ペルジーノ展 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー


『グシャくん』基本
5*の絵の中によく出てくる顔。

この絵を画像処理して遊んでみる。

↓遊び その1



各色の基本形×4 別の作品になった?
さらに遊んでみる。


↓遊び その2



その1の逆さま。 これはアレンジ・・・?

デザインと美術の微妙な接点を考える。うーん。



7月のイッピ。『ペルジーノ』展へ行った。
展覧会の招待券をいただき、
場所が近所の東郷青児美術館ということもあって
無駄にしてはなるまい、と最終日に出かけた。
日曜日ということもあってか、
館内はお客さんで大にぎわい。ちょっと びっくり☆
私はペルジーノという人物をまったく知らなかったので、
あの盛況っぷりには意外な気がしてしまった。
まず私は招待券をいただかなかったら、
展覧会には行かなかっただろうし、
ペルジーノにも興味をもたなかっただろう。

ペルジーノはラファエロの先生だと伝えられている人物で、
もっとも活躍し、名声を得たのは1500年頃のイタリア。
当時はまだ「芸術」というカテゴリーはなく、
画家は皆、職人としてキリストの物語を描いていた。
どうやらペルジーノは人々から、
ダ・ヴィンチと同程度に尊敬されていた、らしい。

きれいな色彩と優美な画面。
ペルジーノが残した作品を
順々に観てまわった私の率直な感想だ。残念なことに、
そのどれもに感動を覚えることはなかった。
確かに1枚1枚を観て行くと、
楽園を描くためのお勉強にはなる、だけど、
どれもが装飾品、インテリアなわけで。
この展覧会で もっとも、感銘を受けたのが
ペルジーノの作品ではなく、
彼の弟子が描いた1枚だった。
弟子の名はラファエロ。しかも
展示されていた絵はラファエロのものではなく、
ラファエロの弟子。それも師匠の絵の模写だった。
ようするにペルジーノの孫弟子が描いた模写なわけで、
私に感動をくれたのはペルジーノではなくソレ。
つまり、ペルジーノ以降の絵画の流れには
躍動感と豊かな表情と、
そうして作家の思想が汲まれている。
それらの方が私には響いてきたのだ。

そう、美の観点って時代によって変化するんよねぇ。

ペルジーノの時代の画家の仕事は
工房として機能しているから、
大量の注文に応えられるよう効率性が重要とされた。
それゆえ、ペルジーノ自身が筆を取ることも少なく、
弟子が制作に当たっていたし、
構図も同じものを別の作品で使い回す。
この点がやがて当時のローマから非難を浴び、
現代ではペルジーノの名声など、
「改めて勉強」しないと知る由もないのだ。

とはいえ、商業アートという分野が
ウォホールなどの活躍を経て確立され、
さらにはデジタルという技法が可能な今では、
「使い回し」もまたアートであり美の領域である。
表現が多様化したこの時代、
天上のペルジーノにはどう映るだろう?

『ペルジーノ』展は美の観点と
その時代背景を再考させてくれた面白い展示だった。
上野で今月の26日まで開催されている
『パルマ』展と合わせて鑑賞すれば、
さらに面白いだろうに。でも私は行けなさそう、残念!

余談。。。
東郷青児美術館といえば
ゴッホの「ひまわり」が常設されている。
バブル時代にアホみたいな高額で落札され、
以降は高層ビルの最上階で展示されている「ひまわり」。
ゴッホ存命の時代には罵倒された絵であった、
それが時代が変われば一転して名画となる。
その「ひまわり」を私もこれまでに何度か、
同館を訪れる度に目にしているが、
ペルジーノを観た日は
ゴッホの黄色の筆遣いに何故か安堵していた。

が・・・
同館のアートショップでゴッホの「ひまわりグッズ」が
デジタル機能を屈指しバラエティーに並んでいるのを、
正直なところ、複雑な気持ちで見ていた。
ゴッホ自身は「使い回し」を望まなかったろうに。



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●『ペルジーノ』展

●『パルマ』展

●5*SEASONが参加する『海洋展』のお知らせ
当記事上部の『グシャくん』を描いた3点
『節制』『巫女』『神官』も展示しておりますが、
それらはアレンジでも「使い回し」でもありませぬ。
ちなみに5*SEASONは工房的制作もしておりますが、
ひとりの絵描きという要素が強いと自分では思っています。

●『海洋展』会場の「アートラッシュ」サイト
参加作家全員の出品作が写真で公開されています。
5*SEASONの展示作品全8点もありますよ。