かつて4丁目に‥② | 大井神社大祭総合研究所

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島田大祭? 帯祭? おヽいさんの祭ってなんだろう?
このブログは 『永く万人に愛され続ける大井神社大祭』を
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ただ今、大祭に対する質問も受け付けております!(*´∀`*)

そうそう

大塚先生(島田宿・金谷宿歴史保存会会長)にいただいた地図があったんだ。

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北が上

拡大すると
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西(当時の上方)から

上、中、下本陣と並んでいるね。



気がついたかな?



シンゲン橋を作った「大久保新右衛門さん」の名前がある。
 
「中本陣」の方だったんですね。

それにしても「ハタゴ」がたくさんありますね。

あ!泊る宿がいっぱいあるから「宿場」なんだ!

辞書で調べると

しゅく‐ば【宿場】

江戸時代、街道の要所要所にあり、旅行者の宿泊・休息のための宿屋・茶屋や、人馬の継ぎ立てをする設備をもった所。宿駅。しゅく。





ついでに「ハタゴ」を調べると

旅籠屋(はたごや)
[ 日本大百科全書(小学館)

近世の宿場にあって、おもに一般庶民や公用旅行以外の武士が利用した休泊施設。飯盛(めしもり)女を抱える飯盛旅籠屋と、そうでない平(ひら)旅籠屋の二つがあった。


「はたご」とは元来、馬の飼料を盛る籠(かご)のことをいい、のちには旅行用の食料・雑品の入れ物や、食料そのものをさすようになり、転じて旅行者を宿泊させて食事を提供する旅宿を旅籠屋とよぶようになった。

これに対し、旅行者自身が食料を持参して、薪炭代(木賃(きちん))のみを支払う旅宿を木賃宿とよび、旅籠屋より下等とされた。

旅籠屋の経営が成り立つのは、東海道のように交通量が多く、四季を通じて旅行者のある所だけで、ほかの街道では農業などと兼業であった。


宿場によって旅籠屋数は異なるが、幕末期の東海道の宿駅の場合には一宿平均57軒である。

なんだね。納得!




↓写真は岡部宿の旅篭屋

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