執り成し祈り者がいても裁かれる。

エレミヤ15章は、ユダの民があまりにも頑なに神に背いたため、もはやモーセやサムエルのようなとりなしも通じないと神が語られる。

 

エレミヤ書 15:4 裁かれる理由

ヒゼキヤの子ユダの王マナセがエルサレムでしたことのためである。

 

👑 マナセ王の罪とは何か

列王記下21章や歴代誌下33章
彼の罪は単なる「道徳的な悪」ではなく、国家的背信(apostasy)、つまり神との契約を踏みにじるものでした。

  1. 偶像礼拝の導入

    • バアルの祭壇を築き、天の万象を拝みました。

    • 神殿の中に偶像を立てた(列王記下21:4–7)。

    • これは「主の名が置かれるべき場所」を汚した、最悪の罪でした。

  2. 人身供犠(じんしんくぎ)

    • 自分の息子を火に通した(つまり子どもを犠牲にした)。

    • 神が最も忌み嫌う行為(申命記12:31)。

  3. 魔術と占い

    • 占い師や霊媒を頼り、神を離れた。

  4. 無実の血を流した

    • エルサレムを血で満たした(列王記下21:16)。

    • 神の預言者たち、正しい人々を迫害したと伝えられています。


⚖️ 神の裁きの理由

マナセの罪は単なる個人のものではなく、ユダの国の方向を根本からねじ曲げた罪でした。その結果、後の王たち(ヨシヤなど)が改革を行っても、
民の心の奥に偶像礼拝の根が残っていたのです。
神は「わたしはエルサレムにわたしの名を置くと言ったが、
彼らはマナセのように悪を行い、わたしを捨てた。」(列王記下23:27)

つまり、マナセは「悔い改めの時代を過ぎさせた王」とも言えます。

 

1–4節:神の怒り、取り消されない裁き

 

「たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても、この民のためには心を向けない。」

ここでは、民の罪があまりにも重く、神の赦しがもう及ばないことが示されています。

神は4つの裁きを宣言します:剣・飢饉・獣・捕囚。

それぞれが破滅の象徴です。

 

5–9節:民の悲惨と見捨てられた都

 

エルサレムは孤独な女、もはや同情されない者。神は「彼らに何度も警告したが、耳を傾けなかった」と言います。

その結果、子どもも母も失われ、若い母親が昼のうちに倒れる、という悲惨な光景が語られます。

 

😢 10–18節:エレミヤの嘆き

 

エレミヤは自分の運命を嘆きます。「ああ、わたしの母よ、あなたはわたしを産んだ。」

 

人々から憎まれ、迫害される苦しみの中で、彼は神に訴えます。

自分は神の言葉を忠実に語っているのに、なぜこんなに痛みがあるのか?

彼は神の言葉を「喜び」として食べた(=受け入れた)と言いますが、それが彼に孤独をもたらしたのです。

 

神の言葉を喜んで受け取ったのに、その道は苦しみで満ちていました。

 

🔥 19–21節:神の答え

 

神は「もしあなたが立ち返るなら、わたしはあなたを再びわたしの前に立たせよう。」

つまり、神の働きを続けるためには、絶望の中でも信仰に立ち返る必要があるということ。

神の約束「彼らはあなたに立ち向かうが、勝てはしない。わたしがあなたと共にいて、救い出すからだ。」

 

神の裁きの時には限度がある。悔い改めの時を過ぎると、裁きが来る。

預言者も苦しみを通るが、神はその中で守られる。

神の言葉は甘いが、真実を語る者の道はしばしば孤独。

 

しかし、神は忠実な者を見捨てない。

神は「わたしがあなたを救い出す」と言い、どんな敵にも勝利できる約束を与えます。「神の怒り」と「神の守り」が同時に描かれています。

 

福音宣教して、祈りと断食で勝利し、御心に従順する時、

聖霊の油注ぎが強くなり、聖霊の声も頻繁に聞こえる。

祈りは霊の祈り、すなわち異言祈りを、長き深く!

すること!

