ノックノックス「かいじゅうのまち」あとがき | ノックノックス

ノックノックス

花と緑と音楽を愛する演劇ユニット ノックノックスです

 

こんばんは。ヤストミです。

喪中につき、新年のご挨拶は割愛させて頂きますが、本年もよろしくお願い致します。

 

さて、12月の31日に「かいじゅうのまち」の配信も終わり、2021年のノックノックスのコンテンツもすべて終了致しました。「シンデレラ」も「おぉーい。」も「かいじゅうのまち」もコロナウイルスに翻弄された作品たちですが、特に「かいじゅうのまち」は延期に延期を重ね、そしてコロナ禍ということもあり当初の企画から二転三転した作品でしたので、無事に終演した喜びはひとしおです。

 

今日はそんな「かいじゅうのまち」の作品や登場人物を振り返りながらちょっとしたエピローグをお届けしようと思います。

 

 

 

 

まず主役のアメリア。最初(コロナ禍前)のイメージから一番変化があったのがアメリアです。去年の初夏に書き上げた初稿ではもっとハチャメチャにぶっ飛んだキャラクターだったのですが、去年育児をしている中で「これはないな・・・」と思ったシーンや言動をカットしていくと割とまともな子になりました。(そのせいでストーリー上いくつも変化がありました)それでも上演台本の中で元気すぎたり、もう少しお姉さんだったり、色々なアメリアを経て皆さんご存じのアメリアに落ち着きました。稽古に入ってからも一番台詞の変更が多かったのがアメリアです。カンフェティの取材では13歳とか14歳なんて言ってましたけど、そんなに大人じゃないですね。最終的なアメリアは。大人じゃない方がいいので、大正解なんですけど。藤田奈那という立派な大人が、あそこまで子供として違和感なく板の上にいられるのは、素晴らしいことだと思います。群像劇の主役だったので、めちゃくちゃ大変だったと思います。しかも振り回す側ではなく、振り回される側だったので特に。ちなみにアメリアが12歳そこらだとして、弟にそこまでヤキモチを焼くのかって話ですけど、普段はそれはもう無理くり頑張ってお姉ちゃんをしているんですよ。自覚がなくてもちゃーんとお姉ちゃんとして存在しているからこそ、かいじゅうたちにも仲良くするように促す(半ば強引でしたけどね・・・)ことができたのです。ただ、彼女も複雑な年頃ですから、たまたまわがままを言っているところをママに見つかったんでしょうね。とは言え彼女の中の正しさがかいじゅうたちを救ったわけですから、おはなしとしては万々歳です。

 

ストーリーテラーとして大活躍だったマーガレットさんとケニーですが、企画当初は更にリンダとトット、という人間サイドのキャラクターが存在していました。色々あってその二人はカットすることになったのですが、リンダはアメリアのライバル、トットは明るいうっかりさんとして人間サイドのストーリーを(当初は)盛り上げていました。カットになった後、ふたりのキャラクターはちょっとだけマーガレットさんとケニーに引き継がれました。その甲斐あってか(?)頭から最後まで大忙しの二人。リズムに合わせて踊らされるわ、ママの一挙手一投足にいちいち全力で反応させられるわ、細かいストーリーテリングを全部任されるわ、ストーリーにあまり関係のない一瞬の為に全力でメイクさせられるわ・・・。しかし大人が必死だと面白いんでしょうね。子供たちからも人気の二人。中でも「えんだー!」のシーンは拍手が起きるほど盛り上がりました。両名がもともと持っている人の好さが、役を通り越してあふれ出ていたからだと思います。無事に一等地は買えたのかしら。気になりますね。余談ですが、かいじゅうたちが食べているごはん。肉やら魚やら様々な食材が並んでいますが、あれは肉や魚が置いてあるわけではなくて、全部離乳食です。一回ミキサーでバラバラにしてからわざわざあの形に成形しているんですね。そりゃめんどくさいですよね・・・間違いなくいらないひと手間です。

 

 

 

 

ママは最初から世界最高の魔女でした。たとえひとりぼっちだとしても世界最高です。世界最高の魔女でも寂しさには勝てなかったってことですね。カンフェティのインタビューでも触れられていましたが、ママがかいじゅうたちの紹介以外で関わるシーンは、ジゴラとの会話一回きりです。尺の問題で急に胸はチクチクするわ、かいじゅうたちとの絡みはないわでめちゃくちゃ難しい役どころなのですが、見事に演じて頂きました。「人魚姫」以降、何かにつけて魔法魔法で不思議現象を表現してきましたが、いけないことなんてないんです。だって、ママは魔女なのですから。ちなみに長い名前は意地悪でもなんでもなく、リズムが気持ち良いのと、長い方がただものではない感が出るかなぁ・・・という実に安直な理由からです。アメリアのおかげで愛に気がついたママに怖いものは何もありませんね。そうそう、ママの最後の台詞、子育て中の・・・特にお母さんに響いた方が多かったようで、嬉しいです。もちろんみんながみんなそう思うとは限りませんが、いくつかメッセージを頂きました。ありがとうございます。

