執り成し祈り者がいても裁かれる。
エレミヤ15章は、ユダの民があまりにも頑なに神に背いたため、もはやモーセやサムエルのようなとりなしも通じないと神が語られる。
エレミヤ書 15:4 裁かれる理由
ヒゼキヤの子ユダの王マナセがエルサレムでしたことのためである。
👑 マナセ王の罪とは何か
列王記下21章や歴代誌下33章
彼の罪は単なる「道徳的な悪」ではなく、国家的背信(apostasy)、つまり神との契約を踏みにじるものでした。
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偶像礼拝の導入
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バアルの祭壇を築き、天の万象を拝みました。
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神殿の中に偶像を立てた(列王記下21:4–7)。
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これは「主の名が置かれるべき場所」を汚した、最悪の罪でした。
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人身供犠(じんしんくぎ)
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自分の息子を火に通した(つまり子どもを犠牲にした)。
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神が最も忌み嫌う行為(申命記12:31)。
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魔術と占い
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占い師や霊媒を頼り、神を離れた。
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無実の血を流した
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エルサレムを血で満たした(列王記下21:16)。
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神の預言者たち、正しい人々を迫害したと伝えられています。
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⚖️ 神の裁きの理由
マナセの罪は単なる個人のものではなく、ユダの国の方向を根本からねじ曲げた罪でした。その結果、後の王たち(ヨシヤなど)が改革を行っても、
民の心の奥に偶像礼拝の根が残っていたのです。
神は「わたしはエルサレムにわたしの名を置くと言ったが、
彼らはマナセのように悪を行い、わたしを捨てた。」(列王記下23:27)
つまり、マナセは「悔い改めの時代を過ぎさせた王」とも言えます。
1–4節:神の怒り、取り消されない裁き
「たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても、この民のためには心を向けない。」
ここでは、民の罪があまりにも重く、神の赦しがもう及ばないことが示されています。
神は4つの裁きを宣言します:剣・飢饉・獣・捕囚。
それぞれが破滅の象徴です。
5–9節:民の悲惨と見捨てられた都
エルサレムは孤独な女、もはや同情されない者。神は「彼らに何度も警告したが、耳を傾けなかった」と言います。
その結果、子どもも母も失われ、若い母親が昼のうちに倒れる、という悲惨な光景が語られます。
😢 10–18節:エレミヤの嘆き
エレミヤは自分の運命を嘆きます。「ああ、わたしの母よ、あなたはわたしを産んだ。」
人々から憎まれ、迫害される苦しみの中で、彼は神に訴えます。
自分は神の言葉を忠実に語っているのに、なぜこんなに痛みがあるのか?
彼は神の言葉を「喜び」として食べた(=受け入れた)と言いますが、それが彼に孤独をもたらしたのです。
神の言葉を喜んで受け取ったのに、その道は苦しみで満ちていました。
🔥 19–21節:神の答え
神は「もしあなたが立ち返るなら、わたしはあなたを再びわたしの前に立たせよう。」
つまり、神の働きを続けるためには、絶望の中でも信仰に立ち返る必要があるということ。
神の約束「彼らはあなたに立ち向かうが、勝てはしない。わたしがあなたと共にいて、救い出すからだ。」
神の裁きの時には限度がある。悔い改めの時を過ぎると、裁きが来る。
預言者も苦しみを通るが、神はその中で守られる。
神の言葉は甘いが、真実を語る者の道はしばしば孤独。
しかし、神は忠実な者を見捨てない。
神は「わたしがあなたを救い出す」と言い、どんな敵にも勝利できる約束を与えます。「神の怒り」と「神の守り」が同時に描かれています。