 

①サタンの誘惑から勝利した時-聖霊が王として働く時、天使が働く。

マタイ‭4‬:‭1‬-‭11‬

さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。 そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 イエスはお答えになった。 「『人はパンだけで生きるものではない。 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』 と書いてある。」 次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、 言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。 『神があなたのために天使たちに命じると、 あなたの足が石に打ち当たることのないように、 天使たちは手であなたを支える』 と書いてある。」 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。 更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。 すると、イエスは言われた。「退け、サタン。 『あなたの神である主を拝み、 ただ主に仕えよ』 と書いてある。」 そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕え。」
‭‭

② 神の御心に従うとき、神は今も天使や聖霊によって私たちを力づけてくださるのです。

‭‭ルカ‭22‬:‭42‬-‭44‬

父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。 イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。

               ③福音宣教
ルカ‬ ‭4‬:‭18‬-‭19‬
主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げ知らせるために、 主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、 捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫されている人を自由にし、 主の恵みの年を告げるためである。
‭‭

「信じる者が真に求めるべきこと」が、奇跡やしるしではなく、「霊魂の救い」と「罪からの分離(聖化)」である。

 

1. 信仰の真の目的は「霊魂の救い」である

 

  • 信じる者に伴うしるし(悪霊追い出し、異言、病の癒やしなど)を記したマルコ16:17-18から始まります 

  • 求められているもの: 多くのクリスチャンが、この世で必要なものや、悪霊追い出し、病の癒やしといった**「しるし」ばかりを求めている。

  • イエスの警告: イエス様は、しるしを求める時代を「よこしまな悪い時代」とし、彼らは悔い改めができないと警告しました。

  • 真の目的: 信仰の結果として手に入れるべき目的は、使徒ペテロが教えるように**「霊魂の救い」**(ペテロ第一1:9)でなければなりません。

 

2. 奇跡は「目的」ではなく「しるし」に過ぎない

  • 喜びの対象: 弟子たちが悪霊を追い出したことを喜んだ時、イエス様は「悪霊があなたがたに服従したことを喜ぶな。あなたがたの名前が天に記されていることを喜びなさい」と答えられました。

  • 「味見」としての奇跡: 神様は、信仰が未熟な段階であっても、成長を助けるために「味見(あじみ)」として奇跡の力をお与えになることがあります 。これは、その人が完全に認められた証拠ではないと理解すべきです。

  • 不法と拒絶: マタイ7:21-23が示すように、奇跡を行っても「不法(罪)」がある者は、主から「わたしはあなた方を全然知らない」と拒絶されます。奇跡を行う力があっても、罪から離れて聖くなっているかどうかが神の国に入る条件」です 。

 

3. 真の信仰生活とは

 

  • 生まれ変わり: 天国に入る条件は、罪から完全に離れきった「生まれ変わった状態」です。これは人の力ではなく、精霊によって初めて可能になります 。

  • 聖なる生活: ヘブライ12:14に基づき、「聖なる生活を追い求める」ことなしには誰も主を見ることはできないと強調されています。

  • 優先順位の比喩: 奇跡を花の「香り」に、真の信仰を「本物の花」に例え、「香りを求めないで本物の花であることを求めるべきだ」と結論づけています 。

  • 聖霊の力: 信仰の目的は奇跡ではなく、「聖霊の力」を求めて罪から離れきる生活をするべきであると締めくくられています 。

1 つ目

2009 年、5 月中旬頃、和歌山で、祈っていたある日、

宮殿の中にイエス様と私が一緒にいて、バルコニーの方に出て行きました。数え切れない人々が目に入ってきました。

 

2つ目

5 月 22 日?頃、また、和歌山で祈っていた時.

