先日、八重洲口にオープンした専門歯科プロジェクト TEAM東京の

お披露目会に参加しました。


一般歯科だと 全部 一人の医師が治療するのが多いのですが、

専門領域に特化したクリニックだそうです。


なるべく保険でできる所は 保険で治療!

ドクターも 穏やかな先生ばかりでしたよ。


TEAM東京:http://www.team-tokyo.com/


ノブ レストラティブデンタルオフィス院長:北原 展也先生

(各種修復、インプラント治療)


ある銀座のバーレストランオーナー:

以前 医師、歯科医師、CA?の合コンの時に ノブ先生の話題が出たそうで(笑)知らない人は モグリだそうで。


歯科医師「ノブ先生 凄い先生なんですよー。世界的に有名なんですよー」

CA?「きゃー どこどこ?どこにあるの?」

歯科医師「すぐそこ」


橋爪エンドドンティクスデンタルオフィス院長:橋爪 英城先生

(根管治療、慢性歯痛治療)


神経などを なるべく抜かずに治療する「保存」のプロフェッショナル。

確かに 抜歯や、神経を抜くよりも、保存するほうが難しいです。


三橋矯正デンタルオフィス院長:三橋 展明先生

(矯正)

患者さんのライフスタイルにあわせた治療をやってくれるそうです。

先生ご自身も 下の矯正をされてました。


友人2人は、結構 遠いのに「予約する!」と予約。

やっぱり 病院やクリニックは 大事ですよね。自分の体を預けるのですから。


<写真>


診療室:子供専用の治療室もあり。

     カワイイ!私も ここで治療して貰いたい!


医療機器:独メーカーシロナの最新鋭機。

       事務長曰く「歯科医療機器のロールスロイス」

       「販売5台のうち2台が ここにある」


外観:お祝いのお花が並ぶ綺麗なクリニック(エステサロンみたいです)



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人材コンサルなので、殆ど赤坂見附のオフィスにはいないのですが、

たまーにいる時は、ランチを食べに行きます。


路線バスも走っていないようなエリアの病院に行くと まわりにはコンビニも

ATMも無い、当然ファミレスも ファストフードも無いです。

駅にも 売店も無いところも しばしば・・・・


先週、たまには奮発して 私にしては 豪華なランチを食しました。


白碗竹快樓 赤坂店:


メニュー:豚肉、にんにくの芽、木耳の炒め物

      その他付け合せ2種、卵スープ、水餃子、

      杏仁豆腐 1300円


      何故か、杏仁豆腐が一番 最初に出てきます・・・(汗)

      平均的にうまうま。

      お店の内装もきれいだし、デートむきかもしれません。
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暮れも迫った12月の後半のある日。

私は、S会の本院を訪ねました。



先方は、専務理事と 同じ大学出身の同期のF先生です。

「O先生は、初転職で混乱されています。辞退でなく保留にして頂けませんか?」とお願いしました。




ポジションは1名分しか空いていませんでした。



専務理事からは「わかりました。ぜひO先生にお越し頂きたいので、出来るだけ条件はご希望に沿うようにします。」と仰って頂きました。


F先生からは「うろ覚えけど、あんまり喋らない友達少ない人だよね?ドクターとしては知らないけど、うちの病院は、コミュニケーションスキルが無い人には合わないと思う。」




専務理事と私、二人がかりでF先生に「O先生は真面目な良い人だから」と説得し、なんとか「そんなに言うんだったら、僕にできる事なら協力しますよ。」と仰って下さいました。




先生が帰省するかもしれないお正月に、

F先生が 実家に「先生と一緒に仕事できるって聞いたから楽しみにしてたのに来ないんですか?」と電話して頂くのも


全員で考えましたが、透析クリニックは年中無休です。

確実にO先生が帰省するとは限りません。


個人情報の取り扱いにも 慎重なO先生の携帯電話番号やメールアドレスを お知らせするわけにも行きません。



先生の心のシャッターは、完全に閉じてしまっています。


どうやって、もう一度シャッターを開けて頂くか?

