巨大な動く火の玉
時に流れ星のよう
1本ずつお目見えし
お役目の終わった御松明。
宗教を持たない私にとって、
偶像ではなく火の動作こそ、
偉大なる創造主かもしれない、
そう感じさせてくれた欄干の炎。
「松明はなぁ、修二会の行事やないで
坊さんのための明かりやで」
通称「お水取り」の名で親しまれている、
東大寺の大法会を観ているとき、
ひとりの観衆の声が耳を かすった。
明かりに過ぎないからこそ、
私は初めて目にした御松明に、
一瞬とはいえ、無垢だった気がする。
映像でしか見たことのなかった“火の玉”に、
いよいよ対面することになった午後7時。
この一大事、どうしてコンパクトカメラを通して見られよう、
しかと自分の肉眼で見つめねば…
けど気が付けばシャッターを押してた。
貪欲でしょうか。
闇中に最初の御松明が舞い上がった瞬間、
3000人もの観衆が一斉にどよめいた。
言葉にならない高揚があったのではなかろうか。
一瞬の感覚解放は宗教だの、言語だの、思想だの、
あらゆる隔たりを超えていたと信じたい。
カメラ隊のおじちゃん。
とどめたものは何どす?
私も二月堂に火を灯した。
私のと“隣人”のために2本。
マメさんと観た御松明の夜、
おもろかったーっ。
14日までにまた行くどーっ。
「巨匠・修二会の巻」 つづく
東大寺 二月堂 修二会 3/14まで
近鉄奈良駅から徒歩25分ぐらい、5*宅から30分ぐらい。
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