祈映画『カエル型PC』 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

ディスクをベェーッと出したところ。
キーボードは四角ではなくミニケロ。
これ、あたしの家宝になる予定で、
後世へ後生大事に伝えるつもりどす。


以前、『テレビちゃんの恩返し』を書いているときにも
しみじみ思ったのだけど、
電化製品というものが現われてから、
(‥‥なんて書き方をすると、まるであたしが
 明治生まれの祖母さんのようだけど、
 それは違って、あたしが生まれたとき、
 すでに電化製品というものはあったのだけど)
すっかり モノの寿命が短くなってしまった。
「~しまった」と否定的に書いているけど、
まるっぽ“悪いこと”だと断定しているのではなく、
もちろん、次々に新しいものが生まれ、
それを手に入れることが喜びへと つながる場合は多く、
たとえば洋服に代表されるファッションや食べ物の旬や、
医薬品なんかは、次に生まれくる新しいものが、
刺激的であり喜びであり、場合によっては支えでもある。

ただ、先祖代々伝えていく品物(というか商品)が
あたしが この世に生まれて以降、誕生してないのが、
ちと淋しいなぁと思うのだ。昔々の人たちは、
親から子へ、子から孫へ、そして孫から曾孫へ、
ついでにヤシャゴへと、大事に大事に言い伝えてきた、
古めかしくも大切な品があったのに。
例えば、それは家具だったり、小箱だったり、
壺や絵や人形だったり‥‥。念のために書いておくと、
そこには「物を大事にしよう」という教訓を含むと同時に
その品物にまつわる“心”を伝える、ということもある。
なぜ、その品物が大切なのか、
それが どのような経緯で 世に生まれたのか、
作ったのは誰なのか…
つまり「物語の伝承」ということで。

と、ここへきて、
今現在、あたしの家にあるもので、
一番古いものは何だろうと、
ちょっと想いを巡らせてみると、それは
母からもらったルビーの指輪ではないか、と思う。
かれこれ20年以上は この世に存在してる指輪であるが、
この他に、あたしが先祖代々から言い伝えられ、
後生大事に守り抜こうとしているモノなどなく、
おそらく それは京都の実家にも ない。
だいたい、うちの オカンは“捨て魔”のうえに、
“新しいもの好き”であるからして、
実家のテレビは次々に変わったものだった。
そう、電化製品は特に寿命が短く、
今や10年モノなんていうと、
驚きの声があがるのではなかろうか。ということは
電化製品で、世代を超えた「物語の伝承」は
成立しにくいということで‥‥。

けど、モノはなくとも、
そこに“心”があれば、
そして語り伝えるべき思い出があれば、
時代を隔てたとしても、人から人へ、
色褪せずに“感動を伝える”ことは できるはず。
たとえば、テレビがカラーになったときの感動や、
電話が初めて家にやってきたときのこと、
それにパソコンに初めてメールが届いたときのこと。
けど、今では あって当たり前の電化製品、
そうして、100年後には
3歳児がパソコンと向き合うなんて、
これが常識になっているかもしれない、
そのときこそパソコンが、
“かつて奇跡の神業”だった事実を伝えるべく、
あたしは目下のところ、
由緒ある『ケロパソ』を開発中なのだ。

『ケロパソ』は名前のとおり、
カエル型のフォルムの製品ですが、
これは工業品というより、むしろ
アートの流れを汲むパソコン。
肝心のパソコンの中身、いわゆる
システムについては完璧にローテクですが、
ここまで凝れば、そうは容易く捨てられまい。
ですから、遠い将来で『ケロパソ』という
異質で時代錯誤な電化製品から、
あたしという先祖が、生涯 カエルに こだわっていた背景と、
カエルへ寄せた熱き想いと失敗談、そして、
この世で味わった喜びなど、いくつもの「良き物語」が
100年先のあたしの子孫へ伝わりますように…
と願わずにはいられない 三月最終日曜日であった。

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相方・でこへの呼びかけ
しかし ほんま、オッサン描かせたら、
でこの右に出るヤツぁ いいひんなー。
いっそ「オッサンギャラリー」を作るとか。

ちなみに『ケロパソ』は完成したら、
「アホ臭」の象徴のようなものになるはずや、
何億光年たっても、ニッポン人の真髄である
「アホ臭精神」は伝わっていてほしいもんやな。

●オッサン描きの名匠・でこのブログ