間隔を置いて送信したメールも 読んでいる気配がありません。


辞退されたけれど、ずっとどうしようか考えているに違いない。

そう確信はしていました。





しかし、同じ方法でアプローチしても、ダメなのは明らかでした。

メールさえ開封していないのに、

電話までしたら きっと着信拒否されてしまいます。



は、サポートさせて頂いている先生方には、


必ず年賀状やバースデイカードを書いています。

きっと年賀状なら、見てはくれるはずです。


一か八か 年賀状に一行だけコメントを書きました。


「S会様は、先生のご希望になるべく合わせますと

仰って下さっています。」

それでも、ずっと返事は来ないままでした。

  

 1月末の日曜。


O先生から携帯に「電話下さい。」とメールが来ました。


曜日や時間帯に関係無く対応していますが、


高熱が続き無理な体調でした。

ちょっとだけ期待をしつつ 週明け電話する約束だけしました。



そして翌週。O先生は「やっぱりS会に入りたいです。まだ空いてますか?Tさんが、もう一度僕の担当をしてくれませんか。Tさんがイヤだったら、他の営業の方と交代して貰っても構いません。」勿論、S会にも私にも断る理由はありません。



 「先生、もう一度 一緒に 行きましょう。前は理事長がいらっしゃって緊張されたようなので、今回ははずして頂きましょうか。



O先生は、きっと混乱していて 

自分でも 収拾がつかなくなってるんだろうなと思いました。




職人気質で 頑なな性格の先生には、想定外の展開だったのでしょう。



先生は、やっぱり典型的内科系ドクターらしく、凄く真面目で融通が利かない所もあれば、やたらと相手の裏を読もうとする所もあります。




珍しく感情を露わにするところもあります。


しかし、今回はたった一行「辞退します」の文字だけでした。

行間にも 本当の理由を読むことはできませんでした。 


暮れも迫った12月の後半のある日。私は、S会の本院を訪ねました。

先方は、専務理事と 同じ大学出身の同期のF先生です。

「O先生は、初転職で混乱されています。辞退でなく保留にして頂けませんか?」とお願いしました。




ポジションは1名分しか空いていませんでした。



専務理事からは「わかりました。ぜひO先生にお越し頂きたいので、出来るだけ条件はご希望に沿うようにします。」と仰って頂きました。


F先生からは「うろ覚えけど、あんまり喋らない友達少ない人だよね?ドクターとしては知らないけど、うちの病院は、コミュニケーションスキルが無い人には合わないと思う。絶対 反対!」

 外科系らしく、バッサリと一言で F先生には、切り捨てられました。





専務理事と私、二人がかりでF先生に「O先生は真面目な良い人だから」と説得し、なんとか「そんなに言うんだったら、僕にできる事なら協力しますよ。」と仰って下さいました。




O先生が帰省するかもしれないお正月に、

F先生が 実家に「先生と一緒に仕事できるって聞いたから楽しみにしてたのに来ないんですか?」と電話して頂くのも 全員で考えましたが、

透析クリニックは年中無休です。



確実にO先生が帰省するとは限りません。

個人情報の取り扱いにも慎重なO先生の 携帯電話番号やメールアドレスを お知らせするわけにも行きません。



先生の心のシャッターは、完全に閉じてしまっています。


どうやって、もう一度シャッターを開けて頂くか?

間隔を置いて送信したメールも 読んでいる気配がありません。


辞退したけれど、ずっとどうしようか考えているに違いない。

そう確信はしていました。




しかし、同じ方法でアプローチしても、ダメなのは明らかでした。



メールさえ開封していないのに、電話までしたら きっと着信拒否されてしまいます。



 は、サポートさせて頂いている先生方には、必ず年賀状やバースデイカードを書いています。きっと年賀状なら、見てはくれるはずです。


一か八か 年賀状に一行だけコメントを書きました。

「S会様は、先生のご希望になるべく合わせますと仰って下さっています。」


それでも、ずっと返事は来ないままでした。

そうしたらなんと「出来ない事は出来ないと言います。

なるべく先生のご希望に沿うようにしますから」というお答えを頂きました。


殆どの病院の人事担当者からは「入る前から そんなにあれこれ言う先生は、うちは結構です。」と冷たくあしらわれてばかり。毎日、ご要望は 増え続け、更に猫の目のようにくるくる変わるO先生の気持ちに 自称体育会系の私は、心身共に疲弊して行きました。


そんな状況でのS会の回答は、一筋の希望の光のように感じました。





O先生がS会の面接に上京された11月は、真冬のような冷たい雨が降りしきっていました。

「Tさん 雨オンナじゃないの?」そんな軽口が出るほど、

先生はリラックスしていました。



 面接官は大学の大先輩の理事長、専務理事のお二人。


事前に先生がクリニック勤務が希望と伝えていたのですが、同じ大学の後輩という気易さからか、

いきなり理事長が「最初、1,2年本院で腎臓内科やってくれない?僕がやってるけど、理事長で色々やんなきゃいけない事があるから、やってくれると助かるんだよね」「その後、クリニックの院長どうかな?」




