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最近、大江健三郎さんの話しかしてなかったので、趣向を変えてみました(笑)
大江健三郎さんが「現代の文豪」なら有川浩さんは「現代の寵児」ですね(^^)♪
てな感じで作品の話
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まず同作品は元々短編として書かれた「SideA」に「SideB」を加えて書き下ろされた作品である。
「SideA」は、小説家の妻が前代未聞の難病で亡くなるまでの話を夫の視点から描いた作品である。
他方「SideB」は、小説家の妻を持つ夫がすい臓ガンで亡くなるまでの話を妻の視点から描いた作品である。
つまり「SideA」と「SideB」は、一つのシンメトリーを徴表しているのである。
そして、両者のシンメトリーによって「愛する者の突然の病死」がどこか神秘的なペーソスを漂わせて我々読者に肉迫してくるという効果を生み出すことに成功したのである。
言いたかったのはそれだけだ(笑)
雑感としては、とりわけ感動することもなかったし、普通ですね。
「SideA」も「SideB」も恋が盛り上がっていく過程の会話は秀逸だったけど、ゴミ屋敷のシーンとか情景描写が少し拙いという印象。
確かに、現代人がよく使う言葉を多用して、テンポの良い会話を進めて展開を加速させるという構成である以上、情景描写をできるだけ簡潔かつ簡明な言葉で書くのは理解できるけど…
小説にある程度の読みごたえさを求める私には、やっぱり普通ですね。
もう少し具体的に掘り下げると、本書のような「愛する者の病死」を扱う小説は、基本的には短編小説ではなく、長編小説にして、作中人物の心理を克明に掬い上げて、ゆっくりと感情的高まりを保ちながら最終的な「死」という結末に向かっていく方が良いと思いますね。
本書は作中人物の出逢いと恋の成就に力点が置かれすぎて、いかんせんラストの「死」へ向かっていく展開のドタバタ感が否めませんね…
もっとも現代の読者視点に応じた会話や記述を心掛けるなら、有川作品は手本にすべきですね
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