ヴィーナス |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー


『のぞき見ヴィーナス』



過去に華々しい実績を残したスターが、
年を重ねて、老人と呼ばれることを受け止め、
遠くない、けれど近いわけでもない、
いつやってくるか分からない“お迎え”を
静かに待っている、その気持ちを想ってみると、
さぞや複雑だろうと胸がしめつけられる。
寂しくて、やるせなくて、苛立ちもするだろうに、
なんてことを“老人ではない私”がいうと
やけにアザトク、薄っぺらくなってしまうのだけど、
その境遇を想像すると、とんでもなく切なくて哀しい。
世間は過去の華々しい演技を誉め讃えるが、
やってくる仕事は過去のヒーローとはかけ離れた脇の役、
極めつけは「今まさに死に行く老人」。
“お迎え”を待つ身で“死に際”を演ずるなんて、
いかに残酷か、これまで私は考えたこともなかった。

映画『ヴィーナス』の主人公は、
そんな70代の悲哀を帯びた男優で、
時折、観ている私の方が苦しくなって、
涙が こぼれ落ちてしまった。
といっても、彼は悲哀を香らせるだけでなく
プロの表現者であり、
待つだけの人物ではなかった。
“お迎え”をプロ根性で見事に演じ切る。
彼は最後まで諦めない人、
悲哀を喜びに変える若さを持っていた、
だから私は感動したし、彼から教えられた。

彼は ひょんなことから出会った
20そこそこの女の子をヴィーナスとあがめ、
“現役のエロス”をプンプン放つ。
早い話がエロイ爺さんなんだけど、
いやはや見事な大人っぷり。
70歳と20歳、50歳の年の差が引き起こすもの、
それは価値観の違い、経験の差、時間感覚のズレ、等々、
残酷なほど女の子は老人に現実を見せつける。が、
彼は女の子に「エロじじい」と呼ばれようと
「老人くさい」と貶されようと、
スターらしい威厳を発揮、
プロ根性で彼女の若さを受け止める。
けして彼は怒ったり、取り乱したりしない。
優しく笑って彼女をヴィーナスとして扱う。

「男にとって女の身体は永遠のヴィーナス」。
“やる気”の老いたスターは
ボロボロの身体からカテーテルを垂らして微笑んでいた。
が、彼の愛したヴィーナスは
お世辞にも美人とは呼べないアバズレで下品で、
なのに彼は大人として扱い、言葉を交わし、
美の神として敬い、教育もする。
たとえば私が70歳になったとき、
あそこまで強くいられるだろうか。
答えはきっと今をどう生きるか、ということなんだろう。
なぜなら、彼が強い精神を保てたのは、
華やかな過去の実績に寄りかかるのではなく、
最後まで自力で輝こうとした「星そのもの」だったから。

この映画のチラシに
「男って、いくつになっても…」
という宣伝コピーが書かれているけど、
男だけではないでしょう、正しくは
「男って、女って、いくつになっても…」
だと私は思うけれど、どうだろう。
蕾を開花させたい、こういう一途な想いが
人を青年にも少女にもさせると思いたい。

人は孤独の中でこそ輝きを放つ。
空の上の星も同様に、暗闇でこそ星として輝くように。



★★★★★☆☆ 7点満点で5点
いい映画だった。苦くて甘くて、切なくて、
笑えて、エロっぽくて、泣けて、とんでもなくリアル。
『アラビアのロレンス』の名優ピーター・オトゥール!すごい!!!
俳優経験で得た全ての感性を注いでいるという感じ。
『ノッティングヒルの恋人』しか観たことがなかった
監督のロジャー・ミッシェルもすごいっ!
けど、女の子を もうちょびっと
ヴィーナスっぽく映像的に魅せたり、
素直になれない理由を見せてくれる演出があってもよかったな~
なんて思ったりもするけど、
そうしないところがハリウッド映画とは一線を引くんだろう。

今の時代、次々に公開されている映画は
10~30代の俳優が活躍するものがほとんどだし、
ターゲットになる客層も同じ世代の人。
それを否定しないし、世代交代が滑らかであることが
新しい才能を伸ばせる第一環境として必然だけど、
ただ枯山水から沁入るような映画人の演技を
もっと観られるようになればいいのに、とは思う。
この映画のように、輝いている人たちが
世代に関係なく活躍できる物語を
普通に世の中が受け入れられたなら、
現実という厳しいものですら、優しさを伴うような…。

この映画はロンドンの灰色の空が一役かっていて、
悩ましい空気をかもし出す。

気品にあふれた秀作だと思う。


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