ミリオンダラー・ベイビー その3 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

良い子悪い子

『ミリオンダラー・ベイビー』を 観たとき
頭の中で2人の お喋り者が ずっと話してた。
ひとりはツッコミ専科のブラック君、
ひとりは頷き専科のホワイト君。
まるで3人で映画を観たような‥‥。

〜この前のつづき〜


イーストウッドが描くアメリカ人は、
あたしがイメージするアクティブなアメリカ人とは違って、
いつもいつも奥ゆかしく、控えめで、無口な人たちだ。
『ミリオンダラー〜』でイーストウッドが演じた
トレーナーのオジサンも門下のヒラリー・スワンクも
番人役のモーガンやんも、必要以上のことは口にせず、
実に端的なことばを 選んで話す。つまりシャイ。

イーストウッドの“御大シリーズ(こぶ命名)”を観るとき、
いつも「主人公が軍人みたい!」と あたしの頭の
ツッコミ好きのブラック君が ささやくのは、
こういった寡黙ぶりが一因かもしれない。

けれど、こんなこともある。無表情なイーストウッドが
映画の中で、ほんのかすかに「フフ‥‥」と笑っただけで、
「あ、イーストウッドが笑ってる♪」と
あたしの頭の中のホワイト君が喜び、
そして うんうんと嬉しそうに頷くのだ。

その一方、物語の主要人物が奥ゆかしいのに対し、
脇を固める人たちが濃い。実に濃い。濃過ぎるちゅうに!
貧困な環境に置かれている
ヒラリー・スワンクが演じたヒロイン、
彼女の家族の描き方はなんだろう。
「まるで韓国純愛ドラマ」。
と、頭の中のブラック君が、叫ぶ。








湧いて出んなっ!

はやい話がとんでもない家族だ、
とにかく血を分けた娘よりも金・金・金。
その描写の仕方が実に分かりやすく、
奥ゆかしい主人公たちとは かけ離れているので、
あたしゃ ついつい









コマ犬 キーック!



  ドガッ!

わざとらしい作り方 すんなっ!

頭の中のブラック君が大暴れ。
少なくとも二度は、ヒラリー・スワンクの家族‥‥
ではなく、監督のイーストウッドに蹴りを入れていた。

ただ、アメリカ留学の経験がある友人の話によると、
ヒラリー・スワンクの家族のような、
ゲスで とんでもないチンピラ家族が
実際に はびこっているらしい。が、
あたしは奥ゆかしい主役陣と、
この突飛な脇役ファミリーの描写の落差に戸惑い、
チンピラ家族が出て来た場面では、
「おいおい‥‥」
頭の中のブラック君が すかさずツッコミを入れる。

それでなくても、イーストウッドが描く“貧困”は、
いつもだって香水の匂いがする。つまり、
ブルジョア階級から見たまずしさ。
とはいえ、映画は“うその世界”なのだから、
貧しさの描写にリアリティーを追求し過ぎるのも行儀が悪い。
けれど庶民派代表で、かつて
一日一袋のモヤシで食いつないだり、
鳥の餌が主食だった“家出時代”を経験した あたしの目には
「ふーん、これが映画の中の貧困か‥‥」
と、苦々しい感情が込み上げてきてしまう。

理想を抱く人が貧しい心に落ち入ったなら‥‥、
たとえば、人様が捨てた食物に手を出したなら、
自分を支えていた尊厳すら消えてしまいそうになる、
けれど生き抜きたいのなら、
最後の最後、そこで生まれるのはユーモア。
イーストウッドが描く“貧困”には笑いの演出が乏しい。
唯一、ヒロインがテレビさえ持っていないのを知った時の、
イーストウッドの あんぐりした顔は印象に残るが、
かえってヒロインのカッコ良さが際立った。
無様で、滑稽で、必死で、大きすぎる情熱ゆえ空回りする、
生真面目さから来る笑いが少ないのは もの足りない。
なんて思うのは、
頭の中にブラック君を持っている あたしだけだろうけど。

いっそ、ヒラリー・スワンクの家族は
オールカットすればいいのにっ! 邪魔!
そこまで考えてしまったが、いやいや、
チンピラ家族は必要なのだなぁ。なぜなら、
対照的にイーストウッドの家族や、
彼のトレーナーとなるまでの経緯が
まったく映像では描かれていないということ、
これはイーストウッドがヒーローとして、
物語の中に存在するためには必要な排除、
そのぶん、対峙するヒラリー・スワンクを
とことん人間臭くする必要がある、というわけで。
チンピラ家族は大事なお役目を果たしているのだった。
ホントに憎らしいぐらい、よく構成された映画だなぁ。

さらに、ホワイト君が頷く。『ミリオンダラー〜』が、
韓国ドラマの純愛物のように「わざとらしく」ならないのは、
シナリオの巧さや撮影の良さもあるけど、
音楽の効果でもある、と。
そうなん、音楽の使い方、楽曲の選曲、そして抑揚、
ブルジョアならではのセンスが光る。
相方のでこはいう、
「イーストウッドの映画は おもんない」
おもしろいか、おもしろくないか、というと、
ズバリ「おもしろくない」のだけど、
それでも最後まで集中して観る人が多かろう、
それは きっと絶妙な音楽の使い方ではなかろうか。
特に静かな場面での音楽がいい。
さりげなく、聴こえるか聴こえないか、
絶妙な音量と、巧妙な波長の音が流れている。
また、物語が一転する時の、緊迫感あふれる音は
映像と見事にシンクロする。でも‥‥。

もしかしたらもしかして、
サブリミナル効果でも使ってたりして。
と、頭の中の『ホワイト&ブラック』が同時に呟くのだ。
                    まだ続く?


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   ▲「ロードショー」 by こぶ画

昨夜は映画好きの友だちたちが遊びに来てくれた。
夜は恵比寿で一杯やりながら、
わいわい映画談義となりまして。
当然、『ミリオンダラー〜』の話題も出たわけで、
それを終えた今、この前のあたしの記事に書いた
『まっちゃんのことばに同意した説』は
こちらの方が適切のように思えてきた。

『あしたのジョー』の丹下段平が
ふたりに分かれた師弟ラブストーリー。


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ぜひ、お出かけあれ〜〜。

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相方へのつっこみ本日分

おぉ、まっすぐ まっすぐー。
バカボンパパが うるうる〜。
「ブエノスアイレス」も うるうる〜。
あたしもまっすぐー! コマ犬道まっすぐー。

●まっすぐ行くコマ犬の相方・でこのブログ