現代のキリスト教界における「間違った教えの流れ」をどのように見分け、正していくべきか。

1. 現代における「背教の流れ」の警戒 

現在、教会の中で「ひっくり返さなければならない間違った教えの流れ」が起きており、これに気づかずに従うことの危険性が強調されています。この流れを正さなければ、神の怒りが臨むと警告されています 。

2. 間違った伝道と「繁栄主義」への批判 

  • 現世利益を強調する伝道: 「イエスを信じれば病気が治る、金持ちになる、幸せになる」といった言葉で伝道しています 。

  • 問題点: このような動機で信者になった場合、抱えていた問題が解決すると信仰が必要なくなってしまいます。

  • 真の伝道: 伝道とは「道」を伝えることであり、現世での利益ではなく「永遠の命の救い」と「イエスこそが救い主であること」を伝えるべき。

3. 奇跡や現象への執着に対する警告

  • しるし(奇跡)のみを求める危うさ: 真理の御言葉を愛さず、奇跡や現象(例えば、人が倒れる現象など)だけを追い求める人々に対して、神は「偽りのしるし」を許されることがある。

  • 本質の欠如: 罪の悔い改めや、聖霊による「新しく生まれること(新生)」の教えがないまま、単に不思議な現象を起こそうとする動きを警戒するべきです。

4. 信仰者の備えと霊的戦い

  • 自己の改革: 世の流れに流されないために、普段から熱心に祈り、自分自身を霊的に強く保つ必要があります 。

  • 意識の変化: わずか5分、10分の時間の使い方や意識の持ち方が、霊的には大きな差を生む 。

5. 宗教混合主義(WCCなど)への反対

他の宗教でも熱心に信じれば天国で会えるといった、聖書とは正反対の教え(WCCなどの動き)を「サタンの運動」である。目先の支援やお金のために、真理を曲げてそれらに加担することの危いです。

 

結論として: 信仰の目的はあくまで「イエス・キリスト」そのものであるべきであり、奇跡や現世の祝福を第一とする「繁栄主義」の流れを、御言葉と聖霊の助けによって見分け、拒絶しなければならない!

 

新しい年を真の希望とともに迎えるために必要な「霊的な準備」

 

1. 新年を汚さないための「精算」

神から与えられる新年は、本来真っ白で汚れのないものですが、過去の罪や問題を抱えたまま年を越すと、その新しい年をも汚してしまうことになります。過去の苦しみや病、神との間のわだかまりを新年に「繰り越す」のではなく、今のうちに神の前ですべてを精算し、改善することが重要です。

 

2. 行いの伴わない信仰は「死んだもの」ヤコブ書2章19節〜26節

単に「信じている」と口にするだけの信仰を厳しく戒めています。アブラハムが息子を捧げようとしたように、神への従順な「行い」があって初めて信仰は完成されます。行いが伴わない信仰は、神とつながっていない「死んだ信仰」であり、それでは神の助けを得ることはできません。

 

3. 聖霊が与えられる真の理由

人間は自分の力だけでは、肉体の欲望を抑えて神に従い続けることは困難です。そこで、イエスを信じる者には「聖霊」が約束されています。聖霊の役割は、信者が神に従う「行い」を全うできるよう助け、信仰を完成へと導くことにあります。

 

 聖霊を送った理由は何ですか?

主エスを信じる人の信仰が、行いによって完成できるように、

人は自分ではそういう力を持っていないから。

助けて行いが完成できるように、行いによって信仰が完成できて、

救いに至るようにするために、イエス様を信じる者に!聖霊を送る。

 

4. 突然の災いに備える生き方

人生には予期せぬ病や事故が起こり得ますが、日頃から神との関係を正している人は、ヒゼキヤ王のように神に助けを求める「根拠」を持つことができます。自分の中に「隠れた罪」という時限爆弾を抱えたままにせず、常に悔い改めの心を持つことが、安全で喜びのある人生につながります。

 

結論

新しい年を単なる形式的なお祝いにするのではなく、今この瞬間に自分自身を深く振り返り、神との正しい関係を再構築(精算)することで、真に勝利と希望に満ちた新年を迎えましょう。

16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 

17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

18「主の霊がわたしの上におられる。

貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、

19主の恵みの年を告げるためである。」僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』

24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。 

25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、 

26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。

27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」 

 

 

列王記上 17

8また主の言葉がエリヤに臨んだ。 9「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」 10彼は立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一人のやもめが薪を拾っていた。エリヤはやもめに声をかけ、「器少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と言った 11彼女が取りに行こうとすると、エリヤは声をかけ、「パンも一切れ、手に持って来てください」と言った12彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられま

す。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけ

です。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それ

を食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」 13エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、

あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って

来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。 14なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。

主が地の面に雨を降らせる日まで,壺の粉は尽きることなく,瓶の油はなくならない。」

15やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事

欠かなかった。 16主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくなら

なかった。

 

創世記 12:3 地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。       

 

ガラテヤ 3:28–29

26あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 27洗礼を受けてキリストに結ばれた、あなたがたは皆、キリストを着ているからです。 28そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分

の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。 29あなたがたは、もし

キリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

 

イザヤ 56:7

わたしの家はすべての民の祈りの家と呼ばれる。 

 

使徒言行録 10章

34そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 35どんな国の人

でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。 36神がイエス・キリストによって――この方こ

そ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、

 

黙示録 7章

9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれ

ないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 10大声でこう

叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。

 

 

ヨブ記 37:23-24

全能者を見いだすことはわたしたちにはできない。

神は優れた力をもって治めておられる。

憐れみ深い人を苦しめることはなさらない

それゆえ、人は神を畏れ敬う。

人の知恵はすべて顧みるに値しない。'

主なる神にささげる正しい信仰と心の大切さ

2コリント 8:4–5

彼らは、まず自分自身を主にささげた。

マケドニアの教会は、苦しみの中でも喜んで献げました。

理由は、“まず自分自身をイエス様に捧げた”から。

神であるイエス様にささげる信仰は、私自身が神のものです、という告白と実行から始まることを示します。


創世記 22章(アブラハム)

アブラハムの献げ物は、単なる宗教的行為ではなく、

神の約束を信じ切った信頼の決断。

「ささげる信仰」は、神がどんな方であるかを知るほど深まります。


ローマ 12:1

「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生けるいけにえとしてささげなさい。」

ここでいう「からだ」とは、人生・生活そのもの。

礼拝での献金や奉仕だけでなく、日々の選択・言葉・態度を神にゆだね、

御言葉通り生活することが、本当の意味での「ささげる信仰」です。


ヘブル 11:6

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。」

神が求められるのは、量や形式ではなく、神を信頼する関係性そのもの。

ささげる行為の中心に“信頼”があるとき、そのささげ物は神の喜びになります。


詩篇 51:17

「神の求めるいけにえは、悔いた心。砕かれた心。」


神であるイエスの名によって、悔い改めて、父なる神に赦しを頂く事からが、信仰生活のスタートである。

 

罪と悔い改めの本質的な重要性

1. サタンの「合法的」な働き

説教の核心は、サタンが信者を攻撃する際、神の許しと法則に基づいて合法的に働く場合があるという点です。多くのクリスチャンは、自分が神の子になったからサタンの攻撃とは無縁だと考えがちですが、それは無知であると警告されています。

神は義であり、公正に世界を統治されるため、人が罪を犯した結果として、サタンがその人の弱い部分や罪のある部分を攻撃する許可を与えることがあります。これは、悪霊の攻撃から逃れるためには、単に祈りや追い出しの言葉を使うだけでなく、神の法則を理解する必要があることを意味します。

2. ヨブ記とペテロの事例からの教訓

  • ヨブ記の真実: ヨブが「無垢で正しい」とされたのは、世の人々と比較して正しいという相対的な意味であり、絶対的な罪がないわけではありませんでした。神がサタンにヨブを試すことを許したのは、ヨブにも気づいていない罪や欠点があったからです。ヨブの試練は、彼が自身の罪を認め、心から悔い改めるまで終わりませんでした。悔い改めた後、神は彼の失ったものの2倍を祝福として回復させました。

  • ペテロのふるい: イエス・キリストの弟子であるペテロでさえ、サタンが彼を「麦のようにふるいにかける」ことを神に求め、それが許されました。その結果、ペテロはイエス様を呪いの言葉を口にさえして、否認するという、信仰の危機に陥りました。この事例は、熱心な信者であっても、心に正しいでない部分があれば、サタンの合法的かつ許された攻撃を受ける可能性があることを示しています

3. 悪霊の追い出しと聖霊の働き

この法則を理解しないまま、いくら熱心に祈っても、悪霊の追い出しはできません。

  • 罪は壁: 罪は、神と人との間を隔てる**「壁」**となります。神の助けの手は長く、耳は遠くありませんが、この壁があるために、神の力は届かず、祈りも聞き届けられません。

  • 悔い改めが先決: 悪霊のいる状態は、腐った食べ物(罪)にハエ(悪霊)が群がっているようなものです。ハエを追い払っても、腐った食べ物が残っていればハエは戻ってきます。悪霊の追い出しを成功させ、聖霊の力に満たされるためには、まず徹底的に自分の罪を探し出し、悔い改めること(壁を取り払うこと)が先決です。

