
まさに実存主義の考え方が垣間見える作品である

まずは実存主義が最もよく表れている一節から

私はグリスをやつらに渡すくらいなら死んだほうがましだと思っている。それはなぜだろう。私はもうラモン・グリスが好きじゃない。あの男に対する私の友情は夜明け少し前、コンチャへの愛といっしょに、生きる欲望といっしょに死んでしまった。なるほど私はあの男をやっぱり尊敬している。あの男のいのちは私のいのち以上に価値なんかありはしない。誰のいのちだって価値はないのだ。一人の人間を壁に立たせ、そいつが死ぬまで撃ちまくる。それが私だろうとグリスだろうとほかの人間だろうと同じことだ。あの男がスペインのためには私より役立つことはよくわかっている。だが私にはスペインも無政府主義もくそくらえだ。何もかもくだらなくなってしまった。ところが私はここに生きている。グリスを渡せばこの身は助かる。だのにそれを私は拒絶しているのだ。私はそれをむしろ滑稽だと思った。これは意地なんだ。私は思った。
(85頁)
「誰のいのちだって価値はないのだ」
「だが私にはスペインも無政府主義もくそくらえだ。何もかもくだらなくなってしまった。ところが私はここに生きている。」
これは、「今まさに生きている存在」である実存を中心とする考え方である。そして、
「だのにそれを私は拒絶しているのだ。私はそれをむしろ滑稽だと思った。これは意地なんだ。私は思った」
これは、サルトルが「実存主義はヒューマニズムであるか」で語った「人間は自由という刑に処せられている」という考え方に基づくものである。なぜなら、サルトルの「自由」とは「自らが思い至って行った行動の全てにおいて人類全体をも巻き込むものであり、自分自身に全責任が跳ね返ってくることを覚悟しなければならないもの」であり、同作品に換言すれば、パブロが思い至って行った「グリスの居場所を告白しない行為」は、パブロ自身に「処刑」という形で跳ね返ってくることを覚悟しなければならないからである。
そして、サルトルは「壁」において、まさに実存主義の具体的実例とはかくなるものと言わんばかりに、パブロが結末で選択した実存(行為)によって、パブロ自身を思いもよらぬ結果へ導いていくのである。そして、「壁」のラストは、短編小説かつ実存主義に最も相応しい方向に向かうのである。実際、私自身急転直下のラストにはしてやられました


最後にサルトルの「壁」が日本文学に与えた影響は大きいと思う。これは単なる直観だが(研究課題にしない)、遠藤周作「白い人」の結末は「壁」の影響があると思う。恐らく、遠藤周作は戦後初のフランス留学の折に「壁」を読み、「壁」で描かれた実存主義、文学的主題を、多神共存を認めない欧米の「神」と多神共存を認める日本の「神」との調和を図ろうとする(論理的な整合性を確立しようとする)「生涯のテーマ」に適用しようとしたのではないかと私は思索してみた。実際、遠藤は、「生涯のテーマ」においては必ずしも実存主義を貫徹したわけでなかったが、文学的主題においては実存主義に基づいて作品を構成していたと思う(「沈黙」「海と毒薬」「白い人」など)。
なお、サルトルの影響を受けた作家といえば、遠藤以外にも、大江健三郎や安部公房が有名だが、大江はサルトルの実存主義を自身の左翼的イデオロギーに都合よく盛り込んで「革命思想こそ実践(実存)」と捉えていると私は思う。また大江のフィールドワークは、「社会的または文化的に隔絶された環境からどう脱出するか」「社会や文化を寸断する「壁」をどう崩すか」というもの(「飼育」「万延元年のフットボール」)に向けられており、それはサルトルの「壁」が示唆している文学的主題と同値であるとはいえないと思う。ゆえに大江がサルトル文学の継承者であるとは断言できないように思われる(もっとも、私は「自由への道」を読んでいないので断言できない)。安部公房については、「壁」「砂の女」も含めてまだ読んでいないので分かりません(笑)。これからの研究課題です
