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入学試験→卒業試験

入学試験をやめて卒業試験にするメリットはいくつかあります。


まず第一に、偏差値教育から脱却することができます。

偏差値教育とはずばり暗記教育。


入学試験があるから不特定多数の入学希望者を採点する必要が出る。

それを効率よく採点していくためには、採点の合理化=マークシートなどの選択肢の出題形式が便利になる。

マークシートなどで答えさせようとすれば自ずと○と×で判定できる問題傾向になる。

物事を覚えているか否かがポイントになる。


ね?

いいことないでしょ。


これを卒業試験にするとしましょう。

先生が自分の担当する学生たちを評価すればいい。

1クラス40人以下でクラス編成していけるのなら、その先生がクラス全員分の論文を読むことやグループ分けなどして議論形式で成績を付けていくことなどが可能になる。

暗記優先の教育でなく、議論や論文で表現していく上で必要だから知識が必要になる。


つまり議論力や発信力を育成するのにはもってこいなんですね。


しかも二つ目のメリットとして、勉強してムダな教科が減ります。


僕はコッテコテの私立文系の志望でした。

私立文系志望の学生にとって、高3の時点での生物なんて教科、受験で必要ないし全くもって時間の無駄なんですねー。モチベーションは「必修科目だから」以外のナニモノでもないです。

ちなみに僕の高3の時のクラスの学年末テストの平均点はなんと12点(100点満点)でした!

ちなみに僕は8点!

しかし先生は僕たちが受験で生物を使わないことを分かっているので赤点は付けないと言ってくれました。

僕たちはそれはそれは喜んだものです。

でも、喜びと同時に僕は感じてました―じゃ、なんでオレたちはこの教科を履修したんだ、と。そんな時間があったら英語の勉強をさせてくれ、と。


数字合わせだけなんです。これじゃ。


でも卒業試験にすれば解決ですよ。

それでも大学は、誰でも彼でも学生を入学させていいかというとそうもいきませんね。

ですから大学は、その大学を卒業するに耐えうる学生の最低の学力ラインを設定するんです。それもテストの点数ではなく通知表の成績で。全教科の平均が10段階中7.5とか7.3とか。


通知表でやることがミソです。


テストでの入学試験は所詮ギャンブルですから。高校3年間コツコツとお勉強してきても、入学試験当日に風邪をひいてしまったり調子が悪くて本来の調子を出すことができなかったりしたらそこで終了ですね。逆に1,2年生の時にメチャクチャ遊んでても、3年生になってからすっごい勉強して合格すればOK。いいんでしょうか、こんなにコツコツがんばっている人が評価されなくて?


でも通知表の平均点が評価基準なら、コツコツやった人が報われる。


それも必ずしも国社数理英だけが評価対象ではないんです。

家庭科が得意な子も体育が得意な子も、技術や美術や音楽が得意な子も、ボランティア活動が好きな子も同じように評価されるんです。


無駄な教科なんてひとつもなくなります。


しかも内申書と違って、一人ないしは少数の先生の独断と偏見で成績が付くこともない。

十なん教科を教える十なん人の先生の意思が反映されるワケですからね。


そうして公平な評価基準で成績がつき、高校卒業の学力を担保する試験を通過した後に自分の学力に相当する志望大学に進学していけばいいんです。

そこでまた必要な知識を身に付けて進級、卒業試験に合格して卒業、就職…と。


医科大学の学生たちを見ていてつくづく卒業時点での試験がいかに大切か分かります。

彼らは大学を卒業しても国家試験に合格しなければ意味がない。

だから最上級生の6年生は本の山に囲まれた状態で徹夜しながら勉強していますよ。


私立文系の学生もそうなるべきです。


絶対に入学試験ではなく卒業試験の制度に移行させなければなりません。

これはなにも学生、現役生だけの話ではありません。


次回は社会人にとってのメリットのお話をしましょう。

大学改革だ!

日本はとにかく、大学が変わらないことには何も教育の変えようがありません。


ゆとり教育をしようがやめようが

学力テストの結果を公表しようがしまいが

中高一貫教育にしようが

偏差値が高かろうが低かろうが

とにかく大学の根本を変えなければ、何の解決にもならないんですよ。


なぜ大学が変わらなければならないか。


先日スエーデンの社会のしくみがTVで紹介されていました。

スエーデンでは小学校~大学まで、完全に無料だそうです。

そして日本のような入学試験がありません。


それによって40代で転職を希望しても、大学で新たな知識を身につけてから転職することができる。

つまり、いつでも人生やり直せるという事です。


どうです?

これだけ見たってずいぶん夢のある話じゃないですか?


一方で日本に目を向けてください。


まるで大学は就職するまでの腰掛け。

3年生になったら勉強よりも就活の方が大切です。


その大学に入学するために高校、中学校、最近では小学校まで、大学より前の学校はすっかり予備校化。

マニアックな事を知っている=頭がいい=優秀という価値観の上に成り立っています。


英検1級や漢検1級の問題、見た事ありますか?