忘れていた、前回の幻をもう一回、同じ宮殿で、イエス様と私が一緒にいて、バルコニーの方に出て行きました。そうした

ら、まるで、海辺の砂のような数で、数え切れない人々が目に、はっきりと見えました。みんな、目には涙がこぼれるそう

で、涙ぐんでいる姿、、、

今度はイエス様が私に「あなたが前面に出て行きなさい。」と、おっしゃって、わたしの左に立っていたイエス様が、私の

右の方に、移動し少し離れて立っていました。

すると、群れは、特に女性の方が多かったですが、私たちの方に向かって、こう叫ぶのです。

「神様の恵みを教えてください。 神様の恵みを教えてください。 神様の恵みを教えてください。」

この言葉を三回も繰り返して言って、全員が涙をこぼしました。

その涙は、大粒の涙はで熱かったのです。私も飢え乾いている神の子たちの姿を見て、幻を見ながら大きく泣きました。

幻が消えて聖霊様に聞いてみました。主なる神様の恵みって、なんですか?彼らに何って教えたらいいでしょうか?

すると聖霊様は、メーモ用紙とペンを持ってきなさい。言うとおり書きなさい。

①神の恵みは イエス・キリスト

②神の恵みは 悔い改め

③神の恵みは 謙遜

イエス・キリストの名によって、悔い改めて、謙遜になる人には、神の恵みが与えられる。

 

3 つ目の幻

6 月のある日、また和歌山で、同じバルコニーに立っていたら、みんな、まるで、”私たちは悟りました、、、”と言うような気

がしたら、

集まっていた人らの右手には、自分たちの背丈より長い、投げ槍を持って、急にかんせいをあげながら、各自自分たち

の場所に、散って帰りました。それも一斉に。すると、遠い空に、攻撃を準備してた、龍何匹が驚いて、まるで、漫画の絵

のように、龍の目が突き出て、さっとすばやく逃げて行きました。

これで、神の恵みを悟った人々は、イエス様の兵士になったのです。

 

聖霊様がこうおっしゃいました。

「日本に、リバイバルが起きないのは、牧師たちが、悔い改めないからだ。彼らは、悔い改めが何か、何を悔い改めれば

いいかを分かってないし、また、悔い改めようともしない。だから、日本にはリバイバルが起きないのだ。もし、一人でも、わたしが求めるレベルの悔い改めができる人であれば、その人が誰であろうが、その一人を通して、日本は神の国になれる。

 

かに、幻の中で、「神の恵み」を言う人々だったので、すでに、クリスチャンであったのです。

わたしh、こう思いました。

日本には、こんなに、飢え乾いている、クリスチャンが多いのと、現には、見込みのなさそうな、霊的な力がないクリスチ

ャンが、イエス様の勇士になれるんだなぁ、、、と。

主はおっしゃいました。

まず、悔い改めることが大事だ。生きていても、実は、霊的には、神の恵みをしらない、その恵みに触れていない、自分

の霊が枯れ果てた骨のようでも、知らないで、気づかないままに、生活してる。

クリスチャンであれば、イエス・キリストを信じて救いに預かった人であれば、完全な救いの中、天国に入るまでは、悔い

改めと、謙遜になることが、まず、個人個人行うことではないかなぁー、と思います。

悔い改めの謙遜がなければ、リバイバルはありません。頑な心と、高慢では、主の霊が共にしてくださらないです。

 

 

 

 

 

マタイ

9:12-13イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 『わたしが求めるは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

 

11:29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。

 

ヤコブの手紙 1:20-22

人の怒りは神の義を実現しないからです。 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。

 

ヘブライ人5:8-9

キリストは御子でありながら、多くの苦しみを通して従順を学び、完全な者となられた。 そして、従うすべて人々に対して永遠の救いの源となった。

 

ルカ22

42父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のまま行ってください。43すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。 44イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈らた。

汗が血の滴るように地面に落ちた。

 

 

マルコ16

19主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。 20一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。

 

ガラテヤ5

  19肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、 20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、 21ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。

 

22これに対して、霊の結ぶ実愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 23柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。 24キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。 25わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。 26うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。

 

テサロニケの信徒への手紙一 5:16-18

いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、

神があなたがたに望んでおられることです。

 

