シーズン前に神社で必勝祈願。
プロ野球やJリーグで、よく目にする光景です。
「外国人選手は理解できるのだろうか」
ふと気になります。
「個人の宗教は問わないが家の宗教は変えない方がよい」
昔、住職から言われたことがありました。
家の宗教を大切にしているとは言えませんが、お彼岸の施餓鬼は続いています。
いずれも流れの中で行っています。
ところで会費の中に神社への奉納金が含まれている自治会も少なくありません。
こちらは総会で問題にされることも稀ではないようです。
「地域にある神社を皆で支えているだ
けだ 」
会長 始め役員は常識の範囲内とでも主張したげです。
しかし明らかな憲法違反です。
ただ声高に抗議しよう とすると大抵冷ややかな視線を浴びます。
キリスト教にせよイスラム教にせよ、本来は排他的な一神教です。
「地域の神」など認める訳がありません。
外国人労働者が増える中で団地にも外国籍の住民がちらほら見受けられます。
「信教の自由」
思わぬところで気づかされます。