【井上勝物語】 第二話『夢から目標へ』 | 甲子園に3度出場した男の 幸支援ブログ

【井上勝物語】 第二話『夢から目標へ』


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小学3年生になると、
私はレギュラーを勝ち取り、
セカンドのスタメンで
起用してもらえるようになりました。



この頃6年生の兄はエースで4番。


当時目立っていた兄と
3年生でレギュラーの私。

2人とも襟足が長かったため、
地元では“後ろ髪兄弟”と呼ばれ、
なかなか有名だったそうです。(笑)




私が6年生になると、
兄の後を追うようにエースで4番。
それにキャプテンを務めることになりました。


当時の私の身長は160cm弱。

ピッチャーとしては自分よりも
実力が上の選手が多く、

“あいつらからホームラン打ちまくってやる”

という気持ちが当時の私の
一番の原動力でした。



2年生から続けた自宅での
ティーバッティングの成果もあり、
6年生時には、兄が持つ
チームでの年間本塁打数の歴代記録
更新することができました。



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 ※6年生時の私(右から2番目)




兄は中学から
『ボーイズリーグ』で硬式野球をやっていました。

私はそんな兄を観ていたし、

小学6年生くらいになると、

“硬式野球がやりたい”
と思っていました。



この頃から自宅でのバッティング練習は
ソフトボールから硬球へと変わります。

そしてバットも
金属バットからマスコットバットへ。




いよいよ中学に入る直前から、
私は隣町にある
『長与リトルリーグ』 (硬式野球)で
プレーすることになります。

※リトルリーグは12歳まで所属することができます。
世界規模であり、各国平等にするため、米国に合わせて9月を境にしているので、
私は中学1年の8月までの5ケ月間、このチームに所属しました。




緊張して迎えた入部初日の練習で
なんと“柵越え”を連発。

チームメイトからは完全に
『助っ人外国人』扱いでした。(笑)


それまでやっていたソフトボールでは
ランニングホームランがほとんどのため、
“柵越え”の快感を覚えた私は、
『野球』がますます楽しくなりました。



しかし、入部してしばらくは
スタメンで試合に出ることはありません。



それもそのはずです。
チームにはそれまでのレギュラーがいて、
急に隣町から来た“新参者”
ひょいとレギュラーになることなど
許さるはずがありません。


それは私にもわかっていたので、
“与えられたチャンスで必ずチームに貢献しよう”
と来るべき時のために準備をしていました。




そして訪れた硬式野球第一打席。



今でもハッキリと覚えています。



その日は練習試合で、
相手は『熊本中央リトルリーグ』
相手ピッチャーは私と同じ姓の
“井上くん”でした。


代打で出場した私は、
初球を思いっきり振り抜きました。


『カキーーン!!!』


…………




すると打球はものの見事に
センターフェンスを越えていったのです。



溢れ出る興奮を抑えながら、
ゆっくりとダイヤモンドを一周しました。


『やれる!十分やっていけるぞ!!』



同時にこの瞬間、抱えていた一抹の不安は
大きな自信へと姿を変えたのです。




この頃から、“夢”であった『甲子園』

私の“目標”へとはっきりと姿を変えました。






〔第2話・完〕





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