客車特急が増えるたびに眠りから醒めるこのコーナー。


今回も“さくら”の増備に伴い帰って来たわけですが、こちらとの中身の差をどう表現したものかと…。

そこで今回は、肥前山口からの分割された状態で走らせてみようと思います。



そのために必要なロコを呼びましょう。


KATO 7008-K

“DD51-0 暖地形”


TOMIX 2212

“DD51-500”

500番台を使ったもんなんだかどうなんだか分かりませんが、ひとまず働いてもらいましょう。


KATOの0番台は長崎編成へ充当します。


KATO 10-1872

“20系寝台特急「さくら」長崎編成”

ナハネフ21の車端部がボデーマウントになりましたが、この分割後の姿はまさしくその効果を発揮しております。

長崎行きはこのまま長崎に向けて出発してゆきますね。

子供の頃は苦手やったこの後ろ姿。

今ならイレギュラーなカタチがむしろツボやったりしてねwww



さて、TOMIXのんに牽引してもらうのはこちら。


KATO 10-1873

“20系寝台特急「さくら」佐世保編成”

ナロネから後ろ7両が電源車を失ってぽかーんと待ってます。


そこで国鉄が出したソリューションが簡易電源車・マヤ20ですね。

浅間山荘事件を描いた映画「突入せよ!浅間山荘事件」に出てくる鉄球兄弟が、確かみなし公務員的な雇われ方をしたと思うのですが、その時にどこぞの伯爵のような制服を着て重機を操作するシーンがございました。


このマヤ20の出で立ちはそんなアンバランスさを思い出させるものであります。

青い桜が描かれたヘッドマークを掲げて…

「出発。」

9両でクネクネと走って行きます。

俯瞰で見ると、マヤ20も編成に馴染んでいるように見えるのですが、実物はもっと不自然だったのでしょうか?

本来ならば早岐でC11を連結してスィッチバックして行く感じの風景も撮ろうかと思ったんですけどね。

あんましカッコ良くならなさそうだったのでやめました。


「走るホテル」と呼ばれ確実に一時代を築いた20系。

少しやり方を工夫すれば今でもブルートレインに需要はあると思うんですが、コストがかかり過ぎるかな?


〜20系寝台特急「さくら」ひとくちメモ〜

昭和34年に20系化された「さくら」。

冷暖房用にパンタグラフを備え架線集電も行ったカニ22が編成の特徴の一つであるが、車両重量がかさみ運用上不便であったため、昭和40年までにパンタグラフが撤去されシンプルな見た目へと変貌した。

同じく昭和40年の10月に行われたダイヤ改正からは、長崎行きと佐世保行きの併結運転が開始され、編成が分割される肥前山口以降は電源車を失う佐世保行き編成のために、オハシ30を改造した簡易電源車であるマヤ20が用意された。

「さくら」における20系での運用は、昭和47年に14系に置き換えられるまでの約13年間続いた。

(※KATO製品添付の説明書よりSwallowtailにて再編)





Swallowtail