まとめ

信仰生活における困難や問題に直面したとき、闇雲に救いを求めるのではなく、まず自己点検し、神の前に正しい信仰に立ち返ることが、勝利への道である。悔い改めこそが、聖霊の働きと神の恵みを経験するための基本である。

神様の望まれる信仰生活とは、単に静かに待つ受動的なものではなく、絶え間ない霊的な戦いを通じて実現される動的な勝利の人生である。

 

1. 霊的戦いの本質

 

キリストがこの世に来られた第一の目的は、人類を闇の力から解放し、その支配の働きを根本から打ち砕くことでした。

  • 現状認識: 人間は生まれながらにして、この闇の力による縛り妨害の中に置かれています。この支配が解かれない限り、真に神様のもとへ立ち返ることも、神のメッセージを人々に伝える(伝道)こともできません。

  • 神の国の到来: 悪の力が追い出され、神の聖なる力が満たされるとき、私たちのうちにも、また周りの世界にも、神の統治(神の国)が現実のものとして現れ始めます。


 

2. 弟子としての道

 

キリストの教えを生きる者、すなわち弟子となることは、単に言葉や形式の上で信じることではありません。

  • 積極的な行動: それは、キリストがされたように、自らこの霊的な戦いに立ち上がり、悪の勢力を打ち破る戦士となることを意味します。

  • 敵への対峙: この戦いに参加せず、傍観したり、闇の力と手を組んで生きる者は、結果としてキリストの働きに反対し、人々を散らす側になってしまうと警告されています。


 

3. 勝利の条件

 

この戦いに勝ち続けるためには、特定の実践的な訓練が不可欠です。

  • 集中と断食: 勝利を得るためには、ひたすら神に集中する祈りと、肉的な欲求を抑える断食が必須の手段とされています。これらは、闇の勢力が特に抵抗し、その勢力を追い出すために必要な力強い権威を伴うからです。

  • 継続的な警戒: 霊的な戦いは一時的なイベントではなく、私たちがこの世を生きる限り、毎日続けるべき継続的な努力です。過去の経験や形式的な習慣に頼るのではなく、日々強くなることを目指さなければなりません。


 

4. 信仰の実践がもたらす変化

 

信仰生活を真剣に実践し、この霊的な戦いに勝利する者は、個人的な体験を通して神の力を知ります。

  • 解放と回復: 集中した祈りによって、病や身体の不調といった肉体の縛りから解放されたり、どうにもならないと諦めていた問題が解決したりする奇跡的な回復が起こり得ます。

  • 真の幸福: 神の御心に従って生きることは、魂の最も深い部分にある生きがいと幸福につながります逆に、その体験のない状態は、悪の力に縛られたままの空虚な状態である。

形だけの信仰から抜け出し、本質的な力真の自由を得るために、日々の生活の中で積極的に霊的な戦いに立ち上がるよう頑張るべきです。

感謝がどれほど大切かを悟らせる夢を見ました。


寝る前に「主よ、イエス様は私をどのように見ておられるのでしょうか」と祈って眠りについた時の夢である。

わたしは東京EMCの神学校と先生たちを前にして、説教台に立っていた。

言葉を開く前に、まず神様への感謝を告げていた。「ここまで来られたのは、ただ主の恵みです。」と口にすると、胸の奥がいっぱいになり、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえながら語っていた。自分の霊が、そのまま主への感謝を叫んでいるように感じた。

次に沈牧師へ感謝を伝えていた。「ここまで来られたのは、先生が私を忍耐深く導いてくださったおかげです」と語ると、また心の底から感謝の涙が込み上げていた。

続いてわたしに傷つけた人達へも感謝を述べようとたが、過去の記憶があり、一瞬ためらったが、その人たちの良さだけだけを思い浮かべ、否定的な思いは一切捨て、ただ心を尽くして感謝を告げた。その時も涙は温かく流れていた。(実際、悪い思いと常に戦ってる日々です。)

説教台の下には、神戸で働く信徒たちが座っていた。

現実には信仰の面で弱く、問題もある者たちで、わたしは常に悩んで苦しんでる事が多いけど、夢の中のわたしは彼らの良い面だけを見つめ、彼らを送ってくださった主に深く感謝していた。(現実でも、信者のことで、主によく感謝を言ってます。)

話し終えて東京EMCの神学校の前に立つと、沈先生が続けて語った。
「この牧師の性格は、本当に素晴らしい。人の悪いところを見ようとせず、判断せず、表に出さず、良いところだけを見ようとする。神様への感謝だけでなく、人への感謝も常に忘れない。悪い点に心を奪われず、良い点だけを大切にし、感謝をもって受け取る――その心の広さ、優しさ、善良さは、まさに人の模範だ」と韓国語で語られた。私は日本語で、沈先生は韓国語で話しながら、皆に「このような心を見習いなさい」と励ましていた。

