井上勝物語 第八話『先輩の言葉』 | 甲子園に3度出場した男の 幸支援ブログ

井上勝物語 第八話『先輩の言葉』

第一話 『出逢い』 はこちら 野球


第二話 『夢から目標へ』 はこちら 野球


第三話 『信頼を掴むまで』 はこちら 野球


第四話 『試練』 はこちら 野球


第五話 『運命の日』 はこちら 野球


第六話 『突然のコンバート』 はこちら 野球


第七話 『初体験』 はこちら
野球







2年生になると、私は3番バッターを
任されるようになりました。


冬場の地獄のようなトレーニングを経て、
一回りからだも大きくなった私は
春~夏までの間に
8本のホームランを放ちました。
(私の高校通算ホームラン数は9本です)


まさに絶好調の時期でした。



それに加えてチームもかなりまとまっていて、
チーム全員が

『甲子園』


をかなり近い存在に感じていたはず。




しかし、またしても私を悪夢が襲いました。




夏の県大会間近のある日のことでした。


この時、ファーストのレギュラーだった私は、
いつものように厳しい守備練習を行っていました。


ライン際のボールを取りに
左足を踏み出した瞬間、
左太腿の裏側に激痛が走りました


私はその場に倒れ込み、
その後の練習には参加できませんでした。


“肉離れ”でした。



3週間後には甲子園へのキップをかけた
県大会が始まるというのに。


いつもの如く、監督はケガをした選手には
一切話しかけることはありません。


私は味わったことのないくらいの
絶望感に襲われました。



“ケガをするのは自己管理が足りないだけ”



そう教え込まれた私は、
やり場のない怒りの矛先を
自分に向けるしかなく、
かなり自暴自棄になりました。


グラウンドに行っても、
上半身のトレーニングと練習の補助。


ケガをしてから3日間くらいは
抜け殻のような日々を過ごしていました。



そんな私を見て、
ある3年生の先輩がこうおっしゃいました。


『お前、腐るとはまだ早かっちゃないとや?
オレらは最後の夏前とに練習にも入れんとぞ!!
でもチームのためにできることばしよる!!
お前はまだ来年もあるし、夏まであと3週間あるやろうが!!
一日でも無駄にしたらブッ殺すぞ!!』




その先輩は自分はメンバーに入れないのに
練習の補助を一生懸命してくれて、
私にこんな言葉までかけてくれました。



目が覚めました。



自分のこの数日間を悔い改め、
誰よりもグラウンドに早く行き、
できる範囲のトレーニングと
トレーナーとのリハビリを
誰よりも遅い時間まで続けました。




その結果、何とかテーピングをすれば
走れるほどまで回復したのです。



しかし、私が練習に参加できない間、
ファーストのレギュラーには3年生の先輩が。


その先輩はしっかりと結果を出し、
私が練習に戻ったとき、
私のポジションはその先輩の控えでした。




大事な時期に3週間もの間、
戦線を離脱した人間が
レギュラーとして戻れるほど、
甘い世界ではありません。







何とか夏の県大会には、“2ケタ”の背番号で
ベンチ入りすることはできましたが、
出場機会はほとんどが代打でした。


スタメンで出場することはできなくとも、

3年生の先輩たちと一緒にプレーをするのは

この大会が最後。





先輩の“あの言葉”のおかげで

私はチームの一員として戦うことができました。





そして我が長崎日大
破竹の勢いで県大会を制し、
3年振りの夏の甲子園出場を決めたのでした。







〔第八話・完〕