福岡電機の社長のブログ

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従業員の皆様の努力・協調・創意工夫に助けられています。
主にそんな従業員の皆様へ向けて発信しております。

人が成長する時には承認要求と言う欲求は必要なものです。

・尊敬されたい
・好かれたい
・賢いと思われたい
・才能があると思われたい
・面白いと思われたい
・信頼されたい
・理解されたい
・仕事ができると思われたい
・良い人だと思われたい
・誠実だと思われたい
・支持されたい
・センスがいいと思われたい
・気が利く人だと思われたい
・人間的に器が大きいと思われたい
・優しいと思われたい
・自分が中心でいたい
・価値があると思われたい

こういった承認要求を満たすために精神を鍛え、自身がスキルアップの努力をするものです。

一つずつでも良いので実現させることを薦めます。

 

しかし、この努力もせずに嘘や見せ掛けの言動で周りの人たちを誤魔化そうとすると、それはただの自己中な考えに陥り、大抵の場合は逆の評価をされることになります。

・尊敬させよう

・好きと思わせよう
・賢いと思わせよう
・才能があると思わせよう
・面白いと思わせよう
・信頼させよう
・わからせよう
・仕事ができると思わせよう
・人格者だと思わせよう
・誠実だと思わせよう
・人気があると思わせよう
・センスがいいと思わせよう
・気が利く人だと思わせよう
・人間的に器が大きいと思わせよう
・優しいと思わせよう
・思い通りに操ろう
・価値があると思わせよう

思わせようと考えてはいけません。

自分の努力で真の評価を受ける様になりましょう。

見ている人には分かってしまうものです。

 

そして誰もが同じような承認要求を持っている事も理解してあげましょう。

 

(小林 音子さんからの受け売りです)

 

2ヶ月程前に、役所広司さん主演、ヴィム・ヴェンダースさん監督の映画「PERFECT DAYS」を観ました。

正直、この映画の主人公の様な生活がしたいと思っています。

流れる音楽も僕のプレイリストと重なっていてドはまりでした。

 

もう上映は終わっていると思いますが、何かで鑑賞する機会があるかも知れませんので内容までは書きませんが、スリルもサスペンスも伏線も回収もありません。

しかし、この何の変哲もない普通の生活がこんなに幸せそうに見える事に感動させられました。

 

 

私は、今の職責を覚悟するために、取り返すことの出来ない大切なものをいくつか諦めて生きて来ました。

 

25%近くになっている自分の残りの人生に何をして置くべきかを考えている事。

悔いが残る人生だったとしても、「俺なんかにして見れば上出来だ」と思える瞬間を探している事。

死んでしまえば知ったこっちゃないけど、出来れば迷惑をかける人を極力少なくしたい事。

出来れば僕がこの世に存在していた事もさっさと忘れてくれる方が有難いと思っている事。

 

そのために社員の方々には、今まで通りの価値観では生きて行けなくなっている現実を痛感し、無理矢理にでも価値観の急転換をし、もっと上のステージへステップUPするスキルを早急に身に着けて頂かなければならない事。

そして僕がこの世から消えた後も生活を続けて行ける体制を大至急築いてもらいたい事。

 

天職とは自分に合った仕事ではなく、好き嫌いにかかわらず、環境によって決まってくる、やらなければならない仕事の事だと思うのです。

 

そんな事を常に考えている、今日この頃で御座います。

 

 

 

この頃、資本主義の限界を感じ「脱成長コミュニズム」を探ろうとし、哲学的な違った方向へ流されてしまいました。

 

もう一度、「資本論」を理解し直そうと思い、人新世の「資本論」著者の斎藤幸平氏の解説書を読み直してみました。

結局、効率化や利益を追求する現在の資本主義では本当の幸福は得られない事と、それに代わる社会システムも明確にはなっていない事を再認識させられただけになりました。

 

個人的には思想や価値観は理解しているつもりで、「脱成長」を目指したいのですが、このままこの思想を追求していくと、実際の経営判断との矛盾が生じてしまう事が想像されます。