目を覚ました時、胸に強く残ったのは、
感謝がどれほど尊く、どれほど主に喜ばれ、認められて祝福される事かを強く悟るようになりました。

主から感謝する心を認められたので、もう一つアップされた祝福を期待しています。

これから与えられ、証できる恵みと祝福にわくわくして、年末や新年が楽しみです。

 

愛する皆さんも、一つ一つ認められる事を忍耐強く継続して、救い主イエス様から、ボーナスを受ける年末、新年になる事を願います。


* 感謝の意を表す時は、

言葉だけではなく、お金がかかる感謝を表すのが信仰でしょう。



皆が異言ができることはないですが、

異言の祈りを禁ずることは

神が立てる教会の組織を否定する、

聖霊の働きを拒否することなので、注意すべきです。

 

コリント12章

3そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。

4霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。

5務は種々あるが、主は同じである。

6働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。

7各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである

8すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言

9またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 10またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほ

かの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。

11すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである

 

28神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです

 

現にも、使徒のような働きや預言する牧師や使命者、、、などいろんな賜物を持って、働いている方たちが多くいます。神の御心のままに祈らせられている、異言の祈りは、特に執り成し祈りチームには、絶対必要な賜物であり、霊的戦いには勝利する武器でも言えます。

 

1. 弟子になること(弟子化)の定義

 

  • 師匠の教えの完全な実行者になること

    弟子というのは師匠がやったことをそのまま教わってその通りにしたものは弟子なんです。

    • イエス様の弟子になることは、イエス様が教え、行い、約束された全てのことを学び、その通りに実行する者になることを意味します。

  • 神の子の身分の完全な回復

    • 人間は元々、「神の姿に」造られ、「神々(神の子)」と呼ばれるべき存在でした。

    • しかし罪によってその身分を失いました。「弟子になる」ということは、イエス様のように生きることを通して、失っていた神の子の身分を完全に回復し、神の性質を持つ存在に立ち返ること(真的な神々のように)を意味します。

  • 刈り入れまで責任を持つこと

    • 「伝道」を種を蒔く行為とするならば、「弟子化」は刈り入れまで、つまり蒔いた種が実を結ぶまで、徹底して世話をすることを意味します。

    • イエス様を信じさせた後も、その人がイエス様の教えを守り、罪から離れ、命の実を結ぶように導く必要があります。

 

2. 弟子になるための具体的なステップ

 

弟子となるためには、以下の行動が不可欠であると説かれています。

ステップ 聖書の教え(根拠) 説明
教えを全て聞く マタイ 28:20a イエス様が命じておかれたことを全て教わる必要があります。
教えを守る マタイ 28:20b / ヨハネ 15:7-8 教わった言葉(イエスの約束)を「ことごとく守るようにしなさい」とあります。守らなければ、真の弟子にはなれません。
実を結ぶ ヨハネ 15:8 イエス様の言葉を守り、その通りに生きると、神様が必ずを結ばせてくださいます。この実は、罪から離れて神の子になる「命の実」であり、信仰の成長の結果です。
聖霊の力を受ける 使徒 1:4-8 弟子化は人の力だけでは不可能であるため、聖霊の権威と力をしっかり受けてから、その力を頼りに弟子化の働きに出るべきです。

 

3. 弟子になった結果(恵み)

 

真の弟子になると、以下のような結果がもたらされます。

  • 神の栄光:実を結ぶことによって、神様が栄光を受けられます。

  • 神の祝福:神様は約束の祝福を与えざるを得なくなります(マタイ6章32節)。

  • 勝利する教会:弟子となった一人ひとりがイエス様のような強さに成長するため、サタンの勢力が決して潰せない、強力な教会(群れ)となります。

  • 終末の備え:これから来るどんな厳しい試練(コロナよりもっとひどいもの)が来ても、命をかけて神から離れない、勝利する信仰を持つことができます。

「弟子になること」とは、イエス様が示した完璧な神の子の生き方を学び、実践し、その結果、神の子の身分と力を完全に回復するプロセス全体であると説いているのです。

ローマ1:21
彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝することもしませんでした。

かえって、その思いはむなしくなり、心は暗くなりました。

 

ここに描かれている順番は、
神を認めない
→ 感謝しない
→ 思いが空虚になる
→ 心が暗くなる
→ 偶像やさまざまな罪(同性愛の罪も)が入り込む
→ 最終的には裁きの現実に行き着く

 

ローマ1章17-32節

世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。 

なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。 

 

それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、 同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。 

 

あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、 人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、 無知、不誠実、無情、無慈悲です。 

 

彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。'