現在、プロ野球選手となって頑張っている教え子が、身勝手な大人たちの犠牲となって一浪を余儀なくされ、失意のどん底に沈んだ時期があった。彼の回想にもしばしば語られ、Wikipediaにもある「1日10時間の受験勉強」(笑)に僕が付き合うことになる、少し前のことである。その時、彼に対して僕が贈ったのが、「見続けない限り、夢は叶わない」という言葉である。
彼が2年ほど前に書いた「夢を見続けよう」という文章に次のようにある。
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××リトル30周年おめでとうございます。
××リトルは僕の野球の原点。小学5年生の秋、僕のやんちゃぶりを見かねた担任の先生の勧めで入団以来、××リトルは僕の生活の中心。×川さん(現総監督)始め、関係者の皆様には大変お世話になりました。××リトルで教わった「継続は力なり」は、現在も座右の銘として日々噛みしめ、心を奮い立たせる言葉です。この言葉に支えられて現在の僕があると言っても過言ではありません。つらい練習もこの言葉のおかげで乗り越えられ、いつの間にか大の練習好きになっていました。高校時代、進路問題で悩み、自分を見失いかけた時期もありましたが、ある先生から「見続けない限り、夢は叶いませんよ」と言われ、継続こそが大事であったのだと思い出しました。
プロ野球選手という夢は叶いましたが、僕の夢は始まったばかり。長く険しい道のりですが、これからも夢を見続けたいと思います。
後輩の皆さんも大きな夢を見続けて下さい。
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こうして彼の文章を読み返してみると、夢見ることの大切さがよくわかる。
我が来し方を振り返ってみると、夢を見続けることが夢を叶えること以上に難しいことがよくわかる。
大学4年生の秋、大学院の選抜試験に合格し、後藤先生の研究室でコーヒーを御馳走になっていた時のことである。先生はコーヒーがお好きで、室を訪れる学生たちにも手ずから淹れてくださったのであるが、いつも閉口したのが、入室直後に行われる〝選定の儀式〟であった。書架を二段潰して並べられたカップの中から好みのものを選ばされるのである。ある時など、選んだコーヒーカップを持ち上げたら、突然、オルゴールが鳴り出した。驚く僕に「ブラームスですよ」と先生が微笑まれた。
「あなたも研究者を目指されるのでしたら、偏に御自身の研究を第一になさってください。そうでなければ、研究者であるとは到底申せませんから……」
「はい。」
「次に学生の指導です。勘違いなさらないでください。これは研究が第一で、学生は二番目であるということではありません。大学の教員は研究者であることが大前提だということです。ですが学生あっての教員なのですから、決して徒や疎かに考えてはなりません」
「はい。」
「あとは、『私は存じません』『私には出来ません』で定年まで通すことです。あなたはこれを守れますか?」
学問と学生とを愛し続けて来られた後藤先生ならではのお言葉だと思った。肝に銘ずべし。
「先生、僕も先生のような研究者になれるでしょうか?」
今から思えば莫迦な質問をしてしまったが、先生は次のように言われた。
「なれます。あなたが私の歳まで研究を続けられたら必ずなれます。ですが、勘違いなさらないでくださいよ。それはあなたに才能があるからではなく、それまでに皆が勉強を止めてしまうからです」
(勉強を続ける?! それなら大丈夫だ! それだけには絶対の自信がある)
若かった僕には、夢を見続けることが夢を叶えること以上に容易でないことが、まだわからなかったのである。