職責上現在の資本主義システムに沿った活動を止める事は出来ず、きっと引退するまで効率化や利益の追求を続ける必要があるのだろうと感じています。

ひと先ずは個人的趣味として勉強を続けて行く事に留めたいと思います。

 

アドラーはオーストリア出身の1870~1937年に生きた、フロイト、ユングに並ぶ心理学者です。

ウィーン大学医学部卒業後、眼科医・内科医を経て精神科医となり、精神分析学・心理学を探求する事になります。

アメリカでの数ヶ月にわたる講演旅行で教育にも関心を持ち、ロングアイランド医科大学の医学心理学招聘教授に任命され、大学付属の教育診療所の指導も任されるようになります。

 

著書には「問題児の真理」「人生の意味の心理学」「個人心理学講義」「生きる意味を求めて」等がありますが、「嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え」は日本でも有名です。

読み難いと言う噂と単行本サイズが多いために(そろそろ電子書籍にしろってか?!)持ち歩き辛いのであまり手にしていませんでしたが、岩井俊憲氏訳の「超訳アドラーの言葉」と言う文庫本がエッセンシャル版として出ているのを見つけましたので、読んでみる事にしました。

 

色々な書物で言い尽くされている内容だとは思いますが、最近また私利私欲に汚れてきているかもと思っている自分への戒めと心の洗濯の為に愛読書の一つに加えたいと思います。

 

以前にも書きましたが私は、人生のバイブルとして、心が折れそうな時の自分の為に洪 自誠の「菜根譚」を愛読しております。

これらは異なる視点から人間の心理と行動を理解し、幸福や成長に向けた指針を提供していると考えます。

 

「菜根譚」は元ネタが紀元前の物なので、内容が抽象的になりがちなので自分の中で環境を置き換えて納得させる必要がありますが、「アドラーの言葉」はもっと近代に近い人間関係や組織環境の中から発せられた物なので、現代の人には腑に落ちやすい内容だと思います。

 

いちいち内容の解説は致しませんが、アルフレッド・アドラーは必ず読んでもらいたい書籍だと思っています。

 

 

新年度が始まりました。

エイプリルフールだから「会議不要」と言っているわけではありません。

真剣に会議なんて無い方が良いと思っているのです。

 

例えば私がフリーランスで一人で事業をしているならば、会議なんて要りません。

もしも千人の従業員が居る企業でも、社員が全員情報を共有した私のクローンならば、やっぱり会議なんて時間の無駄です。

 

多様な性格・多様な価値観・多様な生活環境を持つ人間が集まった組織では、絶対に会議が必要になります。

強制的なコミュニケーションの手段です。

 

担当者や管理職や経営層では伝えたい情報と知りたい情報が違うものです。

立場や職種によっても必要な情報は違ってくるでしょう。

 

伝えたい情報は発信する者が分かり易く提示・説明すれば良いと考えます。

それでも分からない場合は知りたい者が質問すればよいのです。

知りたい情報が何も提示されていない場合は受信する者が質問から始める必要があります。

それを繰り返すことで基本的な考え方と問題点を共有し、目指すべき状態と実行すべき作業を明確にし、分担・共同で責任を果たしていく事が出来ます。

 

この様な活動が資料や報告書・メールやデーター、その他のコミュニケーションで共有することが出来、理解不足や勘違いを起こす事無く、会社を存続させることが出来れば、会議は必要ありません。

つまり説明と質問が不要なほど報告と理解が上手く行っていれば会議は不要なのです。

 

私は頭が良い方ではありませんので理解力が足らないのかも知れませんが、会議での報告や説明に意味が分からない事や疑問に思う内容があると質問せずには居られないのです。

質問しても、明確に即答されて納得させられることはあまり記憶にありません。

私が質問しないでいると、そのまま次の議題へ進んでしまう時も有ります。

本当に全員理解・納得しているのでしょうか?

 

ややこしい問題はスルーして、波風立てずにさっさと会議を終わらせたいだけなのでしょうか?