 

 

 

 

曲者ぞろいのかいじゅうたちの長男がジゴラです。長男だから・・・ってだけの理由で頑張ろうとしていますが、しかし彼は不器用ですので、色々とうまくいきません。ママにこっそり弟たちの近況を報告していますが、ドランだけでなくメカゴンにまで見つかっているとは、不器用ですね。そう、彼はちゃんとしたくてもそこまでの器量はないんです。それでも長男だからかママからの信頼は厚く、かいじゅうたちのなかで魔法の道の存在を教えてもらっていたのは彼だけです。ママも(持ってるのか謎ですけど)魔法の水晶とか?鏡とか?そんなので覗けるでしょうに、やっぱり自分の子どもの口から近況は聞きたかったのでしょうか。きっとそうなんでしょうね。ちなみに、魔法の道はクロノトリガーのゲートみたいなイメージです。知らない人は検索してみてください。

 

次男・・・というか一人で三兄弟なのでそういう数え方をするとわけがわからないのですが、かいじゅうのなかでも超ギミックが効いているのがギギオとドドスケとララコです。パペットが操演者にそっくり・・・もしくは操演者がパペットにそっくりなのは偶然です。衣裳・造形の髙橋さんは特に似せようと思ってつくったわけではないと仰っていたので・・・。あぁ見えてギギオが意外と懐が深いと言いますか、他の二人の話をちゃんと取り持っているからこそ、ひとつの体で存在していられるんですねぇ。ちなみに3人の中ではララコが人気でした。一人同時三役というとてつもない負荷にも関わらず、日に日に腕の関節が増えたんじゃないかというくらいに三人が独立して存在していたので、ただただ感服しております。技能賞・・・なんて簡単なものでは片づけられませんね。無形文化財です。

 

おじさんおじさん言われてますが、男性からの人気が高かったのがウータです。「えんだー!」だったり「あーれー!」だったり、割とコミカルなシーンで登場しますが、妙な安心感があります。場にこの人がいると妙に落ち着くって人いますよね。ウータはまさにそういうかいじゅうです。(ほぼ、河内さんの人の良さですけど・・・)モスミの大ファンですが、当初はファンというより恋愛対象として好きな設定でした。しかしこれは(みんなちがってみんないいとはいえ)複雑になる、というか混乱するのでやめました。ファンもどうなんだって話ですが、彼は一途に応援するタイプです。いい関係です。

 

かいじゅうたちのなかで割とまとも(?)なのがチブローです。「痛いの痛いの飛んでけー!」のくだりが私は大好きなんですけど、ああいう言いがかりをつけてくる人って小さい頃にいましたよね。やけに理屈っぽくて、あぁ言えばこう言う・・・きっと頭の回転が速いんでしょうね。しかし言ってることは案外的を射ているので、一概に屁理屈とも言い切れないのが憎たらしくて可愛いところです。彼はああ見えて非常にデリケートなので、考え事をしている時に周りがうるさいと全然集中できないタイプです。神経質ですね。これまた余談ですが、じゃんけんがいつまでも終わらなかっ理由は、チブローとギギオ(達)に手がないからです。出してから今のはあーだった、こうだったと自己申告するスタイルです。終わるわけないですね。つまり彼らのせいでメカゴンはドランに突き飛ばされたわけです。理不尽。

 

 

 

 

かいじゅうたちの紅一点(ララコや後述するドランもいるので正確には一点ではないですが・・・)がモスミです。会場でお配りしたかいじゅうのにがおえシート。あちらで女子からの人気は断トツでした。ほっぺにハートを描いた小さなお客様も会場にいたみたいです。例の歌・・・はもうプロットを書いている時から絶対にやるんだ!と決めていたので、ああして披露できて本当に嬉しいです。私が。彼女が京都弁を話すのは後からつけた設定なのですが、そのおかげで「モスミや」とか「辛いやん」など、その・・・なんて言うんですかね、リスペクト元・・・と言いますか、そちらと少し似たニュアンスの歌詞にすることができて満足です。ちなみに劇中では傷をちょこっと治すくらいしか特殊能力を使っていませんでしたが、ママに似せてつくられただけのことはあって、ママが使える魔法は大体使えます。もちろん能力に大きな差がありますから、効果が同じとはいきませんが。

