今年も5月30日になりました

 

毎年この日は命について考え、記す日にしています

 

 

25年前、あれから四半世紀経ちました

 

1999年5月30日、池田貴族さんが残り半年となった自らの命を懸け名古屋のセンチュリーホールで3,000人の観衆を前に歌った命のうたの数々・・・昨日というより、つい先ほどのことのように鮮明に覚えています

 

2024年ちょうど先週、同じ敷地内でアーネストホーストカップのラウンドガールのお仕事をいただきちょうど季節も相まっていろんなことを思い出していました

 

 


あのとき「千種高校の後輩が命がけで歌うのに俺がギャラをもらうのか?」と本当に全てノーギャラでゲスト出演いただいた舘ひろしさんは今年なんと「あぶない刑事」の最新作映画に出演されています、あとつボイノリオさんは今朝も元気にCBCラジオから下ネタを飛ばしています、親友の氏神一番さんがコピーしたお江戸のオリジナル「TOKIO」を今も沢田研二は満員のホールで歌っています

 

 

 

 

あと、残念なことに貴族さんの愛した中日ドラゴンズは今日も完封負けしました、1999年、あの開幕11連勝ぶっちぎり優勝の時代とは随分違うチームになっています

 

 

 

 

 

 

 

「死にたくない!死にたくない!死ぬなら代わりに命をくれ!」

 

 

そう叫んで歌ってから25年後の日本は、ひどい状況です

 

 

 

報道では若者の自殺、女性の自殺が増えているとされていますが、今も一番多いのは40代50代の男性の自殺です、全体的にまたじわじわと増えてきてその予備軍とされる鬱病患者のための心療内科も急速に増えています

 

 

名古屋では近鉄が5月に2日連続で人身事故のニュース、名鉄も地下鉄もしょっちゅう止まります、もはや周りで人が死んでも「またか」と驚かないような状況です

 

 

G7の中で自殺率はずっとワースト1、死因のトップも各年代自殺がほとんどです

 

 

 

 

 

 

どうしてこんなことになったのか?

 

 

 

 

 

 

 

事情は多くあるでしょうが今年2024年冒頭から象徴的な出来事が相次いで起こりました、それが週刊文春による悪意に満ちたしつこい中傷記事、そしてインフルエンサー達の身勝手なSNS発信です

 

 

日本人は他人を讃えることよりも妬み中傷することで間違った快感を得てしまう、それを巧みに利用し彼らはカネを稼ぎます

 

 

 

「 」内の猥雑なセリフ  闇・戦慄・衝撃・悪夢 などの興味をそそるネガティブな漢字に続いて著名人や有名人の名前とそれらしい写真の無断掲載

 

 

このような見出しを僕は最大の軽蔑を込めて「文春構文」と呼んでいます

 

 

今までは書かれたら最後、どんな言い分があろうがその言論は抹殺され社会的地位や仕事を追われることになっていました、そして負い目に耐え切れす自殺する人、それでも彼らは「自殺しろとは言わないが死ぬなら仕方ない」と身勝手極まりない言い分で血に濡れたカネでメシを食います

 

 

 

 

 

ただ、この半年近くで随分風向きが変わってきました

 

文春や悪質なインフルエンサーに書かれただけでテレビに出られなくなり、職を追われるのはおかしいと多くの日本人が気づき始めました、有識者ではなく一般の人々です。

 

あと10年かかると思われていた日本人のメディアリテラシーの水準が一気に上がってきたのです、また週刊文春で記事を書いている人たちの実態も明らかになってきました。

 

 

風俗店で秘匿義務など関係なしに自慢話をペラペラしゃべる者、それにより報復を恐れて暮らさざるを得なくなった密告者たち。

自称ジャーナリストの醜い集団に成り下がった組織の中で、賢明かつ微かな正義感を残していた記者たちは文春を去り、自分のしてきたことを悔いて告解し始めています。

 

 

よく考えたら当たりまえのことで、自殺しても知らねーよと人の悪口を書いてカネを手にしてそれで家族を養うことに耐えられなくなったのです、つまり今まだ文春に残っている人間とは?と考えるとそこに書いてあることをマトモに論議することさえ愚かなことだと、ようやくそこまでリテラシーが辿り着きました

 

 

自殺してもいいから悪口を書く

 

 

許されてきた時代は終わらなければなりません、報道の自由とは人を死に追い込んだり鬱病にさせたり職を奪う自由であっていいわけありません

 

 

政治は出生率とともに自殺率を放置してきました、これで国が繁栄するわけがありません、大至急の法整備が必須です、SNSで喚いてる人たちも大勢いますが投票率は未だに50%程度では変わりようがありません

 

 

池田貴族さんが生きていたら、あの鋭い舌鋒で今の日本とどんな戦いをしたのか?と考えることがあります、今一度命の大切さ、日本人の本来持っている慈しみの心を訴えてほしいと思うのです

 

 

 

 

 

個人的な話になります

 

 

あの時の千種高校生徒会の面々も今やすっかりおっさんでしょう、そんな僕もおっさん度に磨きがかかりながらも毎日仕事をしています

 

エンターテインメントは衣食住の次に来るものだと自虐的に話していました、2019年までは

 

でも2020年コロナを経験して以降、つまるところ楽しみがないとメシも美味くないし外出もしたくないし、不安ばかりではそもそも眠れない、それらを解決するためにエンターテインメントがあるのだ、と、もしかしたら人間が生きていくうえで一番最初にくるものなのかもしれないと考えるようになりました

 

 

 

僕は今年、ある挑戦をしています

 

昨年から準備をして本当なら5月に発表できる予定でしたが、自分の仕事や鬱病に悩む人の話や、社会的に弱っている人たちのためにどうしても時間を費やしてしまいます、それが優先順位だから仕方ないのですがどうにか今年中に完成し、とある武器を手にしたいと考えています、非力である自分は武器を持たないと誹謗中傷者たちと戦えません

 

 

そしてエンターテインメントにかかわる今の仕事がいつか終える時がきたら、いよいよ自殺者対策を専門にした組織を作りたいと企んでいます

 

 

愚劣な週刊誌は廃刊に追い込んで記者の責任を追及しなければなりません、SNSによる誹謗中傷は更なる厳罰を与えるべきです

 

他人を攻撃して愉しむ仕事が存在しない世の中、自殺者・鬱病患者が大幅に減少した日本を目指し、褒め称えあう人たちが大多数を占める世界を夢見ています

 

 

 

どうか、このブログを読んでいらっしゃる皆様も誰かを攻撃するSNSをアップする前にご自分の顔を鏡でみてください、そこに正義感に曇って卑しい顔をした自分がいたら一旦止めましょう、殴られた痛みは消えますが心の傷はなかなか癒えないものです

 

 

 

どうか、自らの命を無駄にしないでください、人の命を傷つけないでください

 

 

 

最後の方、散文みたいになってすみません、読み返しもしませんので誤字脱字、句読点の統一性のなさにもご容赦くださいませ

 

 

それではまた来年!

 

 

 

中村浩一