海岸そばの避暑地にたたずむ、戦前から続く和風旅館、凧屋旅館。そこには海老澤という人物から贈られた戦前の文豪たちの本が収まる高い本棚がある。客は誰でも自由に読むことができる。
年老いて認知症になった女将の祖母に代わり、孫娘の円が、若女将として客の相手を勤める。
そんな円はなぜか本が読めない。本からの臭いに蒸せて、読めないという奇病をもつ。かわりに、本の内容に似た匂いを感じた客に本を勧め、その感想を聞くことで満たされる。
客は、読むことで、自身の今の状態を再確認できることで、悩みを解決することができるようになる。
最初の客は、男子二人と女子の幼なじみ、内二人が恋人で結婚の予定だが、残りの一人が自分の気持ちに気づいていない。
勧められた本は、川端康成の「むすめごころ」
二番目の客は、妻の病気回復の祝いにとやって来た老夫婦。夫の希望にそうかたちでやって来た自分が、実は夫をそれほど愛してはいないのに気づいた妻。ずっと花屋でパートしてきて、花が好きでくわしい妻は、病気で長く休んだため、好きな仕事に復帰できないことを悩んでいた。
そんな妻に若女将が勧めた本は、横光利一の「春は馬車に乗って」。
三番目は、中学卒業記念に旅に来た四人と引率の塾講師。塾長であり、尊敬する熱血講師の父親と、四人のなかが最近ぎくしゃくしている。その理由を聞き出したいと思っていたが、聞いてみると四人とも違っていて、真相がなにか悩む。
そんな彼に若女将が勧めたのは、芥川龍之介の「藪の中」。
四番目の客は幼稚園男児と母親の二人。人には見えないものが見える彼は、その言動が問題になっていて、社会生活では控えた方がいいと説得したいが、彼の言うことを信じる母親はどう言えばいいか悩んでいる。実は男児は事故死した妹夫婦の子で、未婚の姉が母親になると決めたことがわかる。そんな母親に、若女将が勧めたのは、志賀直哉の「小僧の神様」。
五番目に訪れたのは、最初に来た男。自宅に、旅館の文庫と同じ海老澤の本があり、旅館に寄贈したいと。さらに、元の持ち主である海老澤が、実は彼の祖父だったことがわかる。彼は父親をつれてきていた。折しもあかずの金庫が見つかり、それを開けるために、鍵屋である父親の技と、若女将が曾祖父に読んでもらった小説からヒントを得たキーナンバーが必要だった。その小説こそ、若女将自身が勧められ、臭いに蒸せることなく読めた、夏目漱石の「こころ」。
金庫から出てきたのは、海老澤の日記で、彼の罪により、混乱した海老澤家と若女将の丹家の因縁が記されていた。両家の関わりと寄贈図書のいわれが明らかになる。
互いに恨みは残るものの、今はもう忘れて、互いに許し会うことで水に流し、新たな未来に向けて生きることを誓う。
最初、文庫旅館って何?と思いながら借りたが、なかなかよかった。
小説の力、物語の力について、あらためて考えさせられた。