それならば別の意味でその会議は不必要だと思います。

ダラダラと何の成果も生まない会議もやめるべきでが、時間を短くすることばかりを気にして情報の共有も出来ず、結論も出ず、再度同じ議題で集合するのは愚の骨頂です。

 

会議を早く終わらせたいのならば、必要な情報が明確にわかる準備をしてもらいたいのです。

特にボーナスの査定時期や8月9月の下期予算見直し時期、12月の追い込み時期、2月の来期予算積み上げ時等の会議は必要な情報が多くなるのでそれだけ時間も掛かる事くらい心得て置いて欲しいのです。

 

少なくとも私からの質問を止めたいのなら、私が納得する情報を的確に提供して下さい。

 

 

先ず、解説書としてNHKテキスト「100分de名著」を読みましたが、非常に難解な哲学だと感じました。

フランスの人類学者の著書ですが、東洋的な価値観を想像させる内容だと思います。

私が仕事上大切にしている言葉「不易流行」を説明している様な気もします。

只、なんとなく言わんとすることは想像できるのですが、理解出来たと言うまでには及びません。

 

しかもレビューや文献を検索しながら読んでいると、あるサイトにはこのNHKテキスト「100分de名著」には肝心な 第九章 歴史と弁証法 については触れられていないとあります。

第九章はジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトルの「実存主義」批判になっており、大学やNHKの様な近代科学文明の権威のようなところでは触りたがらない部分のようです。

 

つまり、このテキストを読み終えても肝心な部分は読めていない事になる様で、しかもそこが読めても、サルトルの理論を理解していないと何に対して批判しているのかも分からない事になる様です。

 

インターネットが発達した現在やその先の時代にも通用する様な構造人類学なる物を読んでみたかったのですが、なかなか難しそうです。

次回からは哲学書の様な書物については、きちんと理解したうえで記事にするようにしたいと思います。

 

 

 

金原ひとみさんの「アッシュベイビー」半日ぐらいで読み切りました。

ハッキリ言ってセクシャルマジョリティの方は読まない方が良いと思います。

ほぼマイページごとに放送禁止用語が普段使いの様に出てきます。

 

主人公はヤサグレたキャバ嬢で、冴えない同級生の男とのルームシェアリングから話が始まります。

このルームメイトの男が実はペドフィリアやズーフィリア等の異常性癖を持っている事が分かって来ます。

主人公の女性は愛が無くても出来る人で、自傷癖があるサイコパス的な性格であることが伺えますが、

ルームメイトから紹介された同じ会社の男性に好意を寄せます。

しかし、その冷淡な彼の性格に欲求が満たされず、どんどん精神が崩壊していき、彼の手によって殺されたい欲望が抑えられなくなっていきます。

現実にこんな人たちが周りに居たら、ちょっと距離を置きたくなる環境です。

 

この本を読んでいる時、頭の中でちゃんみなさんの「ハレンチ」が繰り返し流れていました。

ちゃんみなさんの「ハレンチ」はヤサグレた女性の恋愛観が歌詞として綴られていますが、

実はコロナ禍にスランプに陥り、曲作りに苦悩していた心情を歌った曲で、この楽曲がスランプ脱出のきっかけになったとも考えられる作品です。(最近の押しのアーティストです)

 

言葉尻だけを捉えるとエログロな情痴小説の様な作品なのでここでは紹介しないでおこうと思いましたが、この、あまりにも刹那的で自虐的で破滅的な生き方の結末が知りたくて最後まで読んでしまい、その終わり方が、落とし処が無く、煮え切らず、でも現実的で負の永久ループにはまる様な斬新な結末に衝撃を覚え、とりあえず備忘録として残しました。

 

「野生の思考」ですが、「エチカ」の時と同じように、まずはNHKテキスト「100分de名著」を読もうと思います。

このNHKテキストよくできていて難しい本をがっつり読まなくてもほぼ内容が理解できます。

今回はこれで勉強して終わらせます。

 

言い訳→寒暖差と花粉症で活字が頭に入ってこない今日この頃。

 

 

最新の芥川賞は第170回(2023年下半期)の九段理江さん「東京都同情塔」でした。

生成AIを利用して書かれたとされるこの作品は近未来の東京を舞台とする物語だそうです。

 

