七田式誕生の舞台裏 | 七田厚ブログ

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社長としての目線だけでなく、一人の父として、自身の子育てについても語っていこうと思っています。
~株式会社しちだ・教育研究所 代表取締役社長 七田厚のブログです~

父が母を生涯の伴侶にしたいと思った決め手は、「あなたなら、きっとできる!」の言葉だったそうです。

 

父はそれまで、何人かの女性に将来の夢を語ったとき、

 

いつも、「そんな、地に足のつかないことを言っていてはダメよ。もっと堅実な考え方をしなきゃ」と言われたのだそうです。

 

私から見ても、父は大風呂敷を広げる(壮大な夢を持つ)人でしたから、その反応は無理もないと思いますが、

 

母は、出逢いの時から、父に可能性を見出していたのでしょうか…。

 

 

父は、脳力開発・幼児教育への夢を抱きつつも、

 

結婚当初から私が義務教育を終えるまでの20年は、自宅で英語教室を開いていました。

 

 

そして今だ!と、父が英語教室をやめて、幼児教育の会社を興そうと思い立ったとき、

 

保育士だった母は、「子供達のことなら、私の収入があるから大丈夫。あなたはあなたの思う道を進んでください!」と言ったとか…。

 

そもそも父は、当時最も恐れられていた結核に冒され、20代半ばのとき、余命宣告を受けた人でした。

 

でも、やりたいことがあるのに、この若さで死んでなんかいられないと、

 

ベジタリアンになり、体を鍛えて甦ったからこそ、私もこの世に生まれてくることができたのですし、

 

その後、七田式が誕生し、父が亡くなった今でも、国内にとどまらず、世界へも発信し続けています。

 

生きる!の執念で甦った父と、それを支えた母がいたからこそ、七田式は生まれました。

 

これからも、創始者の熱い思いを忘れない七田式でありたいと思っています。

 

本日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。