好文舎日乗

好文舎日乗

本と学び、そして人をこよなく愛する好文舎主人が「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつ」けた徒然日録。

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教え子で現在同じ職場で勤務しているN君に誘われ、松高-宇治山田高の試合を観戦した。

松葉監督の元気な姿も近くで見ることが出来たし、三木先生にも久しぶりに会うことが出来た。


明日から夏期講習。小論文演習ばかり持たされた(笑)

しかも29日までびっしり入っている。実戦的な内容にしたい。


昨夜は、前任校で同僚だったK先生が郷里から東京に戻る途中に立ち寄ってくれた。GWに東京で会って以来。進路指導主任と高3の担任で大変な上に、学園評議員を命ぜられ苦労が多いとか。ゴメンナサイ、評議員が回っていったのは、僕が辞めたからです。

 残してきた生徒たちの様子や、進路指導の取り組みなどを聞かせてもらい、嬉しいことも多かったのだが、やはり学校組織としては腐り切っているようだ。120年以上の女子教育の伝統を持ちながら、その上に胡坐をかいて、何の努力もしなかったために、経営の危機に瀕している。残された時間は少なく、改革しか途は残されていないはずなのに、愚昧な理事長(やっぱり坊主はダメです)とそれを取り巻くイエスマンばかりの理事たち、理事長の威を借り、気に入らない教職員を次々と解雇する女事務局長、理事長と事務局長を抱き込み、学園を私物化する体育科(特にバレーボール部と卓球部)。東京での3年間は思えば、体育科との戦いだったように思う。

 K先生によれば、国語科の非常勤、O先生が体育科のS野とS原、社会科で中等部主任のK平から目の敵にされ、苦労しているらしい。

理由を尋ねたら、S原が担任する中1に手を焼いていて、自分のいうことを聞かない生徒たちが、O先生のいうことだけは聞くので、嫉妬しているのだとか。そこへS野やK平も参戦し、O先生に辛く当たっているようだ。度し難き奴らである。O先生はまだ20代だが優秀な教員である。僕がいなくなって高3の小論文、志望理由書、自己推薦書の添削指導が、みんな彼女の所に行ってしまっているようだ。まあ専任の国語教員が3人いるけど、彼らには無理だからなあ。O先生に頼らざるを得ないのが現状なのだ。

 だとしたら、せめて体育科をなんとかしてやるべきなのだが、管理職がまるで当てにならない。校長は前出の理事長が兼務している。副校長はこれまた坊主で稀代の事勿れ主義。教頭は、3年前「リストラ教員リスト」の筆頭に名前があったのに、理事長や事務局長へのゴマすりだけで1年前に突然教頭に抜擢された男で、「僕は教師じゃないの、学校で働いている人。だから定時に帰るの!」が口癖の「教師の風下にさえ置きたくない」ような奴である。どうしたらよいか現在思案中である。


好文舎主人

「患者さんの心の痛みがわかる○○になりたい」とは、医療を志す者がよく口にする言葉ですが、あなたはこれについてどう考えますか。あなたの体験を織り交ぜながら、あなたの考えを400字で書きなさい。

そうしたら、「私はこの考えに否定的な立場をとる。医療者は患者の病いや傷を治すのが仕事であり、心がわかるのが仕事ではない」と書いた生徒が結構いました。「患者の心の痛みがわかる医師(看護師)になりたい」というのもある種の「傲慢」ですが、「患者の心がわかる必要はない」というのもやはり「傲慢」であると思います。みなさんは、どう思われますか。

教職の志望理由として最も多いのが「子どもが好きだから」というもの。僕の経験から言って、このような志望理由を臆面も無く述べる輩に優れた教師は一人だっていた例がない。ところが、「子どもが好きだから」を志望の動機として挙げる生徒が多いのが現状である。そういう生徒に限って教育とか、教職とかについて深く考えた子は少ない。そんな生徒に読むように勧めているのが池田修『新版 教師になるということ』(学陽書房 2013.2)である。旧版(ひまわり社 2007.9)に加筆・改訂した本書は、教職を志す学生・生徒にぜひ読んでほしい良書であるが、その中に次の一節がある。


《子どもが好きだから教師になるというのは、ま、正しいのでしょうけど、それだけでは駄目なような気もしています。子どもが好きな教師は、子どもを子どものままにしてしまいがちです。子どもの良さを受け入れつつ、子どもを大人に育てる仕事に就きたいと思える人が教師になるのがいいのではないでしょうか。》(新版 59㌻)


