大変申し訳ないのですが、脳も体調もほぼ元どおり、どころか誰もが思うより健康です。

 

帯状疱疹もなくなり、人の名前覚えられない以外は記憶欠損もなくなり、両耳も聞こえるようになり、漢字も書けるようになり、いろんなアイディアもジャバジャバでてきて、体力面では再び走れる…どころか、4月には9年ぶりにラグビーの試合にも出てタックルしまくりました。

 

 

そして今週、何年かぶりに故池田貴族さんがつないでいただいたご縁もいただきました。

 

~~~~~また、中村浩一様が以前、池田貴族氏の「貴族大生前葬実行委員会」をやられていたと思うのですが、その際に池田貴族のremoteのギタリストとして参加していたHIROも今回このイベントに参加致します。~~~~~~

 

もちろん、お仕事としてお受けさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、1999年の今日「死にたくない死にたくない死ぬならかわりに命をくれ!」と熱唱した名古屋の千種高校出身のミュージシャン池田貴族さん。今の日本はどうなっているのでしょう?

 

 

残念ながら、コロナが終息に向かっても自殺者が絶えることはありません。

 

 

芸能人の自殺、働き盛りの男性の自殺、女性の自殺者も増えていますがニュースになるのは「増えている」から、その何倍も男性の自殺者は多いままです。

 

 

『シャーデンフロイデ』

 

『スパイト行動』

 

 

これら災害国日本の負の側面である考え方や攻撃性により、一旦失言や失敗が悪意あるネットメディアに取り上げられると、それが真実かどうかにかかわらず本来自分の人生とは関係のないところで義憤に駆られた自称正義のヒーローたちが湧いてきます。

(彼らは時には悪者とされた人の顔や個人情報を正義の名の元に拡散をすることもあり、それを止めようとする人たちまで悪人に仕立て上げます)

 

 

今、日本は先進国ワースト1の自殺大国であると知っているでしょうか?

 

 

 

 

 

 

マスメディアの様相も変わりつつはあります、お家芸の、自殺したご遺族への「今のお気持ちは?」という常軌を逸したインタビュアーに対してはようやく批判が始まり、芸能人の自宅付近でのインタビューも国が規制を呼び掛けるようになりました。

 

 

 

ただ、今週こんなニュースがありました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

東京都練馬区の小学校で生徒に慕われていた先生が自殺しました。

先生は今の時代には珍しい生徒と一緒に泣いて、一緒に笑って誰にも本気で接する先生でした。

 

そんな先生のコミュニケーションのひとつが某人気ドラマの定番シーンにもある「股間握り」でした。

 

その日もトイレで男子生徒たちが股間を触り合ってふざけていたのを先生が見つけ「コラー!」と言いながら生徒の股間を触りました。

 

 

これを聞いた生徒の親が問題視。親からのクレームに対し学校の対策は後手後手、結果先生は強制わいせつで逮捕されてしまいます。

 

 

追ってマスメディアは「人気者の先生は実は生徒をトイレの個室に連れ込みわいせつ行為をした悪徳教師だった!」と読者の興味をそそるような見出しと文面にすり替え、ネット記事に出た瞬間、さきほどのヒーロー君たちが「許せない!!!」と湧いてきて袋叩きにします。

 

 

先生は「性的意味などまったくなかった、でも私のコミュニケーションの取り方は間違っていた、謝罪します。自分の持ち物は全部僕の大切な生徒たちにあげてくだい」という趣旨の遺書を遺し自殺します。

 

 

葬儀には会場に入りきらない生徒たちが訪れ泣きじゃくっていたようです。

 

 

ようやく生徒たちは口を開き、先生がいかに生徒に慕われていたかを語りだし、事件の本当のウラが明らかになってきました。

 

 

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問題点はいくつかあります。

 

まず、ネット記事。

 

 

これは閲覧数が上がれば上がるほどカネが記者に入るビジネスモデルが完成されています。

 

