先月から頂いていた、こんなお誘い。
今までにも何度もお誘いいただいていたのに、
やっとの念願、語り手でもある桃子さんにやっとお会いできた。
「語」。
「吾」は「口:くち」+「五:交差する」からなり、A と B が交差して話し合うこと。
のち、「吾」が「我」とともに一人称を表す代名詞に転用されたため、
「言:いう」を加えた「語」が その原義を表すことになりました。
かたる・かたらう・対話・ことば・言い伝え・はなし等の意。
ストーリー・テリング。
読み聞かせとも違う、
映像を見ながらでもなく、音響効果を狙うでもなく、
ただ語り手と聞き手が向き合って、淡々とお話が語られた。
敷物の上に大人も子供もみんな座って、前の語り手を見つめる。
途中眠くなって寝息をたてた子もいた。
うん、わかる・・・ちょうど、眠る前に母親が耳元でお話をしてくれた感じ。
小さな子供は、単に心地よい音を聞くだけかもしれない。
少し大きな子供は、じっと聞いている。
私は場面を頭に描きながら。
穏やかな語り手さんの声が、すーっと体の中に染み込んだ・・・
先日のこと、家族が集まっての食事の時。
昔子供たちが小さかった時に読んでやった本の話が出た。
一番に飛び出した本の名は『 地獄のそうべえ 』。
普通以上に大きな体の、しかもお酒が回って赤い顔をした息子たちが同様に
『 地獄のそうべえ 』の思い出を話しだしたのだ。
もちろん私は語ることなどできないから、本を読んだり、
近所の図書館にはその紙芝居バージョンもあったから、こちらを何度も繰り返し借りてきて読んだ。
これが我が家の一番人気、声色を使って何度も何度も読んだことを思い出す。
そのことを息子たちは今でも覚えていて、二人でそれを肴にもういっぱい呑むのだ。
酒を呑みながら子供の時の絵本の話?!
そして話はどんどん広がっていった。
やんちゃないたずら坊主たちの背中にも、想像の翼があったのだ・・・
五感を使って想像すること。
語りであれ、読み聞かせであれ、もしかしたら絵を画きながらであれ、歌いながらであれ、
その時にすぐに何かに現れずとも、
結果をすぐに求める時代、走ってばかりの今の世においては
なかなかそれは難しいことかもしれないが、
与えられたもののみでなく、自分でイメージをすることは、
きっと数多細胞の中のどこかに根を下ろすに違いないと期待して。