 

「こっちの気まで抜けちゃう」なんてママに言われてますが、木は優しくて力持ちを地で行くのがゲスドンです。食べることが好きで、みんなが揃うまで食べ始めるのを我慢できなかったり、みんなの残したパンケーキを「もったいない」と言って全部持って行ったりしていますが、食い意地が張っている・・・という印象はないですよね。ゲスドンはいい子ですから。私はこの作品に泣けるシーンをつくらないつもりでいましたし、そんな風になるなんて思って書いてなかったのですが、ゲスドンがマーガレットさんにご飯のお礼を言うシーン。あの「だいっすきだよ!」で毎回ウルっと来てました。あんなにまっすぐに言われちゃぁねぇ。参ってしまいますよ。ウータと一緒にケニーの告白をじっと聞いているシーンは癒しでした。

 

毎度、何らかの形で自分に似た登場人物をつくるのですが、それがドランです。ドランも口が達者なので一筋縄ではいかないかいじゅうです。自分でトラブルメーカーだってこと認めちゃってますしね。しかし集団の中にはこういう人って必ずいるもので、みんながAって言っているのに一人だけBって言ったり、決まりかけた事柄に文句をつけたり。でも必要なのです。そういう人がいるからこそ、違った目線で物事を見られたりするものです。それで、これは劇中では触れなかったのですが、私の中ではドランは男の子だって決めてません。もしかしたら女の子でもいいかも、と思っています。ああいう性格なので非常にジャッジしにくいのですが・・・いかがです?ちなみにドランにそっくりな名前の怪獣がおりますが、あいつが飛ぶと衝撃波が起き、周囲に甚大な被害を与えます。ドランもそこまではいきませんが、つむじ風でみんなの目にゴミを入れるのが得意です。

 

家に連れて帰りたいかいじゅうナンバーワンのメカゴン。末弟で、彼だけは主にミルクを飲んでいます。彼も翼が生えたり、目が光ったりと様々なギミックが搭載され魅力的ですが、やはり家に連れて帰りたい理由としてはその可愛さでしょうね。てとてと歩くさまや、自信のない様子は母性(父性?)をくすぐります。この作品はちょっとしたメカゴン成長記でもあるわけですが、自分に自信がなく、これと言った特技がない(と自分で勝手に決めつけている)と思っていても、いつかふとした瞬間に思いもよらない形で自分だけの特別な才能が開花する・・・可能性もあるよ?というまぁわかりやすいメッセージを彼に込めたわけですが、本当は、コロナでなければ、彼の変身シーンからエンディングまでは全く違う流れだったのです。コロナで、お客様と触れ合うことができない今、どうやってもその演出ができず、泣く泣く本を変えました。今回の上演版はそれはそれでもちろん気に入ってはいますが、いつかコロナが落ち着いて・・・いつかのように演劇を楽しむことができるようになったら・・・元々あったエンディングもお届けしたいなぁと思っております。

 

 

 

 

さて、ざっと登場人物を振り返ってきましたが、誰も彼も個性的で、個性が強すぎで、本当に強すぎでしたね。その個性を全て受け止めていたのが、おなじみ柵山さんと福島さんによる舞台セット、そして楽隊による生演奏です。今回はお子様も多かったので、コロナでなければ是非ともバックステージツアーがしたかったです。セットでドングリ拾いだってできましたし、楽隊のフミさんの海洋ゴミ楽器なんて面白さ満点だと思います。楽器がすべて拾ったゴミでできていますから。(いつか「人魚姫」のマリーナとコラボレーションして頂きたいところです)こればっかりはコロナの終息を祈るしかありませんが、一日も早くお客様と触れ合える日が戻ってきてほしいものです。

 

ノックノックスの世界観にガーデニングや生演奏は欠かせませんが、忘れてはいけないのがかいじゅうの衣裳です。あれがなければ「かいじゅうのまち」の〝かいじゅう〟が存在しないわけですから。元々俳優が持ている個性を、衣裳が何倍にも何十倍にも膨らませていました。髙橋さんとは「人魚姫」のアレキサンダー、ガブリエルにはじまり、「アレキサンダーの冒険」の魔女やふくろうじいさん、弱虫うさぎ、そして「おぉーい。」のだいごろう、おはなさんとこれまで数々のノックノックスキャラクターを手掛けてくださいました。今作では物量もあり、随分と高負荷な中かいじゅうたちを仕上げて頂きました。すっかりかいじゅうに変身した俳優を見て、私はただただ、羨ましかったです。私もかいじゅうになりたい。かいじゅうのまち2があるならば、演出は誰かに任せて、私は出演する方に回りたいですね・・・。