例えば漢検1級のテストに出てくる漢字。

あれ知っていたら確かにすごいけど、あんな漢字使って手紙もメールも送ってきて欲しくないですよ。

英検1級に出てくる単語たちも同様。


議論をするとか他人を納得させるとか主張するとかいう事を学ぶ機会が極めて少ない。

そしてこれが日本という国をどんどんダメにしていきますよ。


「最近の若い人はボキャブラリーが貧困」なんて、まさに学校教育の結果ですよ。

中学高校と最低6年間は英語を勉強してきて海外旅行で必要な程度の英語も話せないなんて、まさに学校教育の結果ですよ。


これでいいなんて誰も思っていないと思いますよ。

じゃ何か変えないと。


教育内容のレベルが低い?

いやいや、外国と比べてみてください。

日本はずいぶん高いレベルの勉強をしていますよ。


教員の質が低下した?

いやいや、一人ひとりの先生たちと話してみてください。

ずいぶん一生懸命やっていますよ。

先生の件については追って詳しくお話しますね。


結局、大学は会社に入るまでの執行猶予。

高校はその大学に入るための予備校。

中学はその高校に入るための学習塾。

ともすれば小学校ですら、中高一貫校に入る前段階に過ぎません。


どこかでコケたらそこで僕らの人生、終了~。

終了は言い過ぎだとしても、かなりのハンディキャップを負う事になるんです。


もしくはいい大学に入る事が究極目標になってしまうと、そこで燃え尽きてしまっていい大学を中退ーとかいい大学卒のニートとかいう結果につながりやすいですね。


日本の大学は変わらねばなりません。

そのためには

「入学試験を撤廃し、卒業試験を学生に課す」

これが絶対条件です。

絶対にできるはずです。

これができない理由があるのなら教えてください。


僕はひとつ知っています。

入学試験は儲かってしまうんです。

だって黙っていたって受験料をひとりアタマ3万円は払ってくれますからね。

入学するかしないか分からない人だって3万円払ってくれるんですもん。

それに掛かる経費は問題回答用紙のための紙代と試験監督の人件費くらいですかね?

定員の何倍も受験生が来たっていいんですもんね。


聞くところによると、一回の入試で億のお金が動くそうですよ。

こりゃーやめられんですな。


しかも試験の詳細な結果は知らされません。

自分がどこをどう間違えて全部で何点で全体で何位だったから合格したまたは不合格だったは、一般的には問われません。

思い返してみてください。

中間テストレベルだって先生に異議を申し立ててみたら2~3点は上がったりした経験をした事がある人、いません?結構いると思いますよ。

なのに人生を大きく左右する大学入試ではしない。

なぜ?


このような問題に対して、私立の大学は応じづらいのはまだ理解ができます。

ならば国公立からこれを始めたらどうですか。

入学試験の撤廃、卒業試験の導入を。

絶対にできるはずです。


だって入学の対象が現役生だけじゃなくなるじゃないですか。

前述のように社会人だってたくさん学びたい人、いるんですよ。

むしろ学費でしっかりとmake moneyしたらいいじゃないですか。

しかも何歳からでも夢が見られる社会を作ることができる。


これから少子化ですもん。

やったらどうですか?


次回は国公立のあり方や費用の面から考えてみましょう。

教育をもっと良くしたい

最近は妙な事件が多くなった。


TVを見ているとイタタマレなくなるニュースがいっぱい。


僕は日々、子どもたちを取り巻く環境がもっとよくなればいいと考えている。




とはいえ僕はたいそうな人間ではない。




自分が子どもの頃は不良ではないが問題児ではあったと思う。


反抗期は特に両親に対して激しかった。反面、外ヅラはいい方だったと思う。




僕は大学卒業後、一時は就職をしたのだがその後ワーキングホリデーでオーストラリアへ渡った。


これが僕の第二の人生のスタートだった。




オーストラリアは僕の人生を変えた。


おそらくは良い方向に。


サーフィンにもとりつかれた。


今では生活のかなりの部分を占めている。




両親に対する反抗期が激しかった僕は、それまでも親子関係や家族というものについて考えることが多かった。


決してエライ訳ではない。


どうやったら両親をギャフンと言わせられるか考えていただけだ。




しかしそれが功を奏したのか、オーストラリアでも目に付いたのは親子関係や家族だった。


もちろんすべてを目にしたワケではないが、自分の中のわだかまりを解くには充分だった。




親子関係を追っかけていったら、必然的に教育に、そして学校というものに考えがぶつかった。


これが奥の深い世界だった。




帰国後もせっかく身につけた英語を失いたくなくて、外人の友達の中で時間を多く過ごした。


多くの外人に日本に帰国してからの方が英語が上手になっていると言われる。


その時間の中で、オーストラリアだけでない仲間がたくさんできた。アメリカ、イギリスはもちろんニュージーランド、カナダという欧米からインドネシア、インドなどのアジアの国にも。


いろいろな国籍の人たちからいろいろな話を聞いた。


もちろん学校の環境を取り巻く「教育」全般が主なテーマだ。




これから少しづつその中で気づいたことを話していきたいと思う。


結構ホンキだ。


本当はみんな気づいていることなんだろうけど。