大河ドラマ『光る君へ』第10話が放送されました。
8話と9話については書きませんでした。
早いうちに「毎回は書かないぞ」という姿勢を示したかった(笑)
のもありますが、個人的に言及することもなかったので。
 
さて、10話「月夜の陰謀」で話が大きく動きました。
いよいよ花山天皇が退位と同時に出家して法皇になるという、右大臣家の陰謀が実行に移されました。
おそらく、序盤最大の山場だと思います。
 
その前に道長の苦悩があり、まひろとの文の応酬が三往復ありましたね。
 
道長は『古今和歌集』で押し通し、まひろは陶淵明の漢詩「帰りなん、いざ」で押し通しました。
 
 1回目 
道長:『古今和歌集』恋一 503 詠人不知
思ふにはしのぶることぞ負けにける色には出でじと思ひしものを
〔あなたを思う深い愛の前には耐え忍ぶ心は負けてしまうことだ。表には出すまいと思っていたのに〕
 
まひろ:『帰去来兮』より 陶淵明
既自以心為形役
既に自ら心を以て形の役えきと為す
〔既に自ら心を身体に奉仕させているのだから〕
奚惆悵而独悲
なんぞ惆悵ちゅうちょうして独り悲しまん
〔どうして落胆し、独り悲しむことがあろうか〕
 
 2回目 
道長:『古今和歌集』恋二 568 藤原興風
死ぬる命生きもやするとこころみに玉の緒ばかり会はむと言はなむ
〔死にゆく我が命が生き延びることもあるかもしれないと思って、試しにほんの僅かでも会おうと言って欲しい〕
 
まひろ:『帰去来兮』より 陶淵明(続き)
悟已往之不諫
已往いおうの諫められざるを悟り
〔過ぎ去ったことは諫め改めることができないことを悟り〕
知来者之可追
来者の追ふべきを知る
〔未来については追いかけて間に合うことを知っている〕
 
 3回目 
道長:『古今和歌集』恋二 紀友則
命やは何ぞは露のあだものをあふにしかへば惜しからなくに
〔命、それがいったい何だというのか。所詮は露のようにはかないものにすぎないのだから、あなたと結ばれることと引き換えにできるというなら、こんな命は惜しくもない〕
 
まひろ:『帰去来兮』より 陶淵明(続き)
實迷途其未遠
まことに途みちに迷ふこと其れ未だ遠からず
〔本当に私は道に迷っていたが、まだ遠くまでは行っていなかったのだ〕
覚今是而昨非
今の是にして昨さくの非なりしを覚さと
〔今の生き方が正しく、昨日までが間違っていたことを悟った〕
 
道長の気持ちはストレートに和歌に託されています。
一方のまひろはややピンボケしており、道長も困惑して行成に相談していました。
行成は「漢詩は志を語るものだ」と道長に教えます。
自分なりの答えを導き出した道長。
まひろの漢詩に込められた志を理解するのではなく、自分の志をまひろに伝えるためには和歌ではなく漢詩でなければだめなのだという解釈に至り、短い句を送り、めでたく2人は逢瀬を遂げました。
 
我亦欲相見君
我も亦君と相見まみえんと欲す
 
これは誰かの詩句なのか、それともドラマのオリジナルなのかしら?
分かりません。
 
ちなみに、まひろが送り続けた漢詩の作者・陶淵明とうえんめいは、手元の国語便覧によれば東晋王朝(317~420)の人で、「自然と酒を愛した田園詩人」と紹介されています。
 
ところで、道長とまひろは結ばれましたが、微妙に心はすれ違っています。
まひろは自分自身が直秀の死を引きずっていると同時に道長も同じ気持ちであろうと思っていたようです。
道長にも直秀の死の影響はあったかもしれませんが、それ以上に花山天皇を退位→出家させる陰謀に加担せざるを得ない己の宿命から逃げ出したくて仕方がないのでした。
 
以前、兄道兼から「私とお前の影は同じ方を向いている」と言われたことが、道長の心に染みついているのですね。
 
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兼家の計画立案で、子息たちそれぞれに指示が出ました。
汚れ役はもちろん道兼。
これはほとんど『大鏡』そのまま。
 
「月が明るいから別の日にしようか」と天皇が言うのも『大鏡』にあります。
 
ドラマでは剣璽けんじを持ち出したのが道隆&道綱になっていましたが、『大鏡』ではそれも道兼がやったことになっています。
剣璽というのは三種の神器のうち、天叢雲剣あめのむらくものつるぎと八尺瓊勾玉やさかにのまがたまのことです。
権威の象徴である三種の神器を持つことこそが天皇であることの証です。
それが既に東宮のところに移ったというのは、花山天皇はもはや天皇ではないのです。
なお、三種の神器のうち八咫鏡やたのかがみは天皇が代わっても安置したまま移さなかったようです。
 
そして「安倍晴明が連れている白装束の小さい男は式神かもしれない」と前回書きましたが、予想通り式神でした グラサン
式神しきがみ/しきじんというのは陰陽師が使役する神(精霊)のことです。
 
この花山天皇の出家について『大鏡』にどう書かれているかは前に書いているので、よかったらご一読ください。
「家の前を通り過ぎた」と安倍晴明に報告するのが式神であることも書かれています。

 

元慶寺は2017年のGWに行きました。

スーパー分かりにくい所&狭い所にあり、車で難儀した思い出の地。笑

 

 

 

 

 

寛和かんわ/かんな年(986年6月)

 

●一条天皇(懐仁親王) 7歳

●藤原詮子 25歳

●藤原定子 10歳

●藤原兼家 58歳 摂政&右大臣

●藤原道隆 34歳 右近衛中将

●藤原道兼 26歳 蔵人頭&左小弁

●藤原道長 21歳 右兵衛権佐

●藤原頼忠 63歳 太政大臣

●源雅信 67歳 左大臣

●藤原穆子 56歳

●源倫子 23歳

●源明子 22歳

●藤原実資 30歳 左近衛中将

●藤原義懐 30歳 出家

●藤原道綱 32歳 五位蔵人

●藤原伊周 13歳 従五位下

●藤原隆家 8歳

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●円融法皇 28歳

●花山法皇 19歳

 

円融院ですが、前年の985年に出家して法皇となっています。

義懐ごときはこの後、花山法皇の後を追って出家します。

右大臣・兼家が摂政になると、関白・藤原頼忠は関白を退きました。

 

また、源明子が初登場しました。

 

藤原詮子に呼び出され、道長の結婚相手として推薦していました。

道長の相手は詮子の言う通り、倫子と明子になります。

倫子は「鷹司殿」と呼ばれる第一夫人、明子は「高松殿」と呼ばれる第二夫人。

紫式部は妾になるルートみたいですね。
 

 

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