職員室は「教える・教えられる」の関係が希薄 | 神戸国語教育研究会カプスのブログ

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公立に就職すると、最初は指導教員が付く。初任者研修もある。

 

だが、私学はそれがない。いきなり即戦力。そういうこともあって、新卒よりもどこかで非常勤でもいいから経験のある教員を採用する傾向にあるのが私学。

 

そういう意味では、公立の方が、教員を育てようというシステムは確立されているかもしれない。

 

が、ある程度年数が経ち、独り立ちしたときにどうなんだろうか。こうなると、公立も私学もあまり関係なくなる。

 

基本的に、教員は、その人一人ひとりのやりたいことが認められる。「担任裁量」とか「教科の特性」とか、そういった“例外”を認める美辞麗句がたくさんある。

 

若手の教員がちょっとやりすぎていても、それに対してストップをかける教員はほとんどいない。「あの先生のやり方も、教育の方法の一つ」として認められてしまう。一人ひとりのやることが、尊重される

 

それはそれで、若手としては自分の思うとおりにすることができ、誰からも邪魔されないのでありがたい。

 

けれど、やはり中堅・ベテラン教員は、ここぞというポイントでは、若手にきちんと教えてあげるべきだと思う。

 

「尊重」「放任」は違う。

 

若手の教員が壁にぶつかった時に、どうアドバイスできるか。もちろん、その壁は、若手の教員自身が乗り越えないといけない。乗り越えることで成長できる。けれど、乗り越えるための方法論や方向性を、ある程度導いてあげる必要がある。ここで、若手の教員が我流を貫きすぎてしまっては、結局壁を乗り越えることができず、ダメになってしまう。

 

今、教員の世界では、休職者・離職者が多い。その原因は、中堅・ベテラン教員が、あまりにも後輩教員を育成することに無関心であることにもあると思う。

 

もちろん、中堅・ベテラン教員だって、自分に割り当てられた仕事が激務で、また責任のある役割を担っていることが多いから、人のことまで面倒見ていられない、というのもある。

 

縦のつながり。経験を伝える。この文化が職員室はやはり希薄だと思う。年々、その傾向が強まっているような……。

 

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