悔い改め」(ギリシャ語:メタノイア metanoia)とは、単に「罪を後悔すること」ではなく、心と思いと方向が神に向かって完全に変えられることを意味します。

 

 

📜 試練の目的

人生の苦難は、単なる不幸ではなく、人が神の御心に適う者へと成長するための訓練の機会であります。

 * 未信者へ:試練は、自分の力ではどうにもならないことを知り、神の存在を求め、立ち返るためのチャンスです。

ホームレスの人々の実例、どん底の経験が信仰への転機となることが語られます。

 * 信者へ:試練は、自分の信仰を深く見つめ直し、未熟な部分や罪を「帰り見る機会」です。

それは神が愛する子を訓練するために与える「愛の鞭」であり、忍耐を生み、信仰を成長させるための大切なプロセスです。

🔑 試練への最善の対応

最も望ましい試練への対応は、神からの厳しい懲らしめを待つのではなく、自ら進んで行う積極的な自己訓練です。

 * 自発的な行動:自らの弱さや罪を認め、「自分の十字架を背負い、自己を打ち消し、砕いていく」という積極的な姿勢を持つこと。

 * 結果:この自発的な努力により、試練の期間は短く、軽く通り過ぎ、求められる水準まで信仰を急速に成長させることができるのです。

試練は「この上もない喜び」と受け止め、自己を吟味し、神の望む器となるよう努力することの重要である。


主なる神様が思うところを全て行う


使徒言行録‬ ‭13‬:‭22‬ 

それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』



教会のリーダーや牧師を恨んだり、憎んだり、敵対してはいけない理由

 

① 神が立てた権威に逆らってはならない

 

ローマ13

 1人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。

 2従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。

 

使徒20:2 聖霊があなたがたを群れの監督にお立てになり、神がご自身の血をもって買い取られた教会を牧させるためです。

 

牧師や教会の指導者は聖霊によって立てられた者。

彼らに逆らうことは、神が定められた秩序を壊すことになります。

 

② 神のしもべを敵対することは、神に敵対すること

 

民数記 12:1,6-8,10-12,15

ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難し、「モーセはクシュの女を妻にしている」と言った。 主はこう言われた。 「聞け、わたしの言葉を。 あなたたちの間に預言者がいれば 主なるわたしは幻によって自らを示し 夢によって彼に語る。 わたしの僕モーセはそうではない。 彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。 口から口へ、わたしは彼と語り合う あらわに、謎によらずに。 主の姿を彼は仰ぎ見る。 あなたたちは何故、畏れもせず わたしの僕モーセを非難するのか。」 雲は幕屋を離れた。そのとき、見よ、ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンはミリアムの方を振り向いた。見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。 アロンはモーセに言った。「わが主よ。どうか、わたしたちが愚かにも犯した罪の罰をわたしたちに負わせないでください。 どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て来た死者のようにしないでください。」 ミリアムは宿営の外に七日の間隔離された。民は、彼女が戻るまで出発しなかった。 


・紅海を渡った後、神の勝利をたたえる賛美を導いた人でしたが、出エジプトの後40年間の荒野の旅を経て、
約束の地、カナンに入る直前に ツィンの荒野で亡くなった のです。

 

・民数記12章ミリアム

・民数記16章(モーセのいとこ、コラの反乱)

モーセとアロンに逆らった人々に対して、主は言われた。 あなたがたは主に逆らっている。

地が裂けて、彼らをのみ込んだ。


 

神が選ばれた者を侮ったコラたちは、最終的に神のさばきを受けました。

人を見て反抗することは、実は神に逆らう行為です。

 

 

③ 恨みと憎しみは悪魔の通路となる

 

エペソ4:26–27怒っても罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。

 

不満や怒りを放っておくと、サタンがそこに入り込み、教会の一致を壊します。

悪魔は分裂を喜びますが、神は一致を喜ばれます。

妬みは、相手に働く聖霊の力と働きを否定して、聖霊様を拒否してる行為である。

 


④ 羊飼いである指導者に従うことは信仰の現れ

ヘブライ13:17

 指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。

 

