お日さまに向かって目を閉じると、
毎日行っている7方位の祈りも忘れ、
光のパイプの中にいる自分が光に満たされるイメージをすることも忘れ
ハートや魂、肉体に光の滝と命のしずくで満たし、光のベールをかけるのも忘れます。
瞑想で行っている全部の行程をやらなければならないというのは、多分頭の意識が思っていることなのです。
その頭の意識がすっかり黙ると、しなければならないことは全くなくなります。
ただ一人宇宙空間にいるような静けさの中で、空気の一粒、雨の一粒、ひとすじの風になったようです。
道端の石ころまで自分を知りたいという神の願いの現れなのだということを感じるのです。
しなければならない義務もない、責任もない自分に戻ることができます。幸せなのか楽しいのかという感情もなくなるような。
頭の中が真っ白な状態って心地よいのかもよくわからない。無になったよう?無になるっておかしいね(*^_^*)
ランドセルを背負って学校へむかう子供たちをみると、なぜか悲しい気持ちになるのです。
学校で教えることが、光であり神の一部であり神と一つである自分を忘れ、自分をどんどん不自由にして行くような気がするからです。
人と比べる、成績の良い悪い、順位をつけて子供の格付けをするなど。だんだんと自分に自信をなくすようになっていくのす。
親ならば、子供にそんな思いをさせないように全力で守ってあげたいものです。
何よりも大切なことは、自分の全てを肯定すること、この世にただ一人の素晴らしい存在なのだということを、思い出すことです。
まず望ましい変化に自分自身がなることです。それが望ましいエネルギーとなって人から人へ伝わるでしょう。
今私は目を閉じて、そのことをかんじています。
ピンク色のそばの花です。かわいい!
優しいピンク色のバラ。花の女王だね。