 

そうそう。かいじゅうたちのごはんや、東の谷にあった薬草、チブローの本などなど・・・数々の小道具はすべて演出助手の大谷さんがつくってくださいました。おかげで稽古開始直後から割と小道具が揃っていまして、非常に助かりました。シブゲキは舞台袖に階段があるので袖に小道具置き場が設置しずらかったのですが、ごはんの出はけなど全部彼が介助してくれていたのです。舞台上には一瞬も現れませんが、縁の下の力持ちです。

 

と、お礼を言い出したらキリがありません・・・ので他の皆様へは私から直接ご連絡します。

 

 

 

 

「かいじゅうのまち」は当初の上演予定時期から1年半近く延期をしての開催となりました。元々の台本は、もっと子育てにフィーチャーした内容で、皆さんがご覧になった「かいじゅうのまち」とは随分と違うものがたりでした。

 

企画したのは「人魚姫」のすぐ後ですから、まだコロナなんて存在していない世の中でした。そういうものがたりにしよう!と私を動かしたのはもちろん息子の存在が大きくて、それまでと生活のスタイルが大きく変化したからです。しかし子育てを描こうとしている割に、今の自分からすると当時1歳になっていない息子の育児に対して・・・まだまだ積極的でなかったな・・・レベルが低かったな・・・と思うところが多いのが正直なところです。そこまで理解していないのに、大変なことをさもそれっぽく大変に描いて、とにかく大変なんですよ!大変大変!みたいな。大変さのアピールで終わっちゃうと言いますか(実際それで終わっちゃうってことはないんですけど・・・)、その先を投げてしまうものがたりだったんですよね。大変なのはわかったけど、それでどうするんだ?って。育児って割と理不尽なことが多いので、ポップに描いたとしても、見せ方次第でどんだけでもエグくできると思うんです。世のお母さん、もちろんお父さんも、楽しそうにしてますけどみんなめっちゃくちゃ大変ですから。みんなやってるから・・・で片づけられていることも多いと思います。

 

ただ、コロナになって、仕事が無くなって、息子と過ごす時間が増えて、恥ずかしながら妻に叱られたりしながら(「照らす」の男2が話していたことは、ほぼ実話です。もちろん言われていたのは私・・・DVDお持ちの方は是非観返してみて下さい・・・)まだまだ至らないながらも育児を(それまでに比べて)ちゃんとするようになって、大変の先がわかるようになったことで、上記のアメリアのくだりでも書いた通り「あ、これはないな・・・」と思うシーンや台詞をカットしたり、重いこと、エグいことをなるだけ軽く見せようと考えるようになりました。決して、これが正解という意味ではないです。私は、そう思うタイプの人間だということです。ですから大変の先がわかったからこそ、より重く描こうとする人もきっといることでしょう。その人にとってはそれが正解です。なので〝私は〟が大前提で、かつ生後すぐの一番しんどい時期に妻に負担をかけた私が偉そうに言える話ではないですが・・・めっちゃくちゃしんどいのはもうリアルで十分経験してるし、それだったらあるあるで笑顔になれたり、救われるような内容でほっこりしたほうがいいんじゃないのかなぁ・・・と。そんなわけで随分とライトな「かいじゅうのまち」が生まれることになりました。ある意味コロナがあったことで生まれ変わったものがたりだったわけです。

 

 

 

 

終わって思うことなんてのは書ききれないほどありまして。もちろん無事に終わって良かったという気持ちもあれば、反省も多々あります。良かった点も悪かった点も自分の心の中でぐるぐるしていますが、子供たちの笑顔を見ることができたということは、間違いなく「かいじゅうのまち」を上演して良かったということでしょう。最近は魔法だったり、登場人物が歌ったり、ストーリーテラーがいたり、割とそんな感じのノックノックスが多かったのですが、次回は原点に戻ってみようと思います。

 

随分と長い記事になってしまいまして、書き上げるのに三日もかかってしまいました。長時間書きすぎて下書き保存ができずに記事が消えてしまった時には諦めそうになりましたが、何とか書くことができました。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

最後になりますが、この作品に関わってくださったすべての皆さま、会場へ足を運んでくださったお客様、画面の向こうでお会いしたお客様。本当にありがとうございました。まだまだ油断できない世の中ですが、皆さまにとって2022年が素晴らしい一年となりますように。

 

それではまた、お会いしましょう。