言うまでもない米国文学の名作。書くべきことは山ほどあるのだが、時間と字幅に余裕がないので少々簡潔に要約(><)。
なお、今回の書評で省略したのは
①「野崎訳を選んだ理由」(村上春樹訳を選ばなかった理由)
②「原文訳と野崎訳の比較」
③「野崎訳と村上訳の比較」
④「ライ麦畑における反戦思想」
⑤「ライ麦畑における宗教観」
⑥「ライ麦畑の文学的主題」
です。
③は「ライ麦畑を読み比べて~野崎孝と村上春樹(http://ameblo.jp/kaeruchan-usagichan/entry-10702710061.html)」を、
⑤は本書156-157頁を、
⑥は本書16,269,292-296頁を、
④は本書216-219頁と、野間正二『小説の読み方/論文の書き方』65-83頁,『「キャッチャー・イン・ザ・ライ」における戦争とサリン
ジャー(http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents
/repository_txt_pdfs/bungaku94/B094L083.pdf)』を参照してください。
④は要約すれば、「軍隊に入って戦場で戦うぐらいなら、徴兵拒否をして死んだほうがマシだ」という反戦思想です。なお、同作品は1951年に発表され、その前年は朝鮮戦争が勃発した年であります。
で書評。
●本書の魅力(文体の魅力)
すでに述べたように、ホールデンの語りのスタイルを言葉で言い表すのは難しくない。難しいのは、それがどうやって長編まる一冊にわたって我々の
注意を惹きつけ、我々を楽しませてくれるのか、という問いに答えることだ。なぜなら、この本を面白くしているのは間違いなくその語り口だからだ。語られる
物語はエピソードの羅列であり、大抵はささやかな出来事から成っていて、結着らしい結着もない。その文体にしても、通常の文学的基準からすれば、きわめて
貧しいと言わねばならない。ホールデンを通して我々に語りかける腹話術師サリンジャーは、生と死について、根本的な価値観について自分が言いたいことをす
べて、十七歳のニューヨークっ子が使う隠語の限界内で言わねばならないのだ。誌的なメタファー、朗々たる雄弁なリズム、その他いかなる美文調もここでは使
えない。
だが詰まるところ、この文章には何か驚くほど誌的なものが備わっている。口語的な語りのリズムが精妙に操られているおかげで、我々はそれをたやすく、楽しく読む―それも一度ならず―ことができる。ジャズミュージシャンたちが言うように、この文章はスイングしているのだ。
デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』柴田元幸訳 36-37頁
→ロッジ見解に全く同意♪
●気に入った一節
たしかに僕は、個人的な問題に入りすぎてたことは事実だった。それは自分でもわかってるんだ。しかし、ここがまたルースの癪にさわる点なんだ
な。フートンにいた時分、相手の身に起こったことはどんなに内密なことでも具体的にしゃべらせようとするくせして、こっちが彼のことを何かとききはじめる
と、とたんに気を悪くするんだ。こういう知的な連中というのは、自分がその場を牛耳るんでないかぎり、知的な会話をしたがらないものなんだ。自分が黙ると
きには、きまって、相手にも黙らせたがるし、自分が自分の部屋へ引きあげるときには、相手にもそれぞれの部屋へ引きあげさせたがる。僕がフートンにいた頃
も、僕たちはルースの部屋に集まって、奴から例のセックスの話を聞かしてもらったわけだが、それが終わった後も、僕たちが部屋へ帰らないで、僕たちだけで
勝手にしばらくおしゃべりしたりすると、ルースは必ずいやがったもんだ―それはもう、明らかにわかるんだな。僕たちだけって、つまり、ルース以外の連中と
僕とがさ。誰かほかの奴の部屋でね。それがルースにはいやでたまんないんだ。自分が立役者を演じる場面が終わったら、みんなをそれぞれの部屋へ帰して黙ら
しておきたい、そう奴はいつも思ってたんだよ。奴の心配は、誰かほかの奴が自分よりももっとうまい話をしやしないかって、それを心配してたんだな。僕に
とっては、ほんとにおもしろい男だった。(228頁)
どういうわけか、入るときよりも家を出るときのほうがずっとやさしかったね。一つには、もうつかまったって平気だという気持ちになってたからか
もしれない。ほんとに平気だったんだ。つかまえるなら、つかまってやるよ、そう思ってたな。ある意味じゃ、つかまえてもらいたいみたいな気持ちもなくはな
かったね。(280頁)
→最初の一節は個人的には実に耳が痛い(笑)