子どもを大人に育てる。しかも「子どものよさを受け入れつつ」。難しい、けれどやりがいのある仕事である。肝に銘じておきたいと、読むたびに思う。

ご無沙汰しております。

東京の某学園で学校改革に取り組んできましたが

事務局長が体育科に懐柔され、理事長が方針を大転換したため、

数名の教員とともに脱出し、三重県に戻って来ました。


現在の勤務校は恐らく日本一忙しい学校です。

それでも前任校のような体育科の専横もなく、

平和な日々です。


以前のように頻繁な更新はできませんが、ブログを再開することにしました。

どうぞよろしくお願いします。

久しぶりの投稿です。


昨日、前任校のM高校硬式野球部が甲子園初出場を決めました。

A先生のメールで優勝を知りました。あいにく外出中だったので、

慌ててインターネットカフェへ。


M監督、おめでとうございます。久しぶりにお声が聞けてうれしく思いました。


学校改革は思うにまかせず、苦難の毎日ですが、結果を出された監督を見習って頑張ります。

昨年は学校改革の2年目としてとても大切な1年となるはずであったが、体育科の巧妙な策略に嵌った校長が精神を病み、改革停滞した。6月末に校長が学校を去ると体育科を中心とした古参教員がどもが傍若無人に振る舞い、改革停滞どころか、崩壊てしまった。


12月中旬、 理事会は、体育科と社会科を中心とした現執行部を3月で退陣させることを決め、4月からの新体制作りを1月に始めよと命じたこれがラストチャンスだと思う。気を引き締めて取り組んでいきたい。

2012年が皆さまにとりまして佳き一年でありますよう
心からお祈り申し上げます。


今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


学校説明会で進路指導部長が言っていた。確かに入学後の学力に不安がある学生が出てきたことから、国公立大や難関私大でそういった動きはある。しかし、優秀な人材を確保することに成功している例も少なくない。少なくとも僕が指導した生徒たちは、充実した学生生活を送っている。

ある女子生徒(今は女子学生か)は、情報学の教授からレポートを激賞され、あちこちで発表させられたそうだ。僕のゼミに来ないかと会うたびに誘われるのが嫌で逃げ回っているとか。


「AOで入った子と一般入試の子とではやっぱり違う?」

「違いますよ。AO組は仕切りたがりというか。行動的です」

「学力的には?」


「AO組がバカだってことですか?それはないですよ」

というわけで、前述の話題になったのである。

彼女は先週からフランスに留学中である。来年2月に帰国したら、生徒たちの前で話をしてもらおうと思っている。

9月11日(日)のこと。入試本番を一週間後に控えたAさんの小論文指導を休日出勤して行った。

なかなか書けずに悲観的なり、落ち込んだAさんを、「気分転換にもなるから場所を変えて指導しよう」

と昼食に誘い、彼女に付き添って勉強に来ていたBさんと3人で学校から徒歩2分の場所にあるパスタ

の店に入った。

注文を終え、指導の続きを始めようとしたら、体育科の女性教師Cが数名で来店。

その中には学歴詐称で出禁になっているDもいた。

Cは我々が店にいることに驚いたようであったが、別に咎めることもなかった。


ところがである。

翌日、校長代行、副校長、教務部長、高等部主任、高3担任、生徒指導部長(前出のC)

が居並ぶ会議室に呼ばれ、事情聴取を受けた。


本来校長代行と副校長の2名で行うべきものではないのか。

結果は「注意」であったが、僕が女子生徒たちとパスタの店に入ったこと、

休日に届けもなく出勤し、女子生徒と勉強したことが問題であるということであった。


前者が問題であるのなら、Cはその場で注意すべきであったはず。

また、休日の指導届けは校長代行に事前に口頭で伝え、許可を取ってあった。
Cが言うには、それだけではダメで、教務・担任・高等部主任の許可がいるのだとか。


休日の受験指導にそんな大げさな手続きは過去の勤務校では聞いたことがない。


そこで前任校を始め、何人かの先生に電話で確認したところ、せいぜい届けは担任レベルでよく、

それも生徒の方から話をし、それを聞いた担任の方から指導者に挨拶に来るのが礼儀である。

あんたは何もしなくていいんだと言われた。

僕が許せないのは受験間近のAさんにも事情聴取を行ったことだ。
彼女は心が折れたようで、回復しないまま昨日受験に臨んだ。


なぜ、僕が休日に彼女を指導したかというと、

彼女の担任が思いつきでAO入試の受験を勧めため、

本番までにあまり日が残されていなかったからである。

担任は以前にも書いたが一切の受験指導はしない。

こんなことが許されてよいのだろうか?

今日のPTA役員会で執行部のお母さんたちが法人に対してかなり強い要望を突きつけた結果、ようやく学校が動き出しそうです。

「先生、いつでも声かけてくださいね、援護射撃しますから」と実にありがたい言葉をいただきました。

少しですが、希望の光が差して来ました。

ますます頑張らねば…。