ネット記者は本誌に寄稿できないレベルのバイト君みたいな自称ジャーナリストが多く、彼らは閲覧数を稼ぐために事実ではないと分かっていてもなるべく読者が興味をそそるような見出しと本文を「さくぶん」します。

 

 

 

 

 

彼らの大好物は「児童」「18歳未満の少女」と「公務員」「社会的地位の高い男」です。

 

 

 

 

 

これらが複数組み合わさると、閲覧数が一気に上がる法則があるようです。

 

 

 

なので「先生がいたいけな児童にわいせつ行為をした」は格好のバイト代稼ぎ(閲覧数にもよりますがバイト代はせいぜい5,000円から数万円、全く見られないと数百円になってしまいます)のネタ。ほっておくはずがありません。

 

だいたい真実は2割、そこに記者なりの脚色をつけていけば悪徳教師のお話のできあがりです。

 

 

 

 

 

 

続いて、「死ぬよりも真実をきちんと説明すべきだ」の間違い。

 

 

無理です、真面目なひとほどこの屈辱には耐えられません。

よく、自供してから「実は違う」と無実を訴える人がいますが、刑事に何時間も尋問を続けられると人間の脳は麻痺してきて本人もそれが事実の方がみんなが納得するのなら・・・という判断に陥ってしまうことがあると聞きます。

 

今はネットの人たちが恐怖警察の代役になります、一斉に世間から叩かれると自分はもういない方がいいと思い込みます、こうなると自殺を防ぐのはかなり難しくなります。

 

 

 

まだありますが、一番危険なのはそういった記事を書いている記者や出版社があたかも水戸黄門様のような正義だと考える風潮です。密告を奨励している制度が正義でしょうか?

 

 

今回も普段の贖罪でもしているつもりでしょうか?

 

 

この告発を行っている出版社そのものが諸悪の根源だと考えています。

 

 

 

北海道で女子高生が殺害された事件で同じこの同じ出版社の見出しはこんな感じでした

 

「女子生徒の制服をめくりあげ胸をあらわにし・・・・」

こんな見出し必要ですかね?

 

 

この女性は亡くなっています、ご遺族も友人もこの記事を目にしたでしょう。

明らかに性的欲求をそそることが目的で遺族への配慮も全く感じません。記事にクレームを入れた関係者に対しては「この見出しで興奮するのですか?ふつうはしないですよ、あなたは性的異常者ですか?」と責め立てる、最初から対策?ができています。

 

 

 

 

 

日本は何度も地震と災害に耐えてきた国です。

 

それに耐えうるにはみんな平等、横入りをする、だれか一人が得をするのを許しません。

出る杭は打たれる、どころか、全員で死ぬまで叩きまくります、それが残念ながら今の日本の国民性かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめ問題、ネットでの誹謗中傷、自殺

 

 

すべて繋がっています、フランス革命時のジャコバン派の支配時代、文化大革命時の中国、ナチスの秘密警察のドイツ、ロシア革命後のロシア・・・・・・密告が奨励された時代の国民が幸福になったことはありません。

 

 

 

 

どうか、自殺のない国、互いに尊重しあい、成功者を妬まず、素直に称え、失敗した者には寛容性を持って接し、挑戦する人を応援する、そんな国に戻ってほしいと思います。

 

 

 

僕はこの2年間で人生観が変わりました。

 

自分のお仕事が世間的役割を終えたと思った後は、この国から自殺者をなくす方法を考え、戦うことに残りの人生をささげたいと思っています。

 

 

 

生きづらくて、生きづらくて、生きられなたった人と、そのご家族と、友人と、恋人と、教え子の皆様へ思いを寄せて今年は終わりたいと思います。

 

 

 

途中、ご自分の意見とは異なる部分も多々あるかと思いますが何卒ご容赦くださいませ。中傷には弱い体質ですのでそちらもご配慮ください。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

中村区より

 

 

中村浩一