【刑法】共犯理論の整理(未熟品w) | うんちくコラムニストシリウスのブログ

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●結論
「共犯と身分」の検証は、受験政策上(笑)、現状ではいい加減なまま放置しておこうと思う。
「共犯と身分」のせいで、うちの共犯理解がますますオワタになってきたので、今からひたすら各論で頭回復する予定w

●共犯の処罰根拠と従属性
・共犯の処罰根拠
①因果的共犯論と②不法共犯論

①因果的共犯論(結果無価値論的考え方)
→共犯の犯罪の射程を、教唆・幇助行為から、正犯の実行を通じて正犯結果の発生まで捉える点に特徴がある。
→正犯の構成要件と共通に正犯結果(危険結果)の惹起の禁止を内容とする。したがって、共犯に対する規範は正犯に対するそれと異ならない。
→罪名従属性を認めるか、罪名独立性を採るかにより、修正惹起説(混合惹起説)と純粋惹起説に区別される。

②不法共犯論(行為無価値論的考え方)
→共犯は正犯をして社会的に耐えることができない行為(行為無価値)を引き起こしたから処罰される。
→共犯の射程を正犯の実行行為まで捉えるので、共犯の固有の犯罪性は教唆・幇助行為そのものと正犯の実行の着手という結果の発生で終わる。
→未遂の教唆の事例において、正犯の実行の着手にまで故意が及べば足りるとするのは、客観的な犯罪の射程がそこまでしか及んでいないからである。
→そこでは、正犯の犯罪を引き起こしたのが共犯であり、正犯の犯罪性(罪名)こそが共犯の犯罪性を決定する。この意味で不法共犯論に立つ限り、罪名従属性は原理的前提なのである。ここでは、いまだ正犯が犯罪性の中心であるという考え方が見られる。
→しかし、この説は、行為無価値論から採用されることが多いにもかかわらず、この説によっては共犯の固有の行為無価値制は十分に強調されていない点で問題がある。不法共犯論からの新たな規範的根拠付けの展開が待たれる。

→共犯は、正犯に実行行為を行わせるという修正された構成要件に該当する行為を行う点に本質があると考えるのであるから、共犯の不法が正犯の不法に従属するのは当然である。

●共犯と身分
・65条1項と2項の関係
→判例・多数説:65条1項は真正身分犯について、2項は不真正身分犯についての規定である
→1項と2項とで身分が異なった扱いを受けることの理由が明らかにされていない(判例においては、何が真正身分犯で、何が不真正身分犯であるかに ついて、解釈の余地が残されている)点に学説として問題を残している(山口厚『刑法(初版)』164頁,井田良『講義刑法学・総論』(初版)510頁等)
→この問題を検証したものとして、

①十河太朗(同志社大学教授、上の多数説を採った主要学者として有名な大谷實元同志社大学教授の弟子、なお、私はどちらかと言えばアンチ大谷派 (笑)であるが、大谷の間接正犯、共同正犯の学説はテストでの論述を行う(実質的犯罪との整合性で言うと微妙そうw)上では非常に優れていると思う。だから、私は間接正犯、共同正犯は大谷説が多いw、)の『身分犯の共犯』(2009)
→ただ、この本に関しては、途中で読むのを諦めたw(笑)、元関西大学教授の植田重正氏(故人)の「正犯なき共犯」「共犯なき正犯」理論や、保護 責任者遺棄罪(218条)と単純遺棄罪(217条)の関係を具体的に読む必要があり(共犯と身分の研究の権威である西田典之東京大学名誉教授が上の説を批判する際に、この点を批判し、しかもそれが結構鋭く、この見解を批判するには、たぶん具体的に両罪について調べる必要があるから)

②西田典之『共犯と身分(新版)』(2003)、『共犯理論の展開』(2010)等
→なお、西田説は、その正否はともかく基本読むつもりなしw、なぜなら、西田説に対しては、「違法身分と責任身分の区別が不明確」という批判が恐らく鋭いと思われるから。

●共犯関係からの離脱
・共犯の処罰根拠
→因果的共犯論が通説→刑法の任務が法益の保護にあり、共犯処罰もその一環である以上、共犯処罰の根拠は、正犯によって惹起された法益侵害に対して間接的にしても、因果的な寄与をした点に求めるべきだ(平野龍一先生=結果無価値論)
→共犯は自己の行為と因果関係を有する限りの結果について罪責を負うことになり、その反面、自らの加功によって創出された危険が結果に実現することを防止した者は、共犯関係から離脱することになる。

(離脱の基礎はすっ飛ばしている)
→ただし、教唆犯的な態様で共同正犯に関与した者や、共謀関係の形成に指導的な役割を果たした関与者は、他の共犯者に与えた強い心理的影響力を除去しない限り離脱できない。