O先生の顔色がさっと青ざめて、一気に表情が固くなりました。

真面目な先生は、大先輩からの依頼は絶対的命令と思ってしまったようです。


びっしり質問事項を書き込んだメモ帳を持つ手が 細かく震えています。固まってしまったO先生の口からは、質問は殆ど出ませんでした。


先生は、帰る間際に専務理事が手渡そうとした病院のパンフレットも「ホームページを見てるので結構です」と断りました。私は「ああ、終わったな」そう感じました。

 

 その後1週間ほどして、意外な事にO先生から「将来的なキャリアアップも考えて 週5日で本院勤務しようと思います。」という返事がありました。


早々にS会に連絡し、本院勤務でと雇用契約書を作成する段階になって、「やっぱり条件が違うので辞退します。」先生から たった一行のメールが届きました。


辞退の理由を尋ねても 先生からのはっきりした答えは頂けませんでした。



 先生には、待遇面や入職日などの条件は、担当の私が交渉しますよと説明していたのですが、大学の大先輩の理事長からクリニック勤務希望だったのに、本院でどうか?と言われ 拒否できないなと思ったのか?辞退されて約1ヶ月 毎日「O先生は、どうしたら喜んでくれるのだろう」と考え続けました。


当然、考えるだけでは何も変わりません。

O先生からは「御社には、もう頼みません。」というメールも届いてしまいました。 

ひとつの妥協も許さないという職人気質に近い腎臓内科、

人工透析の先生を担当するのが、

初めての私には、全く予想できない展開の毎日が始まりました・・・。


人工透析は、大体週3回 通院する患者さんのデータを取って、

そのたびに透析内容や透析の時間を変えます。


のせいかドクターは、

特に几帳面で細やかなお人柄の方が多いようです。

全てに対して ナーバスになっているO先生は

1つ疑問があると、泉のように質問が沸いて出てくるようでした。






退職金と確定拠出年金制度があるという条件が増えていました。



医師は大体1年ごとの契約更新で、退職金制度自体が無い所が殆どです。あるとしても、大手病院グループや公立系病院に限定されます。




公立病院は 年功序列で、転職しても年俸ダウンの可能性があります。



大手病院グループは、O先生が苦手とする営業色が強いところも多く、

クリニックの院長を希望されているのなら、

当然夜勤もやらなくてはなりません。

本院とクリニックの兼務になった場合、先生が「絶対にイヤだ」という当直もやらなくてはならないでしょう。


 



 先生が極端に当直を嫌う理由は、「先輩に誘われて行った病院が救急病院で、精神的に辛かった。

休みも1年間に2日しか取れなかったから、トラウマなんだよね。」というお答えでした。


しかも「契約書なんて無かった。何回言っても病院は作ってくれなかった。でも、先輩の紹介だから、2年間我慢したんだよね。」




人見知りで口が重い先生ですが、慣れてくるとポツリポツリと本音を言って下さるようになって来ました。

 

軽い冗談も言ったり「今日は、2クールで終わったの11時過ぎで 疲れたよー」とデコメールも下さるようになってきました。




が、希望条件は、毎日のように増えて行くばかりです。


待遇面だけでなく、クリニック、後方支援病院の距離が近い、重篤な患者を搬送できる基幹病院がある、自分の担当患者数は、透析なら最高30名厳守、穿刺は技師がやる、技師の力が強い所はヤ、夜勤はイヤ、当直イヤ、学閥があるところはイヤ、実家まで 交通の便が良い所、雇用契約書に担当患者数や疾病の内容なども記載して欲しいというものもありました。





 数えてみるとO先生の要望や条件は、軽く30項目を超えていました。


私の ドクター以外のコンサルタント経験でも

一番多い希望条件の提示でした。



しかし、転職を強く希望されているからには、

ご希望に近い医療機関を探すしかありません。




人工透析系のクリニックを多展開している医療法人社団を

5つ ピックアップしました。




1つ目はAグループ。本院のそばに、新規開院したばかりの透析クリニックがあります。

が、透析医師が、一気に全員退職という事件?が起こったばかりでした

更に近い将来、透析は3クールをやりますとの方針。

夜勤はイヤというO先生には、マッチしません。




2つ目はB会。ここは、別エリアでO先生の後輩が、

クリニックの院長なのでイヤですとお断り。




3つめはIグループ。

腎臓内科専門医+人工透析専門医必須、勤務日数は、最低4.5日。

(O先生は、透析専門医は 取得されていません)

