国語で説明文・評論文を学ぶ意義 | 神戸国語教育研究会カプスのブログ

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国語で、中学で習う説明文と、高校入試に出題され高校で習う評論文とでは、かなり溝があることは、以前の当ブログで指摘した。

 

それでも、とりあえずこれらを「論説文」とひとくくりにして考えてみよう。「小説」の対義としてあてはめる。

 

なぜ、「論説文」を国語の授業で扱うのか

 

若者の活字離れが指摘されて久しい。この件に関しては、また後日、私見を述べたい。

 

活字離れしたとはいえ、全国的に「朝の読書運動」が広まっていることもあり、一昔前と比べると、生徒が読書する機会は増えている。実際にそれを示すデータも出ている。

 

だが、この「読書」は、ほとんど小説を指しているように思える。生徒が朝読で手に取っている本は、ほとんどが小説だ。休み時間や登下校時に読んでいるのも小説。あるいは、ライトノベル(通称「ラノベ」)。

 

新書を読んでいる生徒に出会ったことはほとんどない。新書は、背表紙のタイトルを見ても、子どもたちの心をなかなかつかまない。放置していれば、読む機会がほとんどない。

 

国語の授業で「論説文」を扱う意義があるとするならば、これだと思う。生徒は、「論説文」を読まない。だから、授業で読む社会的な視点を筆者の目を通して知る。そのことに大きな意義がある。

 

モノを考える生徒を作ろうと思えば、「論説文」で筆者の考え方を読み解いて知ることは重要だ。そして、そこから自身の意見を考えさせればいい。テストでは、筆者の考えを聞かれるだけで、そこに自分の意見を挟んではいけない。が、発展的な内容の授業構成として、自分の考えをもつというのは、アリだと思う。その際、教員自身の見解も述べる。いろんな角度や価値観があっていい。これは、読解のテストを超えた応用編だ。

 

小説は言葉遣いがわかりやすいから、生徒はすぐに飛びつく。なかなか接する機会がない「論説文」こそ、国語科の教員としては腕の見せ所だと思う。

 

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