人には四季の流れは操れないが、
己の路は自転で決まる。
世界は不思議で単純なところ。
ふだんは胸の奥に、そっと しまっていて、
なるべく他人には見せないようにしているもの。
それが、その人を もっとも その人らしくしているものだったり、
実は、もっとも激しく狂おしいものだったり、
あるいは、あどけない少女だったり少年だったり、
また、その人の中で、もっとも綺麗なものだったりする。
そうして、ふと誰かの そういう部分に触れたとき、
人は人を深く想う‥‥。
『岸辺のふたり』は、
たった8分間だからこそ、
人の胸の奥底にあるものを そっと撫で、なんの罪悪感もなく、
あっけらかんと幕を閉じることができる。
短い作品だからこそ宿る、締めつけられる想い。
これが長編だったら? 押し付けがましいかも。
これが実写だったら? 苦々しく思うかも。
世界で一番、上映時間の短いギネス記録だからこそ、
観る者は「しまっているもの」を託せるのではなかろうか。
おそらく一度目よりは二度目の方が、
いえ、幾度も繰り返し観た方が、
『岸辺のふたり』は人を切なさくさせる。
思うに この短編アニメを、過去にDVDか何かで、
何げな~く家で観た人は、何げに ほんわかと感動し、
「この短いお話は いったい何なのだろう?」と、
繰り返し繰り返し見るうちに
どうしても大きなスクリーンで観たくなってきた‥‥
そういった根っからのファンこそ、この度の劇場公開で
最大限の感動を得たはずだと あたしは思う。
繰り返し観る、これができるのも短編ゆえ、
だからたぶん、この短編の評判を聞いた初見の人が、
感動を期待して客席に座ったとしたら、
ちょっと肩透かしを食らうのではないか。
といっている あたしは初見だったのに、
透かされることはなく、どっぷり浸ってしまった。
たぶん、主人公の女性と同じように、
ずっと会いたいと願っている人がいることや、
あたしの子どもの頃の思い出や、
映画の中を駆け足で流れていく四季の移り変わりが
胸を締め付けた原因。あと、自転車の音にグッときてしまった、
あの カラカラカラ~~という音に弱いのだ。
この映画は劇場で、同じものが二度 繰り返し上映された。
8分間を商売として成立させるための策であり、
また、観る度に新鮮な発見をくれるゆえの気配りでもある。
けれど問題は、一度目と二度目の間に、
映画館が何をしたか。それが馬鹿っ!
著名人の感想を数々とスクロールで流すだなんて、
観る側の感性を縛ってるやん!
と怒っている あたしは一度目のラストで、
すでにウルウルと涙目になっていたため、
「有名人の評論」は判読できず、
だから縛られることもなく‥‥。
というか、どうやらあたしは この映画を、
右脳だけで観てしまったらしく(セリフもないので)、
そのため文字を読むための左脳は「休め状態」、
場内が明るくなるまでピクリとも反応しなかった。
もしも あたしが映画館主なら、一度目と二度目の幕間には、
真っ暗闇で、主題歌『ドナウ川のさざ波』を流すだけ、とか。
まるで『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の最初の部分みたいに、
暗闇で五感を確かめるのもいいかと思ふのだ。
ただでさえ、ピアノとアコーディオンの音は
心の奥底まで響くんだから、闇に包まれたなら、
ホモサピエンスの感覚は解放されまくるに違いない。
★★★★★☆☆ 7点満点で5点
名曲『涙そうそう』と映画『まぼろし』を
足して2で割ったようなアニメーション。
ヨーロッパの風景をベースに、
日本の簡素な表現が効果的に使われていて とてもいい。
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でこよ、見ず知らずの優しい方が
トラってくださって分かったんやけど、
アメブロでシステムエラーがあったみたいや。
全ての人じゃなくて、使ってるデザインによって、
問題が発生したらしい。スタッフブログでは
問題は解消され、もう直ったってアナウンスされてるけど、
まだ あたしんとこは のっぺらぼうのまま。
そやし、デザインを変えてみることにした。
そういえば、でこんとこのブログも、
この間から字がやたら大きく表示されるてるわ。
●サラダ油で炒めたような相方・でこのブログ