交渉しましたが、取りつく島は一切無でした。



4つ目はZ会。クリニックの院長求人が複数ありましたが、

本院までの距離が遠すぎる、院長だと当然 2クール通しもあり。




 チームリーダーAさんに相談したところ


「S会が良いんじゃない?サテライトのそばに本院あるし 搬送先の病院もあるよ。」


「外来も完全予約制で、担当患者さんを ゆっくり時間を掛けて診ることもできるし。」


「理事長もO先生と同じ大学出身だから、良いんじゃないかな?」




 そうとなったらS会1本でお手伝いしようとなり、恐る恐る専務理事に面接前から、O先生の質問と要望をぶつけてみました。


今春、40代にして初めて転職される腎臓内科のO先生と

お会いしたのは昨秋でした




長いようであり、あっという間の半年でもありました。


まるで遠距離熱愛中の恋人同士のように、毎日 朝から夜中まで、携帯メール、PCメール、電話のやりとりが続きました。




100%完璧を求めるO先生には 満足度が何%かは分りませんが、

本当におめでとうございます。


新天地での ご活躍を心よりお祈り申し上げます。

入職されても、ずっとフォローさせて頂きますので、

これからもよろしくお願い致します。




遠方在住の先生ですと、電話やメールでお手伝いして、

病院での面接の時にお会いするケースも多いのですが、

学会の時期という事もあり、上京される機会があるか伺うと

「あります。ぜひお会いしたいです。」と仰って頂きました。



  待ち合わせ場所に現れたのは、いかにも白衣が似合いそうな

  細身の内科系ドクターでした。

  綺麗で繊細な 大きな目が印象的でした。

  転職理由の大きな柱は、年俸やポジションのアップ、他の病院や

  クリニックを見てみたいでした。

  そのほかの条件は、関東地域、医療法人社団のバックボーンがある

  透析系のクリニック、週4日勤務、夜勤無、営業色が強くない事。


その時の私は「そんなに転職条件は 難しくないな。きっと大丈夫。」と

たかをくくっていました・・・。



が、それはO先生の たくさんの希望や条件の ほんの一けらにしか過ぎなかったのでした。

O先生は、地方から関東に転職を検討されていました。



私は様々な職業を経て 人財コンサルタントの職業に就きました。



自分も 二度 エージェントから ヘッドハンティングされ、

二度共 失敗しました。




一度目の失敗は、ロス近辺の友人宅で、居候していた時に

日本からスカウトされました。


ビジネス英語はできない、日常会話もやっとの私は、

海外生活はできないなと 帰国して転職しなくてはと焦っていました。



その企業は、常に就職したい企業に常連でランクインする

会社のグループでした。




企業風土は良かったものの、配属部署が 人事にも拘らず

激務とパワハラで 毎週 社員がドクターストップがかかり、

退職に追い込まれるような所でした。


私を入社させたコンサルタントは、

その後 一度も面談どころか 電話もメールもフォローは

一切ありませんでした。



 毎日20時間は 仕事を強要される現場は、

当然のように私もドクターストップで 休職、最終的に退職しました。




二社目は、東証一部上場企業(グループ会社 約800社)の

役員付部署の人事マネージャー。


「外部で 役員クラスをサーチして、新会社を立ち上げる」という

ミッションです。



 途中から、某派遣会社の元メンバーが、大量入社した為 

資本金3億を投入し、人材紹介会社を設立したものの、

リーマンショック直後で、たった9ケ月で 資本引き上げとなりました。


元々 物販会社なのですが、無形商材を扱う業務の醍醐味を知ってしまった私には、今更
 物販をやる興味も無く あっさり退職しました。

 

 今、私は 歯科医以外の全科目のドクター専門の 

人財コンサルタントをしています。



クライアントは、無床クリニックから大手グループまで、

病院、老健など様々な医療機関です。



(私の在籍するオフィスでは、関東全エリアを対応しています。)


心身共にタフでなくてはならず、

更に観察力や調査力、交渉力も必要な職業で、

本当に「毎日が波乱万丈」ではありますが、

どうしても人財業界に戻りたくて 舞い戻って来ました(笑)




その二社の間に 自分で選択した会社も、最終的に失敗でした。


自己応募ですが、人材派遣会社のコーディネーターだと思い入社したら「実は業界的に有名な医療業界(医療機器・製薬)専門の

ヘッドハンティング会社でした。



ここでは、スカウトするターゲットや新規クライアントのサーチ方法や、コールドコール、相手を落とすメールの書き方、合格したのに辞退しようとする転職者の気持ちを ひっくり帰して入職させる交渉術などを