牧師は神から「霊魂を預かる責任」を与えられています。従うことは人間への服従ではなく、神への信頼の表れです。

 

 

⑤ 批判ではなく祈りで支える

 

第一テモテ2:1–2 すべての人のために、特に王たちや高い地位にある人たちのために、願いと祈りと執り成しと感謝をささげなさい。

 

不満を持つときこそ、反抗ではなく祈りで応答するべきです。祈るとき、神はその人も、自分の心も変えてくださいます。

 

 

・まとめ

①    神が立てた権威     ローマ13:1、使徒20:28     聖霊によって立てられた者を拒むことは神への不従順

②    神に逆らうことになる   民数記16章             モーセに逆らった者は主に裁かれた      

③    サタンに隙を与える   エペソ4:26–27            恨みは教会を壊す入口            

④    従順は信仰の表れ    ヘブル13:17             神が委ねた責任を尊重する         

⑤     批判ではなく祈り     第一テモテ2:1–2           執り成しの祈りが教会を強くする

 

彼らに従うことは主への従順であり、彼らを攻撃することは主を悲しませることです。

 ・サムエル記上24章 ダビデはサウルを傷つけなかった。

 

 

 

牧師やリーダが信者に傷を与えたり、恨みを買ってはいけない理由

 

① 主の僕は、柔和で愛をもって仕えるべき

 

テモテへの手紙二 2章24–25節

主の僕は争ってはならず、すべての人に優しく、教えることができ、忍耐強く、

反対する人を穏やかに諭すべきです。

 

🔹 指導者は権威を振りかざすのではなく、優しさと忍耐をもって教えることが求められています。

 

 

② 小さい者をつまずかせてはならない

マタイによる福音書 18章6節

しかし、これらの小さい者の一人をつまずかせる者は、

大きな臼を首に掛けられて海の深みに沈められる方がましである。

 

🔹 弱い信者を傷つけたり、信仰を失わせることは、**主の前で非常に重い罪**とされています。-その人の救い、使命、祝福などを奪う事である。

 

③ 羊の模範となるべき

ペトロの手紙一 5章2–3節

 あなたがたのうちにいる神の群れを牧しなさい。いやいやながらではなく、

 神に従って自ら進んでそれを行い、恥ずべき利益を求めず、心を込めて群れの模範となりなさい。

 

🔹 指導者は支配するのではなく、**模範を示して導く羊飼い**であるべきです。

 

 

④ 教師はより厳しく裁かれる

 

ヤコブの手紙 3章1節

兄弟たち、あなたがたのうち多くの者が教師になってはなりません。

教師はより厳しい裁きを受けることを、あなたがたは知っているのです。

 

🔹 教会のリーダーは、神からより厳しい責任と裁きを受ける**立場にあります。

信者を傷つける行為は、神の前で必ず問われます。

 

⑤ 愛をもって導くことが神の方法

 

ヨハネによる福音書 13章34–35節

 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。

 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が知るようになる。

 

🔹 イエス・キリストが示されたのは、愛による指導と仕え合いです。

愛のない指導は、主の使命から外れます。

 

🔹 まとめ

 1. 柔和で仕えるべき         二テモ2:24–25   優しさと忍耐で教える 

 2. つまずきを与えてはならない   マタ18:6        弱い者を傷つけるのは重い罪

 3. 羊の模範となる             一ペト5:2–3      権威でなく模範で導く  

 4. 厳しい裁きを受ける         ヤコ3:1         教師は神に厳しく問われる

5 愛で導く                  ヨハ13:34–35    愛こそ弟子のしるし  

 

 

* 教会のリーダーは、信者を支配するのではなく、愛と謙遜、模範と忍耐で導くべきである。

* 信者を傷つけたり、恨みを買う行為は、その人を救いと祝福と使命から離れさすことであり、神の名を損なう重大な罪であ

 る。

* 主のしもべは、人を倒すためではなく、立たせるために仕える者である。

 

