岸辺のふたり |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

浮き世は自然にまかせて回り続け、
人には四季の流れは操れないが、
己の路は自転で決まる。
世界は不思議で単純なところ。


ふだんは胸の奥に、そっと しまっていて、
なるべく他人には見せないようにしているもの。
それが、その人を もっとも その人らしくしているものだったり、
実は、もっとも激しく狂おしいものだったり、
あるいは、あどけない少女だったり少年だったり、
また、その人の中で、もっとも綺麗なものだったりする。
そうして、ふと誰かの そういう部分に触れたとき、
人は人を深く想う‥‥。

『岸辺のふたり』は、
たった8分間だからこそ、
人の胸の奥底にあるものを そっと撫で、なんの罪悪感もなく、
あっけらかんと幕を閉じることができる。
短い作品だからこそ宿る、締めつけられる想い。
これが長編だったら? 押し付けがましいかも。
これが実写だったら? 苦々しく思うかも。
世界で一番、上映時間の短いギネス記録だからこそ、
観る者は「しまっているもの」を託せるのではなかろうか。
おそらく一度目よりは二度目の方が、
いえ、幾度も繰り返し観た方が、
『岸辺のふたり』は人を切なさくさせる。
思うに この短編アニメを、過去にDVDか何かで、
何げな~く家で観た人は、何げに ほんわかと感動し、
「この短いお話は いったい何なのだろう?」と、
繰り返し繰り返し見るうちに
どうしても大きなスクリーンで観たくなってきた‥‥
そういった根っからのファンこそ、この度の劇場公開で
最大限の感動を得たはずだと あたしは思う。
繰り返し観る、これができるのも短編ゆえ、
だからたぶん、この短編の評判を聞いた初見の人が、
感動を期待して客席に座ったとしたら、
ちょっと肩透かしを食らうのではないか。
といっている あたしは初見だったのに、
透かされることはなく、どっぷり浸ってしまった。
たぶん、主人公の女性と同じように、
ずっと会いたいと願っている人がいることや、
あたしの子どもの頃の思い出や、
映画の中を駆け足で流れていく四季の移り変わりが
胸を締め付けた原因。あと、自転車の音にグッときてしまった、
あの カラカラカラ~~という音に弱いのだ。

この映画は劇場で、同じものが二度 繰り返し上映された。
8分間を商売として成立させるための策であり、
また、観る度に新鮮な発見をくれるゆえの気配りでもある。
けれど問題は、一度目と二度目の間に、
映画館が何をしたか。それが馬鹿っ!
著名人の感想を数々とスクロールで流すだなんて、
観る側の感性を縛ってるやん!
と怒っている あたしは一度目のラストで、
すでにウルウルと涙目になっていたため、
「有名人の評論」は判読できず、
だから縛られることもなく‥‥。
というか、どうやらあたしは この映画を、
右脳だけで観てしまったらしく(セリフもないので)、
そのため文字を読むための左脳は「休め状態」、
場内が明るくなるまでピクリとも反応しなかった。
もしも あたしが映画館主なら、一度目と二度目の幕間には、
真っ暗闇で、主題歌『ドナウ川のさざ波』を流すだけ、とか。
まるで『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の最初の部分みたいに、
暗闇で五感を確かめるのもいいかと思ふのだ。
ただでさえ、ピアノとアコーディオンの音は
心の奥底まで響くんだから、闇に包まれたなら、
ホモサピエンスの感覚は解放されまくるに違いない。

★★★★★☆☆ 7点満点で5点
名曲『涙そうそう』と映画『まぼろし』を
足して2で割ったようなアニメーション。
ヨーロッパの風景をベースに、
日本の簡素な表現が効果的に使われていて とてもいい。

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でこよ、見ず知らずの優しい方が
トラってくださって分かったんやけど、
アメブロでシステムエラーがあったみたいや。
全ての人じゃなくて、使ってるデザインによって、
問題が発生したらしい。スタッフブログでは
問題は解消され、もう直ったってアナウンスされてるけど、
まだ あたしんとこは のっぺらぼうのまま。
そやし、デザインを変えてみることにした。
そういえば、でこんとこのブログも、
この間から字がやたら大きく表示されるてるわ。

●サラダ油で炒めたような相方・でこのブログ