徹底的に学びました。




 入社したからには、やるしかない!と思った私は、

素人で怖い物知らずという事もあり、

他の事務的なエージェントとは違う 徹底的なサポートで、

入社4ケ月目から 一度もノルマを落とす事はありませんでしたし、

リテーナー(クライアントから )も今まで在籍していた営業の中で、

入社して最短で お預かりする事ができました。




 異業界(外資系自動車、金融)なども開拓、入職して頂き、お陰様でお手伝いした方達は一人も その後 退職された方はいません。



 今でも 結婚式の二次会に呼んで頂いたり、ご家族ぐるみでお付き合いさせて頂いたり、たまに飲みに行ったり・・・同じ転職というミッションを達成した同士というような気持ちでしょうか。




 全国を飛び回り、自分の時間は全て仕事に費やすような激しい仕事でしたが、楽しくて仕方がありませんでしたが、退職を余儀なくされました。



 理由は、外国人系ボスの

「会社の金は俺の金、お前らの稼いだ金は俺の金」



コンサル達が、身を削るように仕事をして得たフィーを、

自分の投資や本国に送金しており、

社員の給与遅延、インセンティブ未払いばかりか、クライアントからのリテーナーも踏み倒すような有様でした。


(リテーナー:スカウトの経費の為に 先に預かる手付け金)




今回、縁あって ドクター専門の老舗紹介会社の

コンサルタントになっています。



「業界が違っても やる事は一緒!」と思い入社し、半期で全期の予算 72.9%を挙げているので、まあそこそこの成績だとは思います。



 が、ドクター、医療機関の業界は 狭いながら かつ 底知れぬ深い沼のような全く違う

未知の世界でした・・・・


久々に ブログ書き・・・


ドクター専門のエージェントに 自分が転職しました。


私は 医療と介護業界の 一基通関型の医師紹介の部署です。


ドクターは 歯科以外の診療科目を全部担当。

科目というのは、「~科」ですね。


例えば、内科系、外科系、精神科、皮膚科、美容外科、

麻酔科、精神科、放射線科など 標榜するものすべて。


医療機関でも 急性期、療養型、老健、在宅、

クリニックや メディカルモールも 担当します。


地域の医療機関だと、かなり遠方にある場合も多く、

日中はバスが運行していないとか

良くあるのは「歩いてすぐ」と言われて 行ったら

駅から徒歩20分とか???

最終バスが17時台とか???(汗)


一日で 一都三県は 移動するし

脳外や心外のドクターなどの面談の場合は、

21時位から 面接とか 体力がいりますね・・・・


週2回 最低4時間の医療の勉強会がありますし、

理事長や事務長など 医療機関様のトップの方だけでなく

当然、勤務医の先生や 開業志向の先生ともお会いします。


学閥などや 診療報酬、医療機器や製薬系などの話も 細かくする為、

勉強もしなくてはなりません。


しかも、法律が絡んでくるので、長年の経緯や 改定前と後の違いなども

全部 覚えなくてはなりません(汗)


数字としては、挙がっているほうらしいです。


私が10月入社、10月半ばに1名決定。

皮膚科のドクター 

(登録1週間で、有名新規クリニック様に入職。

 開拓も小職でした。社内でも 私のエージェント人生の中でも

 最短記録です)


腎臓内科1名

(ずっと医局の先生。初めての転職。約半年フォロー。

一度 辞退を再度アプローチ。

クライアント様にも辞退でなく保留でと依頼して 交渉。

50個位のご質問や ご要望などを 一つ一つ対応しました。)


65歳 有名大学 定年退職のニッチな内科系ドクターは、

病院院長が決定しました。


明日は、皮膚科院長候補の先生の面接

あさっては、老建施設長候補の先生の面接

来週は、また別の皮膚科の若手先生面接

あと 放射線の部長先生も面接 入るだろうか??


ドクターは 殆ど4月に入職する掟だそうなので、

今期の数字は、80~90%は 3月中に決まります。


ドクターは専門職なので、法律系の事を知らないで 

「別の先生が来るまで退職できないとなっている」とかを信じている先生も

たくさんいらっしゃいます。


しんどいことのほうが 圧倒的に多いですが

先生からも 医療機関様からも 「ありがとう」って言われると

本当に 嬉しく思います。


また私の エージェント人生が リ・スタートしました。