-オヤジたちの街に-凄腕な男たちによる、鉄腕奪取作戦の号砲が聴こえるか。 | kobacabana 3.0

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音楽、食、酒、街、男と女・・・・
日々に感じる雑感を
懸命にまとめています。

この時代にあって、
 
バダイにいろんな新店が増えてきたことを、歓迎したい。
 
唐突に自然薯に「庵」と名乗り、
 
蕎麦と称して、客単価吊り上げるダメダメなチェーンより、
 
個人経営者の仕掛ける勝負は、大きなインパクト、心意気を感じる。
 
年間千人規模の定年退職者が量産される、このバダイ。
 
そのご隠居は、そもそも地元に知人が居ないのが多い。
 
この私も、そうだ。
 
贔屓にしている幾つかの飲食店は、
 
電車で5つも上らないと辿り着けない、たまプ周辺だ。
 
地元の飲食店にはほとんど通って来なかったことになる。
 
 
 

 
 
 
閉店してしまった居酒屋幹、
 
バー・アンティクアリー、
 
バー・スモーク、
 
DORAGO、
 
ひいらぎ(≒紀助)、
 
焼鳥福助、
 
やなぎ(釜飯)
 
など無き後、
 
私が地元バダイで行くのは、数軒に絞られてしまった。
 
かつては歩いて出向いた博多ラーメン「もえぎ野」が、
 
今年バダイの駅近くで復活を遂げたことは、大ニュースだった。
 
以前は酒も飲める店であったが、
 
この再復活の店舗では、ビール程度で、ひたすらズルズルやって食べたら店を出る、
 
滞在時間のきわめて短い、立ち食い蕎麦級の、黙って食べろ、食ったら帰れ、
 
という、芯のある店、と称賛すべきである。
 
 
 
 
 
 
このバダイがパスタ王国なのは世界が認めるところだが、
 
いよいよラーメン激戦区になったことは、この奥地を再開発させる起爆剤になると観ている。
 
高いだけのパン屋も要は小麦粉商売であり、
 
マダムたちの息抜きの場として「おしゃべり可能スペース」としての機能で客単価を上げている。
 
一方、この豚骨ラーメン屋は、小麦粉商売ではあるが、
 
食うだけの店、であり、連れ合いの悪口や、遠まわしに実家が裕福だとか、
 
そういう低俗な連中は、巣食わない。
 
丼を抱え、ズル、ズルっとだけやったら、お代を払って店外へ出る。
 
男は黙ってサッポロビール、という名コピーと等しく、
 
黙ってさっさと町に消えるのが、このコロナ時代こその、
 
上流階級なら身に付けたい作法だと言って良い。
 
 
 
 
ピザにトッピングがあるように、
 
豚骨ラーメンにも自分で味変できる裁量が与えられている。
 
 
 
 
胡麻擦り得意なサラリーマン卒なら、たくさんの擦りごまを。
 
賛否両論ある紅ショウガを、「俺は好きだけどね」と、
独り言を言いながら食べるのは、クールだ。
 
高菜漬けを前に、
 
辛いのがニガテなんていう軟なことはこの店では言えない。
 
麺は「ハリガネ」と注文し、いつ消化されるか心配になるほどの固め、で行く。
 
 
 
 
恋も二度目なら、少しは上手に。。。。。
 
替え玉、という飛び道具が、豚骨ラーメン屋の最大の武器である。
 
一回目の恋では、スープを飲み干さず、たっぷりと温存しておき、
 
替え玉コールで届けられた麺を、さぁ、どのように味わうか、
 
は、二回目の恋だもの、同じ失敗は繰り返さない、という心構えが求められる。
 
 
何をトッピングしてもいいし、トッピングレスで、素のままの替え玉を
 
ただ楽しむのも、悪くないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私はお代を払い、そして、外に出ると、まだ真昼のバダイ、である。
 
ここに、仲のいいバーのオーナーの愛車が止まっている。
 
あれ?さっきまでなかったのに。
 
私はこの車が遮ている店のドアから店内を覗くと、
 
そのオーナーが床板を剥がす作業をしている。
 
 
 
「よっ!」
 
 
 
 
 
「9月になりますかね、店を開けるのは。それまではこうして自分もできる作業はしないと。。。。」
 
と、同じ世代のオーナーが腰を手に、笑った。
 
私の夢描く「マダム層からバダイを奪取する」計画、着々と、侵攻(≒親交)中。