こわす前の「日の出湯」辺りには、昭和の始め頃まで魚市場もあった
セリが終るとリヤカーや自転車に積み、あるいは天秤棒に担ぎ、そのまま街へ売り歩く者もあり、三々五々散っていく光景は一つの風物詩でもありました。江戸時代、島田宿には上(かみ)・中(なか)・下(しも)の3本陣が3~4丁目にあった。
名称は格式を表すものではなく、本陣が設けられた位置によって名付けれたもので、昔は京方面を上(かみ)江戸方面を下(しも)と呼んでいたことから4丁目に下本陣があったわけ。
今川敏男著「本通り四丁目の今昔」より
この本 おもしろい
また 紹介します。
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