幻映画『婦人Aの枠』 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

‥‥コツは、最初の思いきり。
目の前の壁を怖がらず、勢いよく
とりゃっ! すると‥‥。


土曜日に ひとりっきりになってしまった。
気が合うと思っていたヤツに逃げられたのだ。
ヤツ、誰かさんと同じことを言ってた、
「おまえは ひとりで生きていけ!」
この決定的な ことばを複数からいわれるってことは、
あたしが ひとりになるってことを、
神様は お見通しだったろう。
けど、こうなったのは そもそも
4つの額縁だった。

あたしは思うのだ。
固定概念にとらわれて、
当たり障りのない平凡な暮しに甘んじるなんて
つまらない、あたしは「変人」とか
「暗いヤツ」だと笑われてもいい、
多角的に物事を見たり、捉えたりして
皆が あっと驚くような発想で
人と違った日常を送ってやる。すると、日々楽しい。

たとえば、ブリキのバケツ、
それを近所のスーパーへ行くときの
買い物カゴにしたりすると、案外オシャレかもしれない。
味付け海苔を“具”にして
おにぎりを にぎり、仕上げにシャケの切り身で巻いたら、
それは「逆おにぎり」とかなんとかいって、
意外に世間でウケるかもしれない。

だから、「これはこういうもの」って、
頭ごなしに決めつけてしまうのは 嫌。
あたしのこんな考え方は、おそらく、
「所詮、人生なんてこんなもの」だとは、
けっして決めつけたり諦めたりしないという
かなり往生際の悪い性格の延長線上にあって、
けれど、人がそれを幼稚だと笑おうとも、
あたしは「疑問を持つ」ことを
これからも忘れないし、やめない。

こんな あたしの部屋には変わったインテリアがある。
中身のない額縁‥‥枠だけを4つ、壁に飾ってるのだ。
それは あたしが多角的な考え方の持ち主で、
“終わってない人”だという象徴だ。
額縁を“何かを飾るためのケース”だという考え方は、
固定観念にとらわれた石頭の発想、
額縁の枠が主役でもいいじゃないの、
だから4つの額には絵も写真も入ってないし、
ガラスも入ってない、中身がなくて、
ただ部屋の壁がある、そこに意味があって
ロマンがある‥‥と力説したら、
アイツは呆れ、あたしは ひとりになった。あーあ。

土曜日、あたしは、
ひと思いに南の島へ行って、
思いっきり浮かれて帰って来た。
孤独だったあたしは タヒチの太陽に救われ、
ダンスを踊り、ハンモックで眠り、フルーツを食べ、
そして戻ってきた、あたしは刺激的に日曜日を迎える。
‥‥って、こんなことをいうと、
また、あたしのそばから誰かが去っていくのだろーか、
でも、黙っておけない、ここで吐いてしまおぅ。

部屋に飾ってる4つの“中身のない枠”は
実は春、夏、秋、冬、を意味してて、
飾り方はふたつつずつ、二段になってる。
それは ぐるっと繰り返す四季で
その前に座って想像力を屈指していると、
何もないはずの枠の中に、なんと、
行ってみたい場所や、思い出の場所や、
想像の世界が、四季折々の映像が めくるめく!
そうして「ここだ」と思う“枠”があったなら、
思いきって その風景に飛び込む!
ちょっと怖いけど、頭から、勢いよく!
ぐ ぐーん!

土曜日、あたしはタヒチへ行った、
その前はスイスに行って“ハイジごっこ”をしたし、
その前は平安時代の京都で式部ちゃんに会った、
その前は子どものあたしに逢ってきた。
あたしには『ドラえもん』なんて必要なし、
4つの枠は『どこでもドア』。
たまに、失敗することもあるけど、
それは飛び込むタイミングが悪くて壁にゴチッ‥‥
‥‥って話をしたらヤツは引いた、
きっと、アブナイヒトという烙印を押されたんだ、
でも、いいのいいの、だって、
ヤツは固定観念にとらわれた「群れの中のハト」、
カモメのあたしの気持はわからんだろう。
海を超える あの気持。

部屋の4つの枠から旅にでる。いつか、
あたしがそれを終える日が、くるのかな、
知ってるのはお天道様だけか‥‥。

        幻映画『婦人Aの枠』 <完>
プライバシー保護のため音声を変えています
ご協力くださったAさんには図書券を進呈しました
                幻監督/越後屋こぶ彦

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相方・でこでこへの問いかけ
『ロング・エンゲージメント』は観るのかえ?
登場する役名を予習して覚えてから
映画を観た方がええらしいで。長くて ややこしいから。

晴れてNHK受信料を払わなくてもいい身上になり、
堂々と解約の手続きを済ませたときに、
ようやく判明したんやけど、
受信料って「NHKを見る人が払うもの」ではなくて、
「テレビを持っている人が払う義務」やと。
それやったら「テレビ設置料」というふうに
どこかで名称を変えたらよかったのに、と思った。
でも今となっては、例の不祥事で
NHKの存在そのものが問われてるし、
受信料もどうなるのかわからんけどなぁ。

●親不知のオペ痕が痛くて
まだ泣いてるくせに強がっている でこのブログ