断食はまずわたしを守ってくれる主の恵み

先日、夢の中でとても不思議な体験をしました。

私の家の裏が山になっていて、その山のてっぺんに大きな白熊(約3メートルほど)が立っていました。白熊はエサがなく飢えていて、山から戻ろうとした時に、ふと後ろを振り向くと私の部屋が目に入りました。すると、私に向かって全力で走り下りてきたのです。

「怖い!」と思った瞬間、私の部屋は分厚いガラスに覆われ、走ってきた熊はそのガラスに顔をぶつけ、ぺしゃんこになってしまいました。面白い顔になりながらも諦めず、もう一度ぶつかりましたが、結果は同じ。熊はやがて山に戻っていきました。

この夢を通して、主は「断食はあなたを守る力となっている」と啓示してくださいました。

それ以来、私は「これからは楽しく断食しよう!祈りも楽しく!信仰生活もとにかく楽しく!」と心に決めました。

 

私の新しい座右の銘は、
「主と共に、楽しく生きよう!」

 

EMC教会連合は、聖霊様の導きによって、イエス様の再臨まで、毎週3日間の断食が命じられており、神戸EMCでは、信者それぞれが、1日から3日まで、自分の信仰に応じて取り組んでいます。私自身も少し糖尿が残っている中で断食を続けてきました。正直に言えば大変しんどい時もありましたが、それでも年々元気になっています。

そして先日の夢を通して、断食の有益性をさらに深く体験させていただき、今は希望と喜びをもって断食を続けたいと願っています。

 

 

 

Ⅱコリント9章6節‐10節

1. 永遠の人生のための「種まき」

  • 蒔き方と刈り取り:種をわずかしか蒔かない者はわずかしか刈り取れず、豊かに蒔く者は豊かに刈り取ります。神は、強制されてではなく、心に決めた通りに喜んで与える人を愛されます。


  • 人生の目的:この世での100年の人生は、無限に続く永遠に比べれば一瞬に過ぎません。イエス・キリストを信じる真の目的は、この短い人生を、死後訪れる神の国での永遠の人生のために準備することにあります。


  • タラントンの教訓:タラントンの例えのように、神から託されたものを増やさず怠けた下僕(しもべ)は、神の領域の外である暗い所(地獄)に投げ捨てられます。この法則は、神の子供たちだけでなく、すべての人に適用される神の統治のルールです。

 

2. 信仰と行いによる保証

  • 裁きの基準:神の裁きは、単にイエスを信じた「時点」だけでなく、その後どのように生きたか、どのような行いを起こしたかが基準となります。聖書は、終わりには行いによって裁かれると明確に教えています。


  • 神への立ち返り:神に立ち返るとは、「信じます」と口で言うだけでなく、神が命じられた**「掟(おきて)を守る」**という具体的な行動によって、神の主権を認めることです。


  • 十分の一の意味:十分の一の献げ物は、神に金銭を捧げること以上に、自分の人生のすべてが神のものであるという信仰の告白であり、神の主権を認める象徴的な行為です。神の前に空手(てぶら)で出てはならないという戒めは、救われたことへの感謝と、未来に受ける祝福への期待を示す基本のステップです。

 

3. 豊かに蒔くことの結果と証し

  • 神の祝福の目的:神が人を祝福するのは、その人が偉くなるためではなく、その人を通して神の御名を世に示し、神の栄光を現すためです。


  • 証し:自らの経験として、金銭的な困難な状況下でも神の仕事を優先し、精一杯蒔き続けた結果、神が想像を超える形で必要なものすべてを備え、信仰生活が豊かになったことを証しています。


  • 世界宣教の拡大:教会(EMC)が信仰によって霊的・肉体的に豊かに蒔き続けているため、フィリピンやメキシコなど世界中で神の国を広げる働きが、加速度的に実現しています。

 

まとめ

私たちは、この世での一瞬の人生において、永遠の未来のために、霊的にも物質的にも豊かに蒔き続けるべきです。そうすることで、神の約束通り、この世で祝福を刈り取り、死後も永遠にわたって、神からの最大の報いと栄光を享受することができます。