先日少しご紹介した村田沙耶香さんの「コンビニ人間」は第155回(2016年上半期)の受賞作品です。

因みに又吉直樹さんが「火花」で受賞したのが第153回(2015年上半期)で羽田圭介さんの「スクラップ・アンド・ビルド」との同時受賞でした。

 

前回私が読んでいた朝井リョウの「何者」は第148回(2012年下半期)直木三十五賞作品でした。

別に何かの受賞作品を選んで読んでいるわけではないのですが、メディアで調べ物をしているとヒットする確率が高く、気になってしまうのも事実です。

 

そして受賞作品ともなるとだいたい文章が洗練されていて読みやすく、活字を追いかけるだけでその世界の中に入り込めるので、すぐに没頭してしまい、あっという間に読破してしまいます。

 

哲学的な本ばかり読んでいると、時々こういう快楽的な作品を読みたくなってしまいます。

 

次はクロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」をと思っていましたが、もう一冊遊んでみたいなぁと思い、金原ひとみさんの「アッシュベイビー」を読んでみようと思います。

 

金原ひとみさんも第130回(2003年下半期)に綿矢りささんの「蹴りたい背中」と共に「蛇にピアス」で芥川賞を受賞、蜷川幸雄さんの監督で吉高由里子さんが初主演での映画化もされました。

綿矢りささんは今でも最年少受賞記録(19歳11ヵ月)保持者で在り、それに続くのが金原ひとみさん(20歳5ヵ月)でこの2003年は若年層の活躍が目立ったようです。

この頃はITバブルが崩壊して景気も最悪な時代でした。

この年に選考委員をしていた石原慎太郎氏は「蛇にピアス」押しだったそうです。

 

但し、金原ひとみさんの作品は暴力的でショッキングな描写が多いため、テラスで紅茶を飲みながら読書のひと時、なんて人にはお勧めできません。

吉高由里子さんが好きだった事から「蛇にピアス」(R-15指定)は映画で見ていましたので、金原さん2作目の「アッシュベイビー」を読んでみる事にしました。

レビュー内容は最悪で、「金返せ」「こんな物出版するな」「吐き気がして最後まで読めない」「便所の落書き」「芥川賞を地に陥れた」等など。

金原さんは今でも現役で作品を出されていますし、そこそこ売れています。

若い頃の吐き気がしそうなくらい全力の金原さんを読んでみます。

 

これを最後まで読めればクロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」も読めるかも知れません。

 

朝井リョウ「何者」

Twitter(今で言うX)と思われるSNSの投稿がkeyになっています。

最初は数名の今時の大学生の就職活動を巡る緩い青春ドラマだと思っていましたが、

自己を確立できず、本当の自分をさらけ出せず、何事も他人事と見てしまい、現実から目をそらして生きながら、他人の評価ばかりしている主人公が、他人事とは思えなくなっていく、不思議な小説でした。

 

この主人公の弱さは、今のいい歳をした社会人の中にも同じ感覚の人が多く見受けられ、今の日本社会の問題を浮き彫りにしているのではないかと考えさせられる内容でした。

さすがは直木賞受賞作品。

 

そういえば何年か前に読んだ芥川賞受賞作品の村田沙耶香さん「コンビニ人間」も今の若者の価値観を垣間見れる面白い作品でした。

 

クロード・レヴィ=ストロース未だ購入していません。

 

 

 

昨年は少し自分の脳のキャパを超えた哲学書を読もうとして崩壊しました。

今は直木賞の朝井リョウ「何者」でクールダウンをしています。

 

しかし、また厄介な人を見つけてしまいました。

フランスの社会人類学者、民俗学者のクロード・レヴィ=ストロースです。

「悲しき熱帯」「構造人類学」「野生の思考」等を著作。

 

先進的文明と未開拓な原住民の文明は、優越を付けるものではない。

マジョリティな価値観のバイアスに曝されながら先進都市に暮らす人達よりも、

野生に近い暮らしをしている人達の方が正しい構造に近いのでは?

 

なんとなく、こんな感じを受けている(まだ読んでないから)のですが、

これもなかなか難解な物のようです。

 

なんでこんな物見つけちゃうのでしょう?

「何者」終わったらチャレンジです。