2003年 イギリスでは養豚農家に
豚が退屈な時に互いに攻撃しないように
ボールを与えたり、豚舎に干し草を撒くなどして
待遇改善に努める義務を課しました。
本心から素晴らしいことだなと
全面的に賛同する気持ちの後から浮かぶのが、
でも最後には、屠畜するじゃん。
人間って弱い面があるので
偽善的行為であろうとも罪悪感を少しでも減らして
僕達は、悪い人じゃないの立ち位置に立つことで
自分の気持ちを救うためなのだろうか?
いやいや罪滅ぼしとかの綺麗ごとじゃなくて
豚にストレスなく生活を送ってもらうことで
病気を防止したり肉質を良くするためなのか?
まあ私には、よく分からん。
何であろうと最後には、屠畜するじゃん。
家畜の豚にとっては、
あんなに仲良く信頼していた人間からの突然の裏切り。
一番酷くて惨い裏切り。
私的には、小さな頃から一生懸命育てた
可愛い豚達をその時が来たら屠畜する場所へと
送り出すなんてことを何十年も繰り返していたら
心が壊れてしまいそうなので
畜産業は、ハードルが無茶苦茶高い業種の一つ。
人間の惨い部分を担ってくれる人達のお陰で
自分を綺麗な立ち位置に置いたまま、
豚肉を美味しく頂くという卑怯な自分がいて
だからと言って魚も肉も食べないと決意して
菜食主義者になるだけの優しさも強さも
気持ちもなくて、
そんな自分を嫌だとか、許せないとか、
卑怯だと思う気持ちも強く湧き上がってはこない。
私の意識されない心の世界で
二つの相反する気持ちの戦いが
続いているのだとしたら私達とは別次元の世界で、
何千年も悪魔の軍団と神々との戦いが
続ているかのようです。
が、感覚的には
自分の心の中で争いが起きている感は全くないので、
相反する気持ちが上手く折り合いを付けてくれて
互いを許容しながら収まっているので
自分が壊れずに済んでいるのだろうと
思ったりしています。
自分を嫌い、責めて、自分を苦しめ壊すことが
正しいとか、善なることだとは到底思えないし、
思いたくもない。
今の自分には、何が絶対的に正しくて、
何が絶対的に善なのかは分からないし、
こんな難問を解けるようにも思えない。
自分の心の中の闇の存在を赦す力に救われている。
そんな風に思える。
催眠療法&